2005年12月12日

裏庭の中国

結婚式も終わり、ゆっくりと眠った。
式についてはポッドキャストで報告したい。

(オレの記述で誤解される部分が多かったようなので修正しました)

昨日の式はタフな時間であった。
その反動か昨夜は早々に就寝。

今朝方はたくさん夢をみた。
島の郊外にあるドーム状の建物は大規模電気店になっている。その店を巡回する。店は広く大きい。 出入り口付近でヤマケンとホリエモンが筆談していた。なるほど、この島では筆談がブームなのか。僕も参加してみた。 アイデアが浮かんだのでその本のプランをまとめていった。

そのプランを持って外にでると。坂道が水に覆われていた。著名なカメラマンが波打つ水をさかのぼっていった。 彼の姿が水の壁に吸い込まれていく。頂上から降りてくる人々もいる。それらを見ていた。

公園でぶらぶらとしていると中国人の女性に声をかけられた。パキスタン人の男性やブラジルの女性も声をかけてくる。 英語で対応しているのだが彼女たちは日本語で答える。しばらくそうやって歩いた。ベトナムの女性が子供をつれて歩いている。 彼女と二言三言話した。何かを上げようと思ってカバンの中を探すが何もみつからない。男児の目は遠くをみているようだった。

川につくと二つの勢力が闘争をつづけているようだった。まきこまれないように水面に浮かんでいた。 片方の生命体が開発したエルモと呼ばれる戦闘機を眺めていた。10機くらいの変態がアクロバティックな飛行を繰り返している。 ITSを1000倍発達させたような自己統制システムによって彼らの機体は情報化され、生命的な振る舞いをするようであった。 形状は通常の戦闘機に似ているのだが曲線が多く、バルキリーを情報化で丸くしたようなイメージである。 青みがかった緑とオレンジが迷彩模様を描いている。

彼らは敵対している生命体との闘争の渦中にある。リーダー格の一機が雲の中に機体を隠すように指示を出すと続き機体も皆、 雲の中に消えていった。ぶつからないのだろうかと不思議に思ったが情報化が進んでいる為、機体同士の自立性は保たれ、 同時に相互依存が成立しているのであった。

地上を歩いていると中華料理屋が立ち並ぶ谷についた。谷の入り口にはシャレたカフェのような中華料理店が何軒も並んでいた。 その中の一件はベトナム人のヤーさんがやっている店だ。彼は奇跡的にこの店をつくりあげた。カウンターだけの小さな店だが味があって素敵だ。

その隣には日本人のやっている店がある。この店は下方向に二階建てになっている。谷の入り口近くに若者がやっている店があり、 ここはメニューもカフェに近い。ただし、僕はこういう店はあまり好きではない。適当に洒落ているだけで味も中身も伴っていない。 そうした店が量産されているのは哀しい限りだが、消費者の意識が低いことで引き起こされた現象でもある。 表面だけ洒落ているといったインチキくさい店が兎角多いのは人々の間に「気持ち」で行動することが減ってしまっているからだろうか。

僕が「気持ち」という時、これは自分だけの気持ちを言っているのではない。自分に関わる相手の気持ちも含めた気持ちである。 気持ちは単独で存在しているわけではなく、相手との相互作用の所産である。それがわかっていない人が驚くほど多い。 自分の気持ちだけを見るものだから、逆説的に相手に気持ちを左右されてしまいがちだ。 相手を含めた状態で気持ちを見るようにすればアウトサイドインな状態はなくなる。

その後、吉田と古賀が意識状で融合された日本で最も高潔で高名な柔道家と対峙する機会を得た。彼は偉大であった。組み合う前に 「こちらからは技はいっさいかけないから」と僕にいった。左手を掴み組みにかかる。びくともしない、というのではなく、 むしろあたたかささえ感じる。技をかけにいっているのに舞っているような心地良さだ。

これが真なる人の奥深さなのだろうか。
素晴らしい体験であった。

投稿者 TKM : 11:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月10日

夢見 螺旋にリンクしていく不思議な世界

河原を歩いていたら遠くから川が逆流してくるのが見えた。50cmくらいの波が河口から昇ってくる。ちょっとこれはマズイぞ、 と感じたので近くをあるいていたショウコちゃんに

「オイ、これはちょっと危ないので登った方がイイゾ」

と声をかけた。土手まで上ると波はチョコレートのブロックに似た形のコンクリを覆っていった。土手からそれをみていた。 自転車で家に帰るとシャレた青年が管理人に挨拶をしていた近々引っ越してくるかもしれないのだそうだ。 BMWに乗っている7Fのオジサンの部屋が貸しにでているらしい。どうですか、とたずねられたので

「川に面してないとパッとしないですよ」

と答えた。後ろでは管理人のオバサンが「屋上がいいのよー」と言っていた。

そうこうするうちに山に登ることになった。メンツはいろいろいたのだが学生達が一緒にいきましょうといって連れて行ってくれた。 河原の裏からテクテクと登っていく。山の裏は病院になっていて、そこには隔離された子供達がたくさんいた。彼らと話をする。 そのうちスティーブン・セガールが彼らのつくった秩序を強引にねじまげていくのだがその様をみていて

「セガールっぽい映画だ。まったく情緒がない」

と声に出していっていた。セガールは二人の子供をターゲットとし、攻撃を加えていった。 それによって少数だが秩序だった軍が組織され彼はその軍を率いて、侵入してくる異分子に対峙するのであった。 陳腐なストーリーだがその場に立ち会うことはかなりの先端感があった。ここは情報が現実世界と交差してる場所なのだ。

そろそろ時間なので街におりなければならない。
テクテクと歩いていたら

「カガヤさん、こっちでいきましょうよ」

と磨に声をかけられた。みれば電車の形をしたバスであった。トトロの猫バスを角張った感じにした形状である。これに揺られて5分ほど。 モロイさんが肉屋で待っている。電話すると映像が見えた。すでに到着していて、棚によりかかり(この棚は青山にある) 我々の到着を待っている。

ロープウェイシステムになっているのかバスは高所から降りていく。次ぎでおりなければならない。磨が運転手に合図をする。しかし、 運転手は気づかない。いや、気づいたようだ。

「ボタンを押して下さい」

そう言われた。言われるままに磨はボタンを押す。

「隣のボタンとダブルで押してください」

運転手がいう。複雑なシステムである。 吊革に取り付けられた赤のボタンとバーに取り付けられた白のボタンの二つを押すことで降車の合図になるのである。

バスを降り、ジープにのった。磨の車なのでパワーがありそうだ。 ところが運転しはじめると自転車のようにアクセルをこがなければ走らない。困った。そうだギアを変えよう。ローのまま走り続ける。途中、 前の車がトロトロしているので追い越そうとすると右から入ってきた虹色の塗装の車高の低い車が低速になった。 このため連鎖してそのレーンの車が更にノロノロと進む。

そろそろ高速の入り口である。
磨の車が高速で給油に向かうのが見えた。さて、こちらは。メータをみると左の方に傾斜している。これも給油かな。 満タンにしてみると4070円であった。47リットル。

投稿者 TKM : 10:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月09日

デジタルマンガSkypeをアソブ第12話 「Skypeビデオ開始編」公開です!!!!!

久しぶりにデジタルマンガが公開されました。
Skype2.0で追加されたビデオ機能についてアソブラボの二人(オレとカネコ)がアーダコーダと体験レポートをお送りします。

 
デジタルマンガSkypeをアソブ第12話  「Skypeビデオ開始編」

Skypeをお使いの方もまだの方もデジタルマンガをみてSkypeビデオの「?!」な面白さを感じてください!!

■関連情報

QVX-13 Qcam Fusion 
QVX-13 Qcam Fusion

我々がSkypeビデオで使っているのは上記のカメラです。

投稿者 TKM : 15:06 | コメント (0) | トラックバック

雑感モロモロ 人と言葉と時間と心

先週も様々な出来事があった。
出来事とそこから派生する情報が別な層で結晶化し、不安定化するという状態を繰り返していた。

リアルな散逸構造であった。

言葉によって対象のイメージは変化していく。
しかし言葉以前にも対象の本質はそこにあったわけで変化は自分の脳内で起こっている。

ここに時間という要素が絡んでくると記憶の再生過程が微妙なスパイスとなり更に非存在性を増した像をつくっていく。

こうした思考プロセスこそ「俄」の神髄である。

人と人の関係についてもよく考える。
一方には客観的な視点があり、もう一方には制御不能な意識が存在する。人の意識は両者の狭間でせめぎ合っている。

正しいものとそうでないもの、という区別をしたがるが明確な違いはない。関係性よって意味は常に反転する。 あらゆる物事は地と図の関係にあり静的に固定されたものではない。コンテクスト(関係性)によって揺らぎ反転する動的な存在である。

背反するものが共存する状態が自然なのだ、とも思う。夜と朝、白と黒、上と下、右と左、等々、 量子の世界からマクロなシステムまでどこの層にも対立した構造が存在する。しかし、それらは固定的ではないし、否定的でもない。 パラレルに存在している。

面白いのはそこだ。

「心にひっかかる」という感触がある。
たまにそういう感覚になる。

人を表現するにはいろいろな言い回しがある。
昨日、僕が思ったのは「不穏」という言葉だ。不安ではない。不穏である。不安の産み出すダイナミズムはフィードバックであり、 系が閉じている。一方、不穏が産み出すダイナミズムは方向が内向きか外向きか未確定である。異化的感覚といったらいいだろうか。 人は不安定にある方がダイナミズムを発揮しやすい。

セレンディピティな感覚はこの狭間に発現するように僕は思う。

安定と不安定のバランス。
散逸構造の波。

「草の竪琴」の後書きに書いてあった(と思う)螺旋を飛んでいくイメージを時々思い出す。 このイメージと縦に波打つダイナミズムのイメージは同一の対象を別な角度から描写しているように思う。

「私」という感覚をどう文脈づけるかで世界と自分ではなく自分と世界との関係が決まってくる。

 

「いい」(良い)について。
いい音楽、いい本、いい映画。
そこには何かしら本質的なものが含まれている。
その起点、本質は形と形以前の間の関係性であろうと僕は思う。

人は本質的にそこに反応せざる得ないのだと。そうした本質部分で人と接することができればといつも思う。

投稿者 TKM : 11:39 | コメント (0) | トラックバック

ドバイのスキー場

http://www.skidxb.com/gallery1_eng.htm?mid=1&sid=4

上記、ドバイのスキー場とのことだが砂漠の真ん中にスキー場をつくったものだから「いくらなんでもやりすぎだ」 と言われているらしい。

しかし、これ、プランとしてはかなり興味深い。
よく閃いたものだと感心するし、実現してしまうあたり「オイルパワー」 の凄さを感じる。

エネルギーとして石油が必要のない時代がくるなら現在の産油国の世界中でひとりバブルな状態は終焉を迎え、 中世なみにプレイバックしてしまうのだろうか。

「アラブの王様」 という言葉は誰でも知ってると思う。また、その言葉は過度な資産、超バブリーな生活を連想させる。けれど、 正直なところあの地域だけが世界でも浮きまくっているし、かなり異常な状態にあると僕は思う。

投稿者 TKM : 03:33 | コメント (0) | トラックバック

「コンピューターおじいちゃん」とコンテンツの形

http://ameblo.jp/anabuki/entry-10006776448.html

上記、エントリーなにげなくながめていたのだけれどツッコミが面白い。
後半部分のMacとWindowsについて書かれた

追記;世の中のパソコンには、マッキンとウィンドウがあります。私はマッキンはできません。 時代はフローラです。沼田さんは私のアドバンスを無視してマッキンを買いました。 沼田さんのマッキンはマウスのボタンが一つしかないんです。私のフローラは2つ有ります。勝ちです。
マウスのボタンでパソコンの優劣が決まるのならマウスだけ買い返れ。 ってか沼田さんはドラッグのとこでも見下してたけどなんか恨みでもあるの?

の箇所を読んでいたら不覚にも吹き出してしまった。
この記事の考察のポイントはこういうことだと思う。

「コンピューターおじいちゃん」

→たいしておもしろくない

「エントリーでのツッコミ」

→編集が入る為、 笑いのポイントが明確になり面白さが浮き彫りになる。

という関係があるのかな、と思った。
この構造は「モノマネのおもしろさ」と似ている。

クラスにひとりくらいはモノマネの上手な生徒がいる。 その生徒が教員のモノマネをする。やたらと面白くてクラス中が笑いに包まれる。だったら当の教師が登場したらどんなに面白いだろう。 ところが教師が登場しても全く面白くない。

モノマネの過程で対象が編集され表現に変化することで情報の質が変わり「面白さ」が発生する。

上記のエントリーでのツッコミもこれと似ている。
またネット上の超ニッチなコンテンツ群の中には上記のような「情報の編集・加工」 によって強烈な面白さを発揮するものが少なからず存在するように思う。

こうした情報の編集的表現はネットとコンテンツの一つの形だと僕は考える。

投稿者 TKM : 02:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月08日

久しぶりに中央大学へ

ドアtoドアで約2時間に及ぶ電車の旅。
中央大学にいってきた。

急遽、スピーチなどやりました。

詳細は明日書きます。
久しぶりに長時間電車にのったせいか頭が回らないです。

帰りの電車でスガシカオの曲を聴きながら眠ってしまいました。
モロイさんとナリタ達と笑っている夢をみていたら現実世界でも笑っていたみたいで笑いながら眠っていたようです。 自分でいうのも何だけれど幸せ過ぎる絵だ。

投稿者 TKM : 00:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年12月05日

こんな人間がいたのか?! これは超人である!

まずは

http://video.google.com/videoplay?docid=515642196227308929

の映像をみていただきたい。
このような動きが人間に可能なのだろうか?
マンガか映画の世界でしかみたことがないようなアクションの連続に頭がクラクラしてしまった。

考察は後ほど。

投稿者 TKM : 14:02 | コメント (1) | トラックバック

2005年12月04日

久しぶりにフラッシュコンテンツについて考える その1

明日、ポッドキャストで触れようと思うけれどこうしたコンテンツが量産されている件について考えてみたいと思った。

VIP STAR

上記はパロディ系のFLASH作品なのだがこうした作品の方が面白いと思えてしまうのは著作権を無視した自由さがつくりだす 「未体験性」が理由だろうか。

上記のような作品が自由に製作、配信できればより多くの人が曲を耳にすることになるのだから、 アーティストにとっては必ずしもマイナスなだけではない、と思う。

上記の作品はパロディだが新しさがある。
僕が考えたいのはそこなのだ。

面白いと感じる作品があること。

それが何よりも重要なことで、それを阻止したり、ブレーキになってしまうような制約は消えるべきだと思う。 コンテンツの管理には保護や拘束とは別のあり方が必要とされている。

例えばだけれど自然な声はまだエディタでつくれないのだが、これができるようになったらどうなるのだろう。
自由に声と歌がつくれるようなったら、全然違ったコンテンツがわんさかとでてくるのだろうか。

FLASHだってこんな使われ方をする予定じゃなかったろうし。
この曲もコンテクストによってこれだけ印象が変わってしまうとは思ってもいないだろうし。

こうした作品には何かしらのクリエイティブがあるわけで。
それが自分のどこかに訴えかけてくる理由なのだと僕は思う。

誰かエジエレキさんの絵描き歌つくってよ

これなんかもスゴイなあと思う。デザイン会社やFLASHの専門家がつくる作品、 コンテンツ配信会社がつくるようなコンテンツとは全然違う。クオリティは決して高くないがパワーとか「楽しんでる感」が伝わってくる。 僕はこうした熱のようなものこそコンテンツ・パワーの源流ではないかと思う。

いくつか面白い作品をみつけたのでこれもメモしておく。

手乗Monkey

上記は正統派のアニメーション作品である。
よくもまあFLASHでここまでつくるものだと感心してしまう。

投稿者 TKM : 04:21 | コメント (1) | トラックバック

2005年12月02日

書くことと話すこと

海を飛ぶ夢」を見終えた。
中盤、ある映画のことを思い出した。

オアシス 
オアシス

という韓国映画である。
今年みた映画の中で最も印象深い一本のひとつだ。

繰り返しになるが僕が映画に求めるのは「異化」という体験である。
感動や悦びの感覚にも心ゆさぶられるが「異化」 はそれらの感覚とは別な位相にある。

「海を飛ぶ夢」にも用いられていたが、オアシスの劇中で用いられた異化表現は強烈であった。

異化を感じさせられた作品は幾つかある。「ユリシーズの瞳」等、一連のテオ・アンゲロプロス作品には感覚をディストーション(歪める) させるシーンがいくつも見受けられる。

禅問答は言葉と意味を分離させるような言葉の用法を用いる。人の脳は意味の存在しない言葉から意味を読みとろうと躍起になる。 映画における「異化」もこの反応と同種の反応を引き起こす。僕にとってのコンテンツ性の中心にはこの感覚がある。

「ディストーションと異化」

脳内で言語が非言語的な働きをしているような感覚である。ズレる感覚は自分を魅了する。どうして引き込まれるのかはわからない。ただ、 反応せずにはいられない。脳的なのか感覚的なのか。おそらくその狭間の領域に座す感覚なのであろう。

「混沌をベースとした言語理論」

はこうした感覚の奥に存在する。人工言語の向かう先もこの周辺にあるのではないかと思う。

「秩序である言語によって非秩序である心を現せるのは何故か」

それが自分の出発点であった。いまだ、 自分にわかる言葉の範囲でしか言えないがそれはテキストの後ろに存在する不可視なテキストによる、と僕は考えている。 ソシュールが後期でアナグラムに没頭していったのはそこと関連しているのではないか。10年前にはじめてソシュールの研究について調べた時、 そう思った。

あらゆる物語はここという一点からスタートし、最後の点で終わる。自分はどの時点の何をみているのだろう。何故、この一点 (例えばこの文字)が意味を有するのだろう。

読む、観るという行為の中に「今」「未来」「過去」はホロニックに存在しているのだ。

先行的理解という解釈学の考え方を知り、そう考えるようになった。しかし、 それがどのように創造性の発現に利用できるのかはいまだわからずである。

いま僕はubicastというブログエディタでこの文章を書いている。
しかし、このソフトウェアそのものに先行的理解が介在するようなインターフェイスが実装されていたらどうだろう。 ブログというシステムそのものが創造性をドライブさせる機能を持っていたら。

ソフトウェアは狭間な存在になっていく。
創ることとコンテンツを消費することがパラレルに存在するようなソフトウェアがあっていいし、未来はそこに向かっているように思う。

デジタルステージが「ID for Weblife」のコンセプトを発表したときに衝撃を受けたのはそこに「旅のモード・ メタファーでWebサイトを構築する」と書かれていたからだ。発表されているソフトはそうはできていないのだが、 初めてその一文を読んだときに自分の脳裏には体験的にコンテンツを生成するエンジンのビジョンがあった。

なんだか胸焼けが酷くて吐いてしまいそうだ。
「嘔吐」は10年以上前に最初の数ページだけ読んだ。いまだに一年に一度は手に取るが毎回、数ページ読んで止まっている。

山田詠美の「放課後の音符(キーノート)」を高校生の頃に読んだ。感動はしなかったが最初の一編を読んだ時にグラリと来た。 人は言葉によって思考を限定される。高校生の頃の自分もそうだった。意識は一般という言葉や普通という言葉をベースに規定され、 TVメディアが思考の幅を決めていたように思う。

テキストはTVというメディアとは別な位置にあるせいか(自分も記することができるという点で)可能性を持っているのだな、 といま思った。書くことはまた面白いかな。

話すことと書くことは異なる。
僕は話すのが苦手だ。話しているのは自分だけれど、それを話している自分はそこに発生した関係性によってつくられた自分である。 自分が自分として自律しているのは書く方の自分ではなかろうか。

ポッドキャスティングという行為は書くことと話すことの間にある。
課題はテキストは「書く」と「読む」がパラレルに存在しているのにポッドキャスティングでは「話すこと」が「聴くこと」 とリニアに存在してしまっている。

この生成プロセスにイノベーションが必要なのだ、と僕は思う。
以上、雑記である。

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2005年12月01日

夜と朝

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以前にも書いたが夜が朝に変わる時間。
昼が夜に変わる時間。
二つの狭間な時間に自分は強く惹きつけられる。

自分の奥底にある本質が感応しているように思う。
昨日もそんな話をしていた。

自然や地球や宇宙を感じるような時間に出くわすとそれがいまこの瞬間にしか存在していないもので、 一瞬あとには消えてしまうことが直感的にわかるから、いまという儚くうつろう時を誰かと共有しホロニックに記憶しておきたいと願うのだろう。

それが切なさというものであろうと僕は思う。

 CA310178

夜の紅葉は美しい。
しかし光がなければこの景色も存在しない。
写真とは光を写し取ることだ、とどこかで読んだ。
色を美しいと愛でるのは人の性である。

これもまた固定できないものだ。

木々は人の為には存在していない。 
夜であれ昼であれ同じようにそこにある。

以前、茂木さんが

ティルマンズの写真をみるとゲイの人には世界の関係性がこうみえているんじゃないか、を感じさせる」

というようなことを言われていた。

他者の目には世界はどのように見えているのだろう。
気配でもいいからそれを感じられるなら世界は丸くなっていくのだろうか。

投稿者 TKM : 07:30 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月29日

プロの心得

深夜に磨とドライブ。
久しぶりに門仲のモスバーガーにいった。
二人でしばらく話す。

「プロだったら否定や批判をしないでそれ以上のものを出していかないとだめですよね」

という磨の言葉に激しく納得であった。
このマインドが世界をよりよくしていくのである。

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2005年11月28日

70kgの壁突破!!

