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2005年04月28日
こどもホームページ 小学生のブログに思うこと、そしてまたヤツが…
■印西市立大森小学校
http://www.inzai.ed.jp/omori-es/index.html
昨日のセミナーで損保の方に教えていただいたのだが上記の小学校ではなんと生徒達がブログをやっている。技術・ コンテンツプランニングの面でgooが入っているようだがそれにしたってこれは英断である。以前、 幼稚園のサイトで提案したら犯罪に巻き込まれることを懸念する父兄からの反対によって頓挫してしまったのでこの小学校がこれだけオープンに情報発信できてしまっていることは驚愕である。
子供達も「顔出し」でサイトに登場しているが顔の露出問題なども企画提案では真っ先に「反対派」に突っ込まれたポイントである。
どのような経緯でこのサイトがこのようなカタチに落ち着いたのか関係者の方がいたら教えていただきたい。
さて、コンテンツについての考察の前にどうしてもこのサイトにアクセスした時のことを伝えておきたい。
トップページから子供達のブログページにアクセスすると6年生のグループが担当する各ブログのリストが表示される。
6年生が新聞記事を読んで、記事の内容や考えたことをかいています。
こんにちは 担当は6年生1グループです。
ようこそ!大森小へ 6年生2グループ
こんにちは 6年生3グループ
こんにちは 6年生4グループ
こんな感じである。僕は迷わず「6年生1グループ」をクリックした。
すると…
というタイトルがあらわれた。ふーん、こんな感じなのか。画面をスクロールさせてざっと全文を眺める。
と、そこで我が目を疑う衝撃の記述を発見してしまった。説明するよりもまずは同じ衝撃を味わっていただきたい。下記である。
ぼくは、パソコンやけいたいゲーム機(き)にねっちゅうしていました。けれど目(め)が悪(わる)くなるので注意(ちゅうい) しながらやっていました。でも、ぼくは、パソコンゲームやけいたいゲーム機(き)が好(す)きなのでやめられませんでした。 でもこの記事(きじ)を見(み)てまた昔遊(むかしあそ)びをやってみたいと思(おも)いました。お年寄(としよ)りは、 いろいろなことを知(し)っています。楽(たの)しい遊(あそ)びもきっとたくさん知(し)っていると思(おも)います。 ぼくも日本民家集落博物館(にほんみんかしゅうらくはくぶつかん)に行(い)って昔(むかし)の遊(あそ)びをやってみたいです。
やまけんより
そう、僕の目は最後の一行に釘付けになった。
注目はこの記述である。
やまけんより
この一行を目にした時の衝撃は半端ではなかった。
またか、と。そこにまで登場なのか。脳内では「やーまけんでーす」と声が聞こえてきた。これは幻聴だ。幻聴に違いない。
ヤラレタ感1000%な衝撃である。
またか。
またしてもお前か。
何故このタイミングでこの場所に。
我が盟友のやまけんは相変わらずここでも魅せてくれたのであった。
次回からは「キュービタル山本」
と呼ばせていただきたい。
投稿者 TKM : 23:51 | コメント (3) | トラックバック
人魚が話す夢を見た
あまりにもインパクトのある夢だった。
泣きながら目覚めた。
こんな夢だった。
PRIDEの吉田選手がモツ鍋をおごってくれるという。
喜んでいくとすでにタケザワ(友人)が段取りをして鍋が開始されている。僕は隣の部屋で床掃除をしていた。
お椀が届けられたので一口食べると。
驚愕。
異様にウマイ。一切れが通常のモツの5倍くらいの大きさである。味はタイの味に肉の風味を追加し、 角煮の質感を与えたような素晴らしき一品。吉田選手曰く、これを食べたらもう鍋ひとつ食べちゃうんだよ。とのことであった。
場所の説明を忘れていた。
ここはフードコートだ。アミューズメント施設な雰囲気である。係の人々はオレンジと白のコスチュームである。
鍋が一段落したので外の芝生に出てみる。ジープがやってきた。黒人のMPがのっている。
ジープのワイパーの前部には小型の機銃らしきものが備え付けられており、リモコンでコントロールできるようになっている。
知り合いらしく皆は談笑している。
アラハマさんが
「ちょっとアレもってきた?」
とMPに尋ねる。英語でのやりとりだ。袋からなにやら取り出して手渡している。一緒に細身の黒人の男性も降りてきた。 どうやら空砲のカートリッジのつまったウージー系のマシンガンの肝試し実験をやろうという試みらしい。
練習に一掃をおこなうと確かに空砲のようだが実弾がはいっていたらここで自分は消えていくのだろうか、と思うと恐かった。 爆音を予想していたが思ったよりも音は小さい。シュパッパッパといった程度の音である。
それを一段に向けて掃射する。音と煙につつまれるがそれだけのことであった。
そのイベントが終わった後、鍋の行われていた部屋にもどるとメニューがおいてあった。開くと3Dになっており、 3m強のリアルな映像が実体化していった。
「そうか菓子セットも頼んであったんだ」
と吉田選手がいう。菓子セットの項目をオーダーすると部屋全体が貸部屋に変容するようだ。 テーブルにはアメリカンなタイプのチープなケーキが用意されている。 円形で締まった感じのスポンジに丸いゼリーのような赤い菓子がトッピングされている。
周りを見渡すと座敷を降りた土間のあたりにウマイ棒100本セット(タラコ味)の紫色のパッケージが無造作に3つ、 4つつまれているのが見えた。
「あぁー!!ウマイ棒だ」
思わず走り寄る。積み上げられたウマイ棒セットの隣に
「4連式ウマイ棒ロケット(1m専用)」
と書かれたガンダムにでてきそうなバズーカ砲を4つほど束ねた機械があった。
「これは…?!」
吉田選手に尋ねると
「やるか」
と言われたのでやることにした。吉田選手に連れられて再び表の芝生にでる。芝生は階段状になっており、 そこに座って我々は発射を見守った。仕事を終えて、仲間の女の子達も海外から集まっていた。
「そうだケータイで動画で録っておこう!」
ケータイを取り出して点火の瞬間を録画しようと構えた。吉田選手のライターが点火ポイントに伸びる。と、 そこでミスって録画ボタンを再度押してしまった。やばい、保存モードに入った。間に合うか?!
