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2005年05月31日

仕事モードオン

5月の初旬に「本気で仕事がしたい」 とはてなに書いていたら、 月末には超過密スケジュールになってしまい本気で仕事をしまくっている。備忘録にもあるけれどざっとあげると今週は

・授業@中央大学
・プレゼン@京都
・ブレスト&企画@銀座
・某HP関連x2

たった数週間でこうも状況が変わるとは面白すぎである。
自分の中のエネルギー値が高まるのとリンクしているとかいろいろ考え方はあるけれど、これは「波」である。

きっかけとしてのモチベーションとかエネルギー感覚もあるがそれよりも深い部分で波がうねっている。 これをつかまえればいいのだ、と思う。ポイントは簡単で

・来たときは目一杯やっておく
・この時、アクセルはベタ踏みでいくこと
・セコ攻めをしない
・セコく波を変えようとするのではなく、波を利用するイメージでいくとストレスもない
・波がでかすぎるときは小さくまとめようとせずあきらめて俄に徹する
・流れをつかまえるコツは基礎SD(スタートダッシュ)のレベルアップ
・違和感に対する感性を高めておく
・ストレスが来るときはやり方がミスっている

といったところだろうか。

というわけで仕事モードオンである。

投稿者 TKM : 16:33 | コメント (0) | トラックバック

やまけんプレゼントはギネスセット 

やまけん結婚式レポートの前にいただいたプレゼントの紹介。

やまけんにもらったプレゼントは上記のギネスビールのグラスとドラフト・ギネス缶のセット。さっそく試してみると丁度よい注ぎ具合。 量が計算されているのでぴったりグラスの縁におさまる。

昨年、プラップの中塚さんを紹介したのが縁でやまけんがギネスの仕事を担当することになり、このプレゼントが実現したとのことである。

この間、中塚さんと飲んだ時は最後のギネスビール以降、完全に記憶が飛んでいた。

こちらはパーティの案内係としてヤマケンTシャツを着て飯田橋駅にたたずむオレと長嶋さん。この後、 現場から呼び出しがきたのでウエイターさんにTシャツを託して、会場にもどった。 打ち上げで長嶋さん提案のドイツ式秘密の質問タイムをやろうとしたのだが道具とタイミングが合わずに断念。次回に持ち越しとなった。

長嶋さんちの釣り大会の時にやるべし。

そして米Google社。
またしても狂ったように急騰である。
嬉しい限りだ。

投稿者 TKM : 01:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月30日

やまけん結婚式無事終了

先週は仕事、イベント、結婚式準備とわりと多忙であったせいか土曜日の夜に熱をだしてしまった。 夜に解熱剤を飲んだら朝には熱は下がっていた。

準備の為、10時に会場入りし、昼食はカネコ、マッキー、しんのすけ、とモスバーガーへ。これは好判断であった。

というのもホールのスタッフから結婚式の間、音と映像まわりの指示をして欲しいと頼まれ、会場ではなく、 放送室にいなければならなかった。なので食事をとることができなかった。

ホールのスタッフの人たちが

「今日の弁当は何がいい?」

と話している。しかし、僕が外出できないのと同様彼らも外に出られない。 お昼もたべずに5時までがんばってもらうのはあんまりだと思ったので、一瞬、会場に出て、差し入れなどもっていったらよろこんでもらえた。 このスタッフの人たちがやる気になってくれるかどうかでイベントの良し悪しがキマルのである。 食べ物や飲み物をちょっと差し入れるだけで場の雰囲気はガラりとかわる。

単純だけれどチームマネジメントの基本とはこういうものだ。

さて、料理の方だが食い倒れ披露宴にふさわしい美味しい料理の数々だったようだ。

残念ながら僕自身は上記のような理由で会の食事はほとんど食べられなかったが来場者の方には堪能していただけたようだ。

反省点もあるがともかく、メインのフードまわりがうまくいってよかった。
オレもいろいろと準備のサポートをしていたので思い入れがあった。

撤収もあるていど終わったので一時帰宅することにした。
太鼓をひとつ家までもってかえらなければならなかったのだが疲れが出たのかフラフラしていた。

振り返ると、駅に向かって歩いてくる店長を見つけた。
手伝ってくれるように頼むと快諾してもらえたので一緒に月島までかえった。
帰りの電車でうちの母の冬ソナ話やらで盛り上がる。

投稿者 TKM : 14:24 | コメント (6) | トラックバック

2005年05月26日

天才のゲーム

ゲームの世界にはたくさんの天才がいる。
いや、異才とよぶべきか。

その中でも特にぶっとんでいるのがSporeの作者、 ウィル・ライトである。

ウィル・ライトの名前に聞き覚えがなくともシムシティをはじめとするシムシリーズは多くの人が知っているのではないだろうか。

Sporeはそのシムシリーズ最新作である。
今度は進化シミュレーションだ。

それにしてもよくやるものだ。
発想することは誰でもできるがそれをコンシュマー向けプロダクトにリデザインする力は天才の仕事以外の何ものでもない。

投稿者 TKM : 12:19 | コメント (0) | トラックバック

久しぶりに空港

今日の午後は盟友を迎えに空港である。

僕がはじめて空港にいったのは大学生の頃だ。
ビール大明神のタドと香港にいったのだが勝手がわからないので二人で右往左往していた。航空会社はキャセイだったと思う。

寮の同僚にリー・ジョンキルというナイスガイがいたのだが彼にそっくりのフライトアテンダントがいて

「ビーラァ、いかがっしょうかー」

とまわってくる。そのたびに我々は笑いをこらえるのに必死であった。 笑ってはいけない状況だとよけい笑いたくなってしまうのはなぜなのだろう。

おそるおそる

「ビールプリーズ」

差し出されたビールでカンパイしているとだんだんと状況になれてきたのか今度は

「ワインプリーズ」

プリーズで頼めば笑顔でサーブされる。

と、ここで大明神がひとこと。

「これ飲み放題だよね?」

危険である。このマジックに二人とも気づいてしまった。
うなづきで状況を確かめ合い、笑みをかわしつつ二人ともアホみたいに飲んでいた。

僕たちの隣の席には旅慣れた雰囲気をかもしだしまくりの大学生が乗っていた。僕たちと目を合わせようとしない。 でも落ち着いてるぞオーラを発し、我々が入り込む隙をあたえない。

僕の席は窓際だった。
香港島がみえたので

「オイ、陸地が見えるぞ!スゲー、あんなところに降りてくのかよ」

「おぉー、すげー」

とかなりはしゃいでいたら隣の彼は急に豹変し、窓にかぶりつきで外の景色に目がキラキラであった。

「なんだ、よく知らねーんじゃねえかよ」

とタドと二人で話た。

飛行機が空港に近づくと我々のテンションは更にあがっていった。
かなりの低空で空港に近づいている。
学校の屋上でサッカーをやっている人々の姿が見える。

「スゲー人が見えるよ!こんな低くて大丈夫なの?」

二人ともかなり興奮である。
飛行機の窓からは街を行き交う人々の姿がみえる。
すごい速さで人々の日常が通り過ぎていく。

そして飛行機はきらびやかな夜の香港へ着陸した。

香港映画で見慣れたあの景色がそこにはあった。

「おぉー、ブルース・リーの世界だ」

思わずそうつぶやいた。

 

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2005年05月25日

久々に外交について

■人の世界の問題

モロイキャプテンのエントリーにトラックバック。
実に明瞭な見解である。
正論というべきであろう。

国家間でも個人間でも人の世界の問題のほとんどはコミュニケーションの問題なのだと改めて思った。

出し抜きやいじわる、陥れではなく。
双方がよりドライブできる形にコミュニケートするにはどうすればよいのか。

その答えをだすのに脳力や知恵や英知は使われるべきであろう。

■今日の予定

これから永田町で勉強会です。
そうそう、27日のBlog勉強会いけるようになりました!