CA310174 
8月10日から走り始めて三ヶ月、 とうとう70kgをきった。
磨のいうとおり体重がおちはじめるまでに二ヶ月、この一ヶ月で8kgくらい落ちた感じである。
身体が軽くなったので気持ちよい。
それと前に着ていた服も着られるようになった。

それもこれも一足のシューズがはじまりであった。
神田・ビクトリア本店のあの店員の方がいなかったら今はない。

感謝します。


ADIDAS JAPAN純正 アディゼロ CS ワイド(116334)

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2005年11月27日

声について思うこと 福島電話の話

会ったことがない人と話す時はいつも緊張する。
使う言葉は同じでも伝わっている情報の質感が異なるように思う。

普段は気づかないのだけれど、対話においては言語そのものよりも音質であったり間であったり、 言葉以外が占める割合が大きいのだと思う。

以前、石井先生が東大の福島先生のコミュニケーションについてご紹介されていた。 情熱大陸でもとりあげられた方である。福島先生は目も耳も聞こえない。先生のコミュニケーションの手段は掌をタイプライターにみたてた 「指点字」という方法である。福島先生とお母さんが考案・開発したコミュニケーションの方法である。

衝撃をうけたのは視覚も聴覚も閉ざされている福島先生が石井先生と電話で話している映像だった。石井先生は普通に電話で話している。 そして福島先生も電話で話している。何がどうなってこうしたコミュニケーションが成立しているのか最初はわからなかった。 福島先生の隣にいる翻訳者の方が石井先生の発話を指点字に変換し、福島先生に伝える。それを瞬時に言語化し、 福島先生は受話器に向かって話す。

受話器の向こうにいる人は福島先生が盲ろう者であることには気づかない。
これが有名な「福島電話」である。

情熱大陸の放送を見て僕が強く印象を受けたのは福島先生の次ぎの言葉であった。

「僕は目も見えないし、耳も聞こえないから、有利なんですよ。 その人の言葉からその人を感じるしかない。その人がどんな容姿をしているか。どんな声をしているかと関係なく、 その人の言葉からその人を判断することができる」

およそこのような内容であった。

僕らはその人がどんな人かを判断するときにもの凄く多くの情報を瞬間的に並列処理して判断している。 けれどそれが正しいとは限らないし、情報が多すぎれば逆に本質を見逃すこともある。

「言葉だけを見て相手を判断する」

これ、深いなあと思うのである。
そしてスゴイなあ、と。

さきほどある人と電話で話をしたのだが違和感がないのが不思議であった。今朝までは見知らぬ人であったはずが、 いまは以前からの友人であるような感じさえする。コミュニケーションは脳を活性化させるのだろう。

投稿者 TKM : 17:55 | コメント (0) | トラックバック

午前5時の三日月

深夜、ポッドキャストの録音を終えてから銀座へ。
銀座の土曜日といえば映画の日である。

その帰り道。
自転車で月島に戻る途中、和光の前あたりでふと見上げると三越のビルの向こうの方にぼんやりとした光がみえた。しばらくいって、 歌舞伎座を通り越したあたりで月がみえた。おぼろに輝く三日月であった。

上弦の月の最後といった感じだろうか。月の左半分が輝くのが下弦の月。右半分だと上弦の月である。

月をみていたら、そのまま帰るのが惜しくなり、トマトジュースとビールを買った。
この飲み方、タドがよくやっていた。

先週、朝シャンという言葉を久しぶりに聞いた。
朝にシャンプーすることかと思いきや「朝にシャンパンを飲む」 ことだそうである。

普通やらないと思うけれど、自分にとっては懐かしい。

学生時代のある夜の事。

その数日前、後輩の友人に頼まれてちょっと世話してあげた。お礼にこのお酒を渡してくださいと言われました、 と後輩がお酒を届けにきてくれた。

お酒についてはよくわからなかったので、ありがというと言って冷蔵庫に入れておいた。

そのころは朝7時くらいに眠るのが常だったのだがその日は寝付かれずなんだかノドが乾いていた。そういえば昨夜、 後輩がお酒を持ってきてくれたっけ。そう思って冷蔵庫をあけ包みをほどくとシャンパンであった。シャンパンといっても水分には違いない。

子供の頃に飲んだメルシャンのジュースみたいなものだろう。そう思っていた。
ポンと音を立てて栓が開いた。

グラスについで飲んでみる。

ン?!

アレ?!

なんか美味しいぞ。不思議なのである。ワインやビールよりも美味しいのだ。これは一体?! 飲みながら気持ちがもりあがってきてしまいキーボードに向かって文章など書き始めたら、これが妙に楽しい。気づくと1時間くらい経っていて。 良い感じである。

意外に美味しいじゃないか、なかなかいいぞ。
と気分良く眠った。

翌日、後輩がたずねてきた。

「カガヤさん、昨日のお酒ってなんでした?」

「あ、あれ。いやー、美味しかったよ!そこに空き瓶おいてあるよ」

「へー。アァァァ!!!!!!カガヤさん!!!」

「ン?!」

「美味しいって。カガヤさん、これドンペリじゃないですか!!!しかもこれロゼですよ! !!」

「ヘッ?!」

「エッって何で、オレも呼んでくれなかったんですかーーーーーーーーー!!」

なるほど美味しかったわけだ。あれが世にいうドンペリというヤツだったのか。 ドンペリというモノを飲んだのははじめてだったが確かに美味しかった。ノドが乾いていたせいもあったけれど、 朝に飲んだシャンパンがドンペリだったとは。

しかも全く気づかずに飲んでいたのが良かった。先入観になしに純粋に味を楽しんだわけだ。

加えていうとコップ酒状態でやってしまった。けれど、いまだにこの時飲んだシャンパンが一番、美味しかったように思う。


ドン・ペリニヨン・ロゼ・[1995]年
(これだったのか…。スマン、次回は誘うよ…)

投稿者 TKM : 07:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月26日

これじゃ複雑すぎてまるで保険商品 ドメイン移管に関する手続きをつうじて

メモ程度にまとめ。
KAGAYA.COMというドメインを取得してはや10年近くになる。
いくつかのホスティングサービスを乗り換えてきたのだがドメイン自体はNetworksolutionsで管理している。 いま使っているホスティング会社を早急に変えようと決意したのだが、どうにも手続きが煩雑でずっとやれずにいた。 さくらインターネットに変えようとしているのだがDNSのポイント先を変えるというオプションがなく、 ドメイン自体を移管しなければならないらしい。

Networksolutionsを使う金額的な利点も薄れてきたのでこの際、移管してもよいかな、 と思って手続きをはじめると昨年から管理体制に変更があったようで「REGISTRAR-LOCK」なるものが追加されていた。 これを外そうとNetworksolutionsの管理ページからログインするのだがどうにも様子がおかしい。 (ここまで情報を集めるのだけでも結構大変であった)

どうログインしても「Domain Protect」がエディットできないのである。
悪戦苦闘すること30分。ようやく事態が飲み込めてきた。

一つのドメインに対して管理アカウントが二つ設定されておりこれらをマージしてやらないと管理画面がフルで機能しない状態になっていたのである。 過去のファイルを探り当ててもうひとつのアカウントでログインするとあっさりエディット可能になった。

現在のアカウントとマージし、REGISTRAR-LOCKの解除を完了。
これで移管手続き完了か、と思いきやDBの更新はリアルタイムではないようで反映されず。
というわけで、今日できる作業はここまで。

ここまで2時間くらいあーでもないこーでもないとやっていたのだけれど、あまりにも複雑。 流れがわかってしまえばなんてことはないのだが、包括的な情報が無さ過ぎである。

医療知識が独占的な状態におかれているのと似ている。
金融商品も同じようなものだ。

それ自体が複雑なのではない。
本質にリンクした必要とされる情報が少ないのである。

わかってしまえばシンプルな構造だけれど、レイヤー毎に欠落してる情報があって、それらが絡み合うと全体が迷宮化してしまう。

この感じってヘンに複雑化してしまっている保険商品みたいな印象を受けた。

以前、「保険つっても所詮はカネ集めて運用してるだけなわけでネズミ講と構造はかわらん」と書いたらFPの人から

「保険商品でも立派に資産運用になります。なんならコンサルティングにいきます。」

とコメントをもらったのだけれど資産運用系の商品は保険部分のコストがかかってるわけだから他の資産運用手段に比べてパフォーマンスが落ちざる得ない、 と僕は思うのだけれど。どうでしょ?この部分に関しては反論はないと思うんですが。

保険についてはプロじゃないのでアレだけれど、格安を組み合わせるのが効果的じゃないかと思う。まあ、 それには保険に関する知識が必要だからちょっと勉強しなきゃならないので、それをコストと考えるとなんとも言えないのだが。

大手生保がやってる総合系の保険は経費率が高いから格安生保に比べると競争力がない。それをごまかすのに複雑化している。 というのが僕の理解です。

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2005年11月25日

「ザ・サーチ」 必読書である理由→スラスラ読めない

まだ読んでる途中なので詳しくは書かないけれどネットとビジネスの本質に関わる洞察に満ちている。

ともかく紹介せずにはいられなかったのでエントリーを書いてみた。

「ネットって何ですか?」

という問いには無限の答えがあるだろう。
ポイントはここだ。

ひとりひとりが思い浮かべた答えの根幹には個人の「意識」「意志」がある。
そして最初に感じた「何か」は何らかの本質とつながっている。

ようやく120ページまで読み進めたのだが、その思いは強まるばかりだ。 このエントリーは僕以外の人には全く重要でないかもしれないが自分にとっては重要である。

思考の方法がわかってきたように思う。

ザ・サーチ グーグルが世界を変えた 
ザ・サーチ グーグルが世界を変えた

追伸:表題だが「スラスラ読めない」 というのは難解という意味ではなくその回路が頭の中にないので構築しながら読むというプロセスの意である。 これがないコンテンツや読書は消費的であり、創造性とはリンクしない。同様の指標は生活や人間関係にも当てはまる。 素通りできない書籍やコンテンツとの接触機会を意識的に増やすことで人の思考力の質は飛躍的に向上する。しかし、それをドライブさせるには 「アウトプット」の作業が必須であり、これの開き方によって個人の生き方や質が決まってくる。 遊んでいるように見える人でも実は遊んでいない場合もある。違いは思考するという選択をするか否かである。また、思考の質と善悪という指標はリンクしていない。 今と別の今はエンタングルな関係にある。これは真理である。

追伸2:読むことが書くこととパラレルに存在し、同時に情報として発信されるような「読み」がつくりだせないものか、と常に思う。 現在、「読む」はそれで完結してしまっているが「読む」の価値は絶対的なものではなくそこにあるテキストと読者との関係性である。 「読み手がどう感じたか」という情報が読むという行為と同時に創造されている。しかし、 それらが情報の生態系をつくるようなシステムは内包されていない。ブログは異様にプリミティブでまだできあがってもいないが現段階では 「テキスト」と「読む」が近づいた中間的存在である。

投稿者 TKM : 02:48 | コメント (0) | トラックバック

そういえばキャラ弁あったっけ 「キャラ弁考」〜食べ物がコンテンツ化していることについて 〜

この間、中塚さんに教えてもらったのだけれど「キャラ弁」 なるものを創っている主婦の方がいる。

★彡高3次男へ虐待弁当?キャラ弁★彡

上記がキャラ弁サイトである。 (本当は画像を張りたいのだがそれだとオレが利用してるみたいになっちゃうのでまずは何も考えず、上記のサイトをクリックしてみてください)

たけくまメモでもたけくま先生が熱く紹介している。 (勝手に画像張っちゃってるけれどこれってルール違反では? このあたりのストレスをなくし情報の流通を最適化するためにもクリエイティブコモンズなど利用に関するルールがクレジット表記されていることは大事だと思う)

話をキャラ弁に戻そう。
先日紹介した男前豆腐と同じようにお弁当も形状が在る程度、形式化してしまっているので商品の差別化にはこうした「オヤ!?」が必要である。 僕らは食材を食べたくて弁当を買うのだが、買うという行為の時点で味への渇望が明確でない場合、面白さ、 新しさを求める脳的な欲求が大きな影響力を持つ。

つまり、

「ナンダコレ!?」

と反応してしまうコンテクストとコンテンツは内容と同じくらい大事なのである。それらとの相互作用によって内容もまた影響を受ける。 モノの本質は変わらなくとも、受け取る我々の脳の状態が変質するのである。

しかしまあ、このようなお弁当がコンビニに存在していないことに僕は注目する。
方法はわかっているし、企画もあがったハズだ。

でも、これらはロングテールなの尻尾側であってまだコンビニで扱える商品にはなっていないのだ。
Googleアドセンスのようなコンビニがユビキタスに存在するようになったら、 衝撃のキュービタルワールドだけれどね。

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2005年11月24日

安易な奇跡はない

いつ頃からか忘れたけれど表題のこれ座右の銘というのだろうか物事に対する自分の心証である。

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やまけんの気持ちがよくわかる

先週くらい仕事や出来事や思考やらが100倍くらいの濃度でガーっと頭を駆け抜けていて、 ようやく情報量に頭がなじんできたようで活性化してる感じがする。

感じることが多すぎて、 書きたいことが溢れんばかりに脳をぐるぐるとよぎっていくのだけれどそれを文章にしてここにつなぎとめる作業が全然おいつかない。 ライブで記録しないと体験の瞬間の感情や感覚が流れていってしまう。ライブ感がないテキストを書くのは難しい。

だからすぐに書き留めればいいんだけれど感じた瞬間を逃すと「書く」という作業にはそれなりに負荷がかかってきてしまう。 脳が記憶をリコールさせ、再現しようと躍起になってるのがわかる。これはやっぱり負荷なんだろう。

入ってくる情報をライブで文章にしていくスピード感にまだ慣れてないのである。日記みたいにただ書くならばできるけれど、 記録として書くのと、 感覚を書くのとでは文字を使うという意味では同じだけれど使っている脳の機能の質が全くことなる。

書こうと思っていたことをメモした紙をみると

・Kentaka
・Akira Kurosawa
・Four Bros

と書いてある。これらの言葉から何を自分が感じていたかを想起することは僕には可能だけれど他者には不可能だ。

自分の中にわき起こった「伝えたい」という気持ち。僕にとってこの時の感覚が全てといってもいい。この時、僕は何も考えていない。 ただ感じた何かを「伝えたい」という気持ちだけがある。僕はそういうのがいい。

表題の件について。
よくやまけん

「忙しくて本当に書きたいことはやまほどあるのだけれど書けない!!!!!!!!」

と書いているがその気持ちがよくわかる。僕も書きたいことが山ほどある。しかし、書けないのである。そう、ありすぎて書けないのだ。 脳が感じるスピードと書くことの間のギャップがありすぎてまだこのスピード感に慣れてないのである。そしてこういう時はとても悔しい。クソ、 書きたい、でも書けない。気持ちは伝えたくてしょうがないのだけれど脳と身体がおいつかない。これってとても悔しいのである。

だから、ポッドキャストならばできそうなので、やり方を考えてみます。(ここ面白い感覚です。 話のはできると思うけれど書くのはできないんですよ。おそらく僕が感じた感覚やら感情やらは文字として固定してしまうと揺らぎがなくなって変質してしまうんですね。 例えば好きだという感情を伝えるのに「好きだ」と書くアホな作家はいないですよね。文字を使う場合、 文字の後ろに浮かび上がるもうひとつのテキストがつくりだす質感によって感情やら気配を伝えるしかないんです。音声の場合、 それ自体が揺らぎをもっているので感覚を表現する際に使える情報量が圧倒的に多いのではないかと思います)

投稿者 TKM : 01:44 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月23日

「川本真琴」 久しぶりに音楽で感動!音楽と非可逆性と儚さと

昨夜は某プロジェクトミーティングの後、ミーティング第二部。
オレ以外は皆さん音楽関係の仕事をされている。

何かの流れでイシカワさんがアレンジを担当された川本真琴というアーティストの話になった。
オレは音楽に疎いのでどういう位置付けのアーティストなのかよくわかっていなかったが帰宅後に「愛の才能」という曲を聴いて衝撃を受けた。

モロ好みの曲である。
こんないい曲をこれまで知らずにいたのか?!

恐ろしい。
調べてみると作曲は岡村靖幸である。

好みな曲なわけだ。
高校時代に岡村靖幸の「19」を聴いて以降、大ファンなのである。
なにせ生まれて初めていったライブは岡村靖幸である。
しかも前から3列目。
あの頃の岡村靖幸はかなりきていた。
CDで聴くのとは別世界である。
帰りの電車で1曲目からアンコールの二曲目まで何曲あったのか数えてみたり、とあの日は本当に楽しかった。

さて、川本真琴だがどうにか聴くことができたのは「愛の才能」と「やきそばパン」の二曲。
いやはや、こんなアーティストがいたのか。
音楽知らなさすぎである。
ショックだ。

残念ながらiTMSでは買えないので早速、CDを借りてこよう。

それにしても音楽で感動したのは久しぶりである。

川本真琴 
川本真琴

追伸:さっきからヘビーローテーションで「愛の才能」を聴いているのだけれどこの曲の 「あの子にばれずに誰にもばれずにキスしようよ 明日の一限までには何度もキスしようよ」 という部分の音のつらなりがつくりだす質感がたまらない。音をここに貼り付けることができないのがどうしようもなくもどかしい。 自分がいまここで感じている音の質感を言葉で表現することは不可能だ。
これは物質的なものでもないし、かといって非存在でもなくて、その瞬間にだけ存在し、 消えていってしまう本来は非可逆な質感である。 それが固定されるでもなく存在と非存在の狭間として存在している。 そこに強く感応しているように思う。夕日や朝焼けが妙に美しく感じられる時があるけれど、 その時間が不変ではなく消えていってしまうはかないものだと直感的にわかっているからそこに固定可能な情報とは別の質感を感じるのだと思う。ああしたシーンに出くわすとその情報量と質をひとりで受け入れることができなくて(いっぱいいっぱいになって)誰かに伝えたい、と感じてしまう。 音楽は極めて不思議な存在である。これはモノなのか。それとも瞬間にだけ立ち現れる儚さという非存在に近い情報なのか? 空間の振動現象なのだから物理的な存在である、とも言えるだろうけれどこの非可逆性をどう説明すればいいのだろう。音楽とは本来固定できなかった存在だと思うのだ。それがここに存在してしまっているこの不思議は。

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2005年11月18日

Google考 Google Baseについて15秒考えてみる、あと創造性とか美とか不存在の価値とか

話題の

Google Base

β版が公開された。
奇しくも昨日、某企画関連で動的なクレイグスリストの可能性について考えていたところだった。

Help the world find your content.  

