2005年12月17日
サーバ切り替え中 今日から明日にかけてメール使えません
というわけで更新が滞ってしまっている。
スイッチを押すみたいに切り替えができたならよいのだが。
ドメイン周りの手続きは煩雑なのである。
■業務連絡
現在、僕宛のメールは届かない可能性があります。
急ぎの用の方は電話かMessengerでご連絡いただければ幸いです。
メールの使えない日が2~3日あるのもいいかなと思う。
昨日はカズの試合を見る機会があった。
38歳。良い表情であった。
10歳くらい年上だと思っていたが以外に歳が近いので驚いた。
試合後、カズが近くまで歩いてきたので手を振った。
帰り道、疲れがどっとでたようで意思決定が冴えない。
皆と別れて帰宅後、すぐに眠った。
今朝は5時に目覚めた。
身体は5~6時間眠ると目覚めるようにできている。
これも不思議である。
何十年も眠り続けている人の記事を読んだことがある。
彼らは何十年もの間、どのような夢をみているのだろう。
投稿者 TKM : 08:38 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月13日
TKMJ@Podcast vol.17 モロモロ雑感12/12 初めてのPICSY体験!!GUMONJIとPICSYがつくるコミュニケーションの可能性!! バシ結婚式を終えて・人の心って? ディア・ウェンディ「オレと君の違いは女を知っているかどうかだ」と彼は言った
TKMJ@Podcast vol.17 「モロモロ雑感12/12 初めてのPICSY体験!!GUMONJIとPICSYがつくるコミュニケーションの可能性!! バシ結婚式を終えて・人の心って? ディア・ウェンディ「オレと君の違いは女を知っているかどうかだ」と彼は言った」をダウンロードする。
(前のエントリーとの関連でこちらも誤解を招く箇所があったので修正中です)
TKM Journal@Podcastingの第17回目をアップしました。番組で取り上げた書籍や関連コンテンツなど関連情報は下記を参照ください。BGMにクリエイティブ・コモンズライセンスで公開されている「The Wired CD」より「Cornelius/ Wataridori 2」を使っています。
■関連情報
・GUMONJI
・GUMONJI開発日記
・PICSY
・PICSY blog
■追記
番組中、ディアウェンディの監督を「アンソニー・ドッド・マントル」といってしまいましたが「トマス・ヴィンターベア監督」の間違いです。スミマセン!!こういう時に書き換えるような手軽さで修正できないのがポッドキャスティングの難しいところかな、と思います。
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投稿者 TKM : 04:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月12日
裏庭の中国
結婚式も終わり、ゆっくりと眠った。
式についてはポッドキャストで報告したい。
昨日の式はタフな時間であった。
その反動か昨夜は早々に就寝。
今朝方はたくさん夢をみた。
島の郊外にあるドーム状の建物は大規模電気店になっている。その店を巡回する。店は広く大きい。
出入り口付近でヤマケンとホリエモンが筆談していた。なるほど、この島では筆談がブームなのか。僕も参加してみた。
アイデアが浮かんだのでその本のプランをまとめていった。
そのプランを持って外にでると。坂道が水に覆われていた。著名なカメラマンが波打つ水をさかのぼっていった。 彼の姿が水の壁に吸い込まれていく。頂上から降りてくる人々もいる。それらを見ていた。
公園でぶらぶらとしていると中国人の女性に声をかけられた。パキスタン人の男性やブラジルの女性も声をかけてくる。 英語で対応しているのだが彼女たちは日本語で答える。しばらくそうやって歩いた。ベトナムの女性が子供をつれて歩いている。 彼女と二言三言話した。何かを上げようと思ってカバンの中を探すが何もみつからない。男児の目は遠くをみているようだった。
川につくと二つの勢力が闘争をつづけているようだった。まきこまれないように水面に浮かんでいた。 片方の生命体が開発したエルモと呼ばれる戦闘機を眺めていた。10機くらいの変態がアクロバティックな飛行を繰り返している。 ITSを1000倍発達させたような自己統制システムによって彼らの機体は情報化され、生命的な振る舞いをするようであった。 形状は通常の戦闘機に似ているのだが曲線が多く、バルキリーを情報化で丸くしたようなイメージである。 青みがかった緑とオレンジが迷彩模様を描いている。
