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2005年06月30日
父と暮らせば ~宮沢りえのひとこと~
昨夜、ようやく観ることができた。
ストーリーもなにも知らずに観た。
登場人物は3人だけだ。
9割5分のシーンは宮沢りえと原田芳雄の二人である。
なのに途中から目を離せなくなる。
うだうだストーリーを書くのも野暮なのでひとつだけ書いておきたい。(そういうのは雑誌のライターにまかせたい)
終盤近く、
「しばらく、あえんかもしれんね」
去りゆくであろう父(原田芳雄)に娘(宮沢りえ)が言うセリフである。
この短いセリフにそれまでの時間のすべてが折りたたまれている。
僕にはそう感じられた。
この一瞬の為だけにそれまでの時間の全てがあった。
見終えてからしばらく余韻がのこっていた。
余韻が消えるまえにこのエントリーを書き始めた。
そしてまだその気配はここに漂っている。
どこか他ではなく、さっきまで画面をみていたこの部屋のこの空間に漂っている。
映画の楽しみとはこの余韻ではなかろうか。
僕はそうおもう。
意味を解釈しようとするのではなく間と余韻の感覚を感じてもらいたい。
そして、ひとりで観て欲しい映画だ。(他者とでもよいがその場合は知らない他者とであるべきであろう)
投稿者 TKM : 02:46 | コメント (0) | トラックバック
プランニング費
吉祥寺までの電車の中、オイコスの松村さんから頼まれていたメディアワークス&角川グループ関連の企画をひとり思索していた。
12案ほどアイデアが浮かんだので明日はそれらをまとめていこうかと思う。
そこでふと思い出したのが
「加賀谷、成功報酬で頼むな」
という松村さんの言葉であった。
これはプランニングの世界ではよくある頼まれかたで出した企画が通ったらそれに応じて何らかの対価(明確になっていない場合が多い) を報酬としてもらうという仕事の形なのだが正直なところ報酬が確定していない仕事に対してモチベーションをあげていくのはかなり難しい。
自分の意識をドライブさせなければならないのだが理性がそれを邪魔するのだ。
この形、プランを頼む側にとっては全く無リスクがないのでおいしい話である。
いい企画がでて通ればOKだし、外れた場合はコストはゼロで済む。(他の仕事ではありえないでしょ!)
こうした形がまかり通ってしまうのは間違っていると自分も思う。
でも、友人からの頼まれごとだとなんだかノリでやってしまったりする。
しかし、それはプランニングという業種にとってマイナスである。
なので今後はこうした仕事を仕方を見直すことにした。
今後、僕は企画・プランニングの仕事は最低企画費を20万円~とし十分に時間と労力をかけて質の高いプランを提供することに注力し、 成功報酬型の提案は止めます。20万円~という価格に関してはかなり格安だと自負している。
自分が納得できるだけのクオリティの企画を提示するには調査費を含めそのくらいの額は実費レベルでかかってくるし、 パッとしない適当なレポートをからめた企画を提供し対価をいただくということはしたくない。
依頼者には価格の10倍以上の価値を提供する。
それを目標にやっていくつもりだ。
ということで関係各位の方々、ヨロシクおねがいします。
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2005年06月29日
東京にもどってきての感想
沖縄から東京にもどってくるとその生活費の高さにびっくりする。
スーパーでちょっと買い物をしてもあっというまにけっこうな額になる。
沖縄だと食堂でこれでもかというくらいお腹いっぱいたべても500円とかそんなものだ。
居酒屋で飲むビールだってキンキンに冷えたオリオンの生ビールが280円だし、メニューにあるものはほとんどが500円くらいだ。
なのでひとり3000円もあれば十分だし、かなりの満足度で店をあとにすることができる。 同じ満足度を東京で得ようとすると8000円くらいだろう。都心のダイニング系の店などほとんどサギではないかと思ってしまう。
食のコストが高い場所に暮らしていると人は精神的に病んでくるのではないかと思う。
大人は悩んでも解決しない問題に頭を悩ませる。
解決するために知恵を絞るのではなく、より苦しむ為に悩みに意識を集中してしまいがちだ。
でも、それって無駄でしかない。
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2005年06月28日
前の部屋からみた夕日
前に住んでいた部屋からみた夕日です。
東京の空は時々、予想もしなかった色合いに変わります。
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そういえばルートビアの