というコピーにもあるが、世界や人々、社会は常に才能を探している。才能は常に求められている。ただし、 そのマッチングができていないだけで、才能、クリエイティブをベストにマッチングさせることができたら、 関係性のオプティマイズは進んでいき、物事はうまくかみ合い出し、連鎖し、創発性も加速される。

というのは仮説ではあるけれど本質はそのくらいシンプルなのだと思う。

Google Baseに話を戻すとクリエイティブに関しては

「創り出したもの」

「創りだすという行為」

が全てで、その人がどこに住んでいるかという部分の持つ価値は小さくなってきている。 (文脈的に価値を付加するタイプの創作物や行為は別だが)

ホントのところ、世界に遍在する才能間のドライブが最大化するように効果的にマッチングされていったら、どうなるのだろう。

まだイメージがわかないけれど才能やら創作ブツやらビジネスやらいろいろみんなひっくるめて大本は

「コミュニケーション」

の問題なのだろう、とは見当がつく。
ここに手をつけた企業、組織、個人、集団、場はネットでも実世界でも台頭してきているように思う。面白い限りだ。 再び見えない世界が立ち現れ、人の心はそこに向かっている。

怒りでも悦びでも発端となっているのはそこに存在する「モノ」や「何か」 ではなく見えない関係性である場合が大きいのではないだろうか。

例えば人の話が気になる場合(不快でも快でも)我々が気を取られるのは音の質かもしれないし、 音が指し示す言葉から想起されるイメージや内容かもしれない。そこに定位出来ない何かがより強く我々に訴えかけてくる、 ように思えて仕方がない。

簡単にいってしまうと

「見えるモノ(在るモノ)よりも見えないモノ(存在しないモノ) に価値がシフトしてきている」

ということをいいたかったのだけれど、上記の言説はいろいろなところで言われているのでいまいちパっとしないなあ、と。実際、 見えないモノの価値が高いのはいまにはじまったことではないだろうし。

例えば(これも話をよりこんがらがらせそうだが)「美」については

「普遍的で絶対的な美というものがあるのだ」

という立場をとる人もいれば

「いや、そんなものはない。美を感じるかどうかは記憶や認識など後天的な要素のよる」

という立場の人もいる。

その両方が場合場合によって当てはまることもあれば違う場合もある。それぞれがミックスされ、 総体としてどちらの割合が強いかが違うだけなんじゃないかと思う。

同じ時代に同じ空気と時間の中で生きているという共通性によって、ある程度の認識の普遍性はあると思うのだ。 人類とかそういう枠でみた場合でも。

いかん、話がそれてしまった。
「存在するモノ」 「存在しないモノ」について考察していたのだった。

「見えているものは見えていないもの」

というのが僕の考えである。 そこにある何かを見たり聞いたりしているときそれはそこにあるように思っているけれどホントは「ソコ」は引き金で感じているのは同時に「ココ」 にあるものだと思う。

人が惹かれたり、グっと感じたり、グラっと来たりする対象はソコにある単独の何かではなくて、 そこにある何かを起点とし同時にココに立ち現れる存在していないモノだと僕は思う。

この境界がだんだんと外側ににじみ出していて、曖昧になってきているのかなあ、と。

何かをするときに「フィーリングで選ぶ」とか「感覚的に」という言い方をする。 「考えて選ぶと大抵うまくいかない」と対比して使われるがそれってイメージのコピーによる劣化だと思うのだ。 未来をイメージして選択を試みるがそこで使われるイメージの輪郭がぼけているから、そこから想起されるモノの輪郭もぼやけていく。

なので完璧にシミュレートできるイメージ能力があればそれは感覚的と同意なのだと思う。意思決定の問題は面白く、 全ての解決を感覚に託すのは安易だし、俄的なアプローチが常時有効なわけではない。

自然そのものが「パラレル」だとすれば、 我々もAであり同時にBであることの方が自然なのではないだろうか。

量子コンピュータとは何か 
量子コンピュータとは何か

(この本を読むまで量子コンピュータについて完全に誤解していました。 量子コンピュータは概念そのものが既存のコンピュータとは違います。高速な演算をするという考え方ではないんですね。 現在我々が使っているコンピュータは素子を量子レベルまでもっていった時点で高速化の限界点がきてしまいます。 量子コンピュータって最初はそういう高速なコンピュータのことだと思ってたんですが全く違いました。 世界の根本とか知性とか創造性とかそういう部分にまで絡んでくる話です)

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3日ぶりにラン

寒くなったのと打合せが増えたこともあってこの二日、走ることができなかった。
基本的に毎日走っているからたった二日でも随分時間が空いてしまった感じがする。

だいたい午前11時頃から30分走ることにしている。
コースは決まっていて、月島側の隅田川沿いのテラスを2往復する。

ちょっと少ないが20分くらい走ると身体がほぐれてくるのがわかる。
先月は半袖でも大丈夫だったがいまはさすがに半袖では肌寒い。
冬が近づいているのがわかる。

走り込みを初めてすでに3ヶ月くらい経つ。
昨年からずっと走ろう、走ろうと思っていたのになかなか始められずにいた。

ある日、思い立って神田にランニングシューズを買いに行った。
月島や銀座、豊洲などの量販店を探したが27.5cmというサイズはなかった。

次ぎの日、自転車で神田までいった。
夜7時過ぎくらいだろうか。急に

「やらねば」

と思ったのだった。神田に着くとスポーツ店が多い。どこで買ったものか全く見当がつかない。 大きめの店でいろいろ比較しながら買おうと思っていたので一番大きそうな店を探した。最初に目に飛び込んできたのが「ビクトリア」。 閉店までの時間は20分くらいはある。

ランニングシューズのフロアにいってシューズを眺める。100種類くらいあるのではないだろうか。どれがどういいのか全くわからない。 仕方ないのでデザインだけでみていこうかとも思ったがこれまた目移りしてしまう。

仕方なく店員さんに相談することにした。

「このスゴク軽いシューズがいいんですけれど」

とたずねると

「このタイプのシューズは主に競技などをされている方向けで、 筋肉への負荷は問わないというような人にはお勧めできますが。これから走り始めよう、という方の場合、 膝などを痛めてしまう場合があるので注意が必要ですね」

軽ければ軽いほどいいのかと思っていたが全然違っていた。一見、重そうに見えるシューズの方が足への負荷は少ないのである。

「ではどういうのがいいんですか?」

「各メーカーによってショックアブソーバーの種類が異なるのですが例えばこのミズノのシューズの場合、ソールがゲルやエアーではなく、 ミズノ独自の仕様になっておりまして。こちらをご覧下さい…」

と、ミズノ、アディダス、アシックス、 ナイキなど各社のソールの構造や特徴などについて模型や素材のサンプルを使ってことこまかに教えていただいた。 教えていただくというよりもコンサルティングに近い感じだ。店員さんとの良好なコミュニケーションによって買い物時の満足が急速に増していく感じがした。人は納得して買う時、 すごく満足を感じるのだ。

そして20分にわたるコンサルティングの末、僕が選んだのが下記のシューズである。


ADIDAS JAPAN純正 アディゼロ CS ワイド(116334)

軽さを追求しつつも、ヒールとつま先で緩衝剤の質を変え、つま先には反発タイプ、ヒールには吸収タイプのゲルを備えた優れものである。

実はミズノのシューズもかなり惹かれた。ミズノのシューズの場合、日本人の足の形を考慮したデザインになっており、 甲の幅が広めになっている。そのため履き心地がナチュラルで全く違和感を感じない。 同じサイズでもメーカーによって履き心地はかなり違うのである。

アディダスの場合は少し細めになっているし、アシックスの場合は足に重さを感じた。 ナイキはクッションにエアーを使っているためか他のシューズよりラフな感じがした。総合的にはミズノのシューズがいちばん履き心地がよかったのでベストのように思えたのではあるが…。

僕はこのシューズを見た瞬間に惚れてしまっていたのだ。
ほぼ一目惚れである。

1分ほど迷った末に決定。
異様な満足感と昂揚感と共に帰路についたのであった。

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2005年11月17日

渋谷のんべえ横町

CA310153 

8年ぶりくらいだろうか渋谷はのんべえ横町にいった。のんべえ横町というのは渋谷駅を出てQフロントの前のスクランブル交差点を渡り、 JR線の下をくぐってすぐ左に曲がって線路沿いにいったところに密集している小さな店(平均10席くらい)が集まっている飲み屋街である。 正直寂れまくっているが「味がある」という人もいる。そういえば食においてはロングテールが現実化している。

訪問予定の名物店は満席であったが通りを歩くと懐かしさがこみあげてきた。

先回、ここに来たのは8年前。
イシミツ君が富士通でディレクターをやっていた頃である。
ヤサカさんと3人で狭いカウンターの席に座ったのを覚えている。

当時のイシミツ君はメディアへの露出が徐々に増え、半分業界なノリになりつつあった。彼はその後、 別方向な業界ノリに転じていったのであるが。

昨夜はチョウさんと津田さんと一緒であった。
津田さんは「音楽配信メモ」 というネットと音楽についてのサイトを2002年から運営している。チョウさんは音楽のプロデューサである。二人とも音楽、 音楽業界についてもの凄く詳しい。メモを片手に話を聞いていると少しずつではあるが雰囲気はわかってきた。

音楽というと派手な印象があるけれどもとは人がつくっているのである。
先日、ハッスルとプライドを運営者側の立場から視察する機会を得たときも思ったがその場に足を踏み入れてみると、人間が普通にそこにいて、 パッケージ化された映像とは異なる「不確定性」「アバウト感」とともに場は動いていた。

ベンチャー企業がとんでもないスピードで洗練されていったりするのと似ている。全てがしっかりしているわけではないのだが、 あれよあれよというまに変貌していくこともある。

そんなことを思った。

++++++

朝方に電話が鳴って目が覚めた。
外にでてみるとトリトンの向こうの空が朝日で照らされていた。築地市場の上には大きな月が浮かんでいる。 それらをみていたら妙な既視感に襲われた。

聖路加タワー。リバーシティ。早朝5時の空。

どんなに成功した個人も聖路加タワーをつくる人はいないだろうし、リバーシティもつくらない。あれは事業がつくった建造物である。 個人ではない。と、そんなことを考えていたら「ルールの違い」を強く感じた。 人が成果としてつくりだせるものはそれほど大きくない。 事業というフレームを用いることなしには宇宙開発のような仕事を進めていくことは難しいだろう。 王政なんかもある種の事業みたいなものだろうし。

まだイメージがぼんやりしている。
Webサービスには個人が開発できる余地が残っているけれど人類全体に影響を与えるような 「情報」の開発は別な立ち位置であったり、事業というフレームを使わないと実現できない、のかなあ、と。

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2005年11月16日

ビデオSkypeの秘密兵器

昨日からアソブラボでは動画に対応したSkypeのβテストをしている。
カネコと実験したのだけれどこれは…

面白い!!!!!!!!!!!!!!!

昨年の丁度いま頃に石井先生に教えていただいてSkypeを使い始めたのだがたった一年で今度は夢のテレビ電話が実現である。 これまでも似たような動画対応版テレフォンカンファレンスソフトやシステムはあったけれどSkypeほどのクオリティと手軽さはなかった。

ノートPCとネット環境さえあれば「どこでもオフィス」や「どこでもブレスト」 が驚くほど簡単に実現できてしまう。
詳細は本ソフトのリリース後にレポートするけれどこれはある種の革命です。

Skypeが台頭してくるにつれて「ヘッドセット」 というアイテムの市場が広がったが、今回は新たに「Webカメラ」 というツールが一般化してきそうだ。僕らが使っているのは下記のカメラ。小さいけれどこれで130万画素。 更にフェイストラッキングというスゴイ機能がついている。頭の位置を移動するとそれを感知してカメラが追いかけてくれるという優れもの。 オススメです。

QVX-13 Qcam Fusion 
QVX-13 Qcam Fusion

Skypeキャプテンによれば下記のプラントロニクスのヘッドセット、

「ヤバイくらいに音質がいいですよ」

とのことでした。試してみたい。

DSP-500USBマルチメディア・ステレオPCヘッドセットE版 
DSP-500USBマルチメディア・ステレオPCヘッドセット

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Gyao.jpでハッスルの放送開始! オレらはちいさく0.5秒くらい出演!

Gyao.jp ハッスル・マニア2005

が今日から放送開始である。カネコから連絡をもらって早速サイトにアクセスし、 第3ハッスル「和泉元彌vs鈴木健想戦」を鑑賞。 カメラの視点でみるのははじめてなのでセコンドからみるのとは印象が大分違う。

残念ながら入場シーンはない。 演出的には重要なのだが鬼瓦軍の入場で使ったジュディー・オングの「魅せられて」の権利などの関係でカットなのではないかと。

あらためてじっくりとみてみると試合の方はかなりよくできた構成。
宗家の表情の出し方がレベル段違いに巧い。
魅せる部分に関してはさすがにプロだ。

会場の盛り上がりも凄かった。
宗家より先に退場したので観客総立ちの盛り上がりシーンは立ち会えず、 バックステージで宗家を待っていたのだがあれほどの盛り上がりだったとは。スゴイわ。

最後のHGの試合と宗家の試合がダントツな盛り上がりだったことを再確認。
つい2週間前のことなのだがもう半年も前のイベントのような気がしてしまう。

そういえば僕は鬼瓦軍として参戦していたわけだがそのレポートを書いているこのブログがGoogleで検索してもなかなか出てこない。 情報の検索という分野まだまだ未開拓だと感した、面白い限りだ。

情報のマッチングはこれから更に重要性を増すだろうな。


(写真提供・カネコ リングサイド鬼瓦軍の左端3人が我々)

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2005年11月15日

新日本プロレス売却

この記事は素通りできなかった。

新日 “脱猪木”ユークスに身売り

オンラインゲームについて調べていた頃、ユークス社の谷口行規社長の話をきいたことがあった。 WWE系のプロレスゲームはユークスで開発されていて、日本ではなく米国向けにつくっているといっていた。また、 日本ではそれほど本数がさばけないけれど米国市場だと何十万本という単位でスポーツ系のゲームが売れるのだといっていた。

いや、 その時の話の本質はそんなことじゃなかったのだがユークスというとWWEのゲームをつくってる会社というイメージが強い。 そのユークスが今度は新日を買収とは感慨深い。

ゲーム会社がプロレス団体を買収するとは10年前では想像できなかった。
10年後は今度はゲーム会社が予想外の勢力に買収されるようになっているかもしれない。
求められるエンターテイメントやコンテンツの質が変化しているのだ。

昨日、「ALWAYS三丁目の夕日」という映画を観た。 (映画についてはPodcastでレポートします)
劇中、TVが運び込まれ町中の人々が集まり、画面に表示されるプロレスの中継に熱狂するというシーンがあった。しかし、 「力道山のチョップが日本の人々を興奮させた」 といわれてものか僕には実感がない。

一つのイベントに対して多数が熱狂する機会は減少している。 エンターテイメントはより個人の嗜好を反映させたものへと向かっており、この分野でのロングテール現象は顕著だ。 2割のメガヒットが注目されるけれど全体の8割を占めるのはヒットとは呼べない小粒なコンテンツの集合体である。これらを僕は

「群れとしてのコンテンツ」

と呼びたい。

プロレスに話を戻すと新日の惨状とは逆に先日、僕たちが鬼瓦軍で参加した「ハッスル」は盛況である。 会場に足を運ぶと凄まじい熱気に驚かれることだろう。僕もかなり驚いた。最盛期の新日の興行並に観客が「ハッスル」している。

「ハッスル」はエンターテイメント性を重視し、プロレスという舞台をつかった「ショー」 を定着させることに成功している。ドリフと吉本のライブ性をプロレスで再現してしまっている。 このスタイルのプロレスが全ての人にアピールするとは思わない。なので5万人規模の会場、例えば「東京ドーム」などを埋めるような興行は難しいだろう。

しかし、こうしたプロレスを受け入れ、楽しむことができる人々は存在し、 そうした人々を対象として興行を行う場合、興行を成功させることは不可能ではない。 (映画に例えるならばマーケットサイズを把握して映画を製作していれば観客動員が少なくとも黒字はつくりだせる)

こうした市場の変化を興行に組み込むことができなかったのが現在の新日の惨状を招いたのであろう。
新日劇場と呼ばれる団体抗争劇は10年前にはコンテンツとして人々を魅了したが、いまや、役者が固定化し、昼ドラのどろどろ感よりも醜い。 そうした愛憎劇の再現をユーザ(観客)は求めてはいないのだ。(それを求める人の数が減ってきている)

追伸:プロレス団体によってTシャツも全然ちがっていて、

プロレス会場で上記の新日の赤Tシャツを着ている人を見るのが好きだったのだけれどそのシーンも少なくなっていくのだろう。 以前は会場にいく途中の電車の中で既に上記のTシャツに着替えている人なんかもいて、やるなあこの人、とか思っていたものだ。

同じTシャツでもハッスルのは

な感じである。Tシャツひとつとっても全然雰囲気が違う。

投稿者 TKM : 12:03 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月14日

男前豆腐!! これは豆腐革命だ!

ある豆腐屋のサイトを教えてもらったのだけれどこれはスゴイ!

男前豆腐店

アクセスするといきなり流れ出すチープな音がなんとも15年前のTVゲームっぽくて良い。脳のどこかをバリバリと刺激してくる。

しかし…、

このブランド感は…、

食関連のオンラインコマースのイノベーションといってもよいのではないだろうか?

「キャラの立った豆腐」

こんなのはこれまでなかったよ。あっても言葉で補強された高級感くらいだったわけだけれど
豆腐にキャラを持たせることでイメージから想起される「記号性」 の刷り込みに見事に成功している。
ネットというメディアにおいてこの手法はすばらしく効果的で、僕だってこうやって「キャラ」 として成立している豆腐商品を見せられたら試してみたいと思ってしまう。

言葉や映像で豆腐自体の味を差別化して表現することは難しいが

「美味しんぼメソッド」

の応用として商品を「キャラ化」し、豆腐のイメージをドライブさせてくるとは。
いやはや驚きである。

投稿者 TKM : 23:13 | コメント (4) | トラックバック

2005年11月13日

やまけんとインデアンカレーを攻めるの巻

土曜日の午後であった。
予定がなかったのでゆっくりとしていたら、電話が鳴った。このタイミングで電話してくるヤツって? 誰だろうと想像しながらケータイを耳に当てる。途端に強烈な気の炸裂を感じた。

「ハイドウモー、ユー、カガヤ?アー、キミー、ナニヤッテリング?!!」

いつもながら衝撃的な独自のコーリングスタイル。

やまけんからの電話であった。  

脳内でリフレインする「イング系」の嵐。
あいかわらずのヤマケン節が今日も炸裂である。

「カレーカレー、インデアン!ユーイクリング?!ウマイング!」

というわけで瞬間的にオレ、やまけん、はなちゃんの3人でインデアンカレー (なんとWebサイトはヤマケンプロデュースとのことである!)を食べにいくことに決定した。 インデアンカレーについてはやまけんのブログに詳しいのでそちらを参照していただきたい。

数年前からやまけんからいやというほど聞かされていたのだがどうにもイメージができずにいたインデアンカレーをとうとう、 僕も体験することになった。

言葉で味を表現することはかなり難しく、やまけんも自身のブログで料理を紹介する際は「美味しんぼメソッド」を使わざる得ないようだ。 このカレー、誰にきいてもハッキリとした答えが返ってこない。

「ウマイの?」

「美味しいヨ」

「で、どんな味?」

「ウーン。甘くて辛い」

「甘いのだけれど辛いんだ」

などなど言葉からはイメージがつかめない。

「何かに似てる?」

「うーん、何にも似てない」

と話をきくと、ますます混乱してしまうのである。

aCA310127

店につ くとすでに長蛇の列。しかし、ひるむことなく並ぶ。いつもの僕ならば5秒で引き返すのだがやまけん曰く

「異様に回転が早いので大丈夫」

なのだそうだ。この言葉、確かにその通りであった。みているまに列がどんどん店内に吸い込まれていく。 回転寿司なみのスピード感でカレーがてきぱきと盛りつけられ、客も食う食う。どの客も口数ゼロで一心不乱にカレーに没頭している。

すげーなあこの映像。

そう思いながら店内を観察すること5分。あっさりと食券を買って店内へ。

食券を買う際に

「どんなカスタマイズがおすすめなの?」

ときくと

「うーん、まずねぇ、そうだな。オレとしてはレギュラーでいってもらいたい。 というのはインデアンカレーのバランス感をみてもらいたいんだよ」

というかなり説得力のある解説。 ここはやまけん師匠のおすすめどおりレギュラーで完成されたバランスというのを味わってみることにした。

対してやまけんの注文はというと…予想はしていたが。ちょっとライブで再現すると、

「どうも。うん、オレね。レギュラーとハヤシ、一つづつ。計二つね。ピクルス増しで。 ヨロシク(ニカっと笑い)」

という感じでプロくさく手慣れていた。内心

「ちょっとまて、お前、それ、「芸」の域入っとるやん!!」

というくらいにこの注文の手慣れた感はスゴかった。フー、再現するだけで疲れた。

これから磨とインデアンいってその後に続きを書きます。
僕の頼んだインデアンカレーはこんな感じ。

やまけんの写真も綺麗だけれど、オレのケータイでとっても結構キレイなのである。
つまり、インデアンカレーの盛りつけやお皿が地ですごく丁寧で綺麗なのです。

CA310129 

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Skype社の皆さんとミーティング

先日、ライブドアに遊びにいった際、偶然ビンセントさんたちと合流。(ナント、 彼のブログではSkypeがフル活用されていてスカイプキャストを使って、 さらにSkypeの録音機能で音声伝言板が実現されているのである!)
そのままSkype関連の打合せに参加。

いろいろと盛り上がり、火曜日にSkype社に遊びにいくこと。
ビデオSkypeがかなり楽しみ。

Skype社のイワタさんのブログにミーティング時の写真がアップされてます。

うちでプロデュースしてSkypeの音楽とかグッズつくろうかな。
そうだ、ビンセントさんに

「Tシャツのプロジェクトやりたいのだけれど誰か紹介してくれませんか?」

と言われていたのだった。
柳澤君のところの「T select」 との組み合わせるといい感じじゃないだろうか。

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2005年11月12日

味とか食についての難しさ 〜やまけんのイデアンカレーエントリを読んでいてふと思ったことなど〜

オレはまだ食べたことがないんだけれどやまけんが前からやたらと熱く語っていたインデアンカレーなる大阪のうまいカレー店が東京にオープンしたようだ。 やまけんのレポートは下記。

君はもう食べたか!?インデアンカレー丸の内店・開店おめでとうございます!

