2005年09月11日
秋刀魚の会、あと選挙とか人とかについて雑感 
恒例の秋刀魚の会は今年も盛況のうちに終了した。
もともとはオレとユカちゃんとクボ君の3人の海飲みの会だったのだが、年々、規模が拡大し、七輪投入後は「秋刀魚の会」
としてメディアファームの恒例行事になった。
今年は助っ人でアキラ夫妻が初参戦し、料理に腕をふるってくれた。
クロダ君のおみやげの豚肉が素晴らしく、どの料理も最高の出来であった。
正直なところ、豚肉の料理を食べてこんなにおいしいと思ったことはない。
海、そして最高の天気、仲間達、と素晴らしい会であった。
さて、今日は選挙の投票日である。
我が中央区での立候補者は3人。どの人もパッとしない。いや、本人に会ったことがないので印象でしかないのだが「この人を応援したい」
と思わせる候補は皆無だ。層が薄いというか、
この人が政治家になったらいろいろな場面で活躍し、心にジーンと効いてくるようなビジョンを実現するだろうな、と思える人がいない。そういうビジョンを提示できる人間が政治という場面で最大限にその能力を発揮するのが本来あるべきかたちだと思うのだがこの国の政治・選挙システムは構造的にそれが成り立ちにくいようにチューニングされているように見える。
盛り上がりもなければ魅力もない選挙である。
ここ月島ではもんじゃよりも盛り上がっていない。
メディアが煽る論点も争点もココではリアリティがない。
候補者が自分の名前をがなっているだけである。
毎度思うが、彼らのがなりは生活者にとって迷惑でしかない。
政治的な問題と直接の接点がないがゆえに政治について考える機会も減っていく。自分が共鳴できる政治思想や候補がいなかった場合は別な指標で投票を可能にするシステムがあったら「自分だったらどう選ぶんだろう」と政治について考える機会も増すのではないだろうか。
通常の投票の評価基準とは別に、投票対象を政党以外の集団にするでも、フラットに全候補者投票でも、形は何でもイイ、兎に角、自分がよしと思える活動なり思想に対して何かしらのアクションをこちらの自由意志でおこなえるチャンネルが別で用意されているほうが健全だと思う。
口先だけは綺麗事という人もいる。政治の話ではないよ。やたら思想的な健全さや善行っぽさを口にするけれど、言葉と行動があっていない。それって単に偏屈なだけなんじゃないの?
もしかして、この人って…、使えない人??、と思ってしまう時もある。
綺麗な言葉や感謝をならべるんだけれど、行動は真逆で過度に利己的であったりする。
結局のところこの人たちって「気持ち」で動くということはないのだろうな、と思う。だから友達にはなれないのだろう。
大体の場合、最後は保身の姿勢が前面にでてくる。おなじみの「○○だからしょうがないんですよ」という言い訳じみた回答が用意されている。
そういうのはだいたい気配でわかるもので「あーまた、こうだろうなー」となんとなくわかる。前ほどではないけれどこっちはだいたいオープンでやっているから「やっぱこの人もそうなんだなあ」と感じると急にガクっと残念さと悔しさと哀しさが入り交じった感情に包まれる。こういう感覚はパワーがあるので怒りとか恨み辛みに転化しないようにコントロールしないととんでもないことになるから注意が必要だ。昔、飲みにいったときに竹中さんが「合理的な人は合理的に消えていくもんだよ」といってたけれどそれも事実なのだろう。人っていろいろである。
学生時代からずっと思っていたことでもあるんだけれど何故ひとは守ろうとするのだろう。怒ったり、何かしら感情がマイナス側に振れる時はだいたいの場合「守り」の意志と関連している。こうあって欲しい、が裏切られるときに人の感情は動く。
投稿者 TKM : 2005年09月11日 12:58
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コメント
この部分↓
>こうあって欲しい、が裏切られるときに人の感情は動く。
自戒の念も含めて激しく同意。ちょいと刺さった感じ。
投稿者 竹 : 2005年09月11日 16:20

