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2005年10月31日

磨のオススメ

プーマ (PUMA) 長袖クルーネックシャツ P23045 [分類:インナーシャツ]

上記、オススメだそうです。

投稿者 TKM : 23:59 | コメント (1) | トラックバック

研究チーム

チームでの仕事が好きだ。
大学時代は5割くらいの授業で「グループワーク」と呼ばれる3~5人くらいのチームでおこなうプロジェクトがあり、毎週、 何らかのグループワークをやっていた。

政治学ではディベート、コンピュータアートでは企画や作品の製作、英語の授業でもディベートやレポートの作成等。 僕が履修した授業でグループワークの頻度が最も多かったのはコンピュータアートと政治学だったと思う。

グループワークではたいていリーダーを務めた。
この傾向は小学生の頃から変わらない。少人数、特に10人以下のチームで動く時のチームリーダーというポジションが好きだ。

表題の「研究チーム」だが愛読している「丸山茂雄の音楽予報」 にこんな記事があった。

で、会話が余りに楽しかったので、次の予定をキャンセルしてもらって、皆さんを沖縄のあちこちに引っぱりまわしました。

公設市場でビールを飲み、 新都心を見学し、砂辺のカフェビールを飲み、 りんけん さんのところで、ライブを見ながらビールを飲み、 松山に出て再び沖縄料理泡盛を楽しみながら、 私の 『mF247話』 に無理矢理付き合ってもらったのです。

この研究チームが、私の話に付き合ってくれたのは、 実はチームの全員が若い頃バンドをやっていたからだとわかりました。

この一文を読んだ瞬間にピンと来た。

 「研究チーム」

自分がやりたいのはこれだ、と思った。
もちろんテーマは決まっている。

量子コンピュータとは何か 量子のからみあう宇宙 創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク 

 

投稿者 TKM : 13:23 | コメント (0) | トラックバック

またしてもやまけんと偶然の出会い

自転車で中央通りを7丁目に向かっていると暗がりから聞き慣れた声が聞こえた。声の主は電話で話しているようだった。あれ、この声…。 と思ってそちらに目をやると、またしても偶然の遭遇。

「あぁぁー!やまけん!!!」

「あっ、あぁぁあぁぁぁーーーーー、オイ、カガヤァァァーーー!!!!!」

二人とも何が面白いわけでもないのだが大笑いしてしまった。
待ち合わせなどしないのだがとにかくやまけんと僕とはよく会うのである。

毎度ながらあのタイミングは不思議である。

こうした偶然の出会いはシンクロニシティ と呼ばれているのだが僕は下記の呼び名を提案したい。

「リアルインターネット感覚」

これは清田君と話をしてくれたときに彼がいった言葉で「いい言葉だなあ」と思って以来、よく使わせてもらっている。

 

投稿者 TKM : 06:14 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月30日

はてなで質問してみた

はじめて「はてな」 の質問機能を使ってみたのだが思ったよりも利用手順が複雑で難しい。
実際に使ってみないとサービスの本質はわからないものです。

でも、これで的確な答えが提示されるならば潜在的なパワーは凄まじいですね。

ちなみに僕がした質問は下記です。

 Q.下記の画像が何かわかるかたがいたら教えてもらえますか?物理・科学系の画像らしいのですが。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200510/30/07/a0024307_0153181.jpg

しかし、オレもはじめてみる図なんですけれど。
こんなのわかる人がホントにいるんだろうか?

話は飛びますが先日あるテストをしてもらいました。

博士:「森の中で出会った最初の動物はなんですか?」

カガヤ:「んー、ユニコーン」

博士:「………。。。」

投稿者 TKM : 01:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月29日

中学生のブログ

カワムラさんのはじめたサイトで知ったのだが中学生もブログをやっているのだ。
当たり前といえば当たり前なんだろうけれど中学生のブログの文章ってはじめて読んだかもしれない。

そしてここからが本題なのだがこれがメチャクチャに面白いのである。僕が気に入ったのは下記。

カフェオレ、 ミルク抜きで


一応20日分」 というエントリーは思わず引き込まれてしまった。
何が違うんだろうなとちょっと考えてみた。

まず、出来事が面白い。そして自分らが面白いと思ったことを書いているというのが一番大きいように感じた。 彼らのコンテクストで政治でもコンテンツでもなんでもいい、 感じたままにつづられたテキストにいままで知らなかったコンテクストがあるから僕にとっては面白いコンテンツとして感じられるのだろう。

それにしても豊かな表現力だな、と思った。書くというよりも話すのに近い印象を受ける。
これってメールの影響ではないだろうか。自分が中学生の頃にこんな風に書く人っていなかったような。

投稿者 TKM : 13:26 | コメント (0) | トラックバック

プレゼンテーションの日米差にみるコンテンツ性

■古川 享 ブログ
プレゼンテーション、米国と日本の違い

コンテンツ(プレゼン資料)の中に含まれるコンテキスト(伝えたいメッセージの本質)をどのように自分で構築し、 それを相手のハートに届くように理論立てて伝えていけるかどうかは、 一般のプレゼンスキル以外にも適用できる幅広いノウハウなのだと思います。

この通りだと思います。 セミナーなどでもプレゼンの上手な方は資料の作り方がうまいのではなくコンテクストの構築に「自分のスタイル」があるように思います。

この間、中央大学で「プレゼンテーション」という授業をやったのですが実習では

「私たちは日本の大学の調査にきています。 あなた達のキャンパスであなたの一番好きな場所とその理由を教えて下さい。使うものは画用紙とサインペン。 好きな場所の絵を描いてその場所に名前をつけてみてください」

という課題をやってみました。

結果は学生達がそれぞれ思いもよらない表現でキャンパスを紹介してくれました。どうやら 「楽しむ」という視点があると想像力や表現はぐーんと加速されるようです。

 

投稿者 TKM : 13:11 | コメント (0) | トラックバック

チャーリーとチョコレート工場

明日から東銀座の東劇に劇場変更なのでその前に企画頭への切り替えもかねて観てきました。

g_1024[1]

ウンバ・ルンバ

最高です。 こんなイカしたキャラに出会ったのははじめてじゃないかな。
ティム・バートンの作品ではダントツにNo.1ですね。先日みた「コープスブライド」 の完成度も凄まじかったですがさすがにその原資を稼ぎ出した「チャーリーとチョコレート工場」 は伊達ではなかった!!!