関西出身の友人達も

「ああ、ウマイでー」

といっていた。

「ホウ、で、どんな味?」

ときくと。

「うーん。甘いけど辛い」

とかなり脳内での再現が難しい返答が。

食べ物の難しいところはこうした記事を読んだだけでは味がわからないことだ。 実際に自分で足を運び食べてみないことにはそれがどんなものなのかわからない。また、食べ物に関しては好みというものがあるのである人が 「美味しい」というものが必ずしも誰にとっても美味しいわけではない。そのため食についての表現は「美味しんぼメソッド」に近似せざる得ない。(「美味しんぼメソッド」については竹熊先生の 「ゴルゴ13はいつ終わるのか? 竹熊漫談」に詳しい)

食に関しては個人の嗜好が入るので評価は本当に難しいと思う。
基本的に主観以外では何も言えないのだ。

僕の場合は料理の味とそれを味わう文脈のバランスで食を評価するので味はよくてもサービスが悪いみせ (例えば築地の某店みたいなネガな店)は好きではない。サービスと味、そして価格の調和がとれている店が僕は好きだ。

全然話は飛ぶけれど何ヶ月かぶりで月島のホカ弁でお弁当を買った。
アルバイトらしき青年、なんとか君(買った時は名前を覚えていたんだけれど忘れた)がレジを担当していた。彼、悪人ではないだろう。 けれどやる気はなかった。本当に久しぶりに相手の心情がダイレクトに伝わってくるくらいにやる気がなかった。

「オレ、弁当屋、やってられないよ。は?何。それ。これ、 意味あんの?は?」

というような言葉が聞こえてくるようであった。面白いなあ、と思った。彼はなんでバイトやってるんだろう。 時間の無駄だと自分で思っていて、やってるんだったらやめればいいし、もし、 彼がもの凄くいい対応をしていたらオレはスカウトしていたかもしれない。オレじゃなくても飲食店の人であれ、そうでなくとも、 やり手のひとは決して才能を見逃さない。世の中の人は才能を求めている。潜在的に。

ちょっと話がそれた。飲食店、インデアンカレーの話だった。
インデアンカレーも美味しいという人もいれば不味いという人もいる。これホント不思議。「ウマイよマジ!」という人もいれば「ハッ?! 全然ウマイと思わないけど?へ?!」という人と意見はいろいろだ。

けれど、これは極めて健全なことだ。絶対的なおいしさというのは存在しないのだから仕方ない。 どんなに美味しい料理も二日酔いの朝には苦痛でしかない。

それと同じで、美味しいと思えるかどうかはその人のハートの持ちようだと思う。
料理自体のおいしさ、環境の大事さ、それらはかなりの部分を占めるのだけれど、 それ以上に自分の気持ちの在りようは食べ物のおいしさを決定する要因としてデカイと僕は思う。(お酒も同じだけれど)

カレーという話題ついででいうとオレの場合はいまだに小学生の頃に食べた給食のカレーが一番美味しかったように思う。 あれ以上に美味しいカレーは一生食べることができないと思う。いま同じカレーを食べてもあの頃に感じた味と同じ味を感じる脳じゃないから。

人は舌で味わってるつもりだけれど脳で味わってるのが本当のところだろう。 気分がイライラしていると何も美味しくないけれど。夜釣りで食べるラーメンは激ウマだったりするわけで。

投稿者 TKM : 12:04 | コメント (0) | トラックバック

好みの女性

よくきかれる質問。

酔っぱらっている頭でざっとよぎったのは

1.性格のよいブリジット・バルドー(そんな人はいない)
2.日本語の話せるイレーヌ・ジャコブ
3.タイでオレの手を縫ってくれた看護婦の女の子
4.いまみてる映画に出てるハル・ベリー

であった。
あと、NYの地下鉄で仲良くなった人も素敵であった。

投稿者 TKM : 04:07 | コメント (2) | トラックバック

結婚式が多い件について

そういえば今月から来月、1月にかけて結婚式が多い。
そこでふと思ったが自分が結婚に興味がない理由について考えた。

ひとつ。
興味がない。

ふたつ。
理由もない。

相手にかかわらずピンとこない。冗談ではなく全くリアリティがない。 友人や知人から結婚式の司会を頼まれることが多い。 僕自身はイベント好きなので喜んでお手伝いさせてもらう。 毎回楽しみなのは新郎新婦とお会いする時だ。内心「ホー」とか「ヘェー」と思っていたりする。

自分からみて

 「できた人だなあ」

と思うような人が新婦であるカップルの結婚は例外なくうまくいっているように思う。
逆のケース?

 「ノーコメント」

である。

投稿者 TKM : 03:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月10日

ふと思ったこと 化粧品もオッサンがつくってる

録画したワールドビジネスサテライトをパラパラみていたら資生堂の人がでていた。
そのひとは明かにおっさんなのだがこの人が化粧品をつくってるんだなあ、 と思ったら急激に萎えた。いや、彼が研究者で化粧品というものについて研究しているということとは違うし、モデルでもないわけだが、 それでも化粧品というものをつくる企業にこの人も必要なわけで、 この人がつくっている化粧品を世の女性は使って外見を整えたりしているわけなんだよな、と思うとなんだか不思議だった。

玩具にしても子供のオモチャと馬鹿にされることもしばしばだがそれをつくっているのは大人でおっさんだったりおばさんだったりもするだろう。 場合によっては。

アダルトビデオなんかにしても女優と男優だけでできてるわけじゃなくて、 会社員としてオレなんかの1000倍くらい勤勉に働いてマーケなんかもきっちりやって

「この層の顧客にはこの女優にこのシチュエーションでこうした構成で男優はこうでいきましょう」

なんて会話をしてたりもするわけで、人とコンテンツの関係は非効率というか、 コミュニケーションが直結してないことによって最適化がされてないんだなあ、と思う。

この分野、最適化という分野、は今後形を変えどんどんでかくなっていくのだろうな。

いや、なんか不思議なのである。たまにビルとか会社とか打合せとかのシーンにでくわすとその人々は集まって話をしてはいるけれど伝言ゲームみたいなもので、 その会合自体はナニもつくってないよなあ、と。

投稿者 TKM : 04:16 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月09日

Xbox360ラウンジ@青山 体験記

051108_1528~0002

打合せの後、青学にいって学食でも食べようかと、ぷらぷらと外苑前まで歩いてたら

Xbox360 LOUNGE

を見つけてしまった。
こうなるといてもたってもいられず発売前の

Xbox 360 発売記念パック(初回限定生産) 特典 ファイナルファンタジーXI ベータバージョン付き *予定数量に達し次第、予約受付を終了します。次回入荷分が確定次第、再開します。 

Xbox360とプレイ可能な数タイトルを堪能することにした。
店内は広く、センスも悪くない。

ただし、プロモーションの為につくられた店舗であるためか、 やたらとコンパニオンの女性や男性社員とおぼしき係員が多いので落ち着いて何かをするという雰囲気ではない。

リビングを模した席が二つあり、リッジレーサーをやろうとカバンやら服やらをおいて飲み物を買いにいった。 戻るとカップル二人と男性社員に占領されていた。入り口の女性にきいたら

「飲み物を買っていただいた方には席で落ち着いてゲームを楽しんでもらえるようになっております」

 と言われていたのだがまあなんともアバウトである。
ここいらの配慮の無さはかなりいただけないがサービス業のプロではないので仕方がないといえば仕方がない。

しかしバイチャンスというか隣の大画面シートで

NINETY-NINE NIGHTS 
NINETY-NINE NIGHTS (ナインティナイン・ナイツ)」

を堪能させたもらった。危険なくらいに美しいグラフィクスにしばし引き込まれる。映画かと思った。

それが最初の3分。
以後はゲームに集中した。
アクションの内容はいま発売されている

戦神-いくさがみ-

と似すぎというくらい似ている。計20分くらいやっていただろうか、途中、 画面にキャラが100体くらい密集すると描画が追いつかないようでアクションが低速化する現象がみられた。

それにしても…。

PS2から進化したのはグラフィックだけなのだろうか?

席を後にして展示されている他のゲームタイトルをやってみることにした。
リッジレーサーにしても、プロレスにしても、グラフィックスはスゴイがそれ以外の面白さを全く見いだせなかった。

その後、カネコに電話で体験レポートを速報。
いつものように「ゲーム」の変移についての話になったのだがおそらく

「Xbox360の真価はスタンドアローンの状態でのプレイではわからないのではないか」

というのが僕の実感である。というのはこのゲーム機いきなりハングしたりするのである。また、 起動後のメニュー画面の雰囲気はインターフェイスはそれっぽくなっているもののゲーム機というよりもパソコンに近く、 いきなりIPを取得しにいったりする。

これらをみているとこのマシンはネットーワークに接続され、 コミュニケーションのツールとしてSkypeやメッセンジャーのようにゲームタイトルが機能するときに真価が発揮されるのだろうな、 と思った。

投稿者 TKM : 17:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年11月08日

「MOTHER3」発売決定!

喫茶店で

「マーザ、ツー」

と口ずさむ兄弟の映像を思い出してしまった。

ゲームキューブでの発売が予定されていたのが中止になって、ゲームボーイアドバンスでの開発がリリースされて、 存在すら忘れていたあの「MOTHER3」 がとうとう発売決定とは。なんだか隔世の感がある。

MOTHER2の後半には世界観がガラっと変わるような仕掛けがある。
あの仕掛けをやられた時、

「エ?!コレナニ?!ナニが起こったの?!」

と「?」が10個くらい頭の中を踊っていた。
RPGとしての面白さはあまり覚えていないのだけれどあの「ディストーション感覚」 はいまでも覚えている。

プランナーのつくるゲームとはこういうものなのか、とかなり衝撃を受けた。

MOTHER2にはそれまでゲームなんてやったことがなかった人も

「何だかやってみたい」

と思わせる「スタイル」があった。任天堂はDS発表後「MOTHER2」 が持っていたようなゲームっぽくないアソビの効いたモードに向かっている感じがしていて、とても興味深い。

一連のマリオを主題にしたゲームシリーズはどれもゲームの王道とでもいうべきキャラクター・アクションの傑作揃いだし、 アソビをメインに据えたゲームと両軸で人と人のコミュニケーションを媒介するノンバーバルなメディアとしてのゲームを再興させるのだろうか。

インターネット網の無料開放による対戦ゲームの復興が成功すればアングラやメジャーも巻き込んで「水のような音楽」 と同位置に立つ「遍在化するゲームというモード」が成立するのかもしれないな。

マリオカートDS 
マリオカートDS

MOTHER 1+2 
MOTHER 1+2

マリオ&ルイージRPG2 
マリオ&ルイージRPG2

■関連URL
マリオカートDS
MOTHER3

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2005年11月07日

「私の知っているビル・ゲイツ」がやたら面白い件について

愛読している「古川享ブログ」 の 「私が知っているビル・ゲイツ」というコーナーが毎回やたらと面白い。
エンターテイメント色全開といった感じでビル・ゲイツの素顔が暴かれていく。

ゲイツ・パターンとでも呼ぶべき「ゲイツライクなアクション」 が毎回披露されるわけだが見事なくらいに「キャラがたっている」 のである。

ゲイツという人、人間的にかなり「面白い」。
もちろん、僕は当事者として接しているわけではないので現場で対面している人たちは違った印象を持つだろうし、 戦々恐々としているのかもしれないけれど、それでもこの人の行動や言動をみてると

「ああ、俄マインド爆発だなあ」

と思うのであった。

字幕版ビデオ ビルゲイツとバフェット 
字幕版ビデオ ビルゲイツとバフェット

ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか? 
ビル・ゲイツの面接試験―富士山をどう動かしますか?

思考スピードの経営 - デジタル経営教本 
思考スピードの経営 - デジタル経営教本

夢は必ずかなう―物語 素顔のビル・ゲイツ 
夢は必ずかなう―物語 素顔のビル・ゲイツ

ビル・ゲイツ立ち止まったらおしまいだ!―世界最高の起業家の洞察力 
ビル・ゲイツ立ち止まったらおしまいだ!―世界最高の起業家の洞察力

ビル・ゲイツ エジソン成功の共通ルール 
ビル・ゲイツ エジソン成功の共通ルール

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2005年11月05日

速報・実現すればこれはスゴイ! 祥子さんハッスルでプロレスデビュー?!

2度ほど、読み返してしまった。

元彌、姉とタッグでハッスル再上陸も

 3日のハッスル・マニアで衝撃のプロレスデビューを飾った狂言師・和泉元彌(31) が、 姉・祥子さん(32)とリングに乗り込む可能性が4日、浮上した。来春にも開催予定のハッスルの一大イベント(名称未定) でタッグを結成。対戦相手は、元彌に苦杯をなめさせられた鈴木健想(31)、浩子(31)夫妻が濃厚だ。

格闘好き祥子さん

 元彌の姉・祥子さんは和泉流宗家の二女として88年5月、祖父である人間国宝九世・藤九郎名跡を継承。国立能楽堂で十世・ 三宅藤九郎を襲名した。一方で、実は大の格闘技好き。生観戦が趣味だという。

 3日の試合でも母・節子さん(63)が率いた総勢12人の「セッチー鬼瓦軍団」の1人としてなぎなたを携え、 セコンドで元彌をサポート。弟の活躍に大興奮だったという。関係者は「一度、ハッスルに足を踏み入れた以上、 リングに上がる可能性は十分ある」として参戦を打診する方針を示した。

 この日、メキシコへ旅立った健想夫妻は「あんな体格差のある人間に負けるとは」と悔しさをぶちまけ「鈴木軍を作る」 とハッスルに第3勢力を構築する計画を披露。ハッスル軍VS高田モンスター軍以外に、和泉家VS鈴木家の全面抗争が展開されそうだ。 (スポーツ報知/Yahoo! News)

これが実現した場合、我々鬼瓦軍3人(カガヤ・カネコ・マロ)も再結成である。

投稿者 TKM : 10:11 | コメント (2) | トラックバック

2005年11月04日

TVはじめメディアの新しい面白さ

今朝のニュースをみていたらほとんどの番組で

「元彌チョップ」

が取り上げられていた。
我々アソブラボもセコンド付近にいたのでどっかに映ってないかなー、と思いつつその映像をみていた。
また、僕たちがみていた視点とは異なるアングルからの試合模様は斬新で

「うーん、もっとみたいなあ」

と感じた。スポーツ新聞各紙でも昨日の試合は大きく取り上げられているようだ。

普段はまったくみたいと思わないTVやスポーツ新聞だが自分が当事者として大きく関わっていた、ということによって面白さが全然違ってくるから不思議だ。

「運動会のビデオは他者にとって退屈な映像だが、親にとっては最高のコンテンツ」

ということなのだろう。コンテンツの面白さのひとつのポイントは「コンテクスト」なのである。(寝ようとしたら、ふと思ったのだけれど「自分TV」のようなもの、自分を中心としたトピックスの専門チャンネルがあったなら、一日のうちに30分くらいはそれをみたいと思うものではないだろうか、というかオレはみてみたい。編集によってコンテンツ化された自分アーカイブはコンテンツとしてかなり魅力的だと思う)

それにしても今回の宗家のデビュー戦、ものすごい露出である。
僕も仕事柄、広告PR関連の仕事にも関わってきたのでわかるが、こうした成果は広報の方の尽力の賜物でもある。
感慨深い。

ホリエさん(DSE)!
おめでとうございます!

追伸:TVについてはいろいろな意見や批評、批判も多いが「つくる側」「出る側」「観る側」で印象は全く異なってくる。ブログでもいろいろな人がいろいろな意見を書くし、僕も書いてきたのだけれど、どの立場もやってみないと気持ちはわからないものである。また、TVというもののありようとしてパブリックなのにパーソナル(というよりも自分が主役)な使い方、使われ方、あり方、というのが十分に成立する、と僕は思った。「どの立場にあるか」がすごく重要なのだ。

投稿者 TKM : 06:26 | コメント (3) | トラックバック

2005年11月03日

トム・クルーズがたくさん

アマゾンからメールがきていたのでなんぞやと思って開いてみると

「トム・クルーズDVDボックス発売」

との宣伝であった。しかしまあ、俳優単体でのDVDボックスをよく実現させたものである。例えば

「キムタク全作品DVD箱」

などの商品は現行の体制で可能なのだろうか?

ところでこの「トム・クルーズ箱」 だがとにかくやたらと収録作品の数が多い。紹介文をみると

トム・クルーズ プラチナ7BOX (初回限定生産) 
トム・クルーズ プラチナ7BOX (初回限定生産)

■トップガン スペシャル・コレクターズ・エディション (本編ディスク1枚のみ)
■デイズ・オブ・サンダー
■ザ・ファーム/法律事務所
■ミッション:インポッシブル
■M:I-2
■バニラ・スカイ
■コラテラル (本編ディスク1枚のみ)

と7作品も入っている。
しかし、残念なことにトム・クルーズが出演している映画で一番好きな

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア 
インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア

がはいっていない。

インタビュー・ウィズ・ヴァンパイア」は傑作である。 特に「ああ映画だな」と思わずうなずいてしまうエンディングが最高である。 あれこそ「俄マインド」である。

投稿者 TKM : 13:40 | コメント (0) | トラックバック

ビルの先端までいってこい

というわけでこんなものがあるのだなあ、と感心した。

超巨大ビル解体機

昨日、オレとカネコと磨でコンテンツミーティングをやっていたのだがこういう機器の試乗レポートなど良いね。
クボ君から

「Nigiht for Javaというイベントにサポートできてください」

とのメールが来ていたのだが、先約があってニイノさんとのミーティングが入っているのだ。
クボ君、こちらの時間が確定したら連絡します。

投稿者 TKM : 12:37 | コメント (1) | トラックバック

2005年11月02日

REVVER最高! これぞビデオiPodで観たい映像だ

昨日、REVVERに関する記事がヤフーニュースでも流れたので多くの人が目にしているかもしれないが

REVVER

の映像が最高に面白い。
ひとつひとつの作品はクオリティからいえばTVやDVDなどには遠く及ばないけれど込められているパワーが違う。 個人の思考と嗜好がダイレクトに反映された映像のパワーには焦る。

こうした映像に対しては

「クオリティが低い」

という批評じみたコメントが寄せられるのが一般的だ。
しかしハイクオリティな映像や音楽を観たいという欲求とは別に「個性」と「オリジナリティ」を追求した

「パーソナルな映像」

に強くひかれる場合もある。一言で言ってしまうと人は

「観たことがない映像を観たいと思う」

という性向があるのである。

例えば下記の映像などクオリティとしては普通に撮影されたビデオの域を出ないがコンテンツ性バツグンである。 僕などは日本のバラエティ系のTV番組はほとんどみないのだがこうした作品には強く惹かれる。

Quarters

A skillfull floorball player from Tessin Team.

こうした映像作品の再生プラットフォームとして最有力候補はやはり下記だろう。また、 ロケーションフリーを組み込んだPSPなども非常に魅力的である。

将来的にはiPodやPSPのような端末がモバイルブロードバンド端末として常時接続されコンテンツをフローとして扱うようになる。 そのあたりまでは誰でもわかっていて、じゃあ、いま何をすべきかというところで様々な会社、 様々な人々が頭を使って戦略を立てビジネス化しようとしている。

最近、そうした相談が何社からも相次いだ。 それらの企画作業を通じてコンテンツプロバイダーとコンテンツの隔たりが大きくなっていることに気づいた。

「アソビ」

がないとダメなのである。マンガ「キリン」でいうところの「向こう側」と「こちら側」みたいなラインが存在し、 やってる人でとそうでない人の間には越えがたい空気感の違いがある。プロであるかアマであるかは関係なく「仕事」としてではなく

「なんだかわけがわからないけれど気づいたらやってる」

みたいな感覚なのだ。

(下記のLF-PK1 ロケーションフリーベースステーションを使ったコンテンツの視聴は石井先生のいう「未来体験」だと思うのである。 というわけで、東京海上研究所で実験の際はアソブラボも参加させてください!)

