2004年11月02日

深夜特急・沢木耕太郎 テキストと現実の強烈なギャップによってつくられたコミカルなシーンに爆笑

昨夜、福島から東京に戻る途中、うとうとしていると特急が止まった。

人身事故の為、停車するとアナウンスがあった。しばらく眠った。約30分ほど遅れて上野に到着した。噂にきく「東京牛丼」を食べようとしたが場所がわからず断念した。家にあった永井荷風や沢木耕太郎の本数冊を鞄につめてきたせいかやたら重い。指に食い込む重さである。時々手を持ち替えて大江戸線の駅に向かう。

なにかないかと押入のふすまを開くとハードカバーの「深夜特急」1~3が積んであった。妹が持っていたものだろうか。1、2巻は文庫で読んだことがある。日曜日の朝にお風呂につかりながら未読だった3巻を読み始めた。意外にもはまってしまい30分ほど読み続けたらのぼせそうになったのであわてて上がった。

深夜特急の第3巻はトルコからロンドンまでの旅路の記録である。2巻が出てから3巻がかかれるまで6年のブランクがあるのだと以前、バシ師匠に教えてもらった。後書きをよむと確かにその通りであった。

最初、バシ師匠にその話をきいた時は一つの旅を終え6年後にその旅を仔細にわたり振り返ることなどできるのだろうかといぶかしんだが実際に読み進めてみるとリアルタイムで書かれているとしか思えない躍動感がある。

各シーンの描写の多くが映像的であることがその理由なのだと思う。このリズム感に慣れてくると読み進めるのが面白くなってくる。しかし、自分も旅をしている、という感覚とは違う。見知らぬ他者ではなく友人からの手紙を読んでいるような。旅人の思考の方向性、パターンが段々と身体になじんできて親近感がわいてくる。

紀行文という形態ではあるけれどこれも創作なのだ。
ギリシャに入ったあたりで上野駅に到着した。結局、電車の中では10ページ程度しか読み進めることができなかった。疲れて眠ってしまったのだ。上野に向かう電車の中で売り子のおばさんの声が気になって眠りの底から幾度か呼び戻された。

「コーヒー、サンドイッチ、いかがですっか」

テキストにしてしまうとなんということのない一文である。しかし「いかがですか」ではなく「いかがですっか」と「ですか」の言い回しに妙なイントネーションがあって、それは彼女(60歳くらい)の自己表現なのだろう。これが私の売り方、技なのよ、という意思が感じられるのだ。

営業成績だけみていると彼女はやり手であろう。
彼女は車両を通過する間、最低でも5人くらいは何かを購入している。短い車両構成のため30分に一度くらい訪れるのだが毎回そのくらいは販売している。
これまでの「スーパー日立」乗車経験の中で彼女ほどの車内販売の猛者にはあったことがない。

しかし、僕にはそんなことはどうでもよく彼女が通るときに人々の物欲を刺激しているのであろう「いかがですっか」がどうにも気になってしまい、しまいには妙に神経を逆なでされるあまり嫌悪すら覚える始末であった。

深夜特急の旅とは雲泥の差ではあるがこれも旅の話であろう。

話を深夜特急にもどそう。
僕が読んだ100ページくらいの間で抜群に面白い場所があったので紹介しておきたい。

ハードカバー版で22ページ~23ページにかけての部分。
沢木はトルコの国境を越えエルズルムという街に向かうバスに乗っている。ところがバスに乗ってすぐ彼はトイレにいきたくなる。これを我慢する描写がバツグンに面白いのである。僕の中にあった深夜特急の沢木は少し斜にかまえて物事を引きの視線でとらえるというイメージがあったのだがこの便意の描写シーンは別格に面白い。なんというかただトイレにいきたいのをいかに我慢するか、しかたをいってるだけなのに大仰な描写でそれが語られるのが逆説的にコミカルで笑ってしまうのである。

「どうやら下痢に近い状態になっているようだ」

「間歇的に襲ってくる激しい便意にただ拳を握りしめて耐えることしかできない」
と文章は冷静なのだが絵面を想像するとテキストと実際のシーンのギャップが妙なおかしさをつくりだしている。意図していないとは思うがこれはスゴイ。
このシーンだけが別格に面白いのだ。
このシーンだけでも読む価値がある。

それにしても旅を終えて6年の月日を経てからこのシーンを書き出せるとは。
作家とはすごいものだ。

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投稿者 TKM : 05:08 | コメント (3) | トラックバック