よかった。

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2005年05月24日

Google急騰

いつもの習慣で起きてからEトレードのポートフォリオをチェック。
あいかわらずGoogleが異常な勢いで急騰している。
狂ったような上昇角度である。
Googleファンとしては嬉しい限りである。
価値を分配するために考えたという全世界テキスト広告配信事業の思想はノーマルな企業とは思えない。
彼らの思想が現実化していけば多くの人が幸福を得る。

Appleも復調。

米国のIT系ではこの二社が一番好き。
熊谷さんも確かApple社のステークホルダーだった気がする。

AppleといえばiTune Music Storeだが、日本国内でのサービススタートは遅れている。
早期の開設を強く希望する。

他にApple関連のニュースとしてはIntel製CPUへ路線変更との記事がウォールストリートジャーナルに掲載された模様だ。 この話は以前から何度も囁かれているけれど今回はどうだろう。

Let'sNoteクラスの筐体でOSXとWindowsのデュアルブートが可能になったら理想的だ、と思っている人は多いはず。 それが違和感のない流れであるならそういう路線もありなのかもしれない。

投稿者 TKM : 10:31 | コメント (1) | トラックバック

やまけん結婚式@5/29まで日記 その2 ~あと5日~

■数週間ぶりにやまけんと対面。
本が完成したとのことで見せてもらう。
うん、良い出来だ。
カネコのイラストもなかなか良い。

■続いて週末の式のスケジュールやコンセプトの確認など。
ここは流れにまかせるしかないだろう。

■来場される方には最高の満足を提供したいと思うのがプランナーとしての自分の心情だ。
今回はプランニングで入っていないだけに歯がゆさがあり、気持ちが険しくなってしまう部分もある。

■こういう時こそアイデアだ。

というわけで頭の中でこの題材を使ってアイデアドライブをして遊んでみよう。
こういう遊びって大切で、イメージで勢いをつけると気持ちがノッてくるのである。

1.遊びをインストールする

縁日の感覚で欲しいものを買って遊んでもらう!
儀式は全部オフ!
祭りモードに切り替える。

2.真っ暗闇で闇鍋ローソクの会

これもイメージするとかなり笑える。
暗闇に浮かび上がる料理達。
一体、何事なんだ?!
みたいな「オヤ?!」がある。
ある意味、料理の肝試し。

3.料理トークショー形式

得意の食ネタについてのトークショーになっていて、それに食事と飲み物がついてくる感じ。素敵だ。

いろいろやりようってあるものなんだなー。
10分くらいだけれどアイデアドライブしてたらなかなか楽しめた。

投稿者 TKM : 01:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月23日

ウナギの骨煎餅

実は

「ウナギの骨煎餅」

が好物だ。
はじめて食べたのは福岡の野知さんの家にお邪魔したときである。まだ、野知さんが北京から福岡に居を移される前だ。 一時帰国されていた際に家に遊びにいった。野知さんの家は福岡市の中央区、動物園の裏のあたりの閑静な住宅街の高台にあった。 窓からは街が見下ろせる。木々にかこまれた心地よい住居である。

確かFACかFUKといったデジタルコンテンツ系の団体のイベントが共催されていてその集まりにも顔を出した。その時に岡田君 (だったと思う)という人を紹介された。彼は野知さんの家を半分借りていて野知さんが北京にいるあいだ家賃を折半しているのだ、 というようなことをいっていた。

彼らと夜の福岡で何件か飲み歩き、「○○丸」みたいな名前の居酒屋にいって、家に帰ってまた飲み直しつつ話をした。 岡田君は非常に広範囲の知識を持っている人であった。ガーっと話すだけ話すという感じの人だった。

さて、その時の福岡滞在の最終日に野知さんの家でお茶をごちそうになった。中国式のカッコいいお茶である。 テーブルを見ると茶菓子入れがおいてある。中を開く。

見たことのないブッタイがはいっていた。
骨のようだがこれはイッタイ?!

「あー、骨煎餅だよ。ウナギのね。食べてごらん、香ばしくておいしいんですよ」

言われるままに食べてみる。

「ウマイ!」

なんとも不思議な味である。僕は小学校の給食にでてくる、小魚とピーナッツを砕いたものがあえてあるおかずが大嫌いだった。 水曜日のうどん給食に出てくる海老のかき揚げも海老がのどにつっかえて嫌いだった。 なのでこの手のカリカリしたものはその記憶が呼び覚まされてあまり得意ではない。

いまでも佃煮は嫌いだこれは小学校の頃に学校でイナゴ取りの授業があってその後に佃煮を食べさせられたからだ。

なのでこの手のものはあまり食さないのだがこの骨煎餅だけは別ものであった。ウマイのである。

「うまいですね!これ最高ですよ。初めて食べた!」

と喜んでたべていたら野知さんが

「じゃあもってかえりなよ」

といって一袋くれた。なんて素晴らしい福岡グレートなどとひとり喜んで空港に向かった。 空港の売店をブラブラしていたらなんとここにも「ウナギの骨煎餅」がおいてある。うれしすぎである。思わず衝動買いしてしまった。

というわけで以来、好物となった「ウナギの骨煎餅」を昨日、偶然に銀座のドンキホーテで発見した。当然、箱買いである。 490円と激安だ。そして昨夜から「ウナギの骨煎餅」三昧なお茶タイムである。骨煎餅うまいね。

 

【うなぎはいばら】うなぎの骨のからあげ(塩味30g1袋+七味30g1袋) 左が骨煎餅です。

投稿者 TKM : 15:45 | コメント (4) | トラックバック

素晴らしかったタド結婚式 その3

第三回のタド結婚式レポート。
今回は怒濤の二次会編である。

二次会の目玉はタドのライブと「一曲入魂」というイベントであった。
これは新郎新婦に捧げたい一曲をプレゼントするという企画でタド達のパーティでは何度か行われていたイベントのようである。

様子をきいてみると曲をかけたい人がCDを持って順番に並んでかけていく感じで「放っておいてもみんな慣れてるので大丈夫だよ」 ときいていたのだがやはり80人くらいの人が集まるとナビゲーションをきちっとやっていかないと思ったようには進まない。

二次会の会場は渋谷のガボールというカフェだ。 地下に入っていく入り口が少しわかりずらいので遠山に表に立って参加者の案内をしてくれるようにお願いした。

この日、遠山はドイツから帰国した直後に参戦でかなりの時差にフラフラしていたが快く引き受けてくれた。実に気持ちがよい。 久保君とやましんも受付をやってくれている。大変だがこの二人にまかせておけば問題はない。

店内に足を踏み入れるのはこの時が最初である。ざっとみて導線、その他を確認する。 新郎新婦の席をステージにもっていきたかったがドラムセットがあったのでその下を二人の席にすることにした。 DJブースは奥まっているのであの位置でコメントをもらってCDをかけてもらうのは難しそうだ。

入魂参加者には音楽担当のヤマシタ・タキサカチームにCDを渡して曲番を伝えてもらい、曲の前にステージ付近でコメントをいただき、 僕の合図で曲をスタートさせるようにした。

会がはじまって30分ほどはつなぎの時間なので皆さんに飲み物を飲みながら歓談しつつ待ってもらうことにした。 地下の店だったのでケータイがつながらない。幸いPHSはつながるようなので受付をやっていただいていたマロンさんにPHSを渡し、 新郎新婦が向こうを出る時に連絡をいただくようにした。

予定よりも少しはやくタド夫妻が到着できそうだとわかったので音響チームに入場のタイミングを伝える。 しばらくしてタド夫妻が到着した。(つづく)