■参考URL
http://www.revver.com/
http://youtube.com/

■参考商品

Apple iPod 30GB ホワイト [MA002J/A] 
Apple iPod 30GB ホワイト [MA002J/A]

PSP「プレイステーション・ポータブル」 バリュー・パック セラミックホワイト 
PSP「プレイステーション・ポータブル」 バリュー・パック セラミックホワイト

LF-PK1 ロケーションフリーベースステーション 
LF-PK1 ロケーションフリーベースステーション


 

投稿者 TKM : 18:00 | コメント (0) | トラックバック

死亡遊戯

オレンジのつなぎでアフロの大男と戦う彼の姿は子供ゴコロにも衝撃であった。
ブルー・スリーの遺作である

「死亡遊戯」

がなんとギャオで放送中だ。
でも、放送がこういう方向に向かうべき、とはいわない。
韓国のようにハイブリッドな形になればユーザとしては最高である。

昨日の企画の件もそうだが仕掛ける側からの視点って僕はあんまり好きじゃない。

「こうなるんだ、だから、こうしよう」

というやりかたでつくられるコンテンツはスベる。
これは間違いない。

ブルース・リー/死亡遊戯 
ブルース・リー/死亡遊戯

追伸:おみやげのチンスコウをポリポリ食べていたら12個も食べてしまった。いかん。


新垣ちんすこう(中)

投稿者 TKM : 01:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月31日

研究チーム

チームでの仕事が好きだ。
大学時代は5割くらいの授業で「グループワーク」と呼ばれる3〜5人くらいのチームでおこなうプロジェクトがあり、毎週、 何らかのグループワークをやっていた。

政治学ではディベート、コンピュータアートでは企画や作品の製作、英語の授業でもディベートやレポートの作成等。 僕が履修した授業でグループワークの頻度が最も多かったのはコンピュータアートと政治学だったと思う。

グループワークではたいていリーダーを務めた。
この傾向は小学生の頃から変わらない。少人数、特に10人以下のチームで動く時のチームリーダーというポジションが好きだ。

表題の「研究チーム」だが愛読している「丸山茂雄の音楽予報」 にこんな記事があった。

で、会話が余りに楽しかったので、次の予定をキャンセルしてもらって、皆さんを沖縄のあちこちに引っぱりまわしました。

公設市場でビールを飲み、 新都心を見学し、砂辺のカフェビールを飲み、 りんけん さんのところで、ライブを見ながらビールを飲み、 松山に出て再び沖縄料理泡盛を楽しみながら、 私の 『mF247話』 に無理矢理付き合ってもらったのです。

この研究チームが、私の話に付き合ってくれたのは、 実はチームの全員が若い頃バンドをやっていたからだとわかりました。

この一文を読んだ瞬間にピンと来た。

 「研究チーム」

自分がやりたいのはこれだ、と思った。
もちろんテーマは決まっている。

量子コンピュータとは何か 量子のからみあう宇宙 創発―蟻・脳・都市・ソフトウェアの自己組織化ネットワーク 

 

投稿者 TKM : 13:23 | コメント (0) | トラックバック

またしてもやまけんと偶然の出会い

自転車で中央通りを7丁目に向かっていると暗がりから聞き慣れた声が聞こえた。声の主は電話で話しているようだった。あれ、この声…。 と思ってそちらに目をやると、またしても偶然の遭遇。

「あぁぁー!やまけん!!!」

「あっ、あぁぁあぁぁぁーーーーー、オイ、カガヤァァァーーー!!!!!」

二人とも何が面白いわけでもないのだが大笑いしてしまった。
待ち合わせなどしないのだがとにかくやまけんと僕とはよく会うのである。

毎度ながらあのタイミングは不思議である。

こうした偶然の出会いはシンクロニシティ と呼ばれているのだが僕は下記の呼び名を提案したい。

「リアルインターネット感覚」

これは清田君と話をしてくれたときに彼がいった言葉で「いい言葉だなあ」と思って以来、よく使わせてもらっている。

 

投稿者 TKM : 06:14 | コメント (2) | トラックバック

2005年10月30日

はてなで質問してみた

はじめて「はてな」 の質問機能を使ってみたのだが思ったよりも利用手順が複雑で難しい。
実際に使ってみないとサービスの本質はわからないものです。

でも、これで的確な答えが提示されるならば潜在的なパワーは凄まじいですね。

ちなみに僕がした質問は下記です。

 Q.下記の画像が何かわかるかたがいたら教えてもらえますか?物理・科学系の画像らしいのですが。

http://pds.exblog.jp/pds/1/200510/30/07/a0024307_0153181.jpg

しかし、オレもはじめてみる図なんですけれど。
こんなのわかる人がホントにいるんだろうか?

話は飛びますが先日あるテストをしてもらいました。

博士:「森の中で出会った最初の動物はなんですか?」

カガヤ:「んー、ユニコーン」

博士:「………。。。」

投稿者 TKM : 01:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月29日

中学生のブログ

カワムラさんのはじめたサイトで知ったのだが中学生もブログをやっているのだ。
当たり前といえば当たり前なんだろうけれど中学生のブログの文章ってはじめて読んだかもしれない。

そしてここからが本題なのだがこれがメチャクチャに面白いのである。僕が気に入ったのは下記。

カフェオレ、 ミルク抜きで


一応20日分」 というエントリーは思わず引き込まれてしまった。
何が違うんだろうなとちょっと考えてみた。

まず、出来事が面白い。そして自分らが面白いと思ったことを書いているというのが一番大きいように感じた。 彼らのコンテクストで政治でもコンテンツでもなんでもいい、 感じたままにつづられたテキストにいままで知らなかったコンテクストがあるから僕にとっては面白いコンテンツとして感じられるのだろう。

それにしても豊かな表現力だな、と思った。書くというよりも話すのに近い印象を受ける。
これってメールの影響ではないだろうか。自分が中学生の頃にこんな風に書く人っていなかったような。

投稿者 TKM : 13:26 | コメント (0) | トラックバック

プレゼンテーションの日米差にみるコンテンツ性

■古川 享 ブログ
プレゼンテーション、米国と日本の違い

コンテンツ(プレゼン資料)の中に含まれるコンテキスト(伝えたいメッセージの本質)をどのように自分で構築し、 それを相手のハートに届くように理論立てて伝えていけるかどうかは、 一般のプレゼンスキル以外にも適用できる幅広いノウハウなのだと思います。

この通りだと思います。 セミナーなどでもプレゼンの上手な方は資料の作り方がうまいのではなくコンテクストの構築に「自分のスタイル」があるように思います。

この間、中央大学で「プレゼンテーション」という授業をやったのですが実習では

「私たちは日本の大学の調査にきています。 あなた達のキャンパスであなたの一番好きな場所とその理由を教えて下さい。使うものは画用紙とサインペン。 好きな場所の絵を描いてその場所に名前をつけてみてください」

という課題をやってみました。

結果は学生達がそれぞれ思いもよらない表現でキャンパスを紹介してくれました。どうやら 「楽しむ」という視点があると想像力や表現はぐーんと加速されるようです。

 

投稿者 TKM : 13:11 | コメント (0) | トラックバック

チャーリーとチョコレート工場

明日から東銀座の東劇に劇場変更なのでその前に企画頭への切り替えもかねて観てきました。

g_1024[1]

ウンバ・ルンバ

最高です。 こんなイカしたキャラに出会ったのははじめてじゃないかな。
ティム・バートンの作品ではダントツにNo.1ですね。先日みた「コープスブライド」 の完成度も凄まじかったですがさすがにその原資を稼ぎ出した「チャーリーとチョコレート工場」 は伊達ではなかった!!!

ティム・バートンは天才だと思いました。
ウンバ・ルンバのあの歌はスゴイ。
映画を観て人形(フィギュア)が欲しくなるなんて初めてダ!

企画書ができたら続き書きます。
取り急ぎ 。

Charlie & The Chocolate Factory - Head Knocker: Oompa Loompa 

↑これ絶対欲しい!

投稿者 TKM : 02:43 | コメント (1) | トラックバック

2005年10月28日

Skypecast(スカイプキャスト)実践講座

アソブラボで新たな試みとしてSkype(超高性能無料IP電話ソフト) を使ったポッドキャスティングコンテンツの作り方を実践中です。とうとうSkypeでの通話が録音できるようになりました。早速、 カネコと収録をやってみたいのですが

 

これは…

 

かなり…

 

「使えます」

 

Skypeを使った録音の利点は

・場所の拘束がない
・移動時間が要らない
・毎日のちょっと空いた時間でコンテンツが作成できる
・ネット上の情報をお互いに共有しながら話ができる

などがあげられます。
アソブラボではこれらの利点を更に発展させ、これまでとは違ったコンテンツ製作環境を研究していきます。

「訊く」

次回はの重要性について解説していきます。

投稿者 TKM : 18:01 | コメント (0) | トラックバック

ハッスル・ハウス参戦! その1

CA310114

プライドのレポートがまだなのだがまずは今日の成果。

今日は先日ご一緒させていただいた宗家の応援に「ハッスル・ハウス」に参戦してきたのである。

いやー、スゴかった。
いつの間にハッスルはあんな盛り上がりになっていたのだろう。 前に別件でやまけんらと横浜アリーナにいったときから比べてかなりの進歩である。

構成やら見せ方。
独自の完成度である。

冒頭、インリンが登場するのだが彼女のキャラづけとみせかたもうまい。吉本の喜劇とドリフとプロレスの合体といったところだろうか。

しかも観客の参加性が高い。
かなり参考になった。

そして、宗家の登場もうまかった。
演出がイキであった。

写真右が登場シーン。
ライトのせいでシルエットしか確認できないのだがかなりの見せ場であったことは確かだ。

ケンゾーと奥さんがパフォーマンスを終えた直後である。高らかに鳴り響く笑い声が頭上から鳴り響いた。場内が騒然となった。

その直後、二階席に宗家が登場。
おもいっきり狂言モードであったがこれがズバリとキマッタ。プロレスラーは滑舌が悪かったりするんだけれど、さすがにプロは違う。

言葉と声で会場のプロレスファンを釘付けにしていた。

11月3日も応援いきます!

 CA310125

上記写真は小川直也氏。
またしても至近距離であった。

投稿者 TKM : 02:50 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月26日

Google高騰

ここにきて狂ったようにGoogleが高騰している。
面白い限りである。

投稿者 TKM : 17:57 | コメント (0) | トラックバック

宗家ガチで出陣

先日、ご一緒させていただいた時に公開練習についても話をきいていたのだが、

「ガチ」

だったようである。
結構いい写真になっているので驚いた。
ガンバレ宗家!

応援にいきます。

元彌出陣! (サンスポ)

投稿者 TKM : 10:59 | コメント (2) | トラックバック

漁業システムと寿司と建築メール

「これから船つくんですよ」

眠っていたらそういわれた。
磨の家は港近くにある。
いや港に住んでいるといってもよいだろう。
20畳ほどの畳の部屋である。

ダイと奥さんと連れだって漁業システムの見学にいくのだといって出かけてしまった。僕は眠ったまま、 遠慮無く彼らの目を盗ませてもらい、最新の漁業システムを見学する。

魚群は海からラッピングされた棒状になって水揚げされていた。 10mくらいの大きさのマグロがとれたようでその場でマグロ解体を得意とするチーム5人がザンテツ剣を使って解体していく。所要時間は5分。

5分でお寿司をつくれる状態にまで解体されていった。
見事である。というよりも彼らの跳躍や太刀さばきは別な生物の行動様式と認識すべきであろう。それほどに浮世離れした動きであった。 アーサー・C・クラークの「幼年期の終わり」のラストシーンを思った。

解体が完了し、船がこちらに戻ってくる。

「半端じゃなく海でしたよ」

磨の言葉であった。
家の隣の階段を下りると「マツリ」という居酒屋がある。地下と地上の中間地点にあり、そこは格安で楽しめる。しかし、 今日は日曜日で人影はまばらである。時間は午後5時近くだ。

外にでると電通テックのチームが撮影をしている。3・3・5システムによって建築されたビルをリズムで調整するのだそうである。 信号が青にかわったので一緒に横断歩道を渡った。見上げると黄金町のような風景がみえた。僕も撮影しておくことにした。 かがんで下から見上げるように撮影するとビルの高さが変化してくのがわかった。 存在感をエベレスト並に大きくしたビルが映画な雰囲気でうつりこんでいた。

それからまわれ右をして彼らは磨ハウスの方へと行列をはじめた。一歩進んで左に回転し、手を掲げ、3・3・5のリズムでダンスをする。 真似ようとするのだがうまくいかない。とりあえず一緒に歩いた。

家までいくとケータイが鳴った。出ると

「ダンジョウです。飲みいきましょうよ。」

と言われた。

「ん?ダンジョウ?だれだっけ?ちょっとまって顔と名前を一致させるから。 エーとあれか、思い出した。お堀で建築やってるボウダ君」

「そうです!いきましょうヨ」

「いいけどあれだよ、今日は日曜だから魚はやってないよ」

「そうですね。では「水曜どうでしょう?」?」

「オーケーイ」

そう答えて電話を切った。
さていかがなものか。

道路脇の公衆電話で100円を入れ「ノチさん」に電話をかける。
高速道路の高架下にその電話は設置してある。

電話すると電信柱に関するプロジェクトをたちあげたのでどうか、ときかれた。ちょうどその話の途中で電波が途切れたようである。 最近の公衆電話は設置が簡易化され有線ではなく無線なのである。

家に戻る途中で外国人二人とすれ違う。大柄の男性、バター・ビーンに似ている、が英語でなにやら騒いでいる。 どうやら地下鉄の駅に入ろうとしたら入り口が閉まっていて、彼はなんとなく今日はそこが閉まっているのではないかと思ったのだが、 やっぱり閉まっていた、ということに憤慨している様子であった。

「imagined, never open it.」

と3回繰り返していた。
残念だったなバター・ビーン。通りすがりの人が

「スコティッシュはそういう話し方をするものだよ」

と教えてくれた。
そんなものなのか。
家に戻るとノチさんからメールがきていた。メールの冒頭にアンケートフォームがついていて、 それを実行しないと本文が読めない仕組みになっていた。新手のメールビジネスである。

通りに面した韓国料理店で

「寿司をやりたいのだけれど」

と相談を受ける。寿司っていわれてもなあ。通りには車が行き交っている。道路の端に立体化されたつなぎが放置されている。 パッと見は人が寝ころがっているようにもみえる。あまりにもリアルなので一瞬ドキっとした。

16歳くらいの少年が往来をいったりきたりしている。市場で働く少年である。彼はおもむろに歩道に寝転がって眠りはじめた。 眠り方にも人それぞれスタイルがある。彼の場合はそれがスタイルとして定着しているのか街の人々はさもありなんという表情である。

トイレに行こうと思って家に入り、地下への階段を降りていこうとしたら小室哲哉が階段のところに自転車をとめるところであった。 その隣に自転車をとめると階段がふさがれてしまうのでちょっとズラしてあげると

「ありがとう」

と言われた。

「いえいえ」

そういって地下に降りていくと某知人宅を10倍ほど拡張した日本家屋であった。トイレにいくはずが離れの隠居部屋の方に出てしまい、 困った。襖をあけてまわってようやくお風呂場の近くに出た。さきほどの少年が

「これから入浴するんです」

といって襖の向こうに消えていった。さてトイレはどこだろう。探していたらMさんがタオルを持って少年に渡していた。 確かトイレはその隣だった。

あたりに湯気がふわふわしている。

さて今日も寿司日和である。

投稿者 TKM : 10:53 | コメント (0) | トラックバック

プランナーな一日

打合せとミーティングと会合が予定なしに連続していく一日であった。
プランナー稼業をはじめるといつもこのような日常になる。

不思議である。

今日の最終会合は磨の同級生のサナカ氏であった。
かなり話し込んでしまった。
これは合宿したほうがよいな。

今週になってパラレルに案件が動き出して「俄マインド」にドライブがかかってきた。
良い感じである。

そうそう、昼前にランニングしながらはじめてポッドキャストで面白いと思うトークコンテンツを視聴した。

下記、視聴前の方はオススメです。「この人」 も俄マインドだな、と思った。

村上隆x堀江貴文対談 (ポッドキャスト)

若干ツッコミを入れると量子論の話がでてこなかったのが残念。
キュービタル思考について議論もしくはレクチャーさせてもらいたい。

投稿者 TKM : 04:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月25日

久しぶりに西垣通 「コンテンツとの関係」におけるクリエイティブ

西垣通オタク肯定論を排す」 についてのエントリー

ネット以前は論考などよく参考にしたし、著作も熟読していたのだがネットが一般化して以降は「西垣通」 という名前を目にするのは久しぶりだった。

上記エントリーにある

「・・世間で通用している支配的な価値観や流行に惑わされることなく、自分の好きな世界にのめり込む。 損を承知でマイナーな世界に没頭する純粋さこそ、オタクの愛すべき持ち味です。ところが、 オタクが肯定的な意味を持ち始めたことによって、その位置づけがすっかり変わってしまった。」

という部分は要チェックだ。

直接創作にかかわっていなくても「コンテンツとの関係」におけるクリエイティブの発揮は十分ありうる。 どのようにコンテンツと接するか、そこに個人と世界との関係性があらわれる。積極的な関係性は自己と世界の開拓であり、 それが娯楽的であるかどうかは個人の嗜好による。オタク的なコンテンツの楽しみは必ずしも万人にとってのエンターテイメントではない。 時にそれは苦行的ですらある。

下記は西垣氏の著作で僕が好きだった一冊。

ペシミスティック・サイボーグ―普遍言語機械への欲望

投稿者 TKM : 00:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月23日

本日のPRIDE参戦してきます

本日のPRIDEですがリング近くで観戦させていただくことなりました。
メインのミルコ戦は立ち技メインになると思うので観戦時の距離の近さが活きるかと思います。
楽しみ。

詳細は後ほど。

投稿者 TKM : 12:06 | コメント (0) | トラックバック

南の島でタドを発見

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沖縄本島から船で1時間ほどいったところにある「阿嘉島」の待合室には美しい海中写真が展示されている。 その近くにあった作家紹介のパネルをみて衝撃をうけた。

「タ、タドだ!!!!!」

磨を呼びにいって、

「おい、コレみてみ。タドに似てない?!!」

「ホントだタドさんだ!!」

と思いがけない邂逅に二人でしばし爆笑。

似てる人っているものなのだな。

投稿者 TKM : 03:46 | コメント (1) | トラックバック

清田君のブログ

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以 前、月島の我が家でセッションを開き、いろいろ話をしてくれたナイスガイの清田君のブログを発見した。先日、 新橋のTSUTAYAにいった時にサイゾーをパラパラとみていたら清田君の「おのり」(祈りと踊りをハイブリッドにした造語) の写真があったので思わず手を止めて読みいった。

■清田君のブログ
スーパー・ガイア!