彼らは敵対している生命体との闘争の渦中にある。リーダー格の一機が雲の中に機体を隠すように指示を出すと続き機体も皆、 雲の中に消えていった。ぶつからないのだろうかと不思議に思ったが情報化が進んでいる為、機体同士の自立性は保たれ、 同時に相互依存が成立しているのであった。
地上を歩いていると中華料理屋が立ち並ぶ谷についた。谷の入り口にはシャレたカフェのような中華料理店が何軒も並んでいた。 その中の一件はベトナム人のヤーさんがやっている店だ。彼は奇跡的にこの店をつくりあげた。カウンターだけの小さな店だが味があって素敵だ。
その隣には日本人のやっている店がある。この店は下方向に二階建てになっている。谷の入り口近くに若者がやっている店があり、 ここはメニューもカフェに近い。ただし、僕はこういう店はあまり好きではない。適当に洒落ているだけで味も中身も伴っていない。 そうした店が量産されているのは哀しい限りだが、消費者の意識が低いことで引き起こされた現象でもある。 表面だけ洒落ているといったインチキくさい店が兎角多いのは人々の間に「気持ち」で行動することが減ってしまっているからだろうか。
僕が「気持ち」という時、これは自分だけの気持ちを言っているのではない。自分に関わる相手の気持ちも含めた気持ちである。 気持ちは単独で存在しているわけではなく、相手との相互作用の所産である。それがわかっていない人が驚くほど多い。 自分の気持ちだけを見るものだから、逆説的に相手に気持ちを左右されてしまいがちだ。 相手を含めた状態で気持ちを見るようにすればアウトサイドインな状態はなくなる。
その後、吉田と古賀が意識状で融合された日本で最も高潔で高名な柔道家と対峙する機会を得た。彼は偉大であった。組み合う前に 「こちらからは技はいっさいかけないから」と僕にいった。左手を掴み組みにかかる。びくともしない、というのではなく、 むしろあたたかささえ感じる。技をかけにいっているのに舞っているような心地良さだ。
これが真なる人の奥深さなのだろうか。
素晴らしい体験であった。
投稿者 TKM : 11:24 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月10日
夢見 螺旋にリンクしていく不思議な世界
河原を歩いていたら遠くから川が逆流してくるのが見えた。50cmくらいの波が河口から昇ってくる。ちょっとこれはマズイぞ、 と感じたので近くをあるいていたショウコちゃんに
「オイ、これはちょっと危ないので登った方がイイゾ」
と声をかけた。土手まで上ると波はチョコレートのブロックに似た形のコンクリを覆っていった。土手からそれをみていた。 自転車で家に帰るとシャレた青年が管理人に挨拶をしていた近々引っ越してくるかもしれないのだそうだ。 BMWに乗っている7Fのオジサンの部屋が貸しにでているらしい。どうですか、とたずねられたので
「川に面してないとパッとしないですよ」
と答えた。後ろでは管理人のオバサンが「屋上がいいのよー」と言っていた。
そうこうするうちに山に登ることになった。メンツはいろいろいたのだが学生達が一緒にいきましょうといって連れて行ってくれた。 河原の裏からテクテクと登っていく。山の裏は病院になっていて、そこには隔離された子供達がたくさんいた。彼らと話をする。 そのうちスティーブン・セガールが彼らのつくった秩序を強引にねじまげていくのだがその様をみていて
「セガールっぽい映画だ。まったく情緒がない」
と声に出していっていた。セガールは二人の子供をターゲットとし、攻撃を加えていった。 それによって少数だが秩序だった軍が組織され彼はその軍を率いて、侵入してくる異分子に対峙するのであった。 陳腐なストーリーだがその場に立ち会うことはかなりの先端感があった。ここは情報が現実世界と交差してる場所なのだ。
そろそろ時間なので街におりなければならない。
テクテクと歩いていたら
「カガヤさん、こっちでいきましょうよ」
と磨に声をかけられた。みれば電車の形をしたバスであった。トトロの猫バスを角張った感じにした形状である。これに揺られて5分ほど。 モロイさんが肉屋で待っている。電話すると映像が見えた。すでに到着していて、棚によりかかり(この棚は青山にある) 我々の到着を待っている。
ロープウェイシステムになっているのかバスは高所から降りていく。次ぎでおりなければならない。磨が運転手に合図をする。しかし、 運転手は気づかない。いや、気づいたようだ。