投稿者 TKM : 03:03 | コメント (6) | トラックバック
おちまさと氏も録画してたのか?!
■俺なりのプライドGP。 (おちまさとブログより)
http://tokyoochimasatoland.ameblo.jp/entry-f0bd544e8f723eced5a3c59398eb4856.html
上記、おちまさと氏のブログなのだがこれを読むと彼もフジTVの番組をHDレコーダーで録画していたことがわかる
僕はこれに結構な衝撃をうけた。
彼らTVの仕事をしている人々であれば普通にスカパーのペイパービュー放送の録画をするとか、 局の人からコピーをもらえるのだろうと思っていたけれどそういうものではないのか。
TVの見方って業界の内部にいても我々のように「際」にいても、普通にみてる人たちでもあまり変わらない、 というか変えようがないのだろう。
ソニーの一週間全番組を録画できるマシンをつかってる人は番組は全てオンデマンドで観てるのだろうか。
TVの見方、ネットの見方、人と情報の関係はまだそう大きくは変わっていない。
さっきやまけんハウスでLiFE with PhotoCinema のパッケージをみていたらデジタルステージがID for WebLiFE をリリースする前にコンセプトとして語っていたビジョンを思い出した。
「旅のメタファーでウェブサイトをつくれるソフト」
このコンセプトをきいたときはかなりビビっときた。
ID for web Lifeはそこまではいきついていないのだけれど、この言葉にインスパイヤされて
「コンテンツの形って変化していってるなあ」
と思った。
映画でもゲームでも基本的にはユーザは「受け手」であって、つくられたものを
「消費」
することでコンテンツを楽しんでいる。しかし、ID for web LifeやLife with Photocinemaなどを使っていると
「つくることがコンテンツ化しているなあ」
と感じる。
そして、それは「消費型のコンテンツ」を楽しむよりも遙かにオモシロイ。
メディアアートなどでは顕著だが一部のコンテンツはこうした方向に向かっているように思う。
観たり、聴いたり、プレイしたり、という遊び方よりも
「つくる」
「つたえる」
というプロセスが組み込まれている場合の方がコンテンツの浸透度は深まる。
これは
「コンテクスト」
が発現しているからである。
投稿者 TKM : 02:48 | コメント (0) | トラックバック
夏はメロン