投稿者 TKM : 15:19 | コメント (0) | トラックバック

素直さは偉大なる才能 ~セーフベースと創造性~

■セーフベースという考え方

安全だという確信が持てないと既知のものにしか興味を示さなくなる。保守化のはじまり。

■社内競争の激化は逆説的に企業の活力を低減させてしまう。

■企画の例で考えると最も優れた企画をつくりだすチームはもっとも楽しんでいるチームであることが多い。

■心の底からこみ上げてくるよろこびや楽しみに素直にみをゆだねる。

■戦う人生の終焉

■創造する人生

■結果よりもプロセスが重要である、問題はどの時点の「結果」を見るかなのだ

■お腹を伸ばすと気持ちが高貴になる

■ココとココにある

■運についてよく考えるけれど、運には貸し借りがある

■騒がず、寛大さと優雅さで、は運とリンクしている

■横尾忠則先生曰く「宇宙の摂理だと思うんだよね」

■重要なのはツイてない時の対応である

このあたり精神系の話に思われがちだがそれは思い違いである。関係性の話であり、 この世に存在する流れとか波とのつき合い方の話である。

■違和感に対する感性をあげていく。そして問題に対しては解決するための知恵を創造することに注力する。 それが脳の有効な使い方である。

投稿者 TKM : 04:24 | コメント (2) | トラックバック

2005年05月22日

やまけん結婚式@5/29まで日記 その1

とうとうやまけん結婚式まで一週間をきった。
オレとカネコとしんのすけは先月にやまけん身内結婚式のスタッフの際にタキシードやまけんを拝見している。

さて一週間前ということでモードを切り替えなければならないと自覚しはじめた。
基本的に今回の結婚式には専門のスタッフがいない。
コアスタッフの何人かはイベント経験が多いがプロの式場スタッフではないのでできることにも限りはある。

また、通常の結婚式と異なりフード・ドリンク周りも自前である。
各店舗は料理や店舗のプロであってもイベントのプロではない。

けれどその中でベストを引き出す方向に自分を含めスタッフ全体が向かっていけば「祝」を感じさせるスタイルはつくれるはずである。

これまではどちらかというと「お手伝い」として考えていたがラスト一週間はモードを切り替え、こちらもフルでコミットし、 チームのパフォーマンスを最大化する方向に集中していこう。スタッフが最大の価値提供をしなければ最終的に得られる悦びも最大化しない。

というわけで各自できることを惜しみなくやりましょう。
いろいろ都合はあると思いますがこの一週間をフルパフォーマンスで全員が走りきれば良い作品ができるはずです。

投稿者 TKM : 14:42 | コメント (1) | トラックバック

素晴らしかったタド結婚式 その2

タド披露宴、お色直しを終えて登場したタドはなんと

和装

であった。ビデオには僕のコメントがしっかり記録されていた。

「おーっとーーー、タド、いいねー、なんか売れない落語家みたいだー」

いや実際はかなり似合っているのだ。
デザイナー系のくっきりメイクのせいだろうかキマっているのに何故か笑いを誘ってしまうのであった。

お色直しを終え、順に席をまわりながら撮影をおこなっていく。我々のテーブルでも新郎新婦と並んで撮影。なごやかな雰囲気である。 こういう式は気持ちがよい。

昼ごろから降ったりやんだりしていた雨もあがり、夕暮れの空がいい感じにあかね色にそまってくる。
式場のスタッフが庭の様子を見て、準備をはじめた。

デザートの給仕は庭を利用しておこなわれるようだ。一同、庭にでて歓談をしながら全体撮影。カメラマンは二階からこちらを撮り下ろす。 高校の卒業アルバム用に中庭に集まって撮影した時を思い出した。

撮影が終わり、新郎新婦がお皿に盛られたケーキを手渡していく。おいしそうだ。紅茶をいただき、席にもどって歓談。 会も終わりが近づく。

しばらくして、司会のアナウンスが入り、新婦のアヤちゃんからお母さんへの手紙がおくられた。

アヤさんのお父さんは結婚式を直前に他界されており、この日の結婚式はそのお父さんのためにもどうしてもやりたかった、 とのことであった。

オレもかなり涙ぐんでしまう。
一つ前のテーブルではミネオ社長が号泣している。

最後は新郎新婦と両家のご両親が並んでタドとタドパパから御礼の挨拶。
タドスピーチはおちついている。
さすがに長年大学で教えている人は話がしっかりしている。

最後のスピーチでも笑いがはいる。
このあたりのテイストはタドスタイルとして定着しつつある。

こうして近年では最も満足度の高かったタド披露宴は終わったのであった。(つづく 次回はBT爆発二次会編)

投稿者 TKM : 12:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月19日

千葉商科大で授業

これから一限の授業にいってきます。
うちから大学までは30分と意外に近い。

講義内容は「はてな」 にアップしてみた。
このようにウェブサービスを利用して手ぶらで授業がおこなえるのだからスゴイものだ。

投稿者 TKM : 07:17 | コメント (3) | トラックバック

2005年05月18日

鎌倉行

カネコとプリン先生と鎌倉へ。
カヤック社へ遊びにいく。社長の柳澤君はSFCの後輩で日経新聞の恵里ちゃんから紹介されてミーティングとあいなった。 ネット系のビジネスの話をうかがった。

EC・MC系の話を聞き、感銘をうけた。

帰り道に海を眺める。プリン先生の誕生日は明日なのだが早々にお祝いである。実に気持ちがよい。

カヤック社はこれから連発で新規サービスをしかけていくとのことであった。

ひとつひとつのサービスが興味深い。オレもシナジーが効くパートがあれば手伝いたい。

そういえばバスキュールの噂をきいた。

今月のマクロメディアの講義の先生はキタザワ君だ。このあいだもいつものように、飲み、トークをかましてしまった。(つづく)

 

投稿者 TKM : 10:35 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月17日

素晴らしかったタド結婚式 その1

日曜日はタドの結婚式であった。 会場はミュージアム1999というとても素敵な洋館である。 渋谷でやましんとまちあわせてタクシーで会場に向かう。 駅をでると急にどしゃぶりの雨。

「なんか亜熱帯っぽい気候やな」

アジア通のやましんがつぶやく。たしかに妙な天気だ。後日談だがこの時のどしゃ降りで都内には雹(ヒョウ)が降ったらしい。 会場に向かうタクシーからは道路を歩く黒い一団の姿がみえた。

ヤサカ組の面々である。道路の反対側におろされてしまったため坂の下から歩いてきたとのことである。合流して、会場へ。 入り口でムラシマさんが洋館の撮影。せっかくなのでみんなで記念写真をとってもらう。渋谷にもこのような建物があったのか。 ハチ公側とは別世界に静かでゆったりとした時間が流れている。

会場につくと正装したタドコロ夫妻が出迎えてくれる。タドは正装である。タキシードではない。こういう服をなんとよぶのだろう。 呼び名はわからないがやたらとキマっている。というよりもむしろ、

 

別人だ。

 

普段一緒に飲んでいる人はドッペルゲンガーではなかろうかと疑ってしまった。 僕の観察によるとタドのドッペル化を印象づけているのは髪型である。 いつものアレンジとはことなり毛先に遊びをもたせる感じにスタイリングされている。簡単にいうといわゆる

 

「デザイナー系」

 

なのだ。ぱっとみは明治初期の洋行がえりの日本人みたいである。やけに

 

サッパリ・クッキリ

 

している。これには我々、古い友人達もビックリした。後ほどの解説によれば「眉毛も描いてます」とのことであった。なっとくだ。

ダンナのことばかりかいてもつまらない。奥さんのアヤコさんは白のウェディングドレス。やはり結婚式の華は花嫁である。 この姿をみると落ち着く。ウェディングドレスをみると華やかで気持ちがよい。似合いのカップルである。