ティム・バートンは天才だと思いました。
ウンバ・ルンバのあの歌はスゴイ。
映画を観て人形(フィギュア)が欲しくなるなんて初めてダ!

企画書ができたら続き書きます。
取り急ぎ 。

Charlie & The Chocolate Factory - Head Knocker: Oompa Loompa 

↑これ絶対欲しい!

投稿者 TKM : 02:43 | コメント (1) | トラックバック

2005年10月28日

Skypecast(スカイプキャスト)実践講座

アソブラボで新たな試みとしてSkype(超高性能無料IP電話ソフト) を使ったポッドキャスティングコンテンツの作り方を実践中です。とうとうSkypeでの通話が録音できるようになりました。早速、 カネコと収録をやってみたいのですが

 

これは…

 

かなり…

 

「使えます」

 

Skypeを使った録音の利点は

・場所の拘束がない
・移動時間が要らない
・毎日のちょっと空いた時間でコンテンツが作成できる
・ネット上の情報をお互いに共有しながら話ができる

などがあげられます。
アソブラボではこれらの利点を更に発展させ、これまでとは違ったコンテンツ製作環境を研究していきます。

「訊く」

次回はの重要性について解説していきます。

投稿者 TKM : 18:01 | コメント (0) | トラックバック

ハッスル・ハウス参戦! その1

CA310114

プライドのレポートがまだなのだがまずは今日の成果。

今日は先日ご一緒させていただいた宗家の応援に「ハッスル・ハウス」に参戦してきたのである。

いやー、スゴかった。
いつの間にハッスルはあんな盛り上がりになっていたのだろう。 前に別件でやまけんらと横浜アリーナにいったときから比べてかなりの進歩である。

構成やら見せ方。
独自の完成度である。

冒頭、インリンが登場するのだが彼女のキャラづけとみせかたもうまい。吉本の喜劇とドリフとプロレスの合体といったところだろうか。

しかも観客の参加性が高い。
かなり参考になった。

そして、宗家の登場もうまかった。
演出がイキであった。

写真右が登場シーン。
ライトのせいでシルエットしか確認できないのだがかなりの見せ場であったことは確かだ。

ケンゾーと奥さんがパフォーマンスを終えた直後である。高らかに鳴り響く笑い声が頭上から鳴り響いた。場内が騒然となった。

その直後、二階席に宗家が登場。
おもいっきり狂言モードであったがこれがズバリとキマッタ。プロレスラーは滑舌が悪かったりするんだけれど、さすがにプロは違う。

言葉と声で会場のプロレスファンを釘付けにしていた。

11月3日も応援いきます!

 CA310125

上記写真は小川直也氏。
またしても至近距離であった。

投稿者 TKM : 02:50 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月26日

Google高騰

ここにきて狂ったようにGoogleが高騰している。
面白い限りである。

投稿者 TKM : 17:57 | コメント (0) | トラックバック

宗家ガチで出陣

先日、ご一緒させていただいた時に公開練習についても話をきいていたのだが、

「ガチ」

だったようである。
結構いい写真になっているので驚いた。
ガンバレ宗家!

応援にいきます。

元彌出陣! (サンスポ)

投稿者 TKM : 10:59 | コメント (2) | トラックバック

漁業システムと寿司と建築メール

「これから船つくんですよ」

眠っていたらそういわれた。
磨の家は港近くにある。
いや港に住んでいるといってもよいだろう。
20畳ほどの畳の部屋である。

ダイと奥さんと連れだって漁業システムの見学にいくのだといって出かけてしまった。僕は眠ったまま、 遠慮無く彼らの目を盗ませてもらい、最新の漁業システムを見学する。

魚群は海からラッピングされた棒状になって水揚げされていた。 10mくらいの大きさのマグロがとれたようでその場でマグロ解体を得意とするチーム5人がザンテツ剣を使って解体していく。所要時間は5分。

5分でお寿司をつくれる状態にまで解体されていった。
見事である。というよりも彼らの跳躍や太刀さばきは別な生物の行動様式と認識すべきであろう。それほどに浮世離れした動きであった。 アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」のラストシーンを思った。

解体が完了し、船がこちらに戻ってくる。

「半端じゃなく海でしたよ」

磨の言葉であった。
家の隣の階段を下りると「マツリ」という居酒屋がある。地下と地上の中間地点にあり、そこは格安で楽しめる。しかし、 今日は日曜日で人影はまばらである。時間は午後5時近くだ。

外にでると電通テックのチームが撮影をしている。3・3・5システムによって建築されたビルをリズムで調整するのだそうである。 信号が青にかわったので一緒に横断歩道を渡った。見上げると黄金町のような風景がみえた。僕も撮影しておくことにした。 かがんで下から見上げるように撮影するとビルの高さが変化してくのがわかった。 存在感をエベレスト並に大きくしたビルが映画な雰囲気でうつりこんでいた。

それからまわれ右をして彼らは磨ハウスの方へと行列をはじめた。一歩進んで左に回転し、手を掲げ、3・3・5のリズムでダンスをする。 真似ようとするのだがうまくいかない。とりあえず一緒に歩いた。

家までいくとケータイが鳴った。出ると

「ダンジョウです。飲みいきましょうよ。」

と言われた。

「ん?ダンジョウ?だれだっけ?ちょっとまって顔と名前を一致させるから。 エーとあれか、思い出した。お堀で建築やってるボウダ君」

「そうです!いきましょうヨ」

「いいけどあれだよ、今日は日曜だから魚はやってないよ」

「そうですね。では「水曜どうでしょう?」?」

「オーケーイ」

そう答えて電話を切った。
さていかがなものか。

道路脇の公衆電話で100円を入れ「ノチさん」に電話をかける。
高速道路の高架下にその電話は設置してある。

電話すると電信柱に関するプロジェクトをたちあげたのでどうか、ときかれた。ちょうどその話の途中で電波が途切れたようである。 最近の公衆電話は設置が簡易化され有線ではなく無線なのである。

家に戻る途中で外国人二人とすれ違う。大柄の男性、バター・ビーンに似ている、が英語でなにやら騒いでいる。 どうやら地下鉄の駅に入ろうとしたら入り口が閉まっていて、彼はなんとなく今日はそこが閉まっているのではないかと思ったのだが、 やっぱり閉まっていた、ということに憤慨している様子であった。