いまこのエントリーを書いているこの部屋で清田君とかなり長い時間話し込んだ。
子供の頃にTVや雑誌でみていた清田君と自分の部屋で話をしてる、というのが不思議な感じでもあった。

そのイベントをセッティングしてくれた故人のことを思い出した。
ある日、汐留を歩いていたら偶然彼女と会って、そこで盛り上がって、清田君との会合が決まったのだけれど、これも不思議な縁だ。

サイトによれば来月は清田君主催のパーティが開催されるとのことである。

++++++

下記は3名の特殊能力者を取材したノンフィクション。
オススメです。

職業欄はエスパー 
職業欄はエスパー

別な視点から超能力や特殊能力について迫ったのが下記。

カルト資本主義 
カルト資本主義

僕はビジネスエンターテイメントと呼んでいるんだけれど、この本、良質のビジネスエンターテイメント本です。 未読の方は是非。

投稿者 TKM : 03:41 | コメント (1) | トラックバック

高校生にヒヤリング

某企画に関連してバンドをやってる僕のブレインの高校生にヒヤリングをしてみた。
かなり新鮮である。

さきほどの話の内容を文字に起こす。
やりとりした言葉はそこに再現されているのだが、反映されない情報もある。

価値があるのは文字に起こした時に消えてしまう情報だろうか。

言葉以外の情報がSkypeの向こうからこちらに飛んできているのではないか?
そんな思いがよぎる。
相手の脳のモードがこちらに伝わってくる感じといったらいいだろうか。
言葉以外の情報が伝わってくる。

投稿者 TKM : 01:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月21日

かなり共感

TVとネットの融合にかかわらず、 これからの時代は24時間しかない人間の時間をいかに占有するか、 がポイントになってくるはずです。情報がこれだけ過多になってくれば、 できるだけコストパフォーマンスが良くて充実した時間をすごしたいと皆思うはずです。 そこで一番のキラーコンテンツになるのは面白い人とのコミュニケーションになると私は考えます。コミュニケーションの形態は様々です。 不特定多数で、匿名のヴァーチャルだけのコミュニケーションもあるかもしれません。様々なコミュニケーションの場を作り、 そこに人々を誘導することが出来た企業がこれからの時代で優位な立場を築けると思います。 いわゆる動画配信はそういう意味で大きな弱点があります。双方向のコンテンツになりにくいということと、 時間をある程度占有してしまうということです。

今はまだ暇している人も多いかもしれませんが、 これからモバイルブロードバンドが普及してITリテラシーが高まれば、 時間の占有競争が熾烈さを増してくるとおもいます。そういえば、 私もめっきり動画コンテンツに触れる機会が減りました。 人と会って食事したり飲んだり、メールしたり、 ネット証券取引をしたりという時間のほうが充実している気がします。

livedoor社長日記より引用)

かなり共感である。
早速メモさせていただいた。

以前、高校生のダイと話していたときにも上記の傾向が顕著であった。

「ダイ、ゲームとかやってるの?」

「えーと、あんまりやらないねえ」

「へー、なんで?」

「うん、ゲームやるよりも友達と話してた方がオモシロイから」

この時からである。
コンテンツのあり方と非可逆性について考え始めたのは。

投稿者 TKM : 15:57 | コメント (0) | トラックバック

涙そうそう

朝一番にiTunesをオンにすると

涙そうそ・夏川りみ

が再生された。
ちょうどRSSリーダーでキッペイのブログをチェックしてたところだった。
よい感じにシンクロである。

某企画に関して磨に話をしてみる。

二日間、意識的に無意識的に某企画について考え続けている。
おおまかな方針は見えてきた。
今日は三日目なのでそろそろアイデアドライブをかけて脳を「快」な状態にチューニングしていこう。

方針だけ書いておくと

「ダライ・ラマ」

今回はこれである。

投稿者 TKM : 12:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月20日

驚きの企画

なんてものは実はない。
企画のはじまりはどこにでもある。

僕の場合は生命とか情報とかをベースに思考するのだが何気ない疑問とか誰もが考えるけれどサーっとすぎさってしまう思いみたいなものが大切だったりする。

壮大な企画も実現するにはたくさんの人の力をかりなければならない。 強烈なリーダーシップとかカリスマ性でビジョンを提示してつくっていく、というスタイルはいまの情報環境にはあわなくなってきている。

Linuxの事例などをあげたくなるのだがあれはまだボトムアップエンジンの序の口だと思う。

コンテンツの分野においてもマイクロメディア化は急速に進んでいる。
これに対応できるプロダクションはまだ存在しない。

投稿者 TKM : 17:31 | コメント (0) | トラックバック

ミクシー考

このブログとは別でソーシャルネットワークサービスのミクシーで日記を書き始めたのだがこれがなんだかブログとは違った情報の伝播をしていて面白い。

このブログだとサイトはパブリックに公開されているので書くとマズイこともあるし、 コメントを書く人も公開されることが前提なので書きづらい場面もあるかと思う。

ミクシーでメモみたいにぼんやりと考えていたことなどを書いてみたら、みてくれた人からたくさんのコメントが寄せられてビックリした。 しかも、ひとつひとつがとても勉強になる。ゆるやかに閉じられたネットワークの力を感じた。

規模は小さいけれど「ボトムアップの知」にはこういうことも含まれるのだろう。

キュービタルな視点を得るツールとしてのブログ・SNSの使い方の開発はこれからすすんでいくのだろう。また、 キュービタルな視点を利用したマーケティングの手法、企画開発、能力開発、マネジメントなどなど、面白いことが目白押しである。

投稿者 TKM : 17:24 | コメント (0) | トラックバック

独善

某サイトをみていたら「独善」という言葉がよぎった。

こういってしまうことも独善的であるのだがメッセージが「響いてこない」のである。作者はホントにホントでそれが本心で書いているのだろうか。理由はないのだけれど違和感を感じた。

派手な言葉や熱い文章よりも抑制のきいた文章の方が心には響いてくる。
批判やアジテーションはどぎつい言葉を使うのでぱっとみは魅力的であるけれどワイドショーみたいなもので「胸(ハート)で考える」 からは大きく外れている。

なにより美しくない。

「独善」は力強さに転じる場合もあるがコントロールを失えば、醜くさを増幅させる。

トップアスリートにみられる「ZONE」(チクセントミハイのフローとも似てる) という概念はコントロールの向こう側にあるのだろうけれど、それはまるきりコントロールを失った状態ではない。 からまった思考の糸や外側にある思考の層からスっと抜け出た状態なんだと思う。

投稿者 TKM : 14:58 | コメント (0) | トラックバック

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」

朝から板倉氏のブログをまとめて読んでいるのだが下記エントリーのこの一文。

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。

これってかなり実感なのである。

「ああこの感じのひとたちとの話ってあうなあ」

とか

「このひとたちってコンテンツ系かと思ってたけど全然違うんだなあ」

と仕事をしていて業界によってモードとかノリの違いがあることに驚く。が、 本当は業界別にノリが違うわけではない。おおざっぱに業界的な傾向はあるもののノリの違いは属人的なものの方が大きい。

僕は自分ではコンテンツにずっと関わってきたのだけれど、僕が興味があるのはコンテンツと人、 コンテンツとクリエイティブの関係に対する考察や構造の構築・プランニングだと気づいた。

ここ最近で最も自分が悦びを感じたのは六本木ヒルズにあるアカデミーヒルズでシンノスケ、ヤマケン、 カネコの4人で石井先生から個人授業を受けた時である。脳の中にスゴイ勢いで新しい回路ができていく、みたいな実感があって、 あの接続感のような感覚が最高であった。

自分が望むのはああした時間の過ごし方である。残りの人生でどれだけあの感覚と同種の知的なドライブ感 (ある種極上のエンターテイメントである)な時間を過ごせるか。

人生の課題である。

冒頭の

「コンテンツを生み出す人たち」と、「誰かが生み出したコンテンツを配信する人たち」って、文化が違いすぎるんです。

に話を戻すと「コンテンツを生み出す人たち」にも「配信する人たち」にも双方にクリエイティブやイノベーションは存在する。

僕の興味は「本質」である。

どの業界、どの分野にも本質的な視点で物事を見据え、話ができる人がいる。こういう人との対話は得難い無形の宝である。

その宝との接点を増やす方法なんだけれど、そんなに難しくない。

「本質的な話をする」

これにつきる。自分という人間が持っている知識とか経験の中でいいから、他者ではなく、自分の思考をしていく、それだけである。

投稿者 TKM : 12:45 | コメント (0) | トラックバック

結構、重要なこと 人の問題、ホームレスについての雑感

今週号のNewsweekのカバーストーリー「世界が尊敬する日本人」という特集について書かれた下記のエントリー。

また英デイリー・テレグラフ紙東京支局長、コリン・ジョイス氏のコラムも興味深いです。

『東京で見つけた僕のひそかなヒーロー』として、家の近所のスーパーのレジ係の女性の「華々しく、英雄的といってもよい仕事ぶり」 を紹介しています。

そして「東京を訪れる外国人はみな、日本人の礼儀正しさと勤勉さに驚く。ガソリンスタンドの店員が深々とお辞儀をし、 ウェートレスは本物の笑顔で客を迎え、工事現場で働く人は通行人を丁寧に誘導する」と褒めちぎった上で、 こうしたサービスの伝統が失われつつある今こそ、政府が提唱するような「50年でノーベル賞受賞者30人」などという目標よりも、 あのレジ係の女性のような「見過ごされた英雄」を表彰すべきだと提案しています。(http://ameblo.jp/fushigi/entry-10005277105.htmlより引用)

そして愛読している板倉氏のブログのこのエントリー

なんだか世の中変じゃないか?
日本がどんどんおかしくなっている。
僕は、日本をアメリカナイズしようとする現政権に大いに不満を感じる。

が、一方で、けが人を想定して、車を止め、現場の対応を一緒にしてくれた28歳の中村君という若者。
そして、事故現場を無視して通り過ぎる車の中に、一台だけ、わざわざバックして「大丈夫ですか?」と声をかけてくれた、 これまたおそらく20代の若者。
彼らの姿勢に、「日本の将来は捨てたものではない!」と思った次第である。

金がすべてを動かすと思っている馬鹿者ばかりではないのだ。
僕は今、警察の態勢と、事故って逃げてしまう人間に対する憤りと同時に、以上のような若者の清清しさを同時に感じている。

日本を取り戻そう。
(板倉氏のブログ「またもや事故」 より引用)

上記の二つのブログのエントリーの問題提起に強く共感する。

「人」を世代や場所ではくくれなくなっていて(前からそうだったけれども)、 もっと別なとらえ方をする必要がある。

例えばマンデラ氏がスパイラル・ダイナミクスを導入することで人種差別問題に取り組んだようにスパイラル・ ダイナミクスみたいな指標は南アに限らず有効であるかもしれない。

どこで読んだのか忘れてしまったのだけれど、ある人が10代の子供達の取材をした際の経験について書いていた。 彼らは引きこもり気味だったり、他者に対する感心が薄いというような印象を持っていたけれど、取材してみると、優しく丁寧で、 大人のそれよりも遙かにコミュニケーション能力が高くて驚いた。これまでの自分の思いこみは何だったのだろうとびっくりした。

およそそんなことが書かれていた。

どこの誰がダメなのか、僕もよくわからない。 こういう人たちという集合が場所や環境ではひとくくりに出来なくなっている。

「憂鬱の先端」と形容されることが多い日本の今を象徴する現象だと思うことがある。

隅田川沿いの月島のテラスを毎日走っているのだけれど必ず空き缶や空き瓶、 コンビニの袋に入ったゴミなどがポツンポツンと置かれている。

どこの誰がそこに捨てていくのか、どんな気持ちで彼らはそこにゴミを置いていくのか僕にはわからない。 ゴミというモノを一瞬でもはやく自分から隔離したい、という気持ちなのだろうか。 そういえばテラスにおいてあったゴミ箱は全て撤去されていた。ゴミ箱を置くと更にゴミが集まるという発想なのだろうか。

これは区の管轄の仕事なのだろうけれど、これではゴミを捨てていく人々と同レベルの対応に思える。

路上にゴミを捨てていくという行為を平然と行う人々とその対応に疲れてしまった人々。 ところでこのテラスはリバーシティの近くであるせいもあって富裕層と思われる人々が夜昼なく犬の散歩にいそしんでいる。

2週間前くらいから佃大橋の下にひとりのホームレスが住み着いている。 ここ10年で何度かこの場所にホームレスがいたことがあったけれど、これだけ長い間ホームレスが住み着いているのははじめてのことだ。 毎日走っていると彼の住居(それを住居とは呼ばないだろうけれど)の変化がわかる。

最初は半径1mくらいでまとまっていた荷物が次第に面積を増し、現在は半径5mくらいにまで広がっている。 日増しに乱雑さの度合いが強まっていくのがよくわかる。

エントロピーの増大をリアルに見せられている感じがする。

このホームレスの存在によって月島側のテラスの印象は大きく変容している。 彼の周囲10メートルくらいに暗い磁場ができあがり、佃大橋を境に勝どき橋側とリバーシティ側が分離されている。

近くにいくと人の流れや風のながれが歪んでいることを実感する。
これはこれで大きな問題なのだが誰も解決できない問題でもある。

そこに住むなといったところで彼はそこに住むだろうし、区ができることといえば中央大橋(リバーシティ側の橋) のように橋の下部を鉄柵で覆い、空間を排除するくらいのことだろう。

ホームレスの問題は直接は僕たちの生活に関係がないので放って置かれるのだろうけれど、 思っている以上に影響は大きい、と僕は思う。彼らがそこにいることによって無意識下で人は何らかの情報を受け取っている。 ポジティブな感情を抱くことはないし、そこを避けるようにもなる。

自らの行動やら思考を外部要因によって制限されたり、マイナスにもっていかれる、 というような機会が増えてしまっているわけで、それは生産性をそこなう要因ともなりうる。これは社会全体にとって大きなマイナスだと僕は思う。 (けれども、と僕はここで考えるのだがそれはこちら側からみた時の印象でしかなく、「ホームレス=非競争」 みたいなモデルが成り立つのであれば、そこには大きな意味があるのかもなあ、と思う。 人がレイバーとして働かなくて生きている世界が実現したら(働かないといってもその人のクリエイティブが発揮されない、 バリューが存在しない労働はしなくていいという意味での「働かない」であって、世界はそこに向かって発展していってるんだと思ってる) 彼らの今はその世界の一部を反映してるのかもなあ、と思った。競争がない社会でのクリエイティブってありうると僕は思うし、 そもそもクリエイティブと競争は関係がない概念だと思う)

しかし、何をどうすればいいのか。 という部分になると何をどうしたらいいのか個人レベルでどのような対策が実行可能なのか思い浮かばない。 イエローハットの社長が実践しているように徹底した掃除とゴミ拾いを実行すれば変わるという問題でもないように思う。 ゴミを拾わない人が問題なのではなく、ゴミを捨てる人が問題の本質なわけで、 そこいらにゴミを捨てないように人が変わるにはどうすればよいか、が問題なのだ。

ホームレス自治区をつくって自己組織化プロセスを導入する、くらいの施策しか思いつかない。 これも知恵のない発想であるが可能性はある。

ホームレス人口が拡大していってるのは体感ベースで感じられる。
中央区ですら目にするホームレスの数が年々増えている。

自分には関係ない、といってしまえばそれまでなのだが。

話は飛ぶが新橋に何件かマンガ喫茶がある。 夜になると1000円程度で8時間くらい滞在できるので長編のマンガを一気に読みたい時などよくいっていた。 ところがある時期を境にいくのが嫌になった。

夜の新橋地区のマンガ喫茶は「ここはこの世の果てなのではないか」と思ってしまうような時空が広がっている。 そこは極度に停滞した空間である。
上記の板倉氏のエントリーにあったケータイを3台放置して、車から立ち去った人間の刹那的な感じ、 の密度を100倍くらいにして陰鬱にしたモードがそこにはある。

未体験の方はいってみるとかなりのショックを受けるかもしれないがあれこそ「憂鬱の先端」 の姿なのではないかと思う。

こうした現象を感情面で論じても議論は深まらない。 それが意味することがなんなのかについて別なフレームで捉える必要がある。物事は関連しており、ホームレスが増加しているのには理由があるし、新橋のマンガ喫茶が異次元空間なのにも理由がある。 現象は単独では存在しない。

僕はこれを不自然と感じているが、自然な現象である可能性も否定はできない。 思いこみや一面的なものの見方は歪みを反復属服させてしまう。

根幹にある問題、もしかすると些細なものなのかもしれないけれど。
本質についての考察はつづけていきたい。

投稿者 TKM : 12:08 | コメント (5) | トラックバック

2005年10月19日

僕の人生を変えた一冊

といえばこの本である。

鏡の伝説―カオス・フラクタル理論が自然を見る目を変えた 
鏡の伝説―カオス・フラクタル理論が自然を見る目を変えた

この本によって世界を見つめる自分の視点は大きく変わった。
また、生涯に読んだ本の中で最も面白かった本の一冊である。

投稿者 TKM : 03:36 | コメント (1) | トラックバック

あるコンテンツの終わり

吉本タレント、世界遺産で大暴走も反省なし
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20051018-00000012-ykf-ent

上記の記事を読んで「ああTVは終わったな」と感じた。
何かしら理由があったわけではないが漠然とそう感じた。

ある意味狙ったネタである可能性も否定できないが広告モデルによるコンテンツ生成が限界に来ているような印象をうけた。

それにしても、日本のTVコンテンツの多くは時代の末期を感じさせる。
何が、を明確に言えないので説得力に欠けるのだけれど、構造から来る閉塞感と先細りな感じは日に日に強まっていく。

暴言かもしれないがこれは

「サラリーマンがつくるコンテンツ」

の限界なのだと思う。
TVとは人が観たいものを映すメディアである。

しかし、僕たちが観たいものってあるのだろうか?

問題の本質はここである。

投稿者 TKM : 02:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月17日

0.5トンの巨大カボチャ

こんな巨大なカボチャがあっていいのだろうか?

やまけん、教えてください。

(元ネタ・東京福袋

投稿者 TKM : 21:21 | コメント (2) | トラックバック

ザ・筋肉バカ一代

■久しぶりにみた筋肉バカな映像
史上最強のボディビル世界チャンピオン、ロニー・コールマン氏のデッドリフト

筋肉バカとしか言いようのない映像である。
意味不明な言葉を叫びながらのトレーニング風景。
かなり衝撃だ。

先日、磨に教えてもらったトレーニングの対極といってもよいだろう。
ヒョードルのトレーニングと筋肉バカのトレーニングの違い、は営業バカな企業となめらかな企業の違いと似ている気がする。 電話帳で片っ端から電話をかけていくスタイルの営業がいまだにあって、時にそれが賞賛されていたりもするのは筋肉バカならぬ、 電話バカとしか思えない。

とわいえ、ボディビルもここまでくれば世界チャンピオンなわけで、電話バカも日本の電話帳で飽きたらず

「私、10カ国語をマスターし、世界の電話帳を制覇しました。無敵の世界電話営業マンです」

みたいなのが出てきたら賞賛ものなのかもしれない。 追伸:電話バカも最悪だがこの世界で更に最悪なのは飛び込み営業という押し込み強盗と大差ない無能なスタイルの営業である。この世界から廃絶すべき悪習の一つである。(理論的なアプローチや知恵的なアプローチの場合はそこにコンテンツ性が介在するのでOKである)

■オマケ:ロニー氏のダンベルベンチプレス

投稿者 TKM : 12:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月14日

夢の世界

先日も夢の話をしたのだけれど夢の多くは映像的だ。
僕の観る夢の多くも映像的で音だけの夢は少ない。モノクロの夢も少ない。

昨夜観た夢も変わっていて、コムデックスの山田さんの結婚式の夢だった。 バシ師匠の招待状がキーになっているのだと思うけれどそれにしたっていきなり山田さんの結婚式の夢とはおかしな話だ。

タドから借りた一眼レフのデジカメはプロジェクション機能付きの高性能カメラでそのまま投影が可能なっている。 試しに襖に向けて投影してみると一大スペクタクルなヤマダ結婚式が映し出されていた。

しかも、奥さん役はウエノさんの奥さんである。さながら全盛期の日本映画な雰囲気のセットだ。 式場には1000人くらいの人が観客として詰めかけている。式というよりも歌謡ショーを鑑賞しているのに近い。 ステージにはお堀を越えて金色のアーチ橋がかかっており、そこを傘をさしたヤマダさんがわたってくる。

ステージの左側は紅葉の京都を思わせる雰囲気だ。その階段を新婦が下りてくる。しかし、 僕たちがみているのはタドのデジカメから投影された映像で微妙にあらい走査線が見える。 色もフィルムの劣化を反映したオールド日活なカラーである。

しばらくして、島にわたって「ビジネスモデルx5」というパッケージを2本、手渡された。 それはテレパシックなアプローチでつくられたコンテンツらしく、 夢という場をつかった体験タイプの教材で読書体験が時間軸の中でストーリー化されていくような妙な感覚だった。

夢をみているのに矢野の数学の参考書をやっているような気持ちになるのだ。しかも、全10ストーリーだからなかなか終わらない。 アフィリエイトというモデルを全く別の体験に置き換えストーリー化するとこうなります、みたいな物語なのだが、 面白いというよりもニャロメのおもしろ数学教室な感じである。

こうした夢が毎日毎日、いろいろな人の頭の中で生まれては消えていく。
なんともったいないことだろう、と僕は思う。

自分の夢だけでも録画できて、再生できたらならば、人生で楽しむコンテンツの50%はそれでもOKと思えるくらいに毎回毎回面白い。 自分の夢ですらこれなのだから夢が録画できたら、プロの夢見家なんてものが成立してしまうかもしれないし、 映画産業と張るくらいの巨大産業になるかもしれない。

しかも、究極のマイクロメディアで全ての人が作家化してしまう。このインパクトは強烈である。

夢を録画するには記憶のメカニズムが解明される必要があるのだろう。
夢とはイメージの動的生成でそれがもの凄いスピードで処理されていく。意味や印象とのリンクの仕方が尋常ではないのだ。

5分くらいの夢がその何百倍もの時間感覚と同じ質感をもってしまったりする。
これらも夢と記憶との関連性を思わせる。

下記の映画も夢の世界な印象でいっぱいである。
未視聴の方は是非。オススメである。

ドニー・ダーコ 
ドニー・ダーコ

投稿者 TKM : 12:06 | コメント (0) | トラックバック

結婚式の招待状 スーパーライター・バッシーがめでたく結婚

昨夜、家にもどると結婚式の招待状が届いていた。
敬愛するバシ師匠からの招待状であった。

最後のスーパーライターとして数々の伝説を残したバシ師匠がとうとう結婚である。
感慨深い。
初めて二人で京都に取材にいった際、バシ師匠は取材相手の我孫子武丸氏の家にカメラを忘れてきてしまい、 我孫子氏が我々を追って駅まで走ってカメラを届けにきてくれた。

おもえば伝説の数々はあそこから始まった。桑名正博ノート事件。三遊亭円丈菓子折フォロー。モンキーパンチ髭事件、 新証言で蘇る事件の真実。
師匠、スピーチはまかせてください。

タイトルは決まりました。

「神の怒り・アラサンダーとの戦い 〜フォローこそ我が人生〜」

これでいきましょう。
(注:下記のヘルツォークとは全く関係ありません)