そこでウマイ棒ロケットが炸裂した。1m専用なのにはわけがあった。 炸裂するこによって長タイプのウマイ棒がパーティサイズに分割される仕組みなっている。ロケット管の方は空へと飛んでいった。
録画ボタンは間に合ったのだろうか。ドキドキして再生してみると、一回目の録画は点火直後、 二回目の方は飛んでいくロケットを捉えていた。ところが一回目の録画を見直していくと最後の数コマで異様なシーンが展開されていた。
芝生に座っていた女の子(水色のセーター)に向かって彼女の友人らしき女の子がスライディングタックルをしているのである。
スロー再生を試みるとスライディングは女の子にクリーンヒットしていた。 セーターが下からめくれて地肌があらわになってしまったことにやられた女の子は激怒していた。 そしてホイスばりのタックルを相手に決めるとマウントパンチを連打した。
ヤバい、これは止めなければ。画面から目を現実の世界に戻すと二人は肩を組んで飛び去るロケットを見上げていた。 その姿はコミュニケーションの地と図を感じさせた。
イベントが終わり、部屋にもどることにした。部屋は巨大な納屋にかわっていた。左奥には土色の人魚タイプの動物がいた。 ETに似ている。右隅には三角形の顔をした首の長い生物がいる。ベルセルクにでてきた竜に変身する使徒ににている。 この二つの異形な生物に囲まれて今晩は眠らなければならない。
二匹はギャーギャーと騒いでいる。恐怖まではいかないが未知な生物だけにどうあつかっていいのかわからない。 三角顔の顔の方は少しおとなしくなったので人魚タイプをどうにかしようと思った。 ミトウさんが黄色いブラシで身体をあらっているイメージを記憶していた。どうやら寝床を掃除してほしいようである。 巨大なウンコがころがっていたので
「ミルコさん、これどうすればいいの?」
ときくと彼女は
「これから講義なのでまた」
といって去っていった。連れないなあ、と思って途方にくれそうになるが。 ミルコさんはそうはいいながらもセッティングはしていってくれたようで人魚タイプの竜はお湯につかって洗われるのを待っているようだ。
ブラシを探して湯船の方にいくとバシャっとお湯がはじいた。水たまりができて靴が濡れた。メッシュの靴なので濡れても大丈夫だ。 体長は3mくらいあるだろうか。お湯につかると竜は人の姿に近づいていった。が、人ではなかった。下半身はジュゴンのようであった。
褐色の肌を洗っていく。人魚は言葉を話せない。いま書きながら思い出したが人魚の話もたしかそんな拘束条件がつけられていた。
「そうかお前は話せないのか。そうなのか。でも何か言葉のようなものが見えるのだけれどなあ」
そう頭の中に「pLkuls花見」みたいな言葉が見えるのだが意味が全くわからない。同じ人魚族でこの棟にいる友人が遊びにきた。 彼女に
「この子は何かをいっているのかな?」
ときくと
「彼女は子供の頃に声をなくしたからね」
人間にすれば27歳くらいだろうか。褐色の人魚。黒髪である。まあ文句をいってもしかたないのでブラシで洗っていく。
「ねえ、これで強くないの?」
と友人(人魚)にきくと
「大丈夫なんじゃない。かなり強くこするくらいが気持ちいいから。皮の仕組みが違うの」
といっていた。なるほどね。そういうものか。水をかけてゴシゴシとブラッシングしていく。ホントに大丈夫なのか。
「オイ、どうなんだ。なんか文字がイメージではいってくるんだけれど何か意味あるのか?」
などと通じないだろうけれど話かけながら作業を続ける。お湯をかけて鼻歌をうたってやっていたら、周りの世界も楽しそうだ。 現実の世界も映画のようにシーンシーンで音楽が流れたら我々の生活は一変するだろうな。
瞬間、左耳がステレオになった。というのはわかりずらいか。 いままで耳に水が入ったみたいに聞こえていた世界の音が急にハッキリとステレオで聞こえてきたのだ。
ン?!
最初はよく理解できなかった。3秒くらいして、彼女が歌っているのだと気づいた。刹那、半径3mくらいの世界がシンクロした。 相手と自分の世界が解け合うのがわかった。この感覚は感動と呼ぶのだろう。うまい言葉をいおうとするが
「あぁぁ!」
実際に奇跡が起こるとそれくらいしかいえないものだ。友人も言葉をうしなっている。いま自分たちが感じているこの感覚を伝えたい、 そう強く思うのだが誰もそれを言葉にはできないのであった。
そうかこれが声か。声だったんだ。涙が溢れた。同時に目も覚めた。
投稿者 TKM : 14:37 | コメント (1) | トラックバック
やるなリゲイン ~リゲインの新CMとネットの商売とたかたさん~
■リゲインの新CM
http://regain.jp/jiten/cm/index.html
茂木先生のブログで紹介されていたので何も考えずにクリックすると。
いきなり魚の感情論みたいなものが映像で展開されており
ヤラレタ感
満載である。
この絵面を閃いた時、その人の頭の中にどんなパルスがはしっていたのか。その感覚を知りたい。
ぜひ教えてもらいたい。
茂木先生も
最初に見た時は、自分は一体どんな映像を見ている
のか、一瞬わからなくなった。
と書いているが僕の場合、水中に突入する鳥の足が一瞬、人が飛び込んで手でつかんでいるように見えて「何故、人の絵を挿入?!」 と前後不覚、混沌のカーニバル感覚に陥った。
ところで魚を擬人化するメタファーは映画にもときどきでてくる。
「渦 」
という映画の冒頭はまな板の上で切り刻まれようとする魚が物語を語り出すシーンからはじまる。
この映画のストーリーと魚と包丁とまな板のシーンは全く関係がない。
だがこの映画で僕の記憶に残っているのは魚の声と包丁の映像だけだ。
リゲインのCMでも商品は「鳥と魚の闘争」とは全く関係ない。関係がないものにどう関係性をつけていくのか。 そこがポイントなのだが結論からいうと関係はない。関係がないものを並べると人は勝手に関係性をつくりあげてしまう。 この効果は以外に大きい。なかばパブロフの犬状態である。
「鳥と魚のバトル」 という商品とは無関係な映像世界が健康飲料のCMに適応できてしまっているのはCMの記号化が加速しているからだろう。
この作品における上記のメタファーのインパクトは絶大であった。
商品やサービスの宣伝においては重要なのはその映像情報が我々に与える情報価値である。それは商品情報でなくてもいい。
視聴した時に私たちが価値を感じる映像ならばそこには価値があり、記号として十分に機能していることになる。
映像のインパクトによって「こんなCMがあった」「見た」という認識を視聴者に植え付けることが大切なのだ。 価値提供によって認知しているという状況をつくりだすことが目的である。
この手法とは異なるがメールマガジン発行の収益獲得モデルなんかも面白い。
数万単位の発行部数に達するまでは様々な手法をぶちこんでいき、メディアとして機能しはじめたところで具体的に収穫ツールとして使われる。
ざっとみていくとすぐわかるがネットでおこなわれている小規模の「売り系の商売」はどれもジャパネットたかたみたいなものである。
とにかくメディアの射程規模(パイ)を大きくしていくと「だれが買うんだそれ?」みたいな商品であっても少数(といっても数百はある)
の人は反応する。
雑誌の場合は印刷したり配送したりというコストがかかるのだがメールマガジンなどテキスト系のメディアに関しては運営にかかるコストが低い (というか実費はゼロに近い)ため利益率は驚くほど高くなる。なので売り上げが数百万というレベルであってもつみあげた時の収益は凄まじい。 また発行コストがゼロだから毎日でも発行できる。雑誌が月に一回なのにくらべると機動力が全然違うのである。 意思決定にかかわる人数も少ないので路線変更も頻繁に行われる。
リゲインのCMから話がとんでしまったがこうした事例をみていくと
「CMっているのか?」
という考え方もありだと僕は思う。いわゆるインフォテイメント的なコンテンツのカタチは思っていたようなものとは異なるのだろう。