「ボタンを押して下さい」
そう言われた。言われるままに磨はボタンを押す。
「隣のボタンとダブルで押してください」
運転手がいう。複雑なシステムである。 吊革に取り付けられた赤のボタンとバーに取り付けられた白のボタンの二つを押すことで降車の合図になるのである。
バスを降り、ジープにのった。磨の車なのでパワーがありそうだ。 ところが運転しはじめると自転車のようにアクセルをこがなければ走らない。困った。そうだギアを変えよう。ローのまま走り続ける。途中、 前の車がトロトロしているので追い越そうとすると右から入ってきた虹色の塗装の車高の低い車が低速になった。 このため連鎖してそのレーンの車が更にノロノロと進む。
そろそろ高速の入り口である。
磨の車が高速で給油に向かうのが見えた。さて、こちらは。メータをみると左の方に傾斜している。これも給油かな。
満タンにしてみると4070円であった。47リットル。
投稿者 TKM : 10:46 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月09日
TKMJ@Podcast vol.16 モロモロ雑感12/9 伊藤洋一のSkypeに対するコメントに大いに異論アリ
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QVX-13 Qcam Fusion
我々がSkypeビデオで使っているのは上記のカメラです。
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投稿者 TKM : 17:09 | コメント (3) | トラックバック
デジタルマンガSkypeをアソブ第12話 「Skypeビデオ開始編」公開です!!!!!
久しぶりにデジタルマンガが公開されました。
Skype2.0で追加されたビデオ機能についてアソブラボの二人(オレとカネコ)がアーダコーダと体験レポートをお送りします。
デジタルマンガSkypeをアソブ第12話
「Skypeビデオ開始編」
Skypeをお使いの方もまだの方もデジタルマンガをみてSkypeビデオの「?!」な面白さを感じてください!!
■関連情報
我々がSkypeビデオで使っているのは上記のカメラです。
投稿者 TKM : 15:06 | コメント (0) | トラックバック
雑感モロモロ 人と言葉と時間と心
先週も様々な出来事があった。
出来事とそこから派生する情報が別な層で結晶化し、不安定化するという状態を繰り返していた。
リアルな散逸構造であった。
言葉によって対象のイメージは変化していく。
しかし言葉以前にも対象の本質はそこにあったわけで変化は自分の脳内で起こっている。
ここに時間という要素が絡んでくると記憶の再生過程が微妙なスパイスとなり更に非存在性を増した像をつくっていく。
こうした思考プロセスこそ「俄」の神髄である。
人と人の関係についてもよく考える。
一方には客観的な視点があり、もう一方には制御不能な意識が存在する。人の意識は両者の狭間でせめぎ合っている。
正しいものとそうでないもの、という区別をしたがるが明確な違いはない。関係性よって意味は常に反転する。 あらゆる物事は地と図の関係にあり静的に固定されたものではない。コンテクスト(関係性)によって揺らぎ反転する動的な存在である。
背反するものが共存する状態が自然なのだ、とも思う。夜と朝、白と黒、上と下、右と左、等々、 量子の世界からマクロなシステムまでどこの層にも対立した構造が存在する。しかし、それらは固定的ではないし、否定的でもない。 パラレルに存在している。
面白いのはそこだ。
「心にひっかかる」という感触がある。
たまにそういう感覚になる。
人を表現するにはいろいろな言い回しがある。
昨日、僕が思ったのは「不穏」という言葉だ。不安ではない。不穏である。不安の産み出すダイナミズムはフィードバックであり、
系が閉じている。一方、不穏が産み出すダイナミズムは方向が内向きか外向きか未確定である。異化的感覚といったらいいだろうか。
人は不安定にある方がダイナミズムを発揮しやすい。
セレンディピティな感覚はこの狭間に発現するように僕は思う。
安定と不安定のバランス。
散逸構造の波。
「草の竪琴」の後書きに書いてあった(と思う)螺旋を飛んでいくイメージを時々思い出す。 このイメージと縦に波打つダイナミズムのイメージは同一の対象を別な角度から描写しているように思う。
「私」という感覚をどう文脈づけるかで世界と自分ではなく自分と世界との関係が決まってくる。
