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2005年10月20日
「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」 
朝から板倉氏のブログをまとめて読んでいるのだが下記エントリーのこの一文。
「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。
これってかなり実感なのである。
「ああこの感じのひとたちとの話ってあうなあ」
とか
「このひとたちってコンテンツ系かと思ってたけど全然違うんだなあ」
と仕事をしていて業界によってモードとかノリの違いがあることに驚く。が、 本当は業界別にノリが違うわけではない。おおざっぱに業界的な傾向はあるもののノリの違いは属人的なものの方が大きい。
僕は自分ではコンテンツにずっと関わってきたのだけれど、僕が興味があるのはコンテンツと人、 コンテンツとクリエイティブの関係に対する考察や構造の構築・プランニングだと気づいた。
ここ最近で最も自分が悦びを感じたのは六本木ヒルズにあるアカデミーヒルズでシンノスケ、ヤマケン、 カネコの4人で石井先生から個人授業を受けた時である。脳の中にスゴイ勢いで新しい回路ができていく、みたいな実感があって、 あの接続感のような感覚が最高であった。
自分が望むのはああした時間の過ごし方である。残りの人生でどれだけあの感覚と同種の知的なドライブ感 (ある種極上のエンターテイメントである)な時間を過ごせるか。
人生の課題である。
冒頭の
「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。
に話を戻すと「コンテンツを生み出す人たち」にも「配信する人たち」にも双方にクリエイティブやイノベーションは存在する。
僕の興味は「本質」である。
どの業界、どの分野にも本質的な視点で物事を見据え、話ができる人がいる。こういう人との対話は得難い無形の宝である。
その宝との接点を増やす方法なんだけれど、そんなに難しくない。
「本質的な話をする」
これにつきる。自分という人間が持っている知識とか経験の中でいいから、他者ではなく、自分の思考をしていく、それだけである。
投稿者 TKM : 2005年10月20日 12:45
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