その話については別エントリーで触れたい。
投稿者 TKM : 11:00 | コメント (3) | トラックバック
ブログセミナー雑感
ブログ関連のセミナーということでどのような方が集まるのかとても興味があった。
終盤グループワークがあったのでまわりの人たちと名刺交換などしてみると皆さん堅気の仕事の方であった。
セミナー内容についての感想はさておき他者のプレゼンテーションを見るのは勉強になる。というのは来月、 二つの大学で授業を二コマやることになっているからだ。一つはプレゼンについて、 もう一つはグループコミュニケーションとディレクションについてである。
構成案は固まってきたのであとは素材などを集める作業になる。 この講義は単発なものだがプランニングしていてのってきたので発展させていこうかな。
来月からは某プロジェクトの動きも具体化する。今回のプロジェクトにはいくつか柱があって、どれも興味深い。 「情報の振る舞いとダイナミズム」をドライブさせるパートに貢献できればいいな、と思っている。
そうそう今日のセミナーでひとつ気になることがあった。
「ウケるであろうブログ」をプランニングするというワークがあって最後に優秀作がゲストと運営者によって選択され発表された。
発表されたプラン群はTV番組的なモードでポップなのだが自殺や家族問題、
離婚など決して明るくはない現実の一側面を切り取りパロディ化するというコンテンツ構造の共通性がみられた。
内容の激しさとは逆にスタイルの類似が顕著なため、多様性によって生じるべきダイナミズムが貧困化しているように僕は感じた。 バックボーンを異にする人々が提示したプランがスタイルの面で極度に類似しているというのは興味深くもあるのだが。
ブログを題材にしたセミナーという時点で参加者がスクリーニングされているとも考えられるからそれはそれでありなのだろう。ただ、 あの場にあったモードの共通性は是非はともかく異常であった。この感覚は体感しないとわからないだろう。興味ある方には説明します。
どのプランもパロディ化によって笑いのモードで味付けされているのであたりはやわらかい。しかし、本質には「暗さ」 のゲノタイプがあるように見えた。
投稿者 TKM : 02:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月27日
Google ~Making the world a better place~
■グーグルは世界を「より良い場所」に変えるのか
http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u97.html
上記の記事を読むとGoogle社についての妄想がまたしてもふくらむ。
「情報の民主主義」なるものについて書いてあるのだろうか(梅田さんの記事ではリンク先がなくなっていたので)と思って検索してみると、
下記の文書がみつかった。
■Letter from the founders
http://www.secinfo.com/d14D5a.127t8.htm#_toc
こっちの方が読みやすいかな
http://nickgray.net/goo_S1/
Google、オモシロイな。
アドセンスなんて何も考えずに「テキスト広告配信事業」くらいに思っていたけれど根底には
グーグルは、「いかに対象が厖大であれ、インターネットにつながってさえいれば、 その対象は同時にきめ細かく低コストで処理可能である」というインターネットの本質を具現化することで、そんなリアルワールドにおける 「富の分配」メカニズムの限界を超えようとしている。上から下へどっとカネを流し大雑把に末端を潤す仕組みに代えて、 末端の一人一人に向けて、貢献に応じてきめ細かくカネを流す仕組みを作ろうとしているのだ。
こういう思いがあったのか。久保君などこの方面に詳しそうなのでこんどきいてみよう。
Google社について書かれた記述などを読んでいるといつも思うのだが日本のIT系の会社だとこういう情報や人間に対する普遍的な想い的モードやスタイルがあまり感じられない。 おそらくどの会社にも思いはあるのだろう。ただ、それを伝えるのが下手なだけだと思う。多くの露出や記事は
アラ探しというか今週号のSPA!の匿名座談会の内容のような記事になりがちだ。
あげあし系ではなく
「こんな不思議な会社がある」
みたいな特集をやった方が価値貢献できていると思うのだが。全然関係ないのだけれど
「はてなの焼肉大会」
の話など読んでいたらまたそれはそれで不思議な感じでもあるわけだが。
投稿者 TKM : 12:00 | コメント (3) | トラックバック
2005年04月26日
「サマリア」 キム・ギドク
先日、別なエントリーで触れた サマリアだが先週ようやく鑑賞することができた。

■サマリア
トラックバックなどもいただいたので感想をメモしておこうと思う。観賞後に電話で映画についての雑感を少し話した。その時、 僕がいったのは「悪い男」と比べると荒々しさが薄れ映像全体が「優しく」感じられた、というようなことだったと思う。
この感想はいまも変わらない。
主人公である二人の少女(クァク・チミン(ヨジン)/ハン・ヨルム(チェヨン))のみずみずしさがそう感じさせるのだろうか。
鑑賞中に書き留めたメモがあったので掲載してみる。
[サマリア]
・ジムノペディ
・お墓のシーンから彼女の眼がかわる
・車がスタックした時、外に出て見上げる時の眼
・3つ目(彼女の眼が印象的なシーンが3つあったと記憶しているのだがそのシーンの最後の一つが思い出せない) は河原での夢の時or追うとき?
・底意の無さ
・マイナス、ネガティブはどこから来るのか→我々は何を守りたいと思うのか?
手帳にはこのような記述があった。
・ジムノペディ
映画のでこの曲が使われるのだがそのタイミングがとても印象的だったのでメモしたのだろうと思う。曲の質感と映像の質感が似ているのだ。
・お墓のシーンから彼女の眼がかわる
これは僕が物事を見るときの中心に据える視点の一つだ。
半ば狂気的に変貌していく父親ととも彼女(ヨジン)は母親の墓参りにいく。山中の丘にある土まんじゅうが母親の墓前である。
父親はつくってきた海苔巻きを連続して5個ほど口に運び、口中をご飯でいっぱいにして苦々しさに対峙する。
身体へ負荷をかけることにより心の苦々しさを軽減させようとするのは彼だけでなく我々にも覚えのある行動であろう。
人は食という行為によって一時的に記憶の拘束から解放される。それが過度であればあるほど記憶からの解放度合いは強まる。
この前後のシーンで彼女の表情がガラリと変わる。全く別人といっていいほどの変貌をみせる。僕はこういう「変化」に強く惹きつけられる。
・車がスタックした時、外に出て見上げる時の眼
車のナンバーが「6668」であったことには意味があるのだろうか、とぼんやり考えていた。「8」の数字はよごれで薄れており「666」
の獣の数字が強調されているようにも見えた。坂道で車はスタックする。父親は一度外にでて砂利や石をのけるが車は動かない。
再び車中にもどり座り込む。
入れ違いに少女が外に出て車の右前輪付近の石をのける。この時、彼女は空を仰ぎ見る。山々に視線を移す。
このシーンの彼女の表情が忘れられない。墓のシーン同様に素晴らしい表情だった。
表情には言葉以前の意味が含まれている。それなんであったのかを言葉としてここに固定することはできない。
固定によっては表現できない種類の情報なのである。
その質感を言葉を用いて表現しようとするならば言葉の意味とは別のカタチでここに再現する必要がある。しかしその技を僕は持たない。
それは言葉の本質作用に関わる問題であり、優れた小説家にのみ可能な技である。それを使いこなす作家は数えるほどしかいない。
・3つ目(彼女の眼が印象的なシーンが3つあったと記憶しているのだがそのシーンの最後の一つが思い出せない)
は河原での夢の時or追うとき?