「いい」(良い)について。
いい音楽、いい本、いい映画。
そこには何かしら本質的なものが含まれている。
その起点、本質は形と形以前の間の関係性であろうと僕は思う。
人は本質的にそこに反応せざる得ないのだと。そうした本質部分で人と接することができればといつも思う。
投稿者 TKM : 11:39 | コメント (0) | トラックバック
ドバイのスキー場
上記、ドバイのスキー場とのことだが砂漠の真ん中にスキー場をつくったものだから「いくらなんでもやりすぎだ」 と言われているらしい。
しかし、これ、プランとしてはかなり興味深い。
よく閃いたものだと感心するし、実現してしまうあたり「オイルパワー」
の凄さを感じる。
エネルギーとして石油が必要のない時代がくるなら現在の産油国の世界中でひとりバブルな状態は終焉を迎え、 中世なみにプレイバックしてしまうのだろうか。
「アラブの王様」 という言葉は誰でも知ってると思う。また、その言葉は過度な資産、超バブリーな生活を連想させる。けれど、 正直なところあの地域だけが世界でも浮きまくっているし、かなり異常な状態にあると僕は思う。
投稿者 TKM : 03:33 | コメント (0) | トラックバック
「コンピューターおじいちゃん」とコンテンツの形
上記、エントリーなにげなくながめていたのだけれどツッコミが面白い。
後半部分のMacとWindowsについて書かれた
追記;世の中のパソコンには、マッキンとウィンドウがあります。私はマッキンはできません。 時代はフローラです。沼田さんは私のアドバンスを無視してマッキンを買いました。 沼田さんのマッキンはマウスのボタンが一つしかないんです。私のフローラは2つ有ります。勝ちです。
マウスのボタンでパソコンの優劣が決まるのならマウスだけ買い返れ。 ってか沼田さんはドラッグのとこでも見下してたけどなんか恨みでもあるの?
の箇所を読んでいたら不覚にも吹き出してしまった。
この記事の考察のポイントはこういうことだと思う。
「コンピューターおじいちゃん」
→たいしておもしろくない
「エントリーでのツッコミ」
→編集が入る為、 笑いのポイントが明確になり面白さが浮き彫りになる。
という関係があるのかな、と思った。
この構造は「モノマネのおもしろさ」と似ている。
クラスにひとりくらいはモノマネの上手な生徒がいる。 その生徒が教員のモノマネをする。やたらと面白くてクラス中が笑いに包まれる。だったら当の教師が登場したらどんなに面白いだろう。 ところが教師が登場しても全く面白くない。
モノマネの過程で対象が編集され表現に変化することで情報の質が変わり「面白さ」が発生する。
上記のエントリーでのツッコミもこれと似ている。
またネット上の超ニッチなコンテンツ群の中には上記のような「情報の編集・加工」
によって強烈な面白さを発揮するものが少なからず存在するように思う。
こうした情報の編集的表現はネットとコンテンツの一つの形だと僕は考える。
投稿者 TKM : 02:12 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月08日
TKMJ@Podcast vol.15 モロモロ雑感12/8 合格発表!そしてイノシシの夜とトルコ語。プレゼンとスピーチと再び「ザ・サーチ」
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・やまけん
追記:中盤「アノー」というつなぎの言葉が多い箇所ができてしまいました。反省点です。
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投稿者 TKM : 13:05 | コメント (0) | トラックバック
久しぶりに中央大学へ
ドアtoドアで約2時間に及ぶ電車の旅。
中央大学にいってきた。
急遽、スピーチなどやりました。
詳細は明日書きます。
久しぶりに長時間電車にのったせいか頭が回らないです。
帰りの電車でスガシカオの曲を聴きながら眠ってしまいました。
モロイさんとナリタ達と笑っている夢をみていたら現実世界でも笑っていたみたいで笑いながら眠っていたようです。
自分でいうのも何だけれど幸せ過ぎる絵だ。
投稿者 TKM : 00:27 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月05日
こんな人間がいたのか?! これは超人である!
まずは
の映像をみていただきたい。
このような動きが人間に可能なのだろうか?