「二階みてきた?」

「いやまだだけれど」

「素敵なので是非みてきて」

なるほど二階が待合室になっているのか。どれどれ。あがっていくと洋館な趣の待合室がある。 感慨深げにイスに座ってゆっくりしようとも思ったがどうやらそろそろ時間のようだ。アナウンスがはじまっている。下におりていく。

ポラ担当のオオサコさんにポラを渡す。オオサコさんはエヴァンゲリオンの庵野秀明監督に似ている。 と式とは全く関係ないことに妙な感動をおぼえつつ席につく。

さて式の開始だ。席順表をみると
オレの隣にはやましん。正面には…

 

マユコ嬢

 

であった。マユコ嬢は式の開始直後からいつものように天然テイスト爆発な異次元ノリをみせてくれる。実に楽しい。このレベルならば 「かわいい」といってもいいだろう。

余談だが式が終わった後で二次会に向かう途中、ミネオ社長からマユコ嬢の武勇伝をたっぷりときかせていただいた。 なるほど…かわいいだけではなかったようだ。振り返ってみると式の最中もエピソードに違わぬマユコワールドを展開しておられたように思う。

さて新郎新婦の入場である。ここばかりは神妙に。と思ったのも最初の2秒くらいである。
音楽とともに登場した新郎の姿に我々の席は拍手拍手、そして大爆笑。いや、カッコいいのだがそれにもまして

 

オモシロイ

 

のである。うちの席のコメントを集約してみると

・さわやか
・いい顔をしている
・カッコいい
・決まっている

とベタ褒めである。にもかかわらず爆笑とはどういうことなのだろう。
僕なりに分析してみると顔が良すぎるのが爆笑の原因であったのではないかと思う。
妙にハッキリ、くっきりしていていわゆる

 

アイドル系

 

な感じなのである。そうか!わかったぞ、

 

コスプレっぽい

 

のだ!
それはともかく大声援とともに新郎新婦着席。実に晴れ晴れしている。いい顔をしている。とここでマユコ嬢がごそごそやっている。

「なにやってんだお前」

ときくと

「あ、いけない、私、受付やってたのに自分のご祝儀を渡すの

 

忘れてしまった(ここアクセント博多弁)。

でもまあいっか

 

相変わらず天然である。全然よろしくない。 後できちんと渡しなさい。さてタドの挨拶開始だ。神妙に聞き入ろうかと思った矢先だ。やはり、ここでもみせてくれた。 素晴らしいぞ新郎。第一声はこうであった。

 

 

「失礼しました」

 

どんな挨拶なんだおい。面白すぎるぞタド。いきなり会場が沸いている。ばっちり掴んでいる。
昨夜つくったであろう挨拶がかかれたペーパーを胸ポケットからとり出そうとしてあっさりと別な封筒を掴みだしてしまったのだった。

「みなさま、本日はお忙しいなか私たちの披露パーティにお集まりいただきましてありがとうございます。 先ほども失敗してしまいましたがまず皆様に

 

 

おわびしなければならないことがございます。」

 

いったい何事が?!若干、場内がザワつく。我々のみていないところで何かまたやったのか。会場を壊したのか。 などなど皆の脳裏を破壊シーンがよぎる。

「招待状の

 

返信用のハガキに切手を貼るのを

忘れてしまいまして

皆様方には大変なご負担をおかけしました。

 

失礼いたしました。みなさまこのようないい加減なひとたちで大丈夫かと思われた方も多いかと思いますが、 なんとか今日の日をむかえることができました。どうか、この式はかしこまった感じではなく、 楽しい式にしていければと思いますのでみなさまゆっくりくつろぎ楽しんでいただければと思います」

確かに!そうなのだ。送られてきた招待状には返信用のハガキが入っていたのだが切手がなかった!
挨拶が終わった後、ぼそっとやましんが隣でつぶやいた。

 

「お、まとまった」

 

このタイミング、絶妙である。さすがやましん、わかっている。終わってみれば、まとめるところはしっかりとまとめ、 笑いありのとても良い挨拶であった。

さて会がはじまった。料理は一品目からとてもおいしい。キャビアがはいったゼリーと海老のクリーム和えはかなり気に入った。 やまけん風に書くと

ウォオオオオオオオオオオオオオ!このキャビアとゼリーのコンビネーションをみよ! 絶妙のバランスがもう絶品なのである(オリジナルテイスト by やまけん

こんな感じかな。さて会はたのしく進んでいく。うちのテーブルには他に兄貴分のムラシマ夫妻。鉄砲玉のクボ君。 ドイツ帰りで空港から直行のトーヤマ。このメンツだとどうしても楽しくなってしまう。終始笑いっぱなしである。

そうだ。ムラシマさんだが今日は妙に

 

カッコいい

 

おかしい。なんでこんなにキマっているのだろう。よーくみてみるとトレードマークだったメガネが無い!
さっそくユカちゃん(奥さん)にきいてみると

「もうメガネは

 

ひとつしかのこってないの。

ヨッパラッテ全部わったんだよ。

 

今日もやるといけないのではずさせてるの」

ノーコメント…。あれだけメガネで自己主張していた男が…。あのシャレシャレメガネを全て破損させていたとは…。さすがです。 参りました。

会は滞りなく進み、奥さんの恩師の方の演奏、ケーキカット、とイベントが続く。

とこのあたりでお色直しである。アヤちゃんはいちど退場だ。と思ったらダンナもお色直しで退場するようである。 司会のアナウンスがはいる。

「ではアツシさんは

 

お母様にエスコートしていただきましょうか」

 

伝説のタドコロママが登場だ!何しろタドのお母さんのスミレさんはマラソン(水泳だったかな?) で日本一なのである。久しぶりにお会いする。若いなあ。トーゼン、撮影である。

いやこの絵がよかった。いまビデオをみかえしているのだが似ているのだ。いい親子である。(つづく)

投稿者 TKM : 10:47 | コメント (1) | トラックバック

2005年05月15日

身体復活

2週間ほど水泳を続けた成果がでたようでかなり快適に試合をこなす。気分は最高だ。初戦の衛視チームいらいの楽しい夕べである。 オレ個人の感覚だが楽しかった。初戦のあの感じとは違うけれど。今宵も得難い時間であった。

試合後、ナリと合流し、モロイキャプテンとともにいつものようにディープエンドレスナイト。帰りは麿に送ってもらう。 ナイスガイとはこいつのことをいうのであろう。もちろん面と向かってはいわないが。

まいどのことながら仲間との会合は気持ちがよい。タケの裏表トークでもりあがりつつも感慨深い夜であった。 サッカーを通じた友人達との会合は格別である。これはスポーツ以外では構築不可能な関係性だ。

迷惑とは思いつつもモロハウスにお世話になる。快適である。モロイさんはそうそうに撃沈していた。

次回の予定もきまりつつ。それにしてもオレがこんなに真面目にサッカーをやっているとは昨年のいまごろは予想もしなかった。

いまだに本物のサッカーをみにいったことがないので麿にデカイ試合につれていってくれるようにお願いした。

29日の結婚式の後にオレ主催のパーティがあるのでそちらにはサッカーの仲間にも参戦してもらう予定だ。

 

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2005年05月14日

若い友人たち

という書き方をするとオレが年配かの印象をあたえてしまいそうだが年齢差といっても5歳もない。 とはいえ彼らと話していると気づかされることが多い。

サッカーで知り合ったナリとマロ(オサム)とは長いつき合いではないがフラットなつき合いをさせてもらっている。 この歳になっても友達とはできるものなんだな、と思った。太は高校生で親友の一人だが子供の頃から知っているから様子は少し違う。