「imagined, never open it.」

と3回繰り返していた。
残念だったなバター・ビーン。通りすがりの人が

「スコティッシュはそういう話し方をするものだよ」

と教えてくれた。
そんなものなのか。
家に戻るとノチさんからメールがきていた。メールの冒頭にアンケートフォームがついていて、 それを実行しないと本文が読めない仕組みになっていた。新手のメールビジネスである。

通りに面した韓国料理店で

「寿司をやりたいのだけれど」

と相談を受ける。寿司っていわれてもなあ。通りには車が行き交っている。道路の端に立体化されたつなぎが放置されている。 パッと見は人が寝ころがっているようにもみえる。あまりにもリアルなので一瞬ドキっとした。

16歳くらいの少年が往来をいったりきたりしている。市場で働く少年である。彼はおもむろに歩道に寝転がって眠りはじめた。 眠り方にも人それぞれスタイルがある。彼の場合はそれがスタイルとして定着しているのか街の人々はさもありなんという表情である。

トイレに行こうと思って家に入り、地下への階段を降りていこうとしたら小室哲哉が階段のところに自転車をとめるところであった。 その隣に自転車をとめると階段がふさがれてしまうのでちょっとズラしてあげると

「ありがとう」

と言われた。

「いえいえ」

そういって地下に降りていくと某知人宅を10倍ほど拡張した日本家屋であった。トイレにいくはずが離れの隠居部屋の方に出てしまい、 困った。襖をあけてまわってようやくお風呂場の近くに出た。さきほどの少年が

「これから入浴するんです」

といって襖の向こうに消えていった。さてトイレはどこだろう。探していたらMさんがタオルを持って少年に渡していた。 確かトイレはその隣だった。

あたりに湯気がふわふわしている。

さて今日も寿司日和である。

投稿者 TKM : 10:53 | コメント (0) | トラックバック

かなり重要なこと2

あることについて。

量子論・ネットワーク理論とも矛盾していない。

宇宙論とも親和性が高い。

言語理論とリンクしている。

シンプルで誰でもできる。

ただし物理的精神的に「楽」ではない。

しかしコンテクスト依存で「快」である。

投稿者 TKM : 04:24 | コメント (0) | トラックバック

プランナーな一日

打合せとミーティングと会合が予定なしに連続していく一日であった。
プランナー稼業をはじめるといつもこのような日常になる。

不思議である。

今日の最終会合は磨の同級生のサナカ氏であった。
かなり話し込んでしまった。
これは合宿したほうがよいな。

今週になってパラレルに案件が動き出して「俄マインド」にドライブがかかってきた。
良い感じである。

そうそう、昼前にランニングしながらはじめてポッドキャストで面白いと思うトークコンテンツを視聴した。

下記、視聴前の方はオススメです。「この人」 も俄マインドだな、と思った。

村上隆x堀江貴文対談 (ポッドキャスト)

若干ツッコミを入れると量子論の話がでてこなかったのが残念。
キュービタル思考について議論もしくはレクチャーさせてもらいたい。

投稿者 TKM : 04:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月25日

久しぶりに西垣通 「コンテンツとの関係」におけるクリエイティブ

西垣通オタク肯定論を排す」 についてのエントリー

ネット以前は論考などよく参考にしたし、著作も熟読していたのだがネットが一般化して以降は「西垣通」 という名前を目にするのは久しぶりだった。

上記エントリーにある

「・・世間で通用している支配的な価値観や流行に惑わされることなく、自分の好きな世界にのめり込む。 損を承知でマイナーな世界に没頭する純粋さこそ、オタクの愛すべき持ち味です。ところが、 オタクが肯定的な意味を持ち始めたことによって、その位置づけがすっかり変わってしまった。」

という部分は要チェックだ。

直接創作にかかわっていなくても「コンテンツとの関係」におけるクリエイティブの発揮は十分ありうる。 どのようにコンテンツと接するか、そこに個人と世界との関係性があらわれる。積極的な関係性は自己と世界の開拓であり、 それが娯楽的であるかどうかは個人の嗜好による。オタク的なコンテンツの楽しみは必ずしも万人にとってのエンターテイメントではない。 時にそれは苦行的ですらある。

下記は西垣氏の著作で僕が好きだった一冊。

ペシミスティック・サイボーグ―普遍言語機械への欲望

投稿者 TKM : 00:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月23日

本日のPRIDE参戦してきます

本日のPRIDEですがリング近くで観戦させていただくことなりました。
メインのミルコ戦は立ち技メインになると思うので観戦時の距離の近さが活きるかと思います。
楽しみ。

詳細は後ほど。

投稿者 TKM : 12:06 | コメント (0) | トラックバック

南の島でタドを発見

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沖縄本島から船で1時間ほどいったところにある「阿嘉島」の待合室には美しい海中写真が展示されている。 その近くにあった作家紹介のパネルをみて衝撃をうけた。

「タ、タドだ!!!!!」

磨を呼びにいって、

「おい、コレみてみ。タドに似てない?!!」

「ホントだタドさんだ!!」

と思いがけない邂逅に二人でしばし爆笑。

似てる人っているものなのだな。

投稿者 TKM : 03:46 | コメント (1) | トラックバック

清田君のブログ

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以 前、月島の我が家でセッションを開き、いろいろ話をしてくれたナイスガイの清田君のブログを発見した。先日、 新橋のTSUTAYAにいった時にサイゾーをパラパラとみていたら清田君の「おのり」(祈りと踊りをハイブリッドにした造語) の写真があったので思わず手を止めて読みいった。

■清田君のブログ
スーパー・ガイア!

いまこのエントリーを書いているこの部屋で清田君とかなり長い時間話し込んだ。
子供の頃にTVや雑誌でみていた清田君と自分の部屋で話をしてる、というのが不思議な感じでもあった。

そのイベントをセッティングしてくれた故人のことを思い出した。
ある日、汐留を歩いていたら偶然彼女と会って、そこで盛り上がって、清田君との会合が決まったのだけれど、これも不思議な縁だ。

サイトによれば来月は清田君主催のパーティが開催されるとのことである。

++++++

下記は3名の特殊能力者を取材したノンフィクション。
オススメです。

職業欄はエスパー 
職業欄はエスパー

別な視点から超能力や特殊能力について迫ったのが下記。

カルト資本主義 
カルト資本主義

僕はビジネスエンターテイメントと呼んでいるんだけれど、この本、良質のビジネスエンターテイメント本です。 未読の方は是非。

投稿者 TKM : 03:41 | コメント (1) | トラックバック

高校生にヒヤリング

某企画に関連してバンドをやってる僕のブレインの高校生にヒヤリングをしてみた。
かなり新鮮である。

さきほどの話の内容を文字に起こす。
やりとりした言葉はそこに再現されているのだが、反映されない情報もある。

価値があるのは文字に起こした時に消えてしまう情報だろうか。

言葉以外の情報がSkypeの向こうからこちらに飛んできているのではないか?
そんな思いがよぎる。
相手の脳のモードがこちらに伝わってくる感じといったらいいだろうか。
言葉以外の情報が伝わってくる。