マンガか映画の世界でしかみたことがないようなアクションの連続に頭がクラクラしてしまった。
考察は後ほど。
投稿者 TKM : 14:02 | コメント (1) | トラックバック
2005年12月04日
久しぶりにフラッシュコンテンツについて考える その1
明日、ポッドキャストで触れようと思うけれどこうしたコンテンツが量産されている件について考えてみたいと思った。
上記はパロディ系のFLASH作品なのだがこうした作品の方が面白いと思えてしまうのは著作権を無視した自由さがつくりだす 「未体験性」が理由だろうか。
上記のような作品が自由に製作、配信できればより多くの人が曲を耳にすることになるのだから、 アーティストにとっては必ずしもマイナスなだけではない、と思う。
上記の作品はパロディだが新しさがある。
僕が考えたいのはそこなのだ。
面白いと感じる作品があること。
それが何よりも重要なことで、それを阻止したり、ブレーキになってしまうような制約は消えるべきだと思う。 コンテンツの管理には保護や拘束とは別のあり方が必要とされている。
例えばだけれど自然な声はまだエディタでつくれないのだが、これができるようになったらどうなるのだろう。
自由に声と歌がつくれるようなったら、全然違ったコンテンツがわんさかとでてくるのだろうか。
FLASHだってこんな使われ方をする予定じゃなかったろうし。
この曲もコンテクストによってこれだけ印象が変わってしまうとは思ってもいないだろうし。
こうした作品には何かしらのクリエイティブがあるわけで。
それが自分のどこかに訴えかけてくる理由なのだと僕は思う。
これなんかもスゴイなあと思う。デザイン会社やFLASHの専門家がつくる作品、 コンテンツ配信会社がつくるようなコンテンツとは全然違う。クオリティは決して高くないがパワーとか「楽しんでる感」が伝わってくる。 僕はこうした熱のようなものこそコンテンツ・パワーの源流ではないかと思う。
いくつか面白い作品をみつけたのでこれもメモしておく。
上記は正統派のアニメーション作品である。
よくもまあFLASHでここまでつくるものだと感心してしまう。
投稿者 TKM : 04:21 | コメント (1) | トラックバック
2005年12月02日
TKMJ@Podcast vol.14 モロモロ雑感12/2 Skype2.0を体験せよ、空を飛ぶ夢をみて思うこと、生と死と映画オアシスと放課後の音符、人が惹きつけられる店とは
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追記:
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投稿者 TKM : 17:55 | コメント (0) | トラックバック
書くことと話すこと
「海を飛ぶ夢」を見終えた。
中盤、ある映画のことを思い出した。
という韓国映画である。
今年みた映画の中で最も印象深い一本のひとつだ。
繰り返しになるが僕が映画に求めるのは「異化」という体験である。
感動や悦びの感覚にも心ゆさぶられるが「異化」
はそれらの感覚とは別な位相にある。
「海を飛ぶ夢」にも用いられていたが、オアシスの劇中で用いられた異化表現は強烈であった。
異化を感じさせられた作品は幾つかある。「ユリシーズの瞳」等、一連のテオ・アンゲロプロス作品には感覚をディストーション(歪める) させるシーンがいくつも見受けられる。
禅問答は言葉と意味を分離させるような言葉の用法を用いる。人の脳は意味の存在しない言葉から意味を読みとろうと躍起になる。 映画における「異化」もこの反応と同種の反応を引き起こす。僕にとってのコンテンツ性の中心にはこの感覚がある。
「ディストーションと異化」
脳内で言語が非言語的な働きをしているような感覚である。ズレる感覚は自分を魅了する。どうして引き込まれるのかはわからない。ただ、 反応せずにはいられない。脳的なのか感覚的なのか。おそらくその狭間の領域に座す感覚なのであろう。
「混沌をベースとした言語理論」
はこうした感覚の奥に存在する。人工言語の向かう先もこの周辺にあるのではないかと思う。
「秩序である言語によって非秩序である心を現せるのは何故か」
それが自分の出発点であった。いまだ、 自分にわかる言葉の範囲でしか言えないがそれはテキストの後ろに存在する不可視なテキストによる、と僕は考えている。 ソシュールが後期でアナグラムに没頭していったのはそこと関連しているのではないか。10年前にはじめてソシュールの研究について調べた時、 そう思った。
