« ドライブ感のある夕べ | メイン | つくってしまうこと »

2005年10月07日

飲みつながり このエントリーを含むはてなブックマーク

メモしておこうと思う。
自分の飲みつながりはかなり多岐にわたっている。
パターンが無い。

飲みつながりの友人は飲みの友達であって仕事とは関係がない。
なので彼らは僕と飲んでも「楽しさ」以外のメリットはほとんどない、と思う。

話は飛ぶが一番楽しいのは旅先での飲みである。
アローンの旅で不安と隣り合わせで飲む時の楽しさは最高である。
あの楽しさが日々の生活と共存していたらどの人も素直になるのだろうと思う。

飲みはフィーリングがベストである。
でないと楽しさは最大化されない。

排他的なのもダメだ。
セコさにはダイナミズムがない。
誰と誰を合わせると面白いかという策を練ることは否定しない。
しかし、本質的にはリズムとタイミングである。
それが使えない人は飲みのダイナミズムを失っている。

もったいない限りだ。
もう一度、言おう。
セコさからはいい飲みは生まれない。

バカみたいにたくさん飲むのがいい飲みではない。
オープンさとダイナミズム、場のドライブ感、いい飲みにはそれがある。
これをつくるのは簡単だが、難しい。

沖縄の友人達がスゴイなと思うのは普通に大らかな飲みの場をつくってしまうオープンさである。
あれはマネしてできるものではない。
あの飲みの場に接するたびに、毎回、心にしみる。
自分もああ振る舞いたいものだ、強くそう思う。

理がたってしまえば、飲みからはダイナミズムが失われる。
小ぎれいではあるが、そこにあったかもしれない可能性は消えていく。

そこで失われた可能性のエネルギーは我々が想像しているよりも遙かに大きい。
飲みがプラスに働けば人のコミュニケーションパワーは無限大に拡大される。

都市であろうと地方であろうとこの法則はかわらない。
人はコミュニケーションがドライブされる場に集まるようにできている。
本能的にそうなる。

ダイナミズムを失った都市は衰退する。
コミュニケーションが予測不可能性をはらんでダイナミックな振る舞いをする場に人は集まる。
それは情報の健全な振る舞いなのである。

投稿者 TKM : 2005年10月07日 03:18

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.kagaya.com/mt/mt-tb.cgi/5038

コメント

むむ…考えされますな。
昔、”何の目的でそんなに飲みに行くんだ?”と聞かれ違和感を持った記憶がある。
つまりは、そういうことなのですよね。

投稿者 : 2005年10月07日 06:06

コメントしてください




保存しますか?