投稿者 TKM : 01:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月21日

かなり共感

TVとネットの融合にかかわらず、 これからの時代は24時間しかない人間の時間をいかに占有するか、 がポイントになってくるはずです。情報がこれだけ過多になってくれば、 できるだけコストパフォーマンスが良くて充実した時間をすごしたいと皆思うはずです。 そこで一番のキラーコンテンツになるのは面白い人とのコミュニケーションになると私は考えます。コミュニケーションの形態は様々です。 不特定多数で、匿名のヴァーチャルだけのコミュニケーションもあるかもしれません。様々なコミュニケーションの場を作り、 そこに人々を誘導することが出来た企業がこれからの時代で優位な立場を築けると思います。 いわゆる動画配信はそういう意味で大きな弱点があります。双方向のコンテンツになりにくいということと、 時間をある程度占有してしまうということです。

今はまだ暇している人も多いかもしれませんが、 これからモバイルブロードバンドが普及してITリテラシーが高まれば、 時間の占有競争が熾烈さを増してくるとおもいます。そういえば、 私もめっきり動画コンテンツに触れる機会が減りました。 人と会って食事したり飲んだり、メールしたり、 ネット証券取引をしたりという時間のほうが充実している気がします。

livedoor社長日記より引用)

かなり共感である。
早速メモさせていただいた。

以前、高校生のダイと話していたときにも上記の傾向が顕著であった。

「ダイ、ゲームとかやってるの?」

「えーと、あんまりやらないねえ」

「へー、なんで?」

「うん、ゲームやるよりも友達と話してた方がオモシロイから」

この時からである。
コンテンツのあり方と非可逆性について考え始めたのは。

投稿者 TKM : 15:57 | コメント (0) | トラックバック

涙そうそう

朝一番にiTunesをオンにすると

涙そうそ・夏川りみ

が再生された。
ちょうどRSSリーダーでキッペイのブログをチェックしてたところだった。
よい感じにシンクロである。

某企画に関して磨に話をしてみる。

二日間、意識的に無意識的に某企画について考え続けている。
おおまかな方針は見えてきた。
今日は三日目なのでそろそろアイデアドライブをかけて脳を「快」な状態にチューニングしていこう。

方針だけ書いておくと

「ダライ・ラマ」

今回はこれである。

投稿者 TKM : 12:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月20日

驚きの企画

なんてものは実はない。
企画のはじまりはどこにでもある。

僕の場合は生命とか情報とかをベースに思考するのだが何気ない疑問とか誰もが考えるけれどサーっとすぎさってしまう思いみたいなものが大切だったりする。

壮大な企画も実現するにはたくさんの人の力をかりなければならない。 強烈なリーダーシップとかカリスマ性でビジョンを提示してつくっていく、というスタイルはいまの情報環境にはあわなくなってきている。

Linuxの事例などをあげたくなるのだがあれはまだボトムアップエンジンの序の口だと思う。

コンテンツの分野においてもマイクロメディア化は急速に進んでいる。
これに対応できるプロダクションはまだ存在しない。

投稿者 TKM : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

ミクシー考

このブログとは別でソーシャルネットワークサービスのミクシーで日記を書き始めたのだがこれがなんだかブログとは違った情報の伝播をしていて面白い。

このブログだとサイトはパブリックに公開されているので書くとマズイこともあるし、 コメントを書く人も公開されることが前提なので書きづらい場面もあるかと思う。

ミクシーでメモみたいにぼんやりと考えていたことなどを書いてみたら、みてくれた人からたくさんのコメントが寄せられてビックリした。 しかも、ひとつひとつがとても勉強になる。ゆるやかに閉じられたネットワークの力を感じた。

規模は小さいけれど「ボトムアップの知」にはこういうことも含まれるのだろう。

キュービタルな視点を得るツールとしてのブログ・SNSの使い方の開発はこれからすすんでいくのだろう。また、 キュービタルな視点を利用したマーケティングの手法、企画開発、能力開発、マネジメントなどなど、面白いことが目白押しである。

投稿者 TKM : 17:24 | コメント (0) | トラックバック

独善

某サイトをみていたら「独善」という言葉がよぎった。

こういってしまうことも独善的であるのだがメッセージが「響いてこない」のである。作者はホントにホントでそれが本心で書いているのだろうか。理由はないのだけれど違和感を感じた。

派手な言葉や熱い文章よりも抑制のきいた文章の方が心には響いてくる。
批判やアジテーションはどぎつい言葉を使うのでぱっとみは魅力的であるけれどワイドショーみたいなもので「胸(ハート)で考える」 からは大きく外れている。

なにより美しくない。

「独善」は力強さに転じる場合もあるがコントロールを失えば、醜くさを増幅させる。

トップアスリートにみられる「ZONE」(チクセントミハイのフローとも似てる) という概念はコントロールの向こう側にあるのだろうけれど、それはまるきりコントロールを失った状態ではない。 からまった思考の糸や外側にある思考の層からスっと抜け出た状態なんだと思う。

投稿者 TKM : 14:58 | コメント (0) | トラックバック

非競争社会のダイナミズム

掃除機で掃除してたらそういうものがありうるんじゃないかと思った。

廊下で英語の話声が聞こえるのでみてみると清掃会社の社員が床のワックスがけをやっていた。
彼は外国人(アジア系)のようでインカムで話をしながらモップをかけている。

そういえば月島のスーパーに外国人の姿が増えている。
ものすごい勢いでマンションが建設されているがその住人の何パーセントかは外国人なのだろうか。 夕刻の下町なスーパーでおばさんに混じって外国人が買い物をしている絵は思ったほど不自然ではない。

印象でしかないがスーパーで買い物をしている外国人の表情は一様に穏やかで優しい。
柄と品が良いのだ。

こういう人が集まった方が暮らしやすいし、心地よいのだが、その場合、多様性は失われダイナミズムが損なわれる、 ということになるのだろうか。競争によるダイナミズムが絶対視されているが、協調によるダイナミズムもあっていいのではないか。