アギーレ・神の怒り 
アギーレ・神の怒り

投稿者 TKM : 11:34 | コメント (2) | トラックバック

本音 「和田秀樹って知ってる?」ときかれて考えた

dai001

 先日、ダイとSkypeで話をした。

「お兄ちゃん、そういえばさ。この間、和田秀樹って人が学校で講演やったんだよね」

「おー、和田秀樹か!オレあの人の受検本けっこう読んだよ。面白かっただろ?」

「うーん、それがね。オレの家庭教師の先生も「スゴイ人だ!」とかいってたんだけれど、 はっきりいって

ツマラナカッタ。

なんかどうでもいい話ばっかりだった。あとなんかどっしりしてなかった。」

「エー?!あれ?!本だとけっこう面白かったんだけれど、ダメだった?」

「うーん、全然ダメ。響いてこなかった」

というわけで和田氏の話は高校生にはまったく響かなかったそうだ。
ダイの場合、まったく先入観なしで話をきいているからおそらく本当につまらなかったのだろう。

この話をしていて、思い出したのは故・江藤淳先生の言葉だ。
前にも書いたがダイには話していなかったので再度紹介しよう。

「加賀谷君。生徒ってのはね、どんな生徒だろうと、 やる気があろうとなかろうと立場に関係なくその授業をやっている教員が本気かどうかを驚くほど正確に見抜くものなんだよ。だから、 教員は常に本気で授業に臨まなければならない。それが教員をやっていく上で一番大切なことなんだ。 本気で臨む姿勢というのは必ず伝わるものなんだよ。」

上記の先生の話は授業だけでなく仕事にもあてはまる。
どんなにダメそうな部下や業者でもこちらが本気かどうかは驚くほど正確に見抜くものだ。

和田氏の講演のテーマが高校生達の興味からズレていたとしても、 彼が本気でその場に立っていたのならその心意気は伝わったのではないだろうか。

近年の和田氏の著作(といってもほとんどは口述な感じがするが)は全く面白さに欠ける。そして内容が薄い。 100分の1くらいに圧縮してようやく意識を集中させ、読む時間を投資するに値するテキストとして成立する。そのくらいに無内容である。

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2005年10月13日

仕事について

沖縄で栗田さんといろいろ話ながら考えていたが僕の場合プランナーといっても自身のクリエイティブをドライブさせる自己表現なタイプのプランニングは好きではないし、 得意でもない。

では、どういう形でプランナーとしてプロジェクトに関わるのか。

通常、僕に話がくる場合は何かしらの新規案件・プロジェクトで人はこういう感じの人で何人か声がかかっているのだが、 ちょっと手伝ってもらえないか、というケースが多い。

この時点ではどういうポジションを取るかはまだ決めない。 長所であり短所でもあるのだがわりといろいろなことがそつなくこなせるので状況によってはいくつかの役割を兼任していく時もある。

まず、相手やチームの状況をヒヤリングする。それから徹底的に状況を整理する。言語の共有を行うのが目的だ。 それぞれのイメージをひきだしながら言葉に変換し、チームのメンバーにフィードバックしていく。 徹底的にこれをやることでチーム内に共通言語をつくり、イメージの共有をしやすくする。

簡単な言葉に置き換え、説明するのが得意なので、共通言語の構築段階に自分が入ることは効果的である。

この作業が終わった後で、各人のクリエイティブが出やすい環境をプランニングしていく。 これがプランナーとしてプロジェクトに入る時の僕の仕事の中身である。よく仕事の内容が

「わからないんです」

「プランニングって何をしてるんですか?」

ときかれるのだが、僕がやっているのは仕事や人の振る舞いに関する環境のプランニングなのである。

投稿者 TKM : 12:54 | コメント (0) | トラックバック

やまけんサプライズと仕事のヒヤリング@沖縄

先日、メディアワークスの久木さんの所に遊びにいったおり、 オイコスの松村さんからインデックス沖縄の栗田社長をご紹介いただいた。 面白い流れだったのでそのまま沖縄の栗田さんの所にいっていろいろとお話をおききしてきた。

沖縄のネット関連企業事情やら情報関連業界の事情などをヒヤリング、のつもりが大いに盛り上がってしまい、 沖縄の友人達をご紹介しつつ、大宴会となった。

沖縄の場はオープンなコミュニケーション感覚を加速させる効果がある。こうしたコミュニケーションの「場」 がゆるやかに構築できれば東京にいても面白い関係性をプロデュースできるのではないかと思う。東京地区の場合、 わりと繋がりが閉じている感じがしていて、一度、流れに入ればそこから先はもの凄いスピードでリンクしていくが、 流れの入り口が米国の城塞町のようにガードされている印象をうける。

それが理由かどうかはわからないが理知的な割に、ダイナミズム感が薄い。
売れる映画の要素と同じで、趣味の似たようなものが集まっても面白い映画というのはできないものだ。

さて、沖縄の件だが、やまけんのブログで驚きの模様が書かれている
そうなのである。
やまけんサプライズということで突然、店に顔をだしたら、

「エェエエエエェエエ!!!ナニやってるの?!!!ヤラレタ〜!マジかよ!!!!!」

ととても喜んでもらえた。

日常生活にどんどんこうした「俄(にわか)」を盛り込んでいくとドライブ感が高まってきて、人と人の関係が面白い振る舞いを見せ始める。

今回の滞在ではこうしたドライブ感のつくりかたについて考えることが多く、自分のマネジメントスタイルはドライブ感ベースなのだな、 と思った。

僕の場合プロジェクト単位で仕事をするのだけれど「ドライブ感のマネジメント」という考え方にもとづいたチーム(10人以下) の運営をずっとやってきたように思う。

投稿者 TKM : 12:32 | コメント (0) | トラックバック

やっぱり出たか動画版iPod 情報の本質とモードと

ヤサカさんのメッセンジャのステータスをみると

「新iMacG5、ビデオ再生機能付iPod発表」

と書いてあった。
速攻でメッセンジャで詳細をたずねると下記のサイトを教えてもらった。

■Engadget
http://www.engadget.com/entry/1234000207062697/

このサイト、更新が速すぎである。
Appleのイベントを現場からリアルタイムでレポートしているようである。
そのため、Appleのサイトよりも掲載が速い。
ここの他にはどのサイトにも情報がなかった。
ダン・ギルモアの本に書いてあった「ジャーナリズムの未来」を感じてしまった。
(といっても、なんか変と言えば変だ。だって、Appleの社員や広告・ 広報関連の外部の会社はずっと前から知ってたわけで情報としては存在していたんだよね。 それがパブリックになるタイミングが早いか遅いかで情報価値が変わってきてしまう。 即時性のダイナミズムはモードとしての重要性をつくりだしているけれど、情報自体の本質は別なところにあるわけだ。 なのにそちら側には引き込まれずに即時性とセンセーショナルなイメージ、印象、表象の方に僕は反応してしまっていた。)

にしても、iPodの番組配信など、日本の動画配信系サービスとは隔世の感さえある。
映像系のCP(コンテンツプロバイダー)は危機感を強めるべきであろう。

と書いたところでヤサカさんからAppleのサイトが変わったとのインフォ。

http://www.apple.com/ipod/ipod.html

情報の気配がただよう → 即時性のある情報が入ってくる → 本チャンの情報にアクセス

というこの流れは情報の演出術としてかなり

「巧い」

ここでは、情報を単独で存在させるのではなく、「流れ」 をつくってやることで知識としての情報から

「体験としての情報」

へと変質させることに成功しているのだ。

ipod_180-150.gifimacg_180-150.gif

投稿者 TKM : 03:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月09日

つくってしまうこと

Philips Tune in:無線P2Pで音楽を共有するプレーヤ
http://japanese.engadget.com/2005/10/08/philips-tune-in/

上記のプロダクトだが、坂本さんのプロジェクト終了後、 ヤサカさんとネットワークと音楽の関係について繰り返しブレストしていた時に出たイメージそのままの製品である。

モノとして形にしてしまわないことには物事は動き出さない。

なるほどこうやって製品として提示されるとビジョンがより広がっていく。
音楽の新しい楽しみ方はまだまだ未開拓の分野である。

俄然やる気になってきた。

数年にわたって愛用してきた格安レンタルサーバの「ロリポップ」だがこの所、サービスの質の低下が著しい。

一方、先日上場の発表があった「さくらインターネット 」はすこぶる快調である。

KAGAYA.COMもサーバを移すことにした。
改善できるなら環境は改善すべきだ。
ででないと時間と機会は消えていってしまう。

来週末には移転である。

マネックス・ビーンズ社長の松本大さんのブログを時々読む。
今朝のエントリーはよかった。

コミュニケーション再び
http://ameblo.jp/monex-oki/entry-10004941255.html

投稿者 TKM : 13:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月07日

飲みつながり

メモしておこうと思う。
自分の飲みつながりはかなり多岐にわたっている。
パターンが無い。

飲みつながりの友人は飲みの友達であって仕事とは関係がない。
なので彼らは僕と飲んでも「楽しさ」以外のメリットはほとんどない、と思う。

話は飛ぶが一番楽しいのは旅先での飲みである。
アローンの旅で不安と隣り合わせで飲む時の楽しさは最高である。
あの楽しさが日々の生活と共存していたらどの人も素直になるのだろうと思う。

飲みはフィーリングがベストである。
でないと楽しさは最大化されない。

排他的なのもダメだ。
セコさにはダイナミズムがない。
誰と誰を合わせると面白いかという策を練ることは否定しない。
しかし、本質的にはリズムとタイミングである。
それが使えない人は飲みのダイナミズムを失っている。

もったいない限りだ。
もう一度、言おう。
セコさからはいい飲みは生まれない。

バカみたいにたくさん飲むのがいい飲みではない。
オープンさとダイナミズム、場のドライブ感、いい飲みにはそれがある。
これをつくるのは簡単だが、難しい。

沖縄の友人達がスゴイなと思うのは普通に大らかな飲みの場をつくってしまうオープンさである。
あれはマネしてできるものではない。
あの飲みの場に接するたびに、毎回、心にしみる。
自分もああ振る舞いたいものだ、強くそう思う。

理がたってしまえば、飲みからはダイナミズムが失われる。
小ぎれいではあるが、そこにあったかもしれない可能性は消えていく。

そこで失われた可能性のエネルギーは我々が想像しているよりも遙かに大きい。
飲みがプラスに働けば人のコミュニケーションパワーは無限大に拡大される。

都市であろうと地方であろうとこの法則はかわらない。
人はコミュニケーションがドライブされる場に集まるようにできている。
本能的にそうなる。

ダイナミズムを失った都市は衰退する。
コミュニケーションが予測不可能性をはらんでダイナミックな振る舞いをする場に人は集まる。
それは情報の健全な振る舞いなのである。

投稿者 TKM : 03:18 | コメント (1) | トラックバック

ドライブ感のある夕べ

夕刻から神田のメディアワークスに遊びにいく。
久木さんとの会食である。
会社にいくのははじめてだったが社員の皆さんがとても丁寧で良い印象を受けた。

ミーティングルームで久木さんを待っている間、オイコスの松村さんと雑談していたら、 わけのわからないうちに話が盛り上がり、あっという間にインデックス沖縄の栗田さんへとつないでいただいた。
来週にはお会いすることになるだろう。
つい先日まで、やる気1000%で臨んでいた銀座の話も流れてしまったし、はてどうしたものか、と思案していたのが嘘のようである。
沖縄で仕事をしたいなーとおも思っていたがいきなり急展開だ。

久木さんの会議が長引いているとのことで安蒜さんと3人で店に向かう。
安蒜さんもとても穏やかな方でざっくばらんな良い夕べとなった。

久木さんもほどなく合流。
仕事関連の話やもろもろ面白い話が続く。
某案件に関するお話もお聞きした。
この話もかなり面白く、情報とは人なんだな、と改めて思った。
松村さん、久木さん、ありがとうございました!

そうそうもうひとつ面白い話があった。
松村さんに教えてもらったのだが、野知さんに紹介してもらって、一緒によく飲みにいった新宿のバー「隠れ家」 のミヤコさんが気に入って

「映画にしたい!」

と盛り上がっていた「空を飛んだオッチ」が、 カウンターに集まったお店のお客さん達を巻き込んでホントに映画化されたそうだ。もともと業界な人たちのたまり場でもあったのだが、 そうそうたるメンバーでの映画化となった。主題歌は「なだそうそう」の夏川りみさんとのことだ。

■公式サイト
空を飛んだオッチ

これまた人と人との繋がりの面白さを感じさせる事例であった。

僕の勝手な予想だけれど、こうした人と人のつながりによって生まれる

「ライブ感のあるコンテンツ」

には、参加する面白さと、つくる場のダイナミズムやドライブ感を共有するコミュニケーション感覚としての面白さがあって、 プロセスから楽しみがはじまってるというか、参加できるエンターテイメントの可能性を感じさせる。

松村さんに教えてもらって、なんかやたらと感銘をうけたんだけれど、これってかなり示唆的で、 今後のコンテンツの一つの方向を提示しているように僕は思う。

久木さんに連れて行っていただいたお店だが、かなり変速的な構造になっていて面白い。
神田にあるのだが気分は旅館である。地下一階に店があり、カウンターと席がいくつかある。 奥のエレベータが入り口で2〜4階を飛び越えて5階にいくと座敷がある、そこから階段でひとつ上の階にあがると、 そこはほぼまちがいなく温泉宿。気分は箱根である。

無計画な印象さえうけるが隠れ家的な面白さではバツグン。席につくまでが忍者屋敷な気分である。

会合を終えて、駅からモロイさんに電話するともう豊洲とのことだった。
銀座に戻り、自転車で月島に帰投。
途中、カールバーに寄ることもなく帰った自分を褒めてあげたい。

帰宅後はSkypeで磨と宿の相談。
ようやく一段落してブログを書いている。

酒を控えていたのだけれど、ちょっと飲んだら、いきなりこのドライブ感とダイナミズム。
飲みつながりの偉大さを知った。

空を飛んだオッチ」 だがDVD化の前に全国巡業をしたいとのことだから、上映に興味がある方はご連絡ください。
ぜひ、沖縄で上映したいといっていたので沖縄で演劇関連の仕事をしているユリちゃんにも連絡してみよう。

投稿者 TKM : 03:15 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月06日

話は飛ぶのだけれどたまに「素晴らしい」と思うような人に出会うことがある

感覚的な言い方になってしまうけれど

「できた人」

「できてない人」

の間には大きな断絶がある。
コンテクストに依存する部分もあるから、比較には意味がないと言えばないのだが、対峙したときに

「ああ、この人、素晴らしい人だなあ」

と感じさせる人ってたまにいるのだ。
そういう人たちと時間を共有すると自分が素直になり、心が澄んでいくような気持ちになる。意識から、濁りや迷いが消えていくような感覚である。一種のコミュニケーション感覚だと思うが
この現象って何なのだろう。

あの人たちのモードってどこからくるのだろう。
子供とか幼児とかの持ってるフラジャイルな素直さとどこか通じている。

この話って、素通りできない、というか、かなり、大事な問題をはらんでいる気がする。

いきなり話は飛ぶのだが実家に戻った際に蔵書を眺めていたら、

カルト資本主義 
カルト資本主義

を見つけた。
是非はともかく、面白さだけは保証する。
ともかく、一読をオススメする。

投稿者 TKM : 08:24 | コメント (0) | トラックバック

政治系の議論とか

改まっていうのもなんだが僕は政治思想に関する議論にはあまり興味がない。
現政権に関してそれぞれの立場から批判をしてみたり、バカにしてみたり、売国奴といってみたり、いろいろな意見が乱立している。

共通するのはどれもが外野の印象論で現場でやってる人の意見ではない。
プロレス会場でヤジってるオヤジと大差ない。意見でも批判でも提案でもない。コミュニケーションが内向きに閉じている。

そういうのってカッコ悪いよな、と僕は思う。

政治の現場を志す人は請われてそこに立つべきである。
それが僕の考えだ。

小学生の頃から立候補という言葉が嫌いだった。
田舎の小学校でさえ生徒会長は選挙によって決定される。

意味がわからない。
10歳くらの小学生が

「清き一票をよろしくお願いします」

とマイク越しに叫んでいた。
これじゃ、ブラックジョークだ。
ベストの人選を行うには別な方法が必要であることは小学生ながら感じていた。
現実の政治システムも大して変わりない。

現行のシステムでベストの人選がなされているとは思えない。
適切な人がベストのパフォーマンスを発揮できる環境を整備するにはどうすればよいか。政治思想や立場を取り上げて議論しても堂々巡りである。

政治思想を越えた認識や目標は存在する。議論はそこからはじめなければならない。

++++++

「できる人」

は案外この世の中、たくさんいる。
圧倒的に足りないのは

「できる人」かつ「できた人」

である。

(AorBでという思考ではなく、AかつBのようにパラレルな方がいいのである。)

投稿者 TKM : 07:54 | コメント (0) | トラックバック

日本というか、時間というか、固いなあ、というか、縛りが強いなあ、とふと思う

どこもかしこも「形」の提案や事例が氾濫し、それがアンカーになって人の意識を縛っているなあと思った。
しかし、それに引きずり込まれずにやり過ごすのはかなり難しいだろう。

クライトンの最新作「恐怖の存在」はこれまでのクライトン作品の中で最も凡庸な作品だった。
温暖化問題について正面から取り組んだ作品なのだ、とは思う。レポートとしては面白いが小説としてはハリウッド映画と大差ない。 ストーリーテリングの巧さで読ませるけれど、濃厚な時間を過ごしたという満足感はなかった。

一箇所だけ、カンニバリズムのシーンの描写は印象深く、ホラー小説よりも後味が悪かった。
あれを読むと資本主義経済システムの方がマシだと思えてくる。

僕は本屋を眺めるのが好きで、しょっちゅう本屋にいく。
ここ2〜3年の傾向だと思うのだが「成功」に関する本がやたらと目に付く。

不思議なことに、内容がほとんどないにもかかわらずそれらの本はかなり面白い。
しかも内容は薄い方が売れる。
なんというか赤川次郎、シドニイ・シェルダン状態である。(赤川次郎がダメとは言わないが)
モードだけのビジネス書が何万部も何十万部も売れている。

「学問のススメ」があれだけ売れたのだから昔から煽り系の本は人気があるのだろう。

にしてもだ、妙な違和感は消えない。
面白いし、なるほどなあ、と思わせるし、そうだそうだ、と納得もする。

反面、くだらないなあとも思う。
ダイナミズムが消え、全部テクニックな印象を受けてしまう。

ひとことでいうと、「何もつくってないよなあ」、と。
面白さは提供しているが、これって何かつくってるんだろうか、と思ってしまう。

勝ち組、負け組、ニューエコノミーへの移行、言葉はもっともらしいのだが、記号化してるというか、 そう言うからそうなってるように見えるだけ、という気もする。いまはこうなっているからこうしたほうがいい、 という議論や問題提起や煽りなわけだが。

しかし、その果てはどこにいくのだろう?
そこがよくわからない、享受し、勝ち抜け、階層を駆け上がる。わかりやすい。
かといって「You can't take it with you」みたいなストーリー・オチにはならない。(いや、この映画、 いま観るとショックを受ける。モノクロのこの時代(1938年)から階級やら成功やらに対する問題提起と議論の中身はあまり変わってない。 映画では問題を単純化しすぎで個人は環境に応じて振る舞いとモードを変えるから実際にはさらに不思議な軌跡を描く)

「成功」に関して言うと、構造からいって、全員がそこにはいけないようにできている。
それは個人の努力とか能力差というレベルの話ではない。
どのストリームに乗っているかに依存する部分が大きい。

この傾向は更に加速されていく。
生まれ落ちた段階である程度は未来が決定される。
考え方や思考はかなりの部分、環境に依存する。

それを切り替える為に必要とされる労力はどの位置からスタートするかで大きく異なり、階層間(認識できるレベルの) の移動は容易ではなくなる。
物理的な問題というよりも個々人のミームによってイメージ能力・コミュニケーション能力(有するチャンネルを含め) に越えがたい差異が生じてしまう。(士農工商の時代よりもマシかな、とおも思ったが、 下克上なんてカオスもあったわけで一概にコレはこうとは言えない)

こうした問題の場合、感情的に是非を問いがちだが、そういう議論にはあまり意味はない。
問題の本質は別なところにある。

増えすぎた人口を処理しきれなくなっている、とか。
あるいは行き場のない人々が外に向かう、とか。
健全に淘汰が機能している、とか。
拡大に向かう次のダイナミズムへの健全な道筋である、とか。

どれでもない、とか。

いまの時点ではそれぞれがパラレルに存在している。

いろいろ、いいことも悪いこともある。

全般的にいってメディアが狭い感じがしてて、それらがひっきりなしに提示する型の強迫観念が信じられないくらいに強い。
プラスもマイナスもあるし、受け取り方次第ではあるが。

稀な環境だと思う。

メディアという言葉で議論をはじめると、マスの影響力云々という方向に向かいがちだ。曰く、メディアが腐っているとか、 メディアはゴミだ、とか。こうした単純化は言葉として発する分には気持ちいいのだが、本質とは全くかけ離れている。