投稿者 TKM : 00:19 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月27日
飛び道具としての「モブログ」
木曜の深夜~月曜の早朝という変則的なスケジュールで南国沖縄を訪れた週末であった。そのレポートの前にまずは本業である
「ウェブとコミュニケーションの関係」
に関連したトピックスとして、
「コミュニケーションツールとしてのブログの使い方」
についての考察をまとめておきたい。
■飛び道具としての「モブログ」
今回の滞在ではモブログを積極的に活用し、リアルタイムでブログを更新してみたのだがこれが予想に反してやたらと面白かった。
ポイントは
「書くブログとのコミュニケーション感覚の違い」
だと思うのだが、まず、思いつくままに気づいた点を列挙してみる。
- 更新が簡単
- アップするとすぐに反応があって通常のブログよりも「コミュニケーション感覚」が高く、 メッセンジャーのステータスで状況を伝えるのに感覚が似ている
- アップした写真をその場にいる人たちもケータイを通じて閲覧できる。 これによってアドホックなグループ内に情報共有感覚が発生する。
- アップされた写真がたまってくるにつれて「雰囲気」が形成されていく。これはブログの「アーカイブ性」 を感じさせられた。
- それが継続すると客観的に自分がいまどのような関係性にいるのかが「見えてくる」
- 「書くブログ」とは別物である
- 作り手の感覚はTVやラジオなどのメディアに近い
- これは「時」「場所」を共有していることが影響するようである
- ただし対象とするクラスター(人の集まり)はTVやラジオなどの放送に比べると遙かに「小さい」
- しかし「情報の浸透度」は遙かに「高い」
- 仮説ではあるが「時と場所を共有する小さなクラスターは情報の浸透度が高い」のではないかと思う。
思いつくままに書き出してみると上記のようなポイントが浮かび上がってきた。
この中で僕が注目するのは
- 「書くブログ」とは別物である
- 作り手の感覚はTVやラジオなどのメディアに近い
- 「時と場所を共有する小さなクラスターは情報の浸透度が高い」
この3つである。
モブログの連続投稿によってリアルタイム性が一つの「型」として僕のブログメディアにできあがっていくプロセスが 「書くブログ」との感覚の違いをつくりだしているように思う。ブログは「新聞」や「雑誌」の記事・ レポートをつくる感覚だが、モブログの場合はそれがコミュニケーションツールとして機能しはじめた途端に
「メール」
とか
「メッセンジャー」
に近い感覚へと変わっていく。
これは実際にモブログをヘビーに使用するまでわからないコミュニケーション感覚だったが、ともかく「書くブログ」とは別の
「面白さ」
がある。
ブログのもつメディアとしての機能がドライブしていく感覚があった。
この感覚をひとことで言い表すとモブログは従来のブログよりもより
「モノっぽさ」
が薄く
「飛び道具的」
なのである。
■ブログの可能性
昨日発表のあった楽天による「ブログムービー」という新たなPR手法
・ブログを使った楽天による日産の新車PRコンテンツ
http://note.rakuten.co.jp/
もブログの可能性を模索する一つの試みである。
オモシロイ企画だと思う。コンテンツプランニングという視点で考えるとかなりオモシロイ。
しかし、このサイトのコンテンツは残念ながら自分に響いてこない。
上記のサイトへアクセスするとわかるが
「つくられた情報」
に対して我々は
「抵抗感」
を感じてしまう。
これは情報に対する自然な「防衛本能」によるものだろう。
我々は「騙されること」に対して強い警戒心をもっている。
残念なことに上記のサイトは「キレイ」であるが故に
「インチキ臭さ」
が強調されてしまっている。
ブログという
「仮面」
をまとうことで
「ブログっぽいという印象を与える」
ことには成功しているがそれ以上の効果はみられない。
こうしたプロモーション企画はプランナーが提示する際の対クライアント向けコンテンツとしては有効だが対ユーザ向けのコンテンツとしてはプラスに働いていない。
これはこのサイトが従来の放送メディアの対象と類似した巨大なクラスターを対象としてつくられているため、
「コンテクスト」
の創生ができていないからである。
ブログを効果的な情報チャンネルとして機能させるには
「効果的なクラスターの形成(動的編成)」
が最も大切なのである。
来月から始動するプロジェクトカンパニーでは上記の考え方をベースに
「ユーザと企業」
「組織と個人」
「人と情報」
の最適な関係を構築、ドライブさせていくというプロジェクトをスタートさせる。
このプロジェクトカンパニーでは既存メディアがおこなってきたワイドショー・ニュースのように刺激面に重点をおいた 「ノイズありき」なブログコンテンツとは異なり、
多次元的に絡み合うクラスターをチャンネルとして動的に編成し、
「情報浸透度」
「情報価値」
「情報ダイナミズム」
という視点から人と情報の関係を見直し、柔軟かつドライブ感のあるメディア機能の提案・構築を行っていくつもりである。
簡単にいうと
「日々がもっと面白くなるような情報と人の関係をつくりあげていく」
ということである。
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2005年06月26日
三人ともがんばりました

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最終日はK's Barで打ち上げです

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スパもオススメです

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やまけんの土産を買いにまたきました

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瀬底ビーチ

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バーキン

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どこでしょう?

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コロスケ

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夜はこれから

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2005年06月25日
そういえば…

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名護でオリオン!

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願いがかなう樹

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またしても…

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こどもとりで

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ジンベイザメ

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実は!

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滝ダイブ

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滝到着

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森林浴

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ヒジ大滝へ

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おかわりも

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バーガーもよい

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ルートビア

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エンダー

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ウマいです

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最後はキンタコです

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2005年06月24日
インデイアカです

投稿者 TKM : 17:02 | コメント (0) | トラックバック
さわやかにビーチバレー

投稿者 TKM : 15:41 | コメント (0) | トラックバック
おいしいです!

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ビーチパーティー開始

投稿者 TKM : 13:53 | コメント (4) | トラックバック
ビーチパーティー前に定番ブルーシール

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買い出し

投稿者 TKM : 12:16 | コメント (0) | トラックバック
首里そば

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晴れました

投稿者 TKM : 10:40 | コメント (2) | トラックバック
グスキーニョ

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中村家

投稿者 TKM : 10:20 | コメント (0) | トラックバック
久米島の通学風景

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クースーです

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川端家にて到着祝い

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2005年06月23日
ヤフーカフェ
しかしよくも悪くもバンクのテイストがでまくりである。社員教育をしっかりやったほうがよいと感じた。