「好みを同じくする」

という共通性ではなく、別なレイヤーでの共通性と個性はパラレルに存在し、協調のダイナミズムを生成する、それが僕の考えである。

投稿者 TKM : 12:48 | コメント (5) | トラックバック

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」

朝から板倉氏のブログをまとめて読んでいるのだが下記エントリーのこの一文。

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。

これってかなり実感なのである。

「ああこの感じのひとたちとの話ってあうなあ」

とか

「このひとたちってコンテンツ系かと思ってたけど全然違うんだなあ」

と仕事をしていて業界によってモードとかノリの違いがあることに驚く。が、 本当は業界別にノリが違うわけではない。おおざっぱに業界的な傾向はあるもののノリの違いは属人的なものの方が大きい。

僕は自分ではコンテンツにずっと関わってきたのだけれど、僕が興味があるのはコンテンツと人、 コンテンツとクリエイティブの関係に対する考察や構造の構築・プランニングだと気づいた。

ここ最近で最も自分が悦びを感じたのは六本木ヒルズにあるアカデミーヒルズでシンノスケ、ヤマケン、 カネコの4人で石井先生から個人授業を受けた時である。脳の中にスゴイ勢いで新しい回路ができていく、みたいな実感があって、 あの接続感のような感覚が最高であった。

自分が望むのはああした時間の過ごし方である。残りの人生でどれだけあの感覚と同種の知的なドライブ感 (ある種極上のエンターテイメントである)な時間を過ごせるか。

人生の課題である。

冒頭の

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。

に話を戻すと「コンテンツを生み出す人たち」にも「配信する人たち」にも双方にクリエイティブやイノベーションは存在する。

僕の興味は「本質」である。

どの業界、どの分野にも本質的な視点で物事を見据え、話ができる人がいる。こういう人との対話は得難い無形の宝である。

その宝との接点を増やす方法なんだけれど、そんなに難しくない。

「本質的な話をする」

これにつきる。自分という人間が持っている知識とか経験の中でいいから、他者ではなく、自分の思考をしていく、それだけである。

投稿者 TKM : 12:45 | コメント (0) | トラックバック

結構、重要なこと 人の問題、ホームレスについての雑感

今週号のNewsweekのカバーストーリー「世界が尊敬する日本人」という特集について書かれた下記のエントリー。

また英デイリー・テレグラフ紙東京支局長、コリン・ジョイス氏のコラムも興味深いです。

『東京で見つけた僕のひそかなヒーロー』として、家の近所のスーパーのレジ係の女性の「華々しく、英雄的といってもよい仕事ぶり」 を紹介しています。

そして「東京を訪れる外国人はみな、日本人の礼儀正しさと勤勉さに驚く。ガソリンスタンドの店員が深々とお辞儀をし、 ウェートレスは本物の笑顔で客を迎え、工事現場で働く人は通行人を丁寧に誘導する」と褒めちぎった上で、 こうしたサービスの伝統が失われつつある今こそ、政府が提唱するような「50年でノーベル賞受賞者30人」などという目標よりも、 あのレジ係の女性のような「見過ごされた英雄」を表彰すべきだと提案しています。(http://ameblo.jp/fushigi/entry-10005277105.htmlより引用)

そして愛読している板倉氏のブログのこのエントリー

なんだか世の中変じゃないか?
日本がどんどんおかしくなっている。
僕は、日本をアメリカナイズしようとする現政権に大いに不満を感じる。

が、一方で、けが人を想定して、車を止め、現場の対応を一緒にしてくれた28歳の中村君という若者。
そして、事故現場を無視して通り過ぎる車の中に、一台だけ、わざわざバックして「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた、 これまたおそらく20代の若者。
彼らの姿勢に、「日本の将来は捨てたものではない!」と思った次第である。

金がすべてを動かすと思っている馬鹿者ばかりではないのだ。
僕は今、警察の態勢と、事故って逃げてしまう人間に対する憤りと同時に、以上のような若者の清清しさを同時に感じている。

日本を取り戻そう。
(板倉氏のブログ「またもや事故」 より引用)

上記の二つのブログのエントリーの問題提起に強く共感する。

「人」を世代や場所ではくくれなくなっていて(前からそうだったけれども)、 もっと別なとらえ方をする必要がある。

例えばマンデラ氏がスパイラル・ダイナミクスを導入することで人種差別問題に取り組んだようにスパイラル・ ダイナミクスみたいな指標は南アに限らず有効であるかもしれない。

どこで読んだのか忘れてしまったのだけれど、ある人が10代の子供達の取材をした際の経験について書いていた。 彼らは引きこもり気味だったり、他者に対する感心が薄いというような印象を持っていたけれど、取材してみると、優しく丁寧で、 大人のそれよりも遙かにコミュニケーション能力が高くて驚いた。これまでの自分の思いこみは何だったのだろうとびっくりした。

およそそんなことが書かれていた。

どこの誰がダメなのか、僕もよくわからない。 こういう人たちという集合が場所や環境ではひとくくりに出来なくなっている。

「憂鬱の先端」と形容されることが多い日本の今を象徴する現象だと思うことがある。

隅田川沿いの月島のテラスを毎日走っているのだけれど必ず空き缶や空き瓶、 コンビニの袋に入ったゴミなどがポツンポツンと置かれている。

どこの誰がそこに捨てていくのか、どんな気持ちで彼らはそこにゴミを置いていくのか僕にはわからない。 ゴミというモノを一瞬でもはやく自分から隔離したい、という気持ちなのだろうか。 そういえばテラスにおいてあったゴミ箱は全て撤去されていた。ゴミ箱を置くと更にゴミが集まるという発想なのだろうか。

これは区の管轄の仕事なのだろうけれど、これではゴミを捨てていく人々と同レベルの対応に思える。

路上にゴミを捨てていくという行為を平然と行う人々とその対応に疲れてしまった人々。 ところでこのテラスはリバーシティの近くであるせいもあって富裕層と思われる人々が夜昼なく犬の散歩にいそしんでいる。

2週間前くらいから佃大橋の下にひとりのホームレスが住み着いている。 ここ10年で何度かこの場所にホームレスがいたことがあったけれど、これだけ長い間ホームレスが住み着いているのははじめてのことだ。 毎日走っていると彼の住居(それを住居とは呼ばないだろうけれど)の変化がわかる。