昨夜もタドに話したが麿たちと話している時のあの感じは不思議だ。オレはああいう素直さが好きなんだろうな。
そういえばオレもモロイさんと話している時はほとんど気をつかうことはないけれど、相手に対して無礼ということはないし、自分も心地よい。

先日、麿たちと飲んだがオレは地で接しているし、お互い、変な気づかいはない。なので疲れることもない。カッコいいとか悪いは関係なくあの感じがオレは好きだ。うまくいえないけれ沖縄の友たちと過ごす時間と同質の自由を感じた。

月末には沖縄の仲間達とも再会できる。楽しみである。友達たちがつながっていけばいいな、と思う。

投稿者 TKM : 03:13 | コメント (0) | トラックバック

麻布にて

昨夜はタドのラストバチュラーナイトにもかかわらずかなりどーでもいい話を延々としてしまったが

 「結婚前夜の気持ちを30分語りなさい」

と意味不明なトークをかまさなくてよかったと思うのであった。友達であればこそなのだろう、 そういう問いは浮かんでこない。それよりか、 いつもと同じように何を話すでもなく心地よい時間を過ごせた昨夜が良い夜であったと思う。

帰宅後に一人で二次会をしているので大差はないのだが。更にiTuneは何故かマユちゃんの好きな「浜田省吾」をヘビーローテーションで自動再生している。結構おどろきだ。そして○ド曰く「マユこさんは…見○か…」以下省略。明後日本人にきいてみよう。

投稿者 TKM : 02:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月13日

監禁事件について

昨夜、電話で詳細を教えてもらった。事件の概要をききながら「コンクリート詰め殺人事件」を思った。
あれから何年経ったのだろう。自分は当事者ではないがそれでも無念だ。いまだにあの事件を思うと怒りに包まれる。

暴力による統治は最も愚劣な行為であり、許されるべきではない。

と、以前に自分は書いた。
しかし具体的になにかアクションをとれるのだろうか。

犯罪を犯す側を抑制する制度の整備を進めることは必須だがその効果は予見できない。

犯罪の予防に期待するのではなく、徹底的に個人の側の対犯罪・ 社会に対するリテラシーを上げていくことに注力するしかないのではないかと思う。 知識が全てではないけれど知識があれば防げる犯罪も無数にある。防衛の手段が皆無なのではない。 情報リテラシーをあげていけば対個人で犯罪に対するのではなくネットワークをつかった防衛も可能だと思う。

知識さえあれば少女は事前に警察に連絡することもできただろうし、組織暴力の影をちらつかせられたのだとしても、 堀江氏もいってるようにリテラシーさえあれば、そんなものはネットで公開してやればいい。

戦う為のツールとしてネットは関係性をフラットにする。
個人情報が開示されることはこの社会において致命的な一撃になりうる。

ネットが匿名性をベースにした告発のツールとして使われ始めることに強い恐怖を感じるけれど、 使いようによっては不正や暴力の抑制につながる。

文句をいっててもはじまらないし、街頭でがなっていても何も変わらない。
個人の側で情報リテラシーを徹底的にあげていく。
世界のどこにいっても情報のプロフェッショナルとして通用するレベルにまで上げていく。偏執狂的に情報に関する能力を強化していくしかない。 重要なのは情報センスを磨くことだ。情報はスキルではない。センスである。

どの時代にも暴力は存在する。
しかし戦いの場はさらにずっと上のレイヤーに移行している。
これはあらゆる分野にいえることだ。

暴力のレベルの争いは地上の戦いである。
可視化されている。
しかし、情報の戦いは目には見えない。

投稿者 TKM : 10:19 | コメント (1) | トラックバック

世界の果て@モバイルコマースの勉強会にて

表題の通り。
新井さんにも言われたのだけれど僕は「ビジネス」にたいしてあんまり興味をもっていない。 他のことをやらなくていいなら言葉とか人間とか情報とかそういうことについて考えて生きていたいのだ。

ということを昨日、実感した。うまくいえないのだけれど突然、その場にいることが時間の無駄であるように感じられた。妙な感覚だった。 自分はいるべき世界にいないんだな、というのが説明ぬきに「ワカッタ」。

アーティストと話をしている時と昨夜のようにMC、ECの分野の話をしている時ではの脳のドライブの仕方が違うのが自分でもわかる。 雰囲気でいうとカメハメ波を練り上げるみたいに情報を練っていってダイナミズムを凝縮していくようなことが好きなのだ。

ビジネスの世界の人でも話していると脳がドライブしてくる人もいる。彼らは僕が知らない「情報感覚」を体感している。 それらは個別には共通点をもたないがスタイルやモードの面ではとても似ている。

「脳のドライブ」という表現を僕はよくつかうのだけれどもう少し具体的にいうと

「脳内で関係のリンクがつくられていなかった情報と情報が動的にリンクしていくダイナミックな感覚」

である。この感覚を求めて自分は仕事をしたり、話したり、読んだり、書いたり、観たりしている。

「仕掛け」や「構造」ができていく時のダイナミズムや情報の振る舞いにも強く魅了される。 この点は仕事に関しても同じで僕が好むのは人と人がコミュニケーションによってダイナミズムを発生させていくその渦中が好きなのである。

投稿者 TKM : 03:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月11日

「呪怨」のケース 115億円の40~50%だったのか

帰宅後、録画しておいた「ガイアの夜明け」をみた。
一瀬氏はやはりブラック・キャットに似ている。
そして服装が加納典明系なのだ。

と、どうでもいいことにひとり納得していた。

さて本題だ。
映画「呪怨」(リメイク版)の全米での興行収入は約115億円。 番組でも触れられていたがハリウッドシステムの場合、その40~50%が制作者の報酬になる。 上記の数字は興行収入なのでそこからもろもろの経費を引いた額から報酬額が算出されるのだとは思うがこの感覚はビジネスというよりも 「漁」に似ている。

コンテンツビジネスの醍醐味を感じずにはいられない。
実にダイナミックな印象をうける。

日本のコンテンツビジネスの場合、こうしたケースはあるのだろうか?

ブレア・ウィッチ・プロジェクト」は低予算で製作され3500倍もの興行収益、 1億3000万ドルを稼ぎだしたことで有名だが日本での公開時もインデペンド系の人が相当な低予算で買い付け、 全体では20億円くらいの興行収入だったはずだ。

「映画の収益が制作者に還元されない仕組みでまわっていることが日本に映画が産業として根付かない理由である」

とは一瀬さんの言葉だ。

僕は映画ビジネスに関わったことがないけれど番組にでてきた一瀬さんのオフィスと角川ホールディングスのオフィスを見比べてしまう。 なんであんなに大きな企業の映画部門のオフィスがあんなにボロいのだろう。 戦略部門とはいえ映画をつくる人のオフィスってあんなでいいんだろうか。 対して一瀬さんのオフィスはデザイン系のオフィスのようでこざっぱりとした感じであった。クリエイティブ系の部屋だなあと思った。

表層的な問題だけれど「場」の持つ力は考えているよりも大きい。それらしい「場」にいると「場」の力が影響し、 それらしくなってくるものである。人は外部から影響を受けずにはいられない。

映画製作に関わっている人々はそれほど潤っているように見えない。
システムに問題があるためなのだろうか。
それとも「売れない映画」をつくってしまっているからなのだろうか。

以前は売れない映画にも価値はあると思っていた。しかし、売れない映画は産業を疲弊させる、のかもしれない。

戦略的に考える必要があって、「売れる映画=くだらない映画」という構造がなりたってしまうのは 「観客」が薄くなっているからで、観客を批判したり、売れる映画をバカにするのではなく、 「どうやったら映画を評価できる観客をつくることができるか」に知恵をしぼることが重要なのだと思う。