もう一箇所、彼女の表情がハッと変わるシーンがあった。
映像がサラリと流れていくようなシーンだったと思うのだがどこだったかをメモする前に意識が流れていってしまった。
ラスト直前の川を見下ろすシーンだけが記憶にのこっているのでその付近だったとは思うのだがどこだったかは忘れてしまった。
・底意のなさ
チェヨンが援助交際で得たお金を返す旅
(いま思ったのだがこの映画はロードムービー的な要素が強い。僕はこの映画を彼女(ユジン)の旅のように見ていたのだろう)
の途中で幾人かの男性と会話を交わす。そこでの彼女には底意がない。あれは男からみたあって欲しい女性の姿のひとつなのだろう、と僕は思う。
男性には「赦されること」を求めている部分がある。しかし、それは母性への渇望とも異なるように思う。
コミュニケーションへの本能的な渇望といった方がいい。
・マイナス、ネガティブはどこから来るのか→我々は何を守りたいと思うのか?
これは父親の視点で彼女を見ている自分の意識である。けがれていて欲しくない、という思いがいつもあってこの映画に限らず「夜がまた来る」など見ていても意識が逆なでされ、
怒りのような苦々しさをどうしてよいのかわからなくなるときがある。「コンクリート詰め殺人事件」
に関する著作などを読んだときも同じ感覚にとらわれた。逃れようにも逃れられない無間の地獄をつくりだした同種である人間への怒りや、
おかしてはいけないラインが破壊されると、根元的な何かを破壊されるような気持ちになり感情がうねり爆発しそうになる。そうした
「許せない」 と感じるものが人にはあるのだと思う。
それはどこから来るのか、それは間違っているのか、あるいは自分のエゴなのか。
「サマリア」についてのメモを振り返って雑感を書き留めてみて、自分は映画から得た印象をキーに記憶と記憶の関係性を組織化し、 図象をつくりだす、ということをやっているのだな、と思った。
投稿者 TKM : 12:36 | コメント (0) | トラックバック
この世界は
「恨んだり」
「妬んだり」
した人の負けである。
それがなんであれ恨みつらみに意識がもっていかれている時間は人生のコストとしてカウントされなければならない。
人生のコストを減らすことでしか悦びとか充実感の絶対量は増加しない。
投稿者 TKM : 03:50 | コメント (0) | トラックバック
頭のいい人は
「どうなるか」
とか
「どうなりそうか」
を予測することに長けているけれど
「どうしたいか」
はあまり考えていないように思う。
投稿者 TKM : 03:47 | コメント (0) | トラックバック
「国家の罠」(佐藤優)、読了
読了。
向こう側からみた世界についての著作である。
内容の是非、政治への興味の有無に関わらず、一読すべき一冊であろう。
ただし相当に時間がかかる。読まれるべき一冊ではあるが実際に読む人はかなり少ないと予測される。 少ないといっても数万人とかそういうレベルでは読まれるかもしれないがそれにしたってTVの深夜枠の100分の1以下のリーチだ。
理由をふくめ詳細は明日にするが
本書の大部分を占める外交の現場の記述、獄中生活と国策捜査についてのルポ的な部分は「物語」である。それらも十分に面白いし、 読まれてしかるべき内容なのだが
P.345~P.346
P.348
上記に提示した数ページがこの本の肝である。
読まれるべきポイントがこの数ページに凝縮されている。
そこに意味を持たせるために物語パートが存在している。
政治学の授業を持っている学校ではこの著作を題材に最低、一回は授業がおこなわれなければならない。
投稿者 TKM : 03:25 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月25日
USENのギャオで映画「ハンニバル」を無料で観てみる
先日から試験放送がはじまったUSENの「GYAO」がなかなか面白い。
タイトル数はまだ少ないし、番組のセレクション、
使い勝手も悪いのだがオンデマンドで好きなときに視聴できるのと作業をしながら番組を楽しめるのは思っていたより魅力的だ。
さきほども無料で公開されている「ハンニバル」を視聴しながら作業をしてしまった。
すでに一部のアニメは放送後すぐにオンデマンドで視聴できるようになっており、 この視聴法を一度味わうと録画という作業はえらく面倒で人に負荷をかけていたのだとわかる。 録画の重圧から解放されることがこんなにストレスフリーだとは思わなかった。PCで作業しながら動画を視聴するというスタイル、 文法はまだ確立されていないがこれもありだろうな、と思った。
ただ、オンデマンドの視聴の際には番組の選択が必須になるのでそれは視聴者にとって負荷になるのかもしれないが。
例えば番組数が20~100くらいならばいいけれど1万とか10万チャンネルくらいに選択肢が増えてきたら番組を選ぶのはかなりの困難を極めるだろう。
自己組織化システム・ネットワーク論の名著(と僕は思っている)「創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク 」 には超多チャンネル下での選択支援システムとして「クラスター」という概念が台頭してくるのではないかと書かれていた。
わかりやすくいうとアマゾンのオススメ本紹介システムの発展版みたいなもので好みが似ている人が好きな番組を集めていくとその塊がいまでいうチャンネルみたいなものになってくるのではないか、 という話である。
TV局の肝である「編成」 がピラミッド型からボトムアップ型の意思決定に変わっていくみたいなことなのだが実際のところコンテンツがアーカイビングによる時間効果で幾何数級的に増殖していけばそれを個人の処理能力ではフォローすることは不可能になる。
なので量子的アプローチが必須となり個々人が分散して同時にコンテンツを視聴・振り分けしつつ、 そのプロセスと結果を共有するという状態が必要になる。 しかもそれらは自動的に行われなおかつシンプルな方法で実装されていなければならない。 こうした仕組みはウェブの世界にもまだ組み込まれていないので具体的なサービス像を提示することは難しいのだが、おおまかな感覚はわかる。
これを実装し、デファクトとして定着させることに成功する企業はいまのGoogleみたいなソフト・サービスの基盤・ インフラになるのだろうな。
投稿者 TKM : 01:14 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月24日
情報の質感
先週、某ベンチャーキャピタルにいってお話をしてきた。
ECやMC関連のお話などざっくばらんにいろいろお聞きする。
どの話も興味深い。
というか面白い。
もっと知りたい、と前のめりになりそうになる。
話術に引きよせられているのとも違うし、この感覚は何なのだろうと考えてみた。
1.情報の距離
人が人に会って得た情報というのは本やTVなどのメディアを介して得られた情報とは異なる質感を持っているのだと思う。
担当者のMさんはいろいろな企業の方に直接会われていて、そこで得た情報を僕たちに話してくれていた。 僕が引き込まれたのはそこなのだと思う。
生のソース(人や体験)に触れて得た情報とメディアを通じて得た情報では「知っている」という点ではそれほどの差はないが、 それを誰かに伝えるという場合に大きな差が生じる。この反復増幅作用はとても面白い。
2.情報のレアさ
その情報が表にはでてこないものである場合、直感的にその希少性に反応してしまう。
先日お聞きした話はほとんど、どのメディアにも出ていない話である。ネットにも出ていない。だから随所に「オヤ?!」があって、 自然と引き込まれていた。この作用もとても興味深く、人は単なる新奇性に反応するのではなくそこに「謎」や「知恵」 の創発の気配を感じると無意識に反応してしまうようだ。
スポーツなどでも感動するシーンというのは複雑な相互作用の所作であるところのプレーやファイトがあたかも最初から未来の軌跡が描かれていたかのように 「それしかない」と思える動きやカタチをつくりだす瞬間である。
人は本能的にこの種の「カタチ」に反応するのだと僕は思う。
(上記の「カタチ」は言い換えるならばある種のエネルギーの表出なのではないかと思う)
投稿者 TKM : 13:07 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月23日
おばさんとiPod Shuffle
■おばさんとiPod Shuffleな光景
http://yoppa.jpn.org/blog.php?itemid=45
タドのブログがNucleusに移行していた。 ぱらぱらと眺めていると上記のエントリーを見つけた。
今朝、池尻の駅の階段を降りる時に、見た目ごく普通のおばさんが、 首からiPodShuffleを掛けて音楽を聴きながら歩いている横をすれちがった。ちょっとカッコイイと思った。
自分の頭の中で上記のシーンが映像化される。
普通のおばさんがiPod shuffleなのがカッコいいのである。
投稿者 TKM : 07:46 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月22日
リセット成功
昨日は一日倒れていた。
それが効いたのだろうか気力体力、感覚ともに復調している。
見事なくらいに
「回復」
である。昨夜は「国家の罠」を半分くらいまで読んだ。そのせいか夢見も最高であった。 沢木耕太郎が教授をつとめるロシア研究会で議論する夢だった。
目覚ましもなく朝に目覚める。
好調だ。
今日はこれから八重洲。
某VCでミーティングである。
投稿者 TKM : 08:49 | コメント (0) | トラックバック
人はなぜ迷うのか
意志決定において重要なのは「迷い」とのつき合い方だがそもそも人はなぜ迷うのだろう。
決め方の方法論に意識が向かいがちだけれどまずは「迷い」について考えてみることは無駄ではないはずだ。
なぜ迷うのか?