最初は半径1mくらいでまとまっていた荷物が次第に面積を増し、現在は半径5mくらいにまで広がっている。 日増しに乱雑さの度合いが強まっていくのがよくわかる。

エントロピーの増大をリアルに見せられている感じがする。

このホームレスの存在によって月島側のテラスの印象は大きく変容している。 彼の周囲10メートルくらいに暗い磁場ができあがり、佃大橋を境に勝どき橋側とリバーシティ側が分離されている。

近くにいくと人の流れや風のながれが歪んでいることを実感する。
これはこれで大きな問題なのだが誰も解決できない問題でもある。

そこに住むなといったところで彼はそこに住むだろうし、区ができることといえば中央大橋(リバーシティ側の橋) のように橋の下部を鉄柵で覆い、空間を排除するくらいのことだろう。

ホームレスの問題は直接は僕たちの生活に関係がないので放って置かれるのだろうけれど、 思っている以上に影響は大きい、と僕は思う。彼らがそこにいることによって無意識下で人は何らかの情報を受け取っている。 ポジティブな感情を抱くことはないし、そこを避けるようにもなる。

自らの行動やら思考を外部要因によって制限されたり、マイナスにもっていかれる、 というような機会が増えてしまっているわけで、それは生産性をそこなう要因ともなりうる。これは社会全体にとって大きなマイナスだと僕は思う。 (けれども、と僕はここで考えるのだがそれはこちら側からみた時の印象でしかなく、「ホームレス=非競争」 みたいなモデルが成り立つのであれば、そこには大きな意味があるのかもなあ、と思う。 人がレイバーとして働かなくて生きている世界が実現したら(働かないといってもその人のクリエイティブが発揮されない、 バリューが存在しない労働はしなくていいという意味での「働かない」であって、世界はそこに向かって発展していってるんだと思ってる) 彼らの今はその世界の一部を反映してるのかもなあ、と思った。競争がない社会でのクリエイティブってありうると僕は思うし、 そもそもクリエイティブと競争は関係がない概念だと思う)

しかし、何をどうすればいいのか。 という部分になると何をどうしたらいいのか個人レベルでどのような対策が実行可能なのか思い浮かばない。 イエローハットの社長が実践しているように徹底した掃除とゴミ拾いを実行すれば変わるという問題でもないように思う。 ゴミを拾わない人が問題なのではなく、ゴミを捨てる人が問題の本質なわけで、 そこいらにゴミを捨てないように人が変わるにはどうすればよいか、が問題なのだ。

ホームレス自治区をつくって自己組織化プロセスを導入する、くらいの施策しか思いつかない。 これも知恵のない発想であるが可能性はある。

ホームレス人口が拡大していってるのは体感ベースで感じられる。
中央区ですら目にするホームレスの数が年々増えている。

自分には関係ない、といってしまえばそれまでなのだが。

話は飛ぶが新橋に何件かマンガ喫茶がある。 夜になると1000円程度で8時間くらい滞在できるので長編のマンガを一気に読みたい時などよくいっていた。 ところがある時期を境にいくのが嫌になった。

夜の新橋地区のマンガ喫茶は「ここはこの世の果てなのではないか」と思ってしまうような時空が広がっている。 そこは極度に停滞した空間である。
上記の板倉氏のエントリーにあったケータイを3台放置して、車から立ち去った人間の刹那的な感じ、 の密度を100倍くらいにして陰鬱にしたモードがそこにはある。

未体験の方はいってみるとかなりのショックを受けるかもしれないがあれこそ「憂鬱の先端」 の姿なのではないかと思う。

こうした現象を感情面で論じても議論は深まらない。 それが意味することがなんなのかについて別なフレームで捉える必要がある。物事は関連しており、ホームレスが増加しているのには理由があるし、新橋のマンガ喫茶が異次元空間なのにも理由がある。 現象は単独では存在しない。

僕はこれを不自然と感じているが、自然な現象である可能性も否定はできない。 思いこみや一面的なものの見方は歪みを反復属服させてしまう。

根幹にある問題、もしかすると些細なものなのかもしれないけれど。
本質についての考察はつづけていきたい。

投稿者 TKM : 12:08 | コメント (5) | トラックバック

2005年10月19日

僕の人生を変えた一冊

といえばこの本である。

鏡の伝説―カオス・フラクタル理論が自然を見る目を変えた 
鏡の伝説―カオス・フラクタル理論が自然を見る目を変えた

この本によって世界を見つめる自分の視点は大きく変わった。
また、生涯に読んだ本の中で最も面白かった本の一冊である。

投稿者 TKM : 03:36 | コメント (1) | トラックバック

某企画

なんのきなしにふらりと出かけていったのだが昨夜のミーティングは思いがけず壮大かつエキサイティングな内容であった。 詳細は書けないが久しぶりに夢を感じさせるコンセプトである。

今日からプランニングに入ることになった。
今回のプロジェクトではアイデアドライブを存分に活かせる。

投稿者 TKM : 03:23 | コメント (0) | トラックバック

あるコンテンツの終わり

吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051018-00000012-ykf-ent

上記の記事を読んで「ああTVは終わったな」と感じた。
何かしら理由があったわけではないが漠然とそう感じた。

ある意味狙ったネタである可能性も否定できないが広告モデルによるコンテンツ生成が限界に来ているような印象をうけた。

それにしても、日本のTVコンテンツの多くは時代の末期を感じさせる。
何が、を明確に言えないので説得力に欠けるのだけれど、構造から来る閉塞感と先細りな感じは日に日に強まっていく。

暴言かもしれないがこれは

「サラリーマンがつくるコンテンツ」

の限界なのだと思う。
TVとは人が観たいものを映すメディアである。

しかし、僕たちが観たいものってあるのだろうか?

問題の本質はここである。

投稿者 TKM : 02:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月17日

0.5トンの巨大カボチャ

こんな巨大なカボチャがあっていいのだろうか?