投稿者 TKM : 19:42 | コメント (1) | トラックバック
長文でわかりずらい文章を書く人間は学会のように特殊な場でしか必要とされない
愛読しているARTIFACT ―人工事実― にハッとするような記述があったので紹介しておきたい。
■ 「頭のいい秀才くん」と「村の中での対人能力だけが高い人」という存在
というエントリーの末尾にある下記の一文である。
文字を読まなくなったといっても、情報を求めなくなった訳ではない。人々は興味がある事件が起きれば、 それに関する情報を貪欲に集めるから、文字情報も求める。そこで重要視されるのは、情報量と的確な分析力を持ったわかりやすい解説だ。 かつてのように、長文でわかりずらい文章を書く人間は学会のように特殊な場でしか必要とされない。
実感である。
頷きながら読んだ。
上記の事例では「出版」について語られた文章だが、
「長文でわかりずらい文章を書く人間は学会のように特殊な場でしか必要とされない」
のは現実の世界でも同じである。我田引水でその人の言葉がなく、何をいっているのかが
「響いてこない」
人というのは仕事など特殊な場面でしか必要とされない。繰り返しになるが
「人は気持ちで動く」
のである。人の気持ちを動かすのはプラスであれマイナスであれ、
「気持ち」
である。それが伝播することで人の気持ちは動く。なので機嫌の良い人の周りは機嫌良く、そうでない人のまわりはそうでなく、 と人をとりまく環境は自己との相似を継承していく。
「類は友を呼ぶ」
は現実な話で、不思議な現象ではない。大勢ではなく自分の周りの人たちに対してでいい、ひとりひとりが
「響く言葉」
で話すように心がければ世界は変わっていく。
投稿者 TKM : 10:25 | コメント (4) | トラックバック
対ブラジル戦、引き分け 〜素晴らしい試合だった〜
ひさしぶりに見入ってしまう試合だった。
いい試合だった。
最後まで緊張感に満ちていた。
今日のサッカーの緊張感は格闘技の面白さと似ていた。
ノゲイラvsストライク系の選手といった趣があった。
自分好みの試合である。
良い朝だ。
++++++
ところでこの試合をみながら自分が考えていたのは全く別のことであった。
この選手達はどんなことに悩むのだろう、とか。
もてるリソースの全てをサッカーに投入しているんだろうか、とか。
くだらないことや些細なことで悩んだりはしないのだろうな、とか。
オレだけじゃなく、世の人々は暇すぎだし、ほとんど能力をつかってないんだろうな、とか。
そう、暇だと人は余計なことを考えるのだろうな、とか。
ロナウジーニョをはじめブラジル勢のあの動き。
あれはなんなんだろう。
後半、ヒールで左にずらして自分でシュートにいったあの動き。
なんであんな動きができるのだ?
投稿者 TKM : 05:36 | コメント (1) | トラックバック
衝撃!
投稿者 TKM : 04:15 | コメント (0) | トラックバック
ブラジル戦

投稿者 TKM : 03:53 | コメント (0) | トラックバック
新プロジェクト「ネットの表技」
なんでもかんでも裏技が注目されがちだが
表技
に注目してみるってどうよ、というプロジェクトをやってみようじゃないか、という話になった。
要するに
「こんな使い方をしたらネットでこんないいことがあった」
ということをじゃんじゃん紹介していこうというプロジェクトだ。
「いいこと」
の定義は簡単だ。ズバリ
「爽やかな風」
である。どういう使い方をしたときに感動とか悦びとか
「なんか嬉しいぞ」
みたいな感覚へとつながっていったか、をダーっと集めて紹介してしまおうというプロジェクトである。
で、これを書籍化したい。
ネットって本来そういう使い方があっていいと思うのだ。
投稿者 TKM : 02:50 | コメント (0) | トラックバック
Skype Nightで大いに憤慨する
昨夜はSkypeNightというSkype社のイベントにいった。
日本法人のビンセントが
「ぜひきてくれ、本社のデザイン担当重役を紹介したい!」
というのでカネコと連れだっていったのだがいってみたらあまりにも人が多くてやる気が失せてしまった。
人の多さだけが理由ではない。
会場にきていたほとんどの人が黒いスーツ姿で話が全然あいそうにない。
まあそこまではいい。
プレゼン大会が終わって、懇親会の会場へ向かう途中、狭い通路をどう考えても通れないのに逆流してくるサラリーマンがいた。 格好は普通だ。バーバーリーっぽいスーツだし、ネクタイもまあまあ洒落ている。
が、人間は最悪になっていなかった。
人に体当たりしてきて、ぶつかっているのに何も言わず、強引に通ろうとする。
2mくらい先に知り合いらしき男女がいて、どうしてもそこにいきたいらしいのだが子供でもあるまいし、
通れない道を強引に押し通ろうと、人々を押しのけ、ぶつかった人々に対して謝罪すらしない。
これって社会人としてどうかと思う。
最低限の礼節をもわきまえていない人間と一緒の空間にいることは自分には耐え難い。
早々に会場を後にした。
帰りがけに悪態をついてしまって、カネコすまん!
でもね、ああいう人間はおかしいと思うわけよ、オレは。
ああいう人たちと仕事しなければならないとしたらその人生は間違ってると思う。
これってとてもとても大切だ。
自分達の時間をああいう人々に対して憤慨して過ごしてしまうことは大いなるコストだ。
ああした人と同席すべきではないし、燃えない仕事などするべきではない。
投稿者 TKM : 02:40 | コメント (1) | トラックバック
モブログってオモシロイ!
他のブログサービスが提供するブログでモブログは使ったことがあったのだけれど自分のサイトにケータイから写真とテキストをアップしたのは初めてである。
なんともいえない感慨がある。
明日から数日PCのない生活になるのでモブログで対応していってみようと思う。
使ってみての感想だが。
ケータイはやはり入力が面倒である。
なので
・ある番号にかけると音声をポッドキャスト形式でアップしてくれる
・写真とテキストも添付できる
というプラグインがあればケータイ一つでバシバシ長文の音声レポートをアップすることができる。
「そういうのがあったらいいなあ」
思っているのは僕だけではないだろう。
なので近年中にそうした機能は付加されるだろうと思う。
投稿者 TKM : 00:24 | コメント (0) | トラックバック
ホワイトボード