理由は簡単だ。
AでもBでも大差がないから迷うのだ。問題がなんであれココロの動きは
「カレーかラーメンか」
を決めるときと基本的には変わらない。
リスクとリターンにおきかえて考えるのもいいかもしれない。
カレーとラーメンの差はさほど大きくない。(料理としての差異はあるけれど)
カロリーの値と味とそこから得られる数分後の満足の差異でしかない。
およそ迷いというものはそうした大差のない二者あるいはそれ以上から選択をしなければならないときに生じる。 なので迷った時はどちらを選んでも同じような結果に落ち着く。
迷った時点ですでにその選択のダイナミズムは収束にむかっている。
「迷いなきとき人、人にあらず」
ときどき思い出す名言である。
投稿者 TKM : 08:34 | コメント (0) | トラックバック
ブログメモ ~秘密力について~
ブログサイトをパラパラとみていて思ったのでメモ。
カーテンの隙間からチラチラと光がみえるのでなんだろうと目をこらすと外には月が輝いている。
満月ではないが月が静かに浮かんでいる。
さっきウトウトしていたら夢をみた。ソラリスの世界のように星が思考を読んで世界を創造する話であった。 巨大な宇宙船はゆりかごのようだった。それに乗ってガリガリ君を二本買いにいった。
さてメモに話をもどそう。
様々なブログをみていたら思ったのだが読んでいてストレスがないブログの特徴はTVの裏側的であるなあ、と思った。ちょっと違うか。
交友録を見てるような感じといったらいいのだろうか。
つながり紹介的な内容のものをみると続きが読みたくなるのだ。おそらく脳がそういう反応をするようにできているのだろう。 推測をせずにいられない脳の力を逆にあてて使う感じだ。具体的にどういう感じかというと。
「誰と誰に会ってどんな話をして、どこにいって」
という構成は同じだとして、相手やメンツがTVや一般紙などの別メディアですでに認知されている相手である場合、 意味やモードが劇的にかわってくる。これはコンテンツの一つのパターン、カタチだ。全くの密室ではない、 ほころびのある秘密は常に面白いのである。
こういうのは「秘密力」というのだろうか。
謎や秘密には人を魅了する力がある。
情報の価値は関係性によってつくりだされる。
これってけっこう重要な視点だと思う。テキストや行動にどれだけ価値があっても、ベースとなる「認知」 が機能していなければ情報価値は低下する。かといって一般化してしまっても価値がない。
秘密と公開のクリティカルマスな状態が面白さには必須だ。(使っていてなんだがクリティカルマスという言葉は「セックスと嘘とビデオテープ」以外できいたことがない。一般的なのだろうか?)
このカタチを使いこなすことがネットのコンテンツ開発には必須になってくるだろう。 なのでデザインファームやプロダクションなんかでもマーケティングの技術や感性があるところとないところでは差が大きくなっていくのではないかと思う。
投稿者 TKM : 02:28 | コメント (0) | トラックバック
大人のDSトレーニング
■大人のDSトレーニング
http://www.watch.impress.co.jp/game/docs/20050421/ndt.htm
なるほどこういうソフトを出してくるとは。 京セラの長渕剛のCMっぽくつぶやいてしまった。
「やるなDS、こうきたか」
さてDSだがなんとなく予感はしていたけれどこの端末、ゲーム機というよりはハンディタイプのコンピュータっぽい。 ペン入力を使っているせいかカフェなどでDSを操作していると傍目には熱心に仕事をしているようにしかみえない。 これはDSの持つ大きなアドバンテージだと思う。
DSは筐体がそれなりに安っぽいのだがその「オモチャ感」が結構すきだったりする。この端末、 なんでもありなんではなかろうか、みたいな気分になるのだ。この感じは初期のMacintoshの自由さに通じる。 あのLCシリーズが最新鋭だった頃のMacにはハイパーカードが標準でインストールされており、コンピュータというよりも 「オモチャ」に近い感覚だった。
MacのMacらしさを初めて感じたのはフロッピーの出し入れの時だ。画面にあるフロッピーの絵をゴミ箱にいれると「ガシャコン」 という音とともにフロッピーがはきだされる。いまでは普通だけれどその時の衝撃は大きい。ペットを飼っているような気分になったものだ。 Windows機やUNIXマシンとはずいぶん違っていたので当時は
「Macで論文を書くと文体が変わる」
という説まででまくっていた。
DSに話をもどそう。
「大人のDSトレーニング 」のようなソフトが出てきて
「ああDSってこういう使い方もあるんだな」
と目からウロコな感覚であった。これをゲーム機だと思う必要はないのだ。ペン習字の練習につかったっていいし、 ケータイ電話であってもよい。 僕の持論なんだけれど任天堂をはじめとしたゲーム関連の企業の真価は彼らがその能力をインターフェイス開発能力だと再設定することであきらかになっていくと思う。
任天堂がケータイ電話をつくったらいま巷にでまわっているケータイ電話なんかと比べて遙かに「楽しい」ものを出してくると思う。 これはAppleも同じだろう。iTunesやiPodのモードを継承した端末を想像するだけで楽しくなる。
形体としてのデザインはもちろん大切なんだけれど、価値がシフトしていくのを感じていて、何かを買ったり、 したりするときに自分が何を重要視しているかというと、インターフェイスの心地よさや気持ちよさ、楽しさみたいなものを求めているんだな、 と思うのだ。
飲食にしてもそう。
人が「接する楽しさ」への志向はあらゆる分野で強まっている。
投稿者 TKM : 02:12 | コメント (4) | トラックバック
2005年04月20日
今日の予定 恵比寿→門仲→永田町→青山
■今日の予定
10:50 恵比寿で「サマリア」
13:30 門仲でトクちゃんと会合
18:00 永田町に移動してニューオータニでパーティ
20:30 青山に移動してバシ師匠とサイトのセットアップ
けっこう盛りだくさんだな。
投稿者 TKM : 09:40 | コメント (0) | トラックバック
やたらと寝起きがいい件について
この一週間やたらと寝起きがよい。
眠るのはだいたい午前4時から午前5時の間なのだがたっぷりと夢見を楽しんで「こりゃあだいたい11時くらいだろうな」
と思って目覚めるのだが午前8時から9時だったりする。
どうにも時間経過がズレているようで日々3~4時間をボーナス得点でもらった気分を味わっている。 件名の寝起きについてだが僕はやたらと寝起きがよい。 なかなか眠れないということはよくあるのだが睡眠時間の長短に関係なく起きる方は問題ない。