やまけん、教えてください。

(元ネタ・東京福袋

投稿者 TKM : 21:21 | コメント (2) | トラックバック

ザ・筋肉バカ一代

■久しぶりにみた筋肉バカな映像
史上最強のボディビル世界チャンピオン、ロニー・コールマン氏のデッドリフト

筋肉バカとしか言いようのない映像である。
意味不明な言葉を叫びながらのトレーニング風景。
かなり衝撃だ。

先日、磨に教えてもらったトレーニングの対極といってもよいだろう。
ヒョードルのトレーニングと筋肉バカのトレーニングの違い、は営業バカな企業となめらかな企業の違いと似ている気がする。 電話帳で片っ端から電話をかけていくスタイルの営業がいまだにあって、時にそれが賞賛されていたりもするのは筋肉バカならぬ、 電話バカとしか思えない。

とわいえ、ボディビルもここまでくれば世界チャンピオンなわけで、電話バカも日本の電話帳で飽きたらず

「私、10カ国語をマスターし、世界の電話帳を制覇しました。無敵の世界電話営業マンです」

みたいなのが出てきたら賞賛ものなのかもしれない。 追伸:電話バカも最悪だがこの世界で更に最悪なのは飛び込み営業という押し込み強盗と大差ない無能なスタイルの営業である。この世界から廃絶すべき悪習の一つである。(理論的なアプローチや知恵的なアプローチの場合はそこにコンテンツ性が介在するのでOKである)

■オマケ:ロニー氏のダンベルベンチプレス

投稿者 TKM : 12:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月15日

Appleのリモコンとアレが似ている件 情報の生々しさとそれに惹かれる僕たち

ジョブズのスピーチをみていたら下記のスライドが出てきた。

front

なるほどこのように比較されると僕たちが普段使っているリモコンのインターフェイスは不必要なボタンが多すぎでスマートさに欠ける。 Appleのリモコンはボタンが6つだけであるのに対して左右のリモコンは共に40個以上のボタンがついている。

この写真をみていたらあるものを思い出した。
これである。

revolution

任天堂の次世代機「レボリューション」 に採用されたコントローラである。 このコントローラもボタンは10個以下で片手で操作される。他社のコントローラと比較すると驚くほどシンプルで美しい。また、 上記のコントローラとAppleのリモコンは共に白をベースカラーにしている。形も似ている。

異なる分野の二つのマシンのコントローラのインターフェイスが類似しているのには理由がある、と考えたくなるのは自然だ。

後付の仮説になってしまうがこれまでのリモコンはインテリジェンスを使用者側に強いる形になっていて使う側が使い方をマスターしないと機能をつかいこなすことができない。 そのため利用者にとても負荷がかかる。

未だに僕の両親はビデオの録画は苦手だし、女の人も基本はビデオの録画が嫌いだ、という人が多い。 これは録画という作業が「仕事化」してしまっていることに原因がある。

使う時に「気持ちよさ」がないとその作業を敬遠しがちになる。 ゲームが苦痛だったら誰もやらないわけでプレイすることで脳が楽しさを感じているから我々はゲームに熱中する。

僕はこの10年ほどゲームに集中することがなくなった。理由は集中力の低下ではない。壮大なゲームの場合、 クリアまでには数十時間を費やす必要がある。けれど映画を観る感覚でゲームに接してしまうので、 5時間くらいが適度なプレイ時間でそれ以上やる気はしない。結果として、エンディングまでやらずに終わってしまう。 そのため僕の中ではゲームの楽しさは購入し、ゲームをはじめるまでの時間、プロレスで言えば入場に集約される。

それでも頑張って10時間くらいやってみるのだが、いけどもいけどもゲームは終わらない。

「この何十倍もの時間をゲーム機の前で過ごさなければならないのか…」

と暗鬱とした気持ちになってくる。
これが僕がゲームにハマらなくなった最大の理由である。

いま、多くの人がブログを書いている。
1000人とか2000人というレベルではない。100万人とか300万人というレベルでもの凄く多くの人が日々テキストを生産している。

テキスト整理マシーンのGoogleの台頭にあわせてテキスト生成マシーンとしてのブログが台頭してきたような印象を受ける。 サービスの生物的な振る舞いをみているようである。

なぜこれほどまでに多くの人がブログを書くようになったのだろうか。

「みんな何で書いているんですか?」

これもよく訊かれる質問だ。

HPをつくる手間がブログエンジンによって決定的に省略化され、メールを書く手軽さでHPをつくることができるようになった、 というのがありがちな答えである。

果たしてそうだろうか?

僕が思うにブログを書く理由はそれぞれだが基本は

「楽しさ」

にあると思う。書くだけならばブログ以前もエディタでテキストを書いてハードディスクに貯めておけば事足りたのである。

注目すべきはそのテキストが外に向けてオープンになった瞬間の感覚的変化である。

12年くらい前だとウェブは存在しておらず、僕たちは大学時代に家からtelnetでサーバにアクセスしていた。 ログインしてメールを観てニュース(そういうものが当時はあったのだ)をチェックして、ste(川又くんがつくったパブリックなコマンドだ) で誰がいるかをチェックする、みたいなことを日常の作業としてやっていた。

問題はここからログアウトするときである。毎回、ログアウトのコマンドを打つとき、僕は世界から分離されるかのような気持ちになった。 画面の向こうに見えない何かがつながっていることが生々しい質感をともなって急に感じられるのである。

自分はいまここにいることで可能性やいろいろなものがうねっているダイナミズムの固まりとの接続されているけれど、 ログアウトすることで可能性に満ちた生命的な情報のフィールドから分断されるのではないか、という不安が急に隆起してくるのだ。

ブログとしてテキストを発信する時の感覚は僕がこの時に感じたネットワークの向こうに見え隠れするダイナミズムの源流との接続感と似ている。

HDという閉じた空間に固定されていいたはずの情報がネットワーク上に放たれることで無限の可能性とリンクしてしまうのである。 キントウンがヒュンと空に飛び立っていくようなイメージである。

ブログの面白さのベースにはこうした情報の生命的生々しさ、ダイナミズムがある。 次回以降ではどうすれば情報をより面白く振る舞わせることができるのか、 について実際のインターネットビジネスを題材に考察していきたいと思う。

投稿者 TKM : 02:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月14日

夢の世界

先日も夢の話をしたのだけれど夢の多くは映像的だ。
僕の観る夢の多くも映像的で音だけの夢は少ない。モノクロの夢も少ない。

昨夜観た夢も変わっていて、コムデックスの山田さんの結婚式の夢だった。 バシ師匠の招待状がキーになっているのだと思うけれどそれにしたっていきなり山田さんの結婚式の夢とはおかしな話だ。

タドから借りた一眼レフのデジカメはプロジェクション機能付きの高性能カメラでそのまま投影が可能なっている。 試しに襖に向けて投影してみると一大スペクタクルなヤマダ結婚式が映し出されていた。