売れる映画で産業規模を大きくし、意味のある映画をつくる機会を増やす。そして良質な客層を厚くしていく。 シンプルにそういうことなのではないだろうか。

補足:ブレアウィッチ・プロジェクトの出演者のその後についてのレポートがNewsWeekに掲載されていた。 それを読むと出演者達はその後ハリウッドのスター街道を約束されたかに思っていたけれど続編の失敗が響いたのもあり、 映画には関係のない生活をしているようであった。数週間前のNewsweekにはミリオンダラー・ベイビーのヒラリー・ スワンクの記事が載っており、その記事を読むと元気がわいてくる。僕は知らなかったのだけれど彼女は下積みがながく「ボーイズ・ドント・ クライ」でアカデミー主演女優賞を獲得したもののずっと作品にめぐまれず、ギャラもかなり低かったそうだ。

投稿者 TKM : 16:03 | コメント (2) | トラックバック

上場廃止って

カネボウが上場廃止になるらしい。
大学の経営学の授業ではユニークな経営の事例として扱われていた。

他に富士ゼロックスの人事考課制度についてのレポートも書かされた。

「会社は仕事をしにいくところではなく遊びにいくところであるべきで。生活と仕事をわけるという考え方はアホである。 会社が生活空間としても一番おもしろい方が人生の効率はよくなる。国みたいなものである」

みたいな主旨のレポートを書いた。その気持ちはいまもかわっていない。 サークル的な会社というものは途中で分裂していくか成長の鈍化にぶちあたるのでダメだ、みたいな議論があって、事実その通りなのだろう。

「面白いけど成長も鈍化しないカタチ」を発明してみたい。
Googleはそれを開発したわけだし。
日本の企業であってもそれは可能だと思う。
と自分で書いていて

「オレってこんなに頭かたかったっけ?」

と思った。
いつのまにか「日本の企業」という考え方をしてしまっていたようだ。

この間、ラジオ日経のポッドキャストを聴いたら、木村剛氏の番組に堀江氏が出ていて「移民政策を強化し、出生率を上げ、 経済の活性化をはかる」というビジョンを提示していた。これは政治の世界では随分前から議論されている視点だ。漫画「サンクチュアリ」 の主人公が掲げる政策でも同様のビジョンが提示されている。正論系の政策の一つなので非常に説得力がある。

論客とよばれる人たちは知識が豊富なのでどの政策がただしいかを議論によって明らかにしようとするけれど結局のところ関係性の所産であるところの政治に関しては 「やってみなければわからない」問題がほとんどだと思う。事前に問題点を洗い出し、議論しつくしても、 それでも問題は必ず生じる。それは避けようがない。

「かといって今のままではゆるやかな死しかないじゃないか」

という議論もよくきく。それも説得力があるので

「たしかにそんな感じもするね」

といってしまいそうになる。けどこの議論のふっかけかたにも問題がある。ゆるやかな死もまた生のひとつのカタチであろう。 絶滅に瀕している種は保護を試みても種というレイヤーのエネルギーが消滅にむかっている。一方、 消滅さえたいのに個体数が増え続けるしまう種もある。

世界はなんでもかんでも分節化できるわけではない。玄の玄、虚無ではない無な領域もある。

昨夜はドコモの子がセッティングした会合だったのだが先方の都合でキャンセルになったので後輩のプリン先生と魚仁にいったあとミーティングをやった。

怒ったところで解決しない問題については考えないことにしている。怒りに向けるエネルギーは無意味だ。 考えても解決しない問題についても同様。同じ考えるならば脳エネルギーを有効に使うことを考える方が生産的だ。

プリン先生が7月以降でつくる会社に参画する予定でいろいろ動いている。

自分の場合、ディレクションやプランニングが専門なのでチームで動かない限り能力が活かされることはない。 長所と短所は連結しているのだな、と思った。

投稿者 TKM : 11:21 | コメント (0) | トラックバック

「思考は現実化する」のか?

すごいタイトルの本である。

何年か前に本屋にいった時のことだ。

書棚に「思考は現実化する 」という本がおいてあった。
凄まじいタイトルである。

ナニ?どういうことだ?

思わず手が伸びた。開くと成功哲学本であった。
具体的な方法は記されていなかったので書棚に戻した。

それはさておき「思考は現実化する」についてふと思ったことを書き留めておきたい。

ここに二者がいるとする。
わかりやすいようにこれから卓球の試合をする二者だとしよう。
二人とも「勝つ」という思考で試合に臨むとしよう。

思考が現実化するなら二人が勝たなければならない。
しかし、卓球の試合の場合、システムの都合上、引き分けはない。

この場合、思考は現実化するのだろうか?

基本的な疑問だが「誰の思考が現実化するのか」についてはっきりしていない。
この点は問題だと思った。

対抗する二者の思考が同時に現実化した場合、量子的な世界が概念ではなく現実化してしまう。

ホメオスタシスとトランスシタシスが均衡ではなく両端にふれた状態が同時に成立してしまうことになる。
それをイメージしてみるのだがどうにもパラドクスがねじれるような感覚である。

投稿者 TKM : 02:42 | コメント (3) | トラックバック

2005年05月10日

「呪怨」の一瀬プロデューサをみると加納典明とブラックキャットを思い出してしまう件について ~今晩のガイアの夜明けに一瀬さん登場~

やたらと長いタイトルを書いてしまった。
実は今晩の「ガイアの夜明け」 を忘れないようにメモしようとしただけなんだけれど。

今晩の「ガイアの夜明け」は映画(邦画)ビジネスの特集である。メインで扱われるのはハリウッドでもリメイク版が大ヒットした「呪怨」 のビジネス的舞台裏だと思うのだが注目はプロデューサの一瀬さんである。

僕は一度だけ遠くからお話を聞く機会があったのだけれどすごく魅力的な人だと思った。 迫力があるというのだろうか全身から発信されているパワーがこちらまで伝わってくるのだ。猪木っぽくいうならば

 「オーラがある」

となるだろう。一緒に「グリーンデスティニー」のプロデューサであるBill Kong さんもいらして二人の話は制作者にありがちな映画論ではなく映画産業論である点が興味深かった。

さて表題の件にもどるが僕は一瀬さんをみた瞬間に妙に心引かれる感じがしてならなかった。 なぜなのかよくよく考えたらある二人の人物が思い浮かんだ。一人は

新日本プロレスファンなら誰でもしっている

 ブラック・ キャット

もうひとりは

  加納典明

である。
映画の話とは全く関係なくブラックキャットに似ているというたったそれだけで僕は一瀬さんファンになってしまっていたのだ。

ここからはマーケティングの話だけれど既に見知っているものについて更に深い情報を提示されると情報の浸透力はましていく。 全く知らないものを記憶に定着させようとするのは大変だけれど記憶の中にひっかかりがあるとそれにリンクした情報もすんなりと心に入り込んでくる。

意味がないといわれるTVのCMはこうした効果を狙ったものだ。

まず、認知させ、次ぎに盛り上げる。

こういう手順でやらないと情報は浸透していかない。
ライブドアの堀江氏のケースも似ている。

TVというメディアで認知が広まった後で、より深い情報として著作を提供する。
順番が逆ではダメなのである。

話がそれた。一瀬さんに話を戻そう。

僕が一瀬さんに「オヤ?!」という何かを感じたのは僕の中に「ブラック・キャット」 という人物と加納典明という人物についてのイメージが既にあって、 それにリンクする形で一瀬さんという人物が意識に入り込んできたからである。 この効果についてはあまり話されることがないのだけれど情報の振る舞いとしてかなり興味深い。