目覚ましのアラームが鳴った瞬間に目が覚めてしまう。
ところで今朝は「美味しんぼ」の夢をみた。山岡士郎も登場した。江戸時代に移動して、ゆうざん先生の別荘件、 茶室のある庭に木製プラモデルリアルサイズの茶ダテ門というのをつくりにいく。職人はまだ30歳くらいの青年である。
彼は門の組み立ての課題をだされていた。快調に組み立ては進み、城のような門が完成していく。と、そこでひとつ問題が生じる。 門の下に張るサンドペーパータイプのシートがブルーとグリーンの二色なのである。どちらを使うかで評価は変わってくる。
彼はグリーンを選択し、張り込んでいく。仕上がりは悪くない。うんてい状に組み込まれた門の下地とのマッチングも良い。 そこにゆうざん先生の門下生(ちょんまげ姿の武士)が三人やってくる。ひやかしである。
「あーあ、やっぱりわかってねーんだろうな。センスだよ」
といって肉まんを食べている。士郎の額に閃光が走って、
「オオウチ君、なにかあるぞ」
そういって横から門を眺める。
「コ、これは…。残念だがヤツラのいうとおりだ」
「な、何か…ミスが…」
「こっちからみてみろ、気づかないか」
「エッ…?ハッ!!…こ、これは…」
「そうなんだよ。で、どっちでいく?」
「…もちろん…ブルーでいきます」
そういって彼はシートの張り替えをはじめた。正面から見た場合、グリーンのシートの方が周りとの調和から適切なように見える。しかし、 門を宇宙としてみたて場合、瓦のブルーと門シートのブルーは記号的に一致していなければならない。そこを見落としていたのである。
さて、シート問題が片づいたところでゲームの時間だった。彼が張りの作業をしている間、画面に向かうことにした。画面には 「スーパーマリオライジング」が表示されている。ジャイアン系の人物からコントローラーをわたされた。
プレイしはじめておかしなことに気づいた。画面上にマリオが存在しないのである。丸めのキツネが主人公のようだ。 上下左右に移動している。武器はない。ジャンプもできない。ソニックのように回転アタックもできない。 敵にぶつかるたびに痺れて動きがとまってしまう。
はて、どうしたものだろう。コントローラーには5つのボタンが配置されている。 重要な役割を果たすと思われるボタンがあるはずだがどれだろう?
列車の時間が近づいてきたので駅の近くのスーパーにいくことにした。 お腹がすいたのでお弁当を買ってレジにもっていくと同級生のヤマダがレジおくにいた。
「リレーやってたんですってね?」
もうひとりの店員にきかれた。
「そうなんですよ。3走をやらせてもらっていたんです。3走はちょうど走者が並ぶところで走っていると気持ちいいんですよ。 いい場所をやらせてもらってました」
「カガヤ、アオキに電話してるんだけれど出ないみたい」
ヤマダは一走のアオキに電話をつないでくれようとしていた。
ヤマダは二走だった。
さてそろそろ電車の時間である。ヤマダと店長に挨拶をして駅に向かう。
電車はもうついていた。
スリーナインデジタル版な電車である。
どの車両にのったものだろうか。目の前の車両は円形テーブルを囲む形で10客のイスがある。 その隣の車両は喫茶店タイプなのか四角のテーブルを二人がけのソファ二つがワンユニットになっている。
鉄道オタクのヒロセ君が通りかかったので
「どっちがいいの?」
ときくと
「ソファータイプにしたほうがいいよ。同じコストだからね」
と言われる。なるほどそういうシステムならそちらにするか。
意気揚々と乗り込む自分であった。
池袋を経由して熱海方面に向かう路線であった。
投稿者 TKM : 09:09 | コメント (0) | トラックバック
読書記録
冒頭の1/3くらいの抑制した書き方など
を意識したつくりになっているが田舎くさいのが気になってしまい集中できなかった。
■さおだけ屋はなぜ潰れないのか? 身近な疑問からはじめる会計学
経理をやっているとか会社を経営しているとか、特殊な状況にない場合は会計知識が必要になることは少ない。 さおだけ屋やレストランなどいくつかのビジネスモデルの探索を通じて会計知識のフレームを紹介していく手法はうまいなあと感心。
は面白いのだがテクニカルな記述がわりと多いので「さおだけ屋~」の方がとっつきやすいかもしれない。反面、 やさしいのでパンチは弱い。
ハー・ ストーリー設立者が書き下ろしたコミュニティマーケティングについての著作。 ファンサイトマーケティングという概念について無印やバンダイ、マツダ自動車などのケースを題材に解析していく。新しい消費、 商品のあり方などイメージが膨らむ一冊。キリンビールのビアジェンヌの事例が面白そうなのだが詳細が書かれていないのが残念。 僕が注目したのは無印のやり方。
コミュニティを取り込んだ商品開発のプロセスを公開することでストーリーを共有し、商品価値の創造に成功している。 このケースはかなり興味深い。
■青木雄二のジュニアのための『ゼニ学』講座〈1〉ゼニの秘密教えたる
浪花金融道の著者青木雄二氏が小学生向けに書いた経済の解説本。
冒頭から「いいか、ピラミッド構造になっておって、搾取されとるわけや」と資本主義批判がバリバリに展開される。
これを教科書に小学生に説明するには先生にも相当の知識が必要だろう。
青木氏は単純化が好きなのか提示されている事例についての説明で語られる原因と結果の因果関係は心情的には理解できるが自己組織化システムという思考がすっぽりと抜け落ちている。 最初に
あたりを読んでから読むと別な視点が加わり世界がより立体的に見えてくるのではないだろうか。
投稿者 TKM : 03:14 | コメント (0) | トラックバック
あのメガスターが我が家に「ホームスター(HOMESTAR)」
丸ビルでプラネタリウム関連のイベントがおこなわれている。
■メガスタードーム
http://www.marubiru.jp/00_news/050401-01.html
メガスターについては説明するまでもないだろうけれど簡単に触れておくと「世界最多・500万個の恒星数を投影するプラネタリウム」 のことである。世界一先進的なプラネタリウムとしてギネスにも認定されている。
メガスターとは大平貴之氏が独力で開発した個人製作の移動式プラネタリウムなのである。
出演されていた番組を観る機会があったのだが独力であれだけの機械を創ろうと考えるその姿勢はそうとうに狂気的でさえある。
非常に穏やかな方であったが秘めた情熱は凄まじいのだろう。
メガスターの製作で培われた技術を応用し、 業務用と同じレンズ式投影方法を採用することによって壮大な星空を再現した家庭用のプラネタリウムがとうとう発売される!