「群としてのメディア」

我々が認識すべきはこちらの方だ。
マスとしてのメディア云々ではなく、情報が群として振る舞うときのダイナミズムに注意を払う必要がある。

問題の本質はここにある。

投稿者 TKM : 07:32 | コメント (0) | トラックバック

キングタコスブログ

なんとあのキングタコスのブログを発見した。

キングタコスブログ
http://kintaco.ti-da.net/

キングタコスとは沖縄が誇るタコスの名店である。
はじめて沖縄にいったときに連れて行ってもらい、以後、沖縄訪問の際は必ず寄る店である。

ところが、この店は一品一品の量があまりにも多い為、毎回、タコライスを食べるのが精一杯で他のメニューを試すのが困難なのだ。 これまでどうにか試すことができたのは以下のメニューである。

チキンバラバラ
「ミートスパゲティ」
ジャンボチーズバーガー
タコライス

上記のメニューだけでもかなりの分量になるので一度に食べることはほぼ不可能である。
やまけんもキングタコスファンなのだがさすがに上記全部はキツイだろう。

+++++++++++++++++++++

話は変わって僕のフィジカルコンディションについて。
予定より一月ほど遅れたが着実に現役時代の体重へと近づいている。
8月10日からスタートしたランニングの成果が現れ始めたようで現在の体重は72. 5kg。

実に5〜6kgの減量に成功した。あと3キロで現役時代と同じ体重だ。67kgまで絞れれば高校時代と同じ体重なので全力で走っても膝を痛めずにいけるのではないかと思う。もういちど、11秒台で走りたい。頑張ろう。
一月目にはほとんど横ばいだったのだが、ここ2週間で自覚できるくらい身体が軽くなってきた。

毎日の積み重ねで人はできていることを実感した。
それは身体だけではなく、メンタルなトレーニングも一緒なのだろう。
日々の鍛錬をバカにしていたけれど、どんなことでも10年もそれに集中していれば、その道の奥に通じる入り口は見えてくるのだろうな。

投稿者 TKM : 05:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年10月05日

東京に戻りました 〜マウスコンピューターよ、ありがとう〜

先週の土曜日から福島に戻っておりました。
土曜日は到着してすぐに親友の社長家族と夕食。
かなり盛り上がり、帰宅は予定よりも随分おそくなってしまった。

翌、日曜日は奇跡的に午前7時に起床。
その後、トレーニング。
隅田川沿いのテラスとは比べモノにならない好環境の中でのランニングは最高です。

高校生の友人曰く、

「トトロの世界だよね」

その後、母に誘われゴルフの練習へ。
ほぼ10年ぶりにクラブを握って50球ほど打ったら、左手の親指にマメができてしまった。

「力が入り過ぎなのよ」

と笑われるが一週間もやれば勘を取り戻しそう。

+++++++++++++++++++++

昼食後、高校生の友人のネット環境整備。
彼の家は会社を営んでおり、事務所には光ファイバーの回線が入っている。 事務所のルータから二階の部屋まで線を引っ張るのは大変なのでどうしたものかと思案していたらネットで素晴らしいツールを発見。

BUFFALO 802.11g 無線LAN AirStation USB2.0用KEY型アダプタ WLI-U2-KG54 
BUFFALO 802.11g 無線LAN AirStation USB2.0用KEY型アダプタ WLI-U2-KG54

デスクトップPCには通常PCカードスロットが内蔵されていない。 そのため無線LAN機能を実装するにはPCIバスにPCカードアダプタを増設し、 そこに無線LANカードを装着する必要があるのだが田舎の大規模電気店にはそうしたパーツがない可能性がある。

lowprofileのカード(省スペースのPCIカード)を探してきて、 LANカードを増設するのはいいけれどそううまくパーツがあるだろうか。まずパーツの候補を探してみよう。 そう思ってネットで調べはじめてすぐに上記のツールを発見した。

発見時はおもわずガッツポーズをしてしまった。こんなものがあるとは知らなかった。
デスクトップPCで無線LANを利用するシーンは思ったよりも多いのかもしれない。

上記のツールだが、パソコン(デスクトップ機) のUSBポートに差し込むだけで簡単に無線LANのクライアント機能が実装されてしまう、というかなりの優れものなのだ。
しかも安価だし、設定も簡単。

今回のケースだとオフィスにある無線LANの親機側でMACアドレス別に無線LAN機能が制限されていたため、 その設定を探すのに手間取ったがそれ以外はすんなりと作業完了。

1時間後には普通の高校生の部屋が

「なんか、できる男の部屋って感じなった!」

と見事な変貌を遂げたのであった。

ちなみに彼が買ったPCはメモリを512Mに増設したモデルで価格は49000円程。

9月末にPC購入の相談をされたのでマウスコンピュータのデスクトップをオススメした。 マウスコンピュータのマシンを使用するのは初めてだったので正直なところ質感に不安があった。しかし、それは杞憂に終わった。

マウスコンピュータのマシンは素晴らしいマシンであった。

国産直販モデルあなどりがたし。
デルなどのマシンより遙かに安価だが質感はよい。

中古ショップなどでPCを買う人を見かけるがPCに関しては新品と中古では性能比較で考えた場合、 値段の違いはほとんどないのが現状である。

消耗度などを考慮するならマウスコンピュータなどの安価なPCを新品で購入する方がお得だ。 自分が最初のオーナーということで愛着もわくし、何より、箱を開けるときの気分でドライブ感とやる気が高まるはずだ。

※下記のマシンは参考リンクです。エントリーに出てくるマシンとは少しだけ構成が違います。それにしても安い。


Lm-iS201

投稿者 TKM : 03:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月30日

MT3.2のStyleCatherPluginが素晴らしい!


マニュアルがアバウトにしか書いてないのでわかりにくいのだがMT3.2で一番面白い機能の一つがStyleCatcherPluginである。

上記のプラグインを選ぶと羅列されたデザインをクリックして選ぶだけで自在にブログのデザインを変更することができる。 この使用感はバツグンで素晴らしく面白い。

このプラグインを使うことができるだけでもMT3.2にバージョンアップする価値がある。それくらい面白い機能である。

ネット上にはすでにたくさんの導入記がアップされているのだが専門的でわかりづらいようなのでStyleCatcherの使い方を簡単に説明したい。

1.StyleCatcherPluginをダウンロードする。

2.ダウンロードしたファイル「StyleCatcher-1.01.zip」を解凍。

3.解凍するとthemes「StyleCatcher-1.01」というフォルダができる。このフォルダの中には 「plugin」「mt-static」という二つのフォルダがある。これらを開くと

plugins/StyleCatcher

mt-static/plugins/

となっているのでそれぞれを

plugins/StyleCatcher → http://www.???.com/apps/plugin/

mt-static/plugins/  → http://www.???.com/apps/mt-static/

の下にアップロードする。
※「
http://www.???.com/apps/plugin/StyleCatcher/stylecatcher.cgi」 の属性を755に変更するのを忘れずに。

4.メインメニューからプラグインを選び

 「設定を表示」

をクリック。パスを入力する画面になるのでそれぞれ

/apps/mt-static/themes/

/home/???/???/apps/mt-static/themes/

のように指定して保存する。
※ここかなり重要です。マニュアルには書いてませんので。

5.StyleCatcherをクリックすると

stylec1

上記のような画面が表示されるので「Find Style」 をクリックする。
すると

stylec2

上記のようにMTのデフォルトのスタイル群がロードされ一覧表示されるのでお好みのスタイルを選択し、 右下のメニューから対象のブログとデザインを選択して、フォームのボタンを押せば選択したスタイルが自動的にブログに反映される。

他のブログエンジンでも同種のスタイル選択機能を実装しているものがあったけれど、 MTでもサムネイル表示からのスタイル選択機能が使えるの嬉しい限りだ。この時こそ、 MT3.2のインストールをやってよかったと実感できる瞬間ではないだろうか。

MT3.2にアップグレードしている方は是非とも試してもらいたい。

投稿者 TKM : 03:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月29日

MT3.2にバージョンアップ

mt32

今日づけでMovableType3.2日本語版が公開された。
同時に今後は日本がMTの開発拠点となっていくこともアナウンスされた。

とりあえず新規にインストールしてみたのだがインターフェイスの印象が随分かわって、よりアプリケーションぽさを増している。

これまでは利用しているサーバのMySQLが重かったのでBerkeleyDBにしていたのだが昨日サポートに連絡するとエントリーの件数が増えた場合はMySQLに移行した方がはやいとのことだったので古いMySQLのサーバを削除し、 新しいサーバでMySQL環境で稼働させてみると快適な使用感である。

本体の移行は今晩やっていくつもりだ。
3年前にくらべるとMT関連の情報も増え、インストールの方法も随分と容易になった。 とはいえマニュアルにはいまだ英語を直訳したような難解な用語が多いので初心者にはとっつきにくいのではないだろうか。

あと二年くらいしたら機能限定タイプのブログサービスなどが標準でマシンにバンドルされて販売されたりするようになるのだろうな、 と思った。

投稿者 TKM : 22:42 | コメント (0) | トラックバック

「経済ってそういうことだったのか会議」2冊あげます

経済ってそういうことだったのか会議 
経済ってそういうことだったのか会議

昨日、本を探しに門前仲町のブックオフにいったところ竹中先生と佐藤先生の共著「経済ってそういうことだったのか会議」 が100円で売っていたのでアマゾンにでも出そうかと思わず2冊ほど買ってしまいました。が、しかし、アマゾンをみて愕然。この本、42円です。こんなに面白い本なのに…。42円って、ガリガリ君も買えません。

というわけで、オレは上記の本は文庫で持ってるので欲しいという方はコメントかメールください。

「喜んで差し上げます」

といっても月島に来てもらうか、銀座あたりでお渡しできる方に限りますが。

実はオレは金融・経済の本って結構好きでときどき読みたくなるんですね。
そうした分野に興味を持ったのは10年くらい前に読んだ下記の本がきっかけでした。

ソロス―世界経済を動かす謎の投機家 
ソロス―世界経済を動かす謎の投機家

この本を読むまでオレは

 「空売り」

の意味すら知りませんでした。出てくる専門用語もほとんどがチンプンカンプンで必死に調べながら読んだのを覚えてます。しかし、 あの頃はネット証券などもなく、周りに金融関係の友人もいなかったのでそれ以上追求するタイミングではなかったのでしょう。
読み終わるといつかしか企画の世界に戻っていました。

マネーの世界も突き詰めていけば人が考えだしたシステムであるわけでそこに人間の本質につながる何かを感じたんですが、 それを追求していく方法がわからなかったんですね。

いまではブロードバンド常時接続が普通ですが当時はまだ28.8kbpsのモデム接続でしたのでネットで情報を探す方が時間がかかったんです。 Googleもなかったので検索しても該当する情報なんてほとんどでてきませんでした。

上記の本、確かバシタカ師匠に貸したと思うんですがまだ持ってるでしょうか?

それと近年読んだ経済系の本でいちばん面白かったのは

お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門 
お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門

ですね。
この本は金融エンターテイメントとしてもかなり面白かった。 大部分は日本の社会経済システムに対する検証と考察なのですが抑制されたシニカルさが面白く、読み終えた時は頭がかなり整理されました。

オレは高校三年の5月に受験勉強をはじめたんですが正直最初の3ヶ月は泣きそうでした。どの問題もわからなかったし、 学校でも地学のテストでは31点でギリギリ赤点だったので、うちの母親は担任の教員との面接で

「おたくの息子さんは体育大学にいかせるつもりなんですか?」

と言われたとよ、とガクっときてました。 担任教員の上記の発言は体育大学をバカにした言い方ですがオレのクラスは公立高校の選抜クラスだったので昔でいう一期校にいくのがノーマルなコースだとされていたんですね。

更にオレはかなり特殊な勉強の仕方を実践していたのでことある毎に各授業の教員に

「お前は競争試験には勝てない」

とも言われてました。
これは結構なプレッシャーでした。

話が少し脱線しました。
で、オレは戦略的に変わった勉強の仕方をしていたので(同じことをやっている生徒はあの頃はうちの高校にはいなかったと思います) なかなか成績は上がってこなかったんですが(学校の成績は最後まであがりませんでした)、 武士道なみに求道心マインドで二ヶ月くらいやったある日、

「あれ、なんかいいかもしれないぞ」

というフィーリングがきたんですね。
脳の回路が開けた感覚というんでしょうか、これがなかなか爽快だったのを覚えてます。

上記のソロス本や「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 ― 知的人生設計入門」も読み終えた時、 この時と同じような気持ちよさを感じました。

これは脳に新しい回路が通っていく時の快さと爽快感なんだろうな、と思います。

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2005年09月28日

メラビアンの法則

リビング・ヒストリー・プロジェクトというブログで「メラビアンの法則」が紹介されていた。

■言葉は、平気でウソをつく。
http://www.living-history.jp/archives/2005/09/post_35.html

メラビアンの法則とは

言語情報は、聴衆に与えるインパクトのうちの、たった7%でしかない。

というものだ。メラビアンの法則によればコミュニケーションにおける各情報要素の内訳は

   55% :視覚情報 (見た目・表情・しぐさ・視線)
   38% :聴覚情報 (声の質・速さ・大きさ・口調)
    7%  :言語情報 (言葉そのものの意味)

となっている。
全くその通りだな、と思った。
アソブラボで中央大学の講義をやるさいにプレゼンテーションについてカネコといろいろ議論したのだがその時も上記の3要素についての話になった。

一番ダメなのは用意してある文章を延々と読む人。
これはいただけない。せっかくライブでやっている意味がない。 プレゼンではその場にいる人の時間をいただくわけで自分の言いたいことを言いっぱなしでは相手には何も伝わらないし、 何も価値を提供できていない。

授業では

プレゼン=プレゼント

という考え方が発表やプレゼンでは大事だし、そういう気持ちでのぞむとモードが変わるよ、ということを伝えた。
内容だけではなく、相手に対するエンターテイメントというのかな、楽しませたい、 価値を提供したいという想いはプレゼンの出来の大きな部分を占めている。

世界的なプレゼンの名手としてApple社CEOのスティーブ・ジョブズ氏を紹介した。 彼の場合もいきあたりばったりでプレゼンを行っているのではなく、キーノートスピーチなどの場合、一時間強のプレゼンの為に何十時間、 時にはそれ以上の練習・準備を怠らない。

ビジネスの現場では、一般的に、‘話し手’が考慮すべきこととして伝えられますが、
私は、メッセージを受け取る側としても、重要なことだと考えています。

この一文は盲点だった。
相手の言葉から相手が伝えたいと想っているメッセージの本質をどれだけくみとれるかという視点についてあまり考えたことはなかった。

しかし、確かにそうだな、と思う。
否定的であれ肯定的であれ受け取ったときに重み(嫌な感じがしたとしてもね)がある言葉には強いメッセージが込められていることが多い。 その時は嫌な気分がしたり、面倒だな、と思ったりするのだけれど、コミュニケーションの深度を深めるチャンスでもあるのだと思う。

良質な小説や言葉を読むと、その後ろに空間をただようブヨーンとした液体のようなイメージが見えることがある。
このブヨブヨは言葉ではないのだけれど強いメッセージを持っている。

「感じ」や「フィーリング」のようなもの、としか言えないのだけれど。 これらのメッセージは言葉として固定されると消えてしまう。

「好きだ」という感情を表すのに「好きだ」と書いても伝わらないのと似ている。
言葉とは不思議だな、と思う。

感覚やフィーリングのようなものを伝えようと思った場合は直接その言葉を使うのではなく、 言葉と言葉の関係性によって、言葉の後ろ側で伝える必要がある。

僕たちも日常のコミュニケーションでよくやっているのだろう。

相手の発する言葉の後にある感じ方やメッセージの本質を察する能力が高い人は頭のよい人だと僕は思う。 そういう人に出会うと人として惚れる。それは理解されているという実感があるからだろう。実際には人と人が完全に理解し、 理解されるという関係をつくるのはいまのコミュニケーション手段では難しいだろう。しかし、それが仮想だとしても「理解」 に近い感覚を自分や相手が同時に感じる、あるいは感じようとするということが重要なのだと僕は思う。

人はコミュニケーションの生き物なのだな、と思った。
相手の言葉に対する感覚を上げていくこと、それは自分の言葉を磨くことでもあるのだ。

投稿者 TKM : 15:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月27日

「スティーブ・ジョブズの再臨」読了 ジョブズ氏とアントニオ猪木とホリエモンの共通点

スティーブ・ジョブズの再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活 
スティーブ・ジョブズの再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活」を読了。

僕がはじめてMacを買ったのは大学2年生の時でLC630というマシンだった。
メモリは8Mくらいだったと思う。
それでも学校においてあったLCⅢやciなんかに比べると十分高速で毎日レポートを書いたり、 マクロマインドディレクターでちょこちょこと遊んだり、DTPをやったりしていた。

丁度、その頃、隣の部屋にエリック先生というコンピュータミュージックの先生が住んでいて、 タドと一緒に彼の部屋に遊びにいったら自作のPCでNeXTが動いていた。

当時はコンピュータミュージックといえばNeXTが主流だったのだ。
NeXT Cube(最上位マシン)は100万円くらいとかなり高価なマシンで研究室にしかおいてなかった。 なので学生達は泊まり込みで作業していた。(僕はコンピュータミュージックの研究室にはいなかったのだけれど岩竹さん、いまは教授か、 とは飲み友達だった)

NeXTの画面はMacと似ているけれどインターフェイスは随分と違っていて、やたらと洗練されていた。 画面と筐体のデザインは異形な感じで、雰囲気で圧倒された。

スティーブ・ジョブズの再臨―世界を求めた男の失脚、挫折、そして復活」 はAppleを追い出されたジョブズがNeXT社を設立し、苦難にあえぎ、ピクサーという救世主を得、対立葛藤し、 再びAppleに返り咲き、強権を発動させ独裁体制を完成させるまでの軌跡を描いている。

本書の大部分はジョブズの背反する二つの性格である

 「グッド・ジョブズ」

 「バッド・ジョブズ」

の物語といってもいい。
ジョブズは接する立場によって相手に対して全く違う顔をみせる。 僕たちがMacワールドなどで目にするジョブズの姿と社内で強権をふるうジョブズの姿が対照的に描かれている。

この感じは「アントニオ猪木の謎」(この本は猪木本の中でも俊逸の出来です) で著者の加治氏がアントニオ猪木の二面性を指して

 「内なる猪木と外なる猪木」

と評しているのと似ている。
カリスマと呼ばれる人々には二面性がつきものなのだろうか。

表題の件。
この本の後半部分にさしかかりると、ジョブズが部下を罵倒し、周りの人々に対しても徹底的に身も蓋もなく批判を浴びせながらも、 時に強い愛情を示し、好戦的に物事を進めていく描写が増える。

読んでいるうちにこれらの文章から浮かび上がってくるジョブズの印象とメディアが描こうとするライブドア堀江氏のイメージが重なってきた。

身も蓋もない、自己中心的と評されながらも、とにかく組織をまとめあげ、メディアと対立したり、利用していく(メディアが描く) 堀江氏のイメージと「勝手にしろ」を連発しながら記者を罵倒し、会見を突然打ち切るジョブズのスタイルはどこか似ている。

Apple社というとワイワイガヤガヤと学生っぽくやってるイメージ(いまのGoogle社みたいな) があったのだが社員はビクビクしながら仕事をしていたようである。

幸いなことにピクサー社の場合は奇跡的な偶然が重なり、ジョブズの強権を逃れて、 ワイワイガヤガヤがキープできているみたいでよかった。

Appleが停滞し、そして、iMac以降の劇的な復活を遂げる過程。
そして、特殊効果を研究開発する一部門だったピクサーがいかにしてジョン・ラセター率いる偉大なるピクサー社になっていったのかを人間、 そして、組織の面から追跡した興味深い一冊であった。

Appleファンなら一読をオススメする。

■関連資料

ラセターさん、ありがとう 
ラセターさん、ありがとう

投稿者 TKM : 05:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月24日

明日、PRIDE武士道@Oスタジアム参戦します ナント一日に14試合もあるゾ!

というわけで明日のPRIDE武士道其の九に緊急参戦決定である。
場所はOスタジアム。
オーナーのオカダありがとう!

明日の見所はなんといっても第9試合の

五味vs川尻

である。
ストライカーの五味と強烈なパウンドを得意とする川尻
いかなる試合になるかPRIDEはライト級が熱い。

余談だが五味の試合を間近でみたことがある。
これほど有名になる前のことだ。

場所は後楽園ホール。
ルミナが飛びつき逆十字の秒殺劇(六秒)で勝利した日である。
そこではじめて五味という選手を知った。

身体は細く、色白で決して強そうにはみえない。
しかし、当て感というのだろうか打撃のキレと激しいファイトスタイル、少々カッコ悪いパフォーマンス (