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2005年08月21日

深夜に6元中継 このエントリーを含むはてなブックマーク

午後から銀座周辺を自転車でまわる。
皇居の周辺の芝生には多数のホームレースが横たわっている。
皇居といえばある意味、国の顔みたいなものだと思うのだがその周りにはホームレスの群れが集っている。

彼らの周囲50mくらいが黒いオーラで覆われているように見える。
中には獣の目つきをした中年以上のホームレスもいる。
上半身は裸だ。
日焼けした身体は獣のオーラを放っている。

その近くに外国人のカップルが寝そべり、互いにもたれ合いながら本を読んでいる。
これもいつも不思議に思うことなのだけれど日本の公演の芝生に横になっている外国人(白人系) カップルを観察してみると二人で本を読んでいる光景をしばしば目にする。もたれ合って別々の本を読んでいる。 こうした読書スタイルは彼らに特有の文化か何かなのだろうか。

ホームレスの人々の多くは紙袋と傘を持っている。
家がないという状況でこの二つのアイテムは必須なのだろうか。

家のない生活を僕も1週間ほどやったことがある。
僕の場合は保管庫があったので彼らとは状況が違う。

公園が黒い点に浸食されていくようだった。
三島由紀夫の「果たし得ていない約束」 を読んだ後だったせいかいつもと違った光景に見えた。

だからといって自分が悲観的なるのもヘンなのだが憂いや憂鬱とは異なる閉塞感を感じないわけにはいかなかった。

漠然と思ったがホームレスの問題は相当でかい。
これは日本のブロークンウィンドウセオリーである。
この問題を解決できれば苦々しい閉塞感も消えていくのではないだろうか。

僕は彼らひとりひとりの人間性を否定しないけれどあの光景が未来永劫に続いてよいわけはない。

公園をぬけて有楽町の駅周辺につくと人々がゆきかっていた。
献血を呼びかけるハンドスピーカーの声が騒々しい。

この人々と自分の人生が交差することはないのだろう。それでも人は生きていてこうしてすれ違い、同じ時を過ごしている。

献血を呼びかける声は騒音のようで通りを歩くだれも彼に見向きもしない。

献血というシステム自体に大きな問題があるのではないか。
と僕は思う。

個人の善意あるいは気まぐれにだけ依存した予備血液管理には歪みがある。
風邪薬だって薬屋で買ったら1000円はするだろうに。
献血の履歴と個人をリンクさせ、それを何らかの形で個人に還元するシステムにしなければ破綻するのではないだろうか。

日比谷公園ではコンサートが行われているようで芝生に爆音が響いていた。
スピーカーから響いてくる音はホールできけば違和感を感じないのだろうけれど芝生の緑とはなじんでいなかった。

そうだ本題について書くのを忘れていた。
昨夜は沖縄・東京・福島をSkypeとMSNメッセンジャーで結んで6者通話を試みた。
東京と沖縄の僕たちはお酒を飲みながらSkypeを通じて飲み会をやっていた。
キッペイはかなりハイピッチで飲んでいたみたいで楽しそうだった。
バーボンソーダをメインにやっていたようだがボトル半分ほど空けたよー、といっていたので2時間ほどみんなでワイワイ楽しんでお開きにした。

スピーカーの向こうからは太のギターの音が聞こえていた。

そうそう、今夜はハヤシライスをつくった。
ご飯もいい感じに炊けたみたいなのでこれからトレーニングにいって戻ってきたら昨夜の橋本追悼番組を観戦することにしようと思う。

投稿者 TKM : 2005年08月21日 19:09

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