それが
■家庭用星空投影機「ホームスター(HOMESTAR)」 コスモブラック
である。部屋の中に広大な宇宙が再現されることを想像すると、いまからかなりワクワクしてしまう。
人生でプラネタリウムを観たことは学生時代にたった一度しかない。住んでいた湘南台には巨大なドームがあり、 そこでプラネタリウムが上映されていたのである。プログラムは小学生向けのもののようで星座が映し出され、 それにまつわる神話が紹介されていく、オーソドックな構成であった。
星座の物語パートは絵と音声で解説されるのだがそのシーンになると星空が消え、二次元の映像が投影されるので
「はやく星座画面に戻れよな」
と悪態をついていた。
好きだったのは星々が加速していくような映像だ。
そのシーンは何度も繰り返しみたいと思った。
リアルな星空でパワーズオブテン(:チャールズ&レイ・イームズ)をみているような感覚だった。
投稿者 TKM : 02:29 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月19日
今日の注目コンテンツ ~ソフトバンクの思い出~
22:00
ガイアの夜明け 「ソフトバンク孫正義社長100日独占密着」この男も狙う?
テレビとの提携…本人に直撃
++++++
3年前に某プロジェクトに呼ばれてソフトバンクに3ヶ月ほど通っていた。毎日、 役員会議室で会議していたのだが一度も孫社長にお会いしたことはなかった。
ソフトバンクについてはいろいろな人がいろいろ書くけれど内部で過ごしていないとあの感じはなかなかわからない。 僕がいっていたころは毎週会社を買ったり創ったりしていた。僕の向かいの机に座っていた方は法務の専門家らしく、 PCの遊び方についてはあまり知識がないようだった。
僕の場合は仕事をするというよりも「いかに快適にオフィスですごせるか」ばかり実践していたので遊んでいるようにしか見えないのだが、 質問しやすかったのだろう。いろいろと質問されることが多かった。いくつか技を教えたりして話をするようになった。
基本的に人がいるとプランニングの効率は落ちていく。 鍵をもらったのをいいことに休日はソフトバンクにいっていろいろと作業をしていた。 当時は珍しかったブロードバンド環境を存分に使えるのも魅力であった。
休日のオフィスほど作業効率があがる場所はない。営業などの仕事でない限り、凹凸状態で出社した方がオフィスは快適になる。 仕事をバシバシ進めたい人は平日はほどほどに仕事をし、休日にガーっとやると調子がいいと思う。 その方が時間的に効率がいいので全体では自由時間が驚くほど増える。
さて向かいの席の法務プロフェッショナルの男性だが僕がソフトバンクにいきはじめて3週間くらい過ぎた頃、
「いろいろPCではお世話になりました。来週から別なビルにいきます。 また会社ができたのでそちらのサービスのローンチまでは向こうのビルにいってますので遊びにきてください」
といって去っていった。
彼はデルのPCを使っていたのだが音源のボードが入っていないため音楽を楽しむことができなかった。 なので必要なボードの種類を調べて、このボードを取り付ければ快適に音楽を楽しめるよ、と教えてあげた。 彼はある日曜に出社してマシンをあけてボードを取り付けていた。
月曜日、ソフトバンクにいくと彼はヘッドフォンで音楽を聴きながら仕事をしていた。
結構、楽しそうだった。
たくさん話をしたわけではないけれどこうやっていちど繋がりができるとエンタングルペアな感じで身内意識ができて面白かった。
会社という場所も慣れてくると居心地がいいのだが当時の自分は横暴だったので3ヶ月で飽きてしまった。いまだったら関係性に「アソビ」 を取り入れることができたのだろうけれど。
そのソフトバンクにしても普通の会社に比べると異様に自由であった。何もかも自由といってもいい。人もいい人が多かったし、 そういうところはスゴイなと思う。
キクチさん元気だろうか。
投稿者 TKM : 12:01 | コメント (1) | トラックバック
効率的な時間の使い方
時間の使い方といっても別に難しいことが必要なわけではない。
もしもこうあったらいいなと思うことをやってみればいいだけだ。
本などには時間の有効活用の決め手は
「選択と集中」
が必須である、という記述が多い。しかしそこには罠がある。
「選択」
によって対象を明確にし、そこに向かって
「集中」
してエネルギーを投入する。
それによって変化を呼び込み問題解決手段に転化する。
わかりやすい説明ではある。
しかしキュービタル的に捉えるならばこの志向は自分に枠をはめているようなものだ。
「集中」
はいいのだ。問題はなぜそれが「一点」でなければならないのか、というところだ。一点に集中している間も他の点は無限に存在する。 これらを全て切り捨ててしまうという発想は凡庸な思考ではないかと僕は思う。
100個でも1000個でもピンときたものに同時に同じクオリティで「集中」をかけていく方法はないのだろうか。
一つに集中した方が100個に集中するよりも効果的である、と誰が決めたのだろう?
それが絶対的な法則でもあるまい。
逐次処理を前提に考えなければならないと決まっているわけではない。
10本の映画を同時に観て、かつ、より深い感動を味わう、という手法(アルゴリズム)が隠されているかもしれない。
小学生の頃に読んだ「庖丁人味平」というマンガにカレー対決というシリーズがある。 デパートのテナントで入っている二店のカレー屋がどちらが多く集客できるかで勝負をするという設定なのだがここで出てきたコンセプトが面白い。 味平のセリフはたしかこんな感じであった。
「スパカレーだ!? あいつめ子供に人気のカレーとスパゲティを同時に楽しませるとは考えやがったな」
上記のメニューは銀座のジャポネなどではおなじみの「インディアン」 だが当時はそんなものはみたことがなかったのでボンカレーをスパゲティにかけて食べたらさぞかしオイシイのだろうな、と思っていた。
結果としては二つを同時に楽しむというよりも新手の味の創出となったわけだが、
「カレーとスパゲティの両方を楽しみたい」
という思いが創造パワーを引き出したのだと僕は思う。
目の前に100種類の料理があるとしよう。
リスクを承知でどれか一つを選択し集中して食べた方が満足度は高いのか。
それとも100種類全部を楽しめる方法を考える方がいいのか。
ポイントは「楽しみたい」にある。
楽しみたいという欲求が生じるとそのエネルギーは創造パワーに転化しやすい。
全てを同時に選択する方法があったなら、人は迷わないし、失敗もしないのだろうか。それはいったいどんな状態なのだろう。 体験してみないことにはわからないけれど、なんとなくそれも可能なんじゃないかな、と僕は思う。
投稿者 TKM : 07:17 | コメント (5) | トラックバック
2005年04月18日
15分仮眠術、絶好調
先日のエントリーで紹介した15分仮眠術だが絶好調なようでさっきも強烈な眠気だったのだけれど (横になったらぐっすりと5時間くらい眠ってしまい、昼夜逆転になってしまいそう) リラックスチェアーで10分ウトウトとやったら妙に頭がシャッキリとして絶好調な模様。
15分仮眠術、結構、使える。
投稿者 TKM : 12:07 | コメント (0) | トラックバック
今日の一言
深刻になるのは、浅はかな人間の逃げにすぎない。
オスカー・ワイルド
いい言葉だな、と思ったのでメモしておきます。
深刻になってもいいアイデアが生まれるわけでもありません。
しかし「やっている気持ち」にはなるので自己満足が得られます。