しかも、奥さん役はウエノさんの奥さんである。さながら全盛期の日本映画な雰囲気のセットだ。 式場には1000人くらいの人が観客として詰めかけている。式というよりも歌謡ショーを鑑賞しているのに近い。 ステージにはお堀を越えて金色のアーチ橋がかかっており、そこを傘をさしたヤマダさんがわたってくる。

ステージの左側は紅葉の京都を思わせる雰囲気だ。その階段を新婦が下りてくる。しかし、 僕たちがみているのはタドのデジカメから投影された映像で微妙にあらい走査線が見える。 色もフィルムの劣化を反映したオールド日活なカラーである。

しばらくして、島にわたって「ビジネスモデルx5」というパッケージを2本、手渡された。 それはテレパシックなアプローチでつくられたコンテンツらしく、 夢という場をつかった体験タイプの教材で読書体験が時間軸の中でストーリー化されていくような妙な感覚だった。

夢をみているのに矢野の数学の参考書をやっているような気持ちになるのだ。しかも、全10ストーリーだからなかなか終わらない。 アフィリエイトというモデルを全く別の体験に置き換えストーリー化するとこうなります、みたいな物語なのだが、 面白いというよりもニャロメのおもしろ数学教室な感じである。

こうした夢が毎日毎日、いろいろな人の頭の中で生まれては消えていく。
なんともったいないことだろう、と僕は思う。

自分の夢だけでも録画できて、再生できたらならば、人生で楽しむコンテンツの50%はそれでもOKと思えるくらいに毎回毎回面白い。 自分の夢ですらこれなのだから夢が録画できたら、プロの夢見家なんてものが成立してしまうかもしれないし、 映画産業と張るくらいの巨大産業になるかもしれない。

しかも、究極のマイクロメディアで全ての人が作家化してしまう。このインパクトは強烈である。

夢を録画するには記憶のメカニズムが解明される必要があるのだろう。
夢とはイメージの動的生成でそれがもの凄いスピードで処理されていく。意味や印象とのリンクの仕方が尋常ではないのだ。

5分くらいの夢がその何百倍もの時間感覚と同じ質感をもってしまったりする。
これらも夢と記憶との関連性を思わせる。

下記の映画も夢の世界な印象でいっぱいである。
未視聴の方は是非。オススメである。

ドニー・ダーコ 
ドニー・ダーコ

投稿者 TKM : 12:06 | コメント (0) | トラックバック

結婚式の招待状 スーパーライター・バッシーがめでたく結婚

昨夜、家にもどると結婚式の招待状が届いていた。
敬愛するバシ師匠からの招待状であった。

最後のスーパーライターとして数々の伝説を残したバシ師匠がとうとう結婚である。
感慨深い。
初めて二人で京都に取材にいった際、バシ師匠は取材相手の我孫子武丸氏の家にカメラを忘れてきてしまい、 我孫子氏が我々を追って駅まで走ってカメラを届けにきてくれた。

おもえば伝説の数々はあそこから始まった。桑名正博ノート事件。三遊亭円丈菓子折フォロー。モンキーパンチ髭事件、 新証言で蘇る事件の真実。
師匠、スピーチはまかせてください。

タイトルは決まりました。

「神の怒り・アラサンダーとの戦い ~フォローこそ我が人生~」

これでいきましょう。
(注:下記のヘルツォークとは全く関係ありません)

アギーレ・神の怒り 
アギーレ・神の怒り

投稿者 TKM : 11:34 | コメント (2) | トラックバック

本音 「和田秀樹って知ってる?」ときかれて考えた

dai001

 先日、ダイとSkypeで話をした。

「お兄ちゃん、そういえばさ。この間、和田秀樹って人が学校で講演やったんだよね」

「おー、和田秀樹か!オレあの人の受検本けっこう読んだよ。面白かっただろ?」

「うーん、それがね。オレの家庭教師の先生も「スゴイ人だ!」とかいってたんだけれど、 はっきりいって

ツマラナカッタ。

なんかどうでもいい話ばっかりだった。あとなんかどっしりしてなかった。」

「エー?!あれ?!本だとけっこう面白かったんだけれど、ダメだった?」

「うーん、全然ダメ。響いてこなかった」

というわけで和田氏の話は高校生にはまったく響かなかったそうだ。
ダイの場合、まったく先入観なしで話をきいているからおそらく本当につまらなかったのだろう。

この話をしていて、思い出したのは故・江藤淳先生の言葉だ。
前にも書いたがダイには話していなかったので再度紹介しよう。

「加賀谷君。生徒ってのはね、どんな生徒だろうと、 やる気があろうとなかろうと立場に関係なくその授業をやっている教員が本気かどうかを驚くほど正確に見抜くものなんだよ。だから、 教員は常に本気で授業に臨まなければならない。それが教員をやっていく上で一番大切なことなんだ。 本気で臨む姿勢というのは必ず伝わるものなんだよ。」

上記の先生の話は授業だけでなく仕事にもあてはまる。
どんなにダメそうな部下や業者でもこちらが本気かどうかは驚くほど正確に見抜くものだ。

和田氏の講演のテーマが高校生達の興味からズレていたとしても、 彼が本気でその場に立っていたのならその心意気は伝わったのではないだろうか。

近年の和田氏の著作(といってもほとんどは口述な感じがするが)は全く面白さに欠ける。そして内容が薄い。 100分の1くらいに圧縮してようやく意識を集中させ、読む時間を投資するに値するテキストとして成立する。そのくらいに無内容である。

投稿者 TKM : 11:09 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月13日

仕事について

沖縄で栗田さんといろいろ話ながら考えていたが僕の場合プランナーといっても自身のクリエイティブをドライブさせる自己表現なタイプのプランニングは好きではないし、 得意でもない。

では、どういう形でプランナーとしてプロジェクトに関わるのか。

通常、僕に話がくる場合は何かしらの新規案件・プロジェクトで人はこういう感じの人で何人か声がかかっているのだが、 ちょっと手伝ってもらえないか、というケースが多い。

この時点ではどういうポジションを取るかはまだ決めない。 長所であり短所でもあるのだがわりといろいろなことがそつなくこなせるので状況によってはいくつかの役割を兼任していく時もある。

まず、相手やチームの状況をヒヤリングする。それから徹底的に状況を整理する。言語の共有を行うのが目的だ。 それぞれのイメージをひきだしながら言葉に変換し、チームのメンバーにフィードバックしていく。 徹底的にこれをやることでチーム内に共通言語をつくり