あらゆる物語はここという一点からスタートし、最後の点で終わる。自分はどの時点の何をみているのだろう。何故、この一点 (例えばこの文字)が意味を有するのだろう。
読む、観るという行為の中に「今」「未来」「過去」はホロニックに存在しているのだ。
先行的理解という解釈学の考え方を知り、そう考えるようになった。しかし、 それがどのように創造性の発現に利用できるのかはいまだわからずである。
いま僕はubicastというブログエディタでこの文章を書いている。
しかし、このソフトウェアそのものに先行的理解が介在するようなインターフェイスが実装されていたらどうだろう。
ブログというシステムそのものが創造性をドライブさせる機能を持っていたら。
ソフトウェアは狭間な存在になっていく。
創ることとコンテンツを消費することがパラレルに存在するようなソフトウェアがあっていいし、未来はそこに向かっているように思う。
デジタルステージが「ID for Weblife」のコンセプトを発表したときに衝撃を受けたのはそこに「旅のモード・ メタファーでWebサイトを構築する」と書かれていたからだ。発表されているソフトはそうはできていないのだが、 初めてその一文を読んだときに自分の脳裏には体験的にコンテンツを生成するエンジンのビジョンがあった。
なんだか胸焼けが酷くて吐いてしまいそうだ。
「嘔吐」は10年以上前に最初の数ページだけ読んだ。いまだに一年に一度は手に取るが毎回、数ページ読んで止まっている。
山田詠美の「放課後の音符(キーノート)」を高校生の頃に読んだ。感動はしなかったが最初の一編を読んだ時にグラリと来た。 人は言葉によって思考を限定される。高校生の頃の自分もそうだった。意識は一般という言葉や普通という言葉をベースに規定され、 TVメディアが思考の幅を決めていたように思う。
テキストはTVというメディアとは別な位置にあるせいか(自分も記することができるという点で)可能性を持っているのだな、 といま思った。書くことはまた面白いかな。
話すことと書くことは異なる。
僕は話すのが苦手だ。話しているのは自分だけれど、それを話している自分はそこに発生した関係性によってつくられた自分である。
自分が自分として自律しているのは書く方の自分ではなかろうか。
ポッドキャスティングという行為は書くことと話すことの間にある。
課題はテキストは「書く」と「読む」がパラレルに存在しているのにポッドキャスティングでは「話すこと」が「聴くこと」
とリニアに存在してしまっている。
この生成プロセスにイノベーションが必要なのだ、と僕は思う。
以上、雑記である。
投稿者 TKM : 03:36 | コメント (0) | トラックバック
2005年12月01日
TKMJ@Podcast vol.13 モロモロ雑感12/1 高校生から受検報告の電話、それと恋愛の質感について
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■放課後の音符(キイノート)(この本については次回で触れていきたいと思います予告ということで)
追記:全然関係ないんですが外で3歳くらいの子供が「オーチャン」と叫んでいるのが聞こえます。友達の家に遊びにきて呼んでるんだと思うんだけれど腹の底からいい声で叫んでいるせいかこちらまで気持ちが伝わってきました。
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投稿者 TKM : 14:34 | コメント (0) | トラックバック
夜と朝

以前にも書いたが夜が朝に変わる時間。
昼が夜に変わる時間。
二つの狭間な時間に自分は強く惹きつけられる。
自分の奥底にある本質が感応しているように思う。
昨日もそんな話をしていた。
自然や地球や宇宙を感じるような時間に出くわすとそれがいまこの瞬間にしか存在していないもので、 一瞬あとには消えてしまうことが直感的にわかるから、いまという儚くうつろう時を誰かと共有しホロニックに記憶しておきたいと願うのだろう。
それが切なさというものであろうと僕は思う。

夜の紅葉は美しい。
しかし光がなければこの景色も存在しない。
写真とは光を写し取ることだ、とどこかで読んだ。
色を美しいと愛でるのは人の性である。
これもまた固定できないものだ。
木々は人の為には存在していない。
夜であれ昼であれ同じようにそこにある。
以前、茂木さんが
「ティルマンズの写真をみるとゲイの人には世界の関係性がこうみえているんじゃないか、を感じさせる」
というようなことを言われていた。
他者の目には世界はどのように見えているのだろう。
気配でもいいからそれを感じられるなら世界は丸くなっていくのだろうか。