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ニューアイテム

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moblogのテストです

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2005年06月22日
キャンドルナイトと世界で一番ギネスが注ぎやすいグラス
マスダさんのブログで知った
「キャンドルナイト」。
今日が最終日ということで我が家もやってみました。
■キャンドルナイト
http://www.candle-night.org/2005summer/whats/message.html
うちのキャンドルナイトはこんな感じでした。

上記、右上はやまけんにもらったギネスのセット。
このグラス、350mのギネス缶にあわせてつくられているのでの世界で最も注ぎ心地がよい。
この曲線は神の産物だ。
ローソクの炎はゆらゆらとおぼろに机を照らしてる。
ローソクの明かりでPCに向かうのは生まれて初めてかもしれない。
ほとんどが人工物のこの部屋でローソクの炎は自然界の産物なんだな、と妙に感慨深い。
そしてやまけんグラスありがとう。
追伸:上記のローソクの他に赤いローソクもつけてみたんだけれど、ローソクを吹き消す時に勢いが在りすぎたみたいで。 机周辺に赤いロウが飛び散ってエライことになりました。吹き消す時は優しくやった方がいいようです。
投稿者 TKM : 00:37 | コメント (4) | トラックバック
2005年06月21日
ジャストシステムがMixiをつかったプロモーション
なんとATOKがMixiのコミュニティを使ったプロモーションをおこなっている。
これまでおこなわれてこなかったのが不思議ではあるがごくごく自然な浸透力である。
ジャストシステムのホームページで告知されるのとは印象が全く違う。
極めてユーザよりだ。この心理的な距離感の差異は想像以上に大きい。
僕もあきれるくらいあっさりとATOK2005の体験版をインストールし、いま使っている。
企業のサイトは気づかぬうちにユーザとの間に大きな壁をつくってしまっていたようだ。
■ URL
mixiですいすい入力体験!(mixiコミュニティ)
http://mixi.jp/view_community.pl?id=206562
投稿者 TKM : 19:32 | コメント (0) | トラックバック
人をみるときのポイント
自分の場合は、
- 気づかい
- 清潔感
- ハート
- ユーモア
- 素直さ
- オープンさ
ネガティブチェックの場合は
- 匂い
- ノリ
- 音
- せこさの気配
に対する直感。
投稿者 TKM : 01:19 | コメント (2) | トラックバック
2005年06月20日
タンゴの夜
先週の金曜日、6月17日は思いがけず「ギターレジェンド」こと「 フアンホ・ドミンゲス」のコンサートにいくことになった。
全く予備知識なしだったのだが素晴らしいステージであった。
会場は草月ホール。中規模のホールは音楽を楽しむには丁度良い大きさだ。
国際フォーラムなどの巨大なホールだと音楽をききにいっているというよりも映画をみているような気分になりがちだ。
二部構成で前半はアルゼンチンの曲が中心。
後半はピアソラやクラシックなど。
と構成の紹介があった。
前半の曲はほとんどがはじめて聴く曲だった。わりと明るい曲が多い。
アルゼンチンな雰囲気とはこのようなものなのだろうな、と思いつつ聞き入る。 素人目にもギターを演奏する指の動きが尋常ではなく神秘的であることがわかる。よくもあのように指が動かせるものだ。演奏中、 演奏者の3人が時折微笑みあうのが印象的だった。
なごやかな雰囲気で前半を終了。
ロビーで友人の女の子と前半のステージについての感想を話していると
「お茶のペットボトルが消えました…」
と不思議な出来事があった。確かにさっきまであったのに不思議だ。
しばらくして、「まもなく、後半のステージがはじまります」とのアナウンスがあった。