同じ情報が別な情報とリンクすることで異なる価値の衣装をまとってしまうのである。

投稿者 TKM : 15:21 | コメント (0) | トラックバック

たった1分でスゲームービーが出来てしまった ~デジタルマンガ・ネットラジオ見学~

■まずはデジタルマンガの打合せ

デジタルマンガの打合せで諌山さんの会社にいってきた。
先日のライブの模様をデジタルマンガ化しようというプロジェクトである。

レポートやマニュアル系のコンテンツにはデジタルマンガは最適なソリューションの一つだと実感した。

LiFE with PhotoCinema 2 初回限定版 Windows版  
前夜に「LiFE with PhotoCinema 2」 でデモムービーをつくったのでこちらのデモも行う。極めて好評だった。素晴らしいソフトである。手放しで絶賛する。 こういうソフトがウェブサービスで提供される日も遠くないだろうな。

ただし、DVDのエンコードにはかなりの時間がかかるようで現存するPCではまだまだパワー不足である。 CD-ROMを焼くくらいの手軽さで映像をやりとりするにはいまのスタンダードの100倍くらいのマシンパワーが要求される。

■党首にLiFE with PhotoCinema 2を買ってもらう

先週末、月末に行われるやまけんの結婚式のスライドショーにつかうべく党首に「LiFE with PhotoCinema 2」買ってもらった。その後、 門仲のフレッシュネスバーガーで党首と軽めのミーティングをしたのだが、到着すると

 「オレ、もうスパムサンドやっちゃったよ」

とテーブルには跡形もなく平らげられたスパムサンドの残骸が…。
奥さんからは電話で

 「だんながカゼひいちゃって」

ときいていたのだが…。元気がなかったはずじゃ…。なのにスパムって…。

いや食い倒れ、食い倒れ。不問。不問。

すかさず「LiFE with PhotoCinema 2」について解説。 党首もご満悦の模様。

にしてもデジタルステージの営業マンかオレは。
もともとソフトやウェブサービスを紹介するのは得意だし、かなり好きなのだ。

なるほどこういう仕事をするようにしよう。実にオレ向きである。

と手帳にメモはとらなかったが

 「自分はものや人やことを紹介するような活動に向いている」

とそう思うのであった。(もともと考察を伝えることが専門でもあるわけだが)

■たった1分でスゲームービーができあがった!

三軒茶屋での打合せを終えて帰宅し、未完に終わったDVD作成作業の続きを行う。 10分程度の映像なのだがエンコードには10倍の時間を要した。Pen4 3GHz・メモリ1. 5Gとマシンパワーとしては及第点のはずなのだが…。

プロセッサーのパワーが圧倒的に足りないのである。

さてそんなこんなで二日もかかってどうにかエンコードを完成させたDVDをプレイヤーにセットし、再生してみた。恥ずかしながら、

 「ウワー、いいじゃん、これ。悪くないよ、いいね。いいよ。」

と深夜に独り言連発。最高に気持ちよかった。 プロのつくったDVDを観るよりも自分でつくったDVDを観る方が満足度は高いのだと気づいた。

製作が仕事ではなく

 エンターテイメント

になっているのだ。これは素晴らしい経験であった。

 「もう一本やるぞ!」

と思ったが疲れていたみたいで昨夜はそこで作業終了。

こんなに簡単でいいのか?DVD作成。

マニュアルを読むこともなく実作業はパッケージを開いてから1時間位で完了していた。
実はそれもこれも「LiFE with PhotoCinema 2」が搭載している

 「おまかせ機能」

のおかげである。
基本的に僕はこの機能しかつかっていない。
Pigeon's Milkのライブのデジカメ写真と彼女の曲のMP3を選んでボタンを押す。あとは

 「よきにはからえ」

状態でソフトにおまかせである。スイッチポンでムービーが

 「ハイドウゾ」

という感じでできあがってくる。この間、1分である。スゴイものだ。これを手動で作ったら5時間くらいはかかるんじゃないだろうか。 数年前にマクロメディアのディレクターでちょこちょこスライドショーをつくっていたのはなんだったのだろう。 一緒についてくるUleadというソフトの出来も俊逸である。MacのiDVDもスゴイと思ったがUleadのDVD Movie Writer 4の使用感も素晴らしく、

 「やるなあWindows」

な感覚に包まれた。

投稿者 TKM : 14:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月09日

スラムダンクあれから10日後…密着井上雄彦初公開映像

気になるタイトルだったのでメモ。

放送時間は

5月10日(火) 2:28~3:23 フジテレビ Gコード(9150045)

スラムダンクといえばこのプロモーションサイトである。

スラムダンク一億冊突破記念ウェブサイト

企画書風にまとめられた解説はこちら
何度みても参考になる。

このサイト、東京インタラクティブウェブ・アド・ アワードのグランプリを受賞している。
ウェブの広告については漠然とみるばかりで考察したことがなかった。
受賞作のリストをみていたら

「ウェブ広告って面白いなぁ」

と思った。
特にコンセプトを読むのが面白い。ピンときたらコンテンツ研究家としては見過ごせない。誰に頼まれたわけでもないし、ナニやってんだろオレとも思わないでもないが。

というわけで今週のテーマは「ウェブ広告研究」です。

投稿者 TKM : 10:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月08日

「半島を出よ」(村上龍) ~下巻読了~

■短い時間と長い時間

半島を出よ (下)  

半島を出よ (下) 」を読み終えた。なんとも長い読書時間であった。 しかし短かった。

矛盾しているようだがこれが感想である。
この作品、文章量は多く、読書時間は長大なのだが体感時間は短い。
ドラマの「24時間」のように二日間くらいの出来事が緩急のある場面展開でソナタ形式にまとめられているイメージである。

愛読している梅田さんのブログでも

僕よりも先に「半島を出よ」を徹夜で読了したid:kunihiroishigurが、 内容をばらさぬよう配慮しつつも僕に一言で言った感想が「凄かった。でも、もっと長くても良かったな」だった。 確かに最後まで読んでみて、その意味がよくわかった。「北朝鮮の反乱軍が福岡を占領する」という シチュエーションにおける日本の姿の描写が、 本書よりもさらに延々と続く今の3倍か4倍の長さの、長い長い小説を読みたかったなという彼の思いには、とても強く共感する。

と書かれているがこの気持ちはとてもよくわかる。僕も強く共感する。
もっと長く読んでいたかった。

個人的な希望を言うとイシハラグループの意味不明な会話や武器説明のシーンを割愛して高麗遠征軍のパートを増やしてもらいたかった。 その方がドラマ性が増ように思う。イシハラが登場するシーンは冗長的で違和感を感じた。

■物語とパラレルなリアリティ

高麗遠征軍のチョ・スリョン、キム・ヒャンモクの二人を中心に書かれたシーンには違和感なく感情移入できた。
文学というよりもエンターテイメントな人間ドラマを感じた。

上記の二つの視点でドラマ全体を捉えた場合どのような作品になるのだろう。

この作品は登場人物がものすごく多い。高麗遠征軍だけでも27人のキャラクターが登場する。 上巻から登場する9人のメインキャラクター(高麗遠征軍側)を個別に認識できるようになるまでかなりの時間がかかった。

その中で4人くらいのキャラクターは大きなシーンで主役を演じる。 各シーンを読み終えていくにつれて自分の中でそれぞれのキャラクターの個性ができあがっていく。 すると同じ出来事を各キャラクター別にみた場合、どのようなドラマ展開になるのだろう、と仮想しはじめる。

書籍という形式の拘束条件がある全ての登場人物の視点を作品に取り込むことはできない。

けれど読んでいる我々は意識の外で各キャラクターの視点の存在を認識している。

「物語を読む」というのは個人的な経験である。
「ここ」からはじまって「あそこ」で終わる物語の構造を持っている作品の場合、 見えないだけで時間軸を共有している全てのシーンに登場人物が存在している。 それぞれのシーンでは描かれていなくても彼らはそこに存在している。

