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2005年05月11日
上場廃止って
カネボウが上場廃止になるらしい。
大学の経営学の授業ではユニークな経営の事例として扱われていた。
他に富士ゼロックスの人事考課制度についてのレポートも書かされた。
「会社は仕事をしにいくところではなく遊びにいくところであるべきで。生活と仕事をわけるという考え方はアホである。 会社が生活空間としても一番おもしろい方が人生の効率はよくなる。国みたいなものである」
みたいな主旨のレポートを書いた。その気持ちはいまもかわっていない。 サークル的な会社というものは途中で分裂していくか成長の鈍化にぶちあたるのでダメだ、みたいな議論があって、事実その通りなのだろう。
「面白いけど成長も鈍化しないカタチ」を発明してみたい。
Googleはそれを開発したわけだし。
日本の企業であってもそれは可能だと思う。
と自分で書いていて
「オレってこんなに頭かたかったっけ?」
と思った。
いつのまにか「日本の企業」という考え方をしてしまっていたようだ。
この間、ラジオ日経のポッドキャストを聴いたら、木村剛氏の番組に堀江氏が出ていて「移民政策を強化し、出生率を上げ、 経済の活性化をはかる」というビジョンを提示していた。これは政治の世界では随分前から議論されている視点だ。漫画「サンクチュアリ」 の主人公が掲げる政策でも同様のビジョンが提示されている。正論系の政策の一つなので非常に説得力がある。
論客とよばれる人たちは知識が豊富なのでどの政策がただしいかを議論によって明らかにしようとするけれど結局のところ関係性の所産であるところの政治に関しては 「やってみなければわからない」問題がほとんどだと思う。事前に問題点を洗い出し、議論しつくしても、 それでも問題は必ず生じる。それは避けようがない。
「かといって今のままではゆるやかな死しかないじゃないか」
という議論もよくきく。それも説得力があるので
「たしかにそんな感じもするね」
といってしまいそうになる。けどこの議論のふっかけかたにも問題がある。ゆるやかな死もまた生のひとつのカタチであろう。 絶滅に瀕している種は保護を試みても種というレイヤーのエネルギーが消滅にむかっている。一方、 消滅さえたいのに個体数が増え続けるしまう種もある。
世界はなんでもかんでも分節化できるわけではない。玄の玄、虚無ではない無な領域もある。
昨夜はドコモの子がセッティングした会合だったのだが先方の都合でキャンセルになったので後輩のプリン先生と魚仁にいったあとミーティングをやった。
怒ったところで解決しない問題については考えないことにしている。怒りに向けるエネルギーは無意味だ。 考えても解決しない問題についても同様。同じ考えるならば脳エネルギーを有効に使うことを考える方が生産的だ。
プリン先生が7月以降でつくる会社に参画する予定でいろいろ動いている。
自分の場合、ディレクションやプランニングが専門なのでチームで動かない限り能力が活かされることはない。 長所と短所は連結しているのだな、と思った。
投稿者 TKM : 2005年05月11日 11:21
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