席にもどって演奏開始を待つ。前半はドミンゲスと二人のギタリストの3人だったが後半はドミンゲスの独奏からはじまる。 先ほどとは雰囲気が変わったのがわかる。
「入っている」
状態である。
緊張とリラックスが共存している。
後半二曲目の「ADIOS NONINO」はピアソラがニューヨーク滞在中に父の訃報を受けて、亡き父に捧げた曲だ。 この曲を境に会場の雰囲気が変わった。圧倒的なパワーが押し寄せてくる。
この音は声なき声だ。
ギターの音は音でしかないのにその音を通じて感情や風景や時間の感覚が脳内に広がりドライブしていく。
音楽の持つ力なのだろうか。
聴くという感覚ではなく観る、話す、ドラマ世界に没入する、などの感覚が同時に呼び起こされる。
それが一本のギターからつくりだされている。
自分はイスに座って曲を聴いているけれど頭の中は遠く世界をグルグルと回っているかのようで感覚が限りなく広がっていく。
あっという間に数十分が過ぎていく。気が付くとステージは終わり、会場は拍手に包まれていた。
アンコールの二曲はうってかわって陽気なリズムだ。
会場全体を引き込んでいく。
穏やかな優しさとおおらかさを感じさせる。
ギターだけ。
それだけでこのように重厚な構成のステージをつくりあげるてしまうのは熟成のなせる技なのだろう。
密度の濃いステージであった。
帰り道は満たされた感覚だ。
こうなると気分的には飲まずにはいられない。
いきつけの渋谷のアイリッシュパブでドミンゲスのギターの音色の余韻にひたりつつ飲んだビールは素晴らしく旨かった。
■フアンホ・ドミンゲス
投稿者 TKM : 13:23 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月18日
素晴らしい夢 ~タドダイブ~
久々に夢の中で爆笑した。
タドたちと海をおよいでいる。これから大学の飲みパーティの準備をしなければならない。海にはいろいろな漂流物がある。
それらをおしのけて岸まで泳ぐ。船から滑ったみたいで一生懸命泳いでいる。
岸にあがると準備タケザワであった。
これから宴のスタートだ。牢獄のような部屋に入って見張りがいなくなった隙に糸鋸で檻を切る、 みたいなことをタドとやっていると突然檻が倒れてオープン状態になる。
「おっとオッケーじゃないですか」
「そうですねー」
といって外にでる。タケクマ先生がキムチ講座をやっている。
「キムチっときましょうか」
「そうですねー」
とこれに参加。L字型をした袋に入ったナスとキムチをあえていくと段々とプラスチックが固定され、四角い透明の箱ができていく。 そこに内側から蓋をはめる。ここいらが4次元的パズルになっており物理法則を無視した軌道を描きながら四角い箱に蓋がされていく。
できあがると内側に春菊などの野菜が満たされる。
「完成しましたね」
「そうですねー、いっちゃいますかー」
「おっとまさか!?」
顔をバカ殿風にメイクしたタドが手前の小川に向かって走っていく。やましんが
「タドちゃんあれやな、最近、芸風一緒やな」
という。小川の直前で仰向けになって滑っていき皆が「アー!」といっているとそのまま滑り込みながら川にダイブ。 バサロスタートっぽく向こう岸にあがってきて、ポーズを決めていた。
素晴らしい。
思わず爆笑である。
これをやれる人はそう多くない。
後ろを歩いていたSFCの同期の女性二人が
「しってる?さっき、タドちゃんすごかったよねー、あれ面白かったー」
とタドダイブについて感想を述べていた。
投稿者 TKM : 10:24 | コメント (2) | トラックバック
素晴らしかったコンサート
急遽、フアンホ・ドミンゲスのコンサートに昨夜いってきたのだがいやー、素晴らしかった。
音楽の持つパワーは凄まじい。
昨夜のピナ・バウシュもよかった。
詳細は後日。
レポートを待たれよ!
投稿者 TKM : 05:25 | コメント (0) | トラックバック
2005年06月17日
わかる、わかりあう・勇気
■勝てば官軍?
http://www.yuichiro-itakura.com/archives/2005/06/17-1055.html