物事を難しく話すのは誰でもできることなのではないかと思います。
「スタイル」が確立されているならOKなのですがそうではなく自分の「楽さ」の為に難しく話す人は翻訳の技術を身につける必要があります。
伝わらない言葉は人をイラつかせます。
投稿者 TKM : 10:05 | コメント (0) | トラックバック
宇宙にいく夢をみた
夢はたくさんみるのだが宇宙にいく夢をみることは少ない。
今朝は大学の庭からロケットで旅立つ夢をみてしまった。
といっても僕は順番待ちがおっくうで河原に散歩にいってしまったのでそのロケットからの眺めをみたわけではない。ただし、 小学校の時に集合型ロケットで一度宇宙にいっているようで
「あの時は6人でいったよね」
みたいな話をしていた。今回のロケットは財団がパーソナルユースに開発したシステムだ。ヒカリが受け付けをやっていた。 話をきくと彼女は勘違いして、
「この仕事は5月からやってるの。だからイマは求人はないと思うよ」
と答えた。
「じゃあ、披露宴のセッティングと練習でもするよ」
友人の結婚式が近づいていたから僕のこの返答には正当性がある、はずだった。しかし、披露宴の練習をはじめてすぐ、地震が起きた。 グラグラといつまでも揺れているモノだからいつものように
「もっとゆれたら机の下に走ろう」
とぼんやりと考えつつ眠っていた。
起きてから調べてみたが地震は起こっていないようだ。
現実世界の出来事だと思っていたのだが夢の中だけの地震だったのか。その後、合宿中の部屋にもどって洗濯物について議論した後、 図書館に向かった。図書館では世界システムについての勉強会で講師を務める予定だったが例の発禁本をめぐって大学と対立してしまい、 仕方なく身分を隠しての授業となった。
オーバルブリッジを渡りながらなにげなしにポケットに手をつっこむとシルバー卵がはいっていた。 これは恐竜ボールといって開くと叫び声が出てしまう。 やめればいいので中央付近にある切り込みに指をのせるとピカっと銀色の閃光がきらめいて、
「ボンゴレビー、ギャオース」
と卵が叫んだ。図書館なのにやばいな、 と思ったがまさか卵からその音が発せられているとは思わなかったようで人々は周囲をきょろきょろと見回すだけだった。
布団を持って河原を散歩しながら、昼寝の場所をさがした。場所が決まって横になる。野知さんが向こうで僕を呼ぶ。
「はいなんでしょう?」
顔をあげると野知さんの足下に黄色と桜色の花が咲いていた。
「その花スゴイキレイですよ、見えます?」
花について議論をした後、向こうにわたることにした。木の根っこが水面まで入り込んでいる。それをつたって下に降りていく。 右脇に敷き布団、左脇に掛け布団を抱えて。水面に気をつけて河原を歩く。
タチバナから借りた宇宙論の本にはスピリチュアルな記述が多いから言及するときは注意するように、といわれた。 車に乗って家に帰ると母が外出の準備をしているところだった。これからサッカーの試合なのだそうだ。
でも試合は昨日だ。車は時間を往き来していた。
投稿者 TKM : 08:36 | コメント (0) | トラックバック
アミーゴス第三戦
今週もまたアミーゴスの対抗戦が開催された。
初戦と比べるとおだやかな感じではあるが相変わらず試合後身体は重い。
詳細は明日にするけれど初戦のあの感じって実に得難い体験だったのだな、といまさらながらに思う。ホイスばりにかまさせてもらうと
一期一会
ということなのだろう。
味方もそうだが相手も限界点までやっているのがわかったし、あの出し尽くした感って麻薬に近い。 あの感じを求めてみんなプレーするのだろうな。
投稿者 TKM : 00:16 | コメント (1) | トラックバック
2005年04月17日
15分睡眠術
床の上で15分くらい仮眠したらやけに頭がすっきり、はっきりとして気持ちが良いのでオススメです。
布団やベッドだと身体が「睡眠モード」に入ってしまい、再起動に時間がかかるのだそうです。なので短時間の仮眠は
・床の上
もしくは、
・イス
などがベストのようです。電車や車なども仮眠にはいいですね。夜以外は布団・ベッドに寝ないというのがポイントのようです。
投稿者 TKM : 12:27 | コメント (0) | トラックバック
今日の注目コンテンツ
23:00
情熱大陸 「人気料理家栗原はるみのレシピは幸福な食卓を約束する」
00:25 ドキュメント'05 けんか、夜遊び、キムチの授業▽ボクは小さな国際人! 新宿区立“未来の”小学校
近日中の要チェックなコンテンツ情報をサイトの右袖に表示しておこうと思ったのだけれど情報のメンテが面倒なので気づいた時にエントリーとしてアップすることにしました。
投稿者 TKM : 09:07 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月16日
朝の築地サイコー
夜のクラブ活動の後、モロイキャプテンと朝の築地へ。
築地は久しぶりだが活気はいつもの通りである。
道には所狭しと二重三重に車が並ぶ。
場内はガヤガヤしているが午前4時なので店はまだほとんど開いていない。
一通り眺めてまわって適当に開いていた定食屋に入って反省会。
これが予想に反して素晴らしく楽しい時間となった。
まず魚がウマイ。
魚仁系とはまた違った質感である。
決して量は多くない。
しかし必要十分かつ満足度100、という感じである。
おいしい朝食とはこんなにも人を幸せにするのか。
まずは塩からをつまみつつ大瓶をかたむけカンパイ。
いやー、実に素晴らしい朝だった。
投稿者 TKM : 05:48 | コメント (3) | トラックバック
2005年04月15日
朝起きると
気分だけ正常な生活に戻った感じです。
といっても朝寝て朝起きてるだけなので全くズレまくってるんですが。
投稿者 TKM : 10:05 | コメント (0) | トラックバック
国家の罠/佐藤優 ~コンテンツナビゲーションについて~
梅田さんのページでみて強烈な印象だったので早速読み始めることにした。 といってもまだ3ページくらいしか読んでいないのでどうしてこの本を見つけたかについて説明しておきたい。
今回の連鎖の仕方
→自分が気に入っている人のブログで紹介
→その人への信頼感
→その人が薦める商品・コンテンツへの信頼
という連鎖によって僕はこのコンテンツを読んでみることにした。選択の際にお気に入りの人がどのようなものを薦めているか、 という情報が今後はより重要になっていく。今回は書籍であったが高額な商品であればあるほどこの傾向はより強くなっていく。 自分が信頼する個人の推薦の持つ力は価格の大きさに比例して大きくなる。
この種の選択の仕方は今後のコンテンツのあり方に大きな影響を及ぼすだろうと僕は思う。
※本書の内容はモロイキャプテンの専門分野なので読了後は質問にいってこうようと思います。
投稿者 TKM : 04:10 | コメント (0) | トラックバック
2005年04月14日
そろそろやっておかねば「高橋メソッド」について
ここ一週間くらいいろいろなブログで「高橋メソッド」について紹介する記事が増えた。
高橋メソッドというネーミングのため僕のブログを読んでいる人の中には
「バシタカ(高橋学)師匠が開発した手法か?!」
と思う方もいるかもしれないが違います。
(だいたいバシ師匠の場合はプレゼンなんてやるのだろうか?)
それはさておき高橋メソッドであるが非常にシンプルだ。僕が最初に高橋メソッドを見つけたのはこのエントリーだった。 面白いメディアアート作品などを紹介してくれているのでRSSリーダーで巡回しているサイトである。
ここで触れられていたの