いちいち気にしながら物語を読むわけではないが見えないシーンでも彼らはそこに存在していて、 それを仮想しながら僕たちは物語を読み進める。

この時、各キャラクターはパラレルな存在だ。
僕たちはそれに違和感を感じることはない。
物語という形式はひとつの世界をそこに描き出す。
しかし読んでいる僕たちは同時にパラレルな世界を仮想し、体験している。

「そこに存在しなくてもそれらが同時に存在している」

ことを受け入れることができるのはなぜなのだろう。

■追伸:マチともの語り

プランナーの野知さんがやっているプロジェクトに「マチともの語り」というサイトがある。
「半島を出よ」も街を舞台とした物語だと僕は思った。

上記のサイトには数多くの作品が集まり単行本もでている。
当初、僕もいろいろと議論に参加したりしていたのだが、 最近は編集後記は欠かさず読むものの掲載されている作品を読もうという気持ちになることはなくなってしまった。

これってネットとコンテンツについて考えるうえでもの凄く大きなポイントをはらんでいるんじゃないかと僕は思う。

僕の場合に限ってということわりを入れた上で何故僕が読まないかを思いつくままにメモしてみる。

・読み方がわからない
・形式になれていない
・他に読みたい本がたくさんあるのでネットでは小説を読もうと思わない

とまあ、あたりまえといえばあたりまえのことなのだけれど。もう少し、直感的なことを書くと

・誰が書いているのかよくわからないので入り込めない

というのが大きいように思う。

編集後記だけは欠かさず読むのには理由があって運営されている野知さんは友人だしWATA氏もよく話をきいていたのでイメージがつかめるから知り合いのブログを読むみたいな親近感をもって接することができる。

けれど作家の方はどんな方なのかわからないので距離が遠い。とても遠い。そのため「同人誌」な印象をうけてしまう。
これが大きな理由だと思う。

逆に運営側は各作家とのリレーションがあるから掲載されている作品を読む時にもそれがバイアスになるので「おもしろい」のだろうな。

投稿者 TKM : 13:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月07日

「半島を出よ」(村上龍) ~上巻読了~

半島を出よ (上)

半島を出よ (上) 上巻読了。長かった。
この作品は大きくわけで3つの視点で描かれている。

 ・韓国反乱軍(高麗遠征軍)
 ・日本政府首脳陣の円卓
 ・福岡イシハラグループ(ドロップアウトな人々のグループ)

各パートによって面白さが全然違う。韓国反乱軍を中心に描かれたパートがダントツに面白い。 イシハラグループのパートには村上龍の小説ではよくみられる妙なしゃべり方をする人々が登場する。彼らの対話シーンに違和感を感じてしまい、 どうしても頭にしみこんでこない。そのため読むのにやたらと時間がかかった。

村上龍の小説には妙な会話、頭がおかしい人のトーク、みたいなパートが必ずあるが。これらのシーンを挿入する理由は何なのだろう。 著者が言及しているエッセイなどあったら教えてもらいたい。

韓国反乱軍の視点でかかれた章は「五分後の世界」の世界観ととても似ている。人々の行動と言動がストイックで、 ありえたかもしれないもうひとつの日本を思ってしまう。
前半のクライマックスに福岡ドームのオーロラビジョンが反乱軍のRPGで破壊されるシーンがある。

このシーンは文字数にするとそう多くない。174ページからの数十行で描かれている。 しかしたった数十行の文字が映画以上の迫力で迫ってくるような印象を受けた。 文章をつかって映像的なエフェクトを描き出せているのが不思議だ。作家のつくりだす言葉とはスゴイものだと改めて思った。

投稿者 TKM : 16:07 | コメント (0) | トラックバック

ネットで映画をみる 「レインメーカー」

USENのGYAOレインメーカーが上映されている。
ネットでオンデマンド視聴可能な状態を上映といっていいものかどうか迷うが。ともかく無料で好きな時間に映画をみることができる。

先日も書いたがこれは思った以上に画期的だ。
無料というのが面白い。
上映されている映画はまだ数本だがこれが数千本まで増えたらどうだろう。

TVで映画を観なくなってから大分たつ。
吹き替えが鬱陶しいの最も大きな理由である。

GYAOの場合、作品は字幕版で放送されている。
なかなか快適である。

投稿者 TKM : 05:26 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月06日

金の斧と銀の斧 ~この国終わってるわ~

■いつにもまして終わってるを実感

常々、ニッポンは終わってるなあと思うことが多いのだが今日の月島でも終わってるを実感してしまった。 図書館にいった時に自転車にビニール傘(コンビニで売ってる)をおいてってもどって傘をつかむと傘の感触が変だ。

「オヤ!?」

よく見ると似たような別な傘になっている。しかも古い。少しサビもある。さきほどまで持っていたキレイなヤツとは別物である。

「金の斧と銀の斧かよ」

と一瞬笑いそうになったが笑っている場合ではない。異様に気持ちが悪い。こういうことをやる輩は人間が腐っている。 申し訳ないがすり替わった傘は区民センターの傘置き場に献上してきた。

■ゴミもそうだが刹那的

よくも平気でこういうことをやるものだと感心する。
行動の内容ではなく迷いの無さと行為の斬新さに感心してしまうのだ。

これと同じメンタリティなのがゴミを捨て散らかして去っていく人々である。彼らも何一つ迷いがない。 缶コーヒーであれペットボトルであれ、弁当であれ、飲んだら地面に置いていってしまう。 何もない道路にぽつんとひとつだけ缶コーヒーが置いてある絵はアート的でさえある。

メンタリティは単純だ。ゴミを所有していたくない。それだけの短絡的な思考でしかない。他は何もない。

「何故ダメなの?法律で決まってるの?」

と言われるだろう。

「ああ決まってるんだよ、オレの法律じゃダメなんだよ」

といえたらいいのだがそれじゃジャイアンだ。

オレの考えだけれど憲法を議論する前に

「街にゴミを捨てない」

という法律をつくった方がよっぽど国にとってプラスだと思う。が、問題は「ゴミを捨てない」 とか小学生でもでkそうなそんな簡単なことを大人ができていないのかということだろう。

■元凶は?

さて図書館だが毎度のことながらいくたびに老人や奇人が多くて驚く。いや、老人とひとくくりにするのは間違いだが。

老人の中にも気品のある人もいるし、ノリのいい人、きちんとした人もいる。が、 図書館に集まってる老人の半分はネガティブな空気を発している。

老人ホームじゃないのだから眠るなら家で眠ればいいし、日がな一日新聞を読んでたり、単にたむろしてるだけにみえる。 偏見で言わせて貰うと覇気もない。外観だけみているとゾンビのようだ。笑いもない。表情も何もない。楽しさとは無縁のしかめっつらである。 町中いたるところにそういうおっさんやおばさん、老人が群れているように思う。

「この人たち楽しいんだろうか?」

といつも考えるがそれ以上は思考が前にいかない。
立派でなくてもいいが大人には凛としている義務があると思う。

オレはこの空気こそが「終わってる感じ」を醸し出している元凶だと思っている。
日がな一日、こんな絵を見せられてたらそりゃあゴミもそこらに捨てたくなる。

都市のありふれた風景ではあるけれどそれをみてたらケインズ型の公平分配が機能しなくなり、 ハイエク型新自由主義モデルへ向かうように政策が転換されつつあるのはこれはもう国という形を保つ為には必須なのかもしれないな、 と思いたくなる。

けれど解決策もあるはずだ。

「マネーシステム」を変化させればいいんだろうなとは思うのだが具体的なプランはまだみえない。

ダイナミズムとか情報とかいろんな部分で価値提供が行われた場合それがマネーシステムに還元される仕組みがあれば自然発生的に活性化が促進され