愛読している板倉雄一郎事務所の上記のエントリーの最後 「追伸」の部分でコミュニケーションについて触れられている。
人と人が心からわかり合えたら、ハッピーですよね。
その人との「関係」が壊れることへのリスクを思うあまり、自分を繕ったり、相手の本当の姿を見ようとしなかったりします。
よって、関係に拘らず、互いに誠意を持ってコミュニケーションを行おうとした時、初めて相互に理解が深まるのではないでしょうか?
悲しいかな、多くの場合、互いの関係をあきらめた時、相互理解が深まる条件が満たされます。
「わかりあえる」という言い方はナイーブな響きのある言葉だけれど「わかりあう感覚」(それは自分の思いこみかもしれないけれど) に鈍感になりたくない。
ケンカや行き違い、感情のぶつけ合い。それらを経て理解が深まっていく関係もある。しかし、 はなからオープンに話せる関係もときどきある。慣れていないだけなんだろうな、とも思う。
アクシデントがあったりするとそこで互いの理解が急に深まったりする。
昨日、プールで泳いでいたら50歳くらいのオバサンと正面衝突した。大丈夫ですか、と声をかけプールサイドまで一緒にいった。
監視員の女の子はオロオロするばかりで対応ができないようだったので、ベンチで状態をきいたり、少し話をした。
こういう時に大切なのは症状がどうこうということではない。
ショックに対するケアが重要なのだ。
というわけでアクシデントをきっかけにオバサンと仲良くなってしまった。
上品な話し方をする綺麗な方であった。
いろいろと話をきくとよくこのプールには来るのだといっていた。
今日は水泳のスクールがあったのだけれどさっきいったらもう定員が一杯だったのでゆっくりと一人で泳いでいたそうだ。
緊急事態という場面だと人と人の距離は急に近くなる。
緊急事態は人のコミュニケーションのチャンネルを開く効果を持っている。
切迫した状態だと普段閉じているコミュニケーションのチャンネルが開きやすくなる。
こうした事例は日常生活のあちこちにある。
「その人との「関係」が壊れることへのリスク」
これが鍵だと思う。
これから赤坂でタンゴのコンサートなのでとりあえず、ここまで。
戻ってから引き続き考察したい。
投稿者 TKM : 18:10 | コメント (0) | トラックバック
強烈酒場 魚三
このところ月に一度はいっている門仲の魚三だが「フェルディナントのデジタル絵日記」でもとりあげられていたので紹介しておきたい。
■魚三の巻
http://www.sbpnet.jp/bisista/ferdi/art.asp?newsid=2691
上記の写真でもわかるが店内のつくりは月島の岸田屋に近い。 10年前はタドとよく岸田屋にいったのだがあまりにも通い過ぎた為飽きてしまい、ここ6~7年はほとんどいくことがなかった。
さて魚三だが、今年になって打合せの後にトクイさんに連れて行ってもらったのがデビュー戦である。 存在は知っていたのだがやたらと混んでいるイメージがあったので敬遠していた。
自分は「並ぶ」のが何よりも嫌いなのである。食べ物でも映画でもなんでも「並ぶ」 という行為ほどこの世界で無駄なものはないと思っている。
例えば月末のATMの前の行列など「無駄の極地」である。 あの人々は何故にあそこにならぶのであろう。ATMは現金を引き出す以外の用途には向いていない。 振り込みなどの作業はPCやケータイでおこなったほうが場所や時間の制約を受けないので遙かに効率的だ。
振り込み先の銀行毎にATMを変えることで数百円の手数料を節約することはできるかもしれないがその為に費やさなければならない時間や移動コストを比較すればATMの使用を目的として並ぶことがいかに非効率的なことかわかる。
いずれあのようなものはなくなる、と僕は思うのだが。
話が魚三からそれた。
上記の写真でも紹介されているがこの店の一番の売りは
「ウニ」
である。この値段は強烈だ。箱ごとドンと出されて700円位。 ちょっと洒落た店ならば同量で2000~3000円だろう。 東京という都市内部でこれほどまでに価格差がある商品も珍しいのではないだろうか。
安さという観点だと月島の魚仁の安さも別格だが。
魚仁と魚三の最大の違いは魚をはじめとした各料理のクオリティである。
魚仁も悪くないがあれは学園祭やお祭の屋台のレベル。
魚三だと「店」レベルになり、刺身でも焼き物でもきちんとした「料理」として客に提供される。
このレベル差は想像以上に大きい。
しかし魚三には最大の欠点がある。
注文の順番についてイチャモンをつけることで有名な「うるさいおばさん」の存在である。
常に行列しているほどの繁盛点なので客に対する扱いは尋常ではなくぞんざいである。
観察したところやたらとしきりっぷりが偉そうなおばさんがいて、このおばさんをどうあしらうかで滞在中の快適度合いが決まってくるようだ。
この「おばさん問題」は勝どきの「まんぷく苑」にも通じる。
が、まんぷく苑のおばさんの場合は常に愛想が最悪である。
あしらいは不可能である。まんぷく苑は有名な店だけれど勝どきでは最も行きたくない店のひとつである。
食べ物を扱う客商売の店なのにぞんざいな対応をする店というのはこの世界から消えるべき存在だと僕は思っている。
しかし、これは店だけの問題ではない。
そういう店にいってこびを売る客がいるからサービスが低下していく。
良い映画をつくるには良質な観客が必須なのと同様、良い店をつくるのは良質な客なのである。
とはいえ魚三はそこまでひどくはない。ダイニング系の店のような妙に徹底したサービスを期待すると裏切られるというだけで、 5分くらいの待ち時間で入店し、店側のホスピタリティを期待せず仲間との楽しいトークに集中する、 という態度でのぞめばこの店ほど海鮮パラダイスな場所はない。
都内でNo.1の熱い飲みスポットであるといってもよい。
というわけで今後も魚三を攻めていきたいと思う今朝であった。
投稿者 TKM : 10:51 | コメント (7) | トラックバック
2005年06月16日
ウキウキ社長
僕のGoogleアラートは「ブログ」と設定してある。
毎日、Googleが「ブログ」というキーワードにヒットした記事をサマライズして送ってくれる。
今朝の記事は「社長
ブログはIT企業だけのものじゃない!」であった。
読み進めていくと「フットマーク株式会社」の社長が書いている「3代目 『足跡屋自在衛門』 万屋いそやんの日記」についての記事であった。
「まてよ、このフットマークって会社どっかで?」
そうこの会社名には聞き覚えがあった。どこかで…。10秒ほど考えて思い出した。
「この会社の社長って、あれじゃん、直子さんの友達のウキウキ社長じゃん!」
そうなのだ。フットマーク株式会社はなんと小中学校の水泳帽子市場の過半数を独占している超優良企業なのである。 ブログをみるとやはりそうであった。社長の磯部氏は直子さんと仲良しのあの人であった。僕も一度お会いしたことがある。 (ウキウキ社長の由来だが直子さんがフットマークの開発した「浮く水着」を試しにいったさい、社長と意気投合し、以後、 ウキウキ社長というネーミングになったそうである)
息子さんとも直子さん主催のBBQで一緒だった。また、その日もけっこう飲んだ。
話をフットマークに戻そう。
磯部社長の話で興味深かったのは水泳帽という限定的な市場に対する商品提供を足がかりに様々な商品開発を行っていくプロセスであった。
ともかくイノベーティブなのだ。
「消費者に対する価値提供」
という軸があってそれからブレたことはしない、という信念を感じた。 社員の方々のお話もきいたのだが会場にいらしていた社員の人たちの雰囲気が磯部氏のテイストとどこかしらリンクしている印象を受けた。
「よく、こういう感じの人が集まったものだなあ」
と感心した。どの人も悪意や敵意といった感情とは無縁で仕事・生活をしているように見えた。ありがちな言い方だけれど
「いい人」
だなあと思った。
フットマークという会社はウキウキ社長(磯部氏)のクラスターなのだ。
先日、うちのモロイキャプテンのエントリーにもあったが人と人のつながりとは
そう考えてみると、やはり一つ一つの出会いは偶然ではなく必然だ、と思う。
結局私の興味のあること・・・例えば『酒』『旨いもの、料理』『サッカー』『音楽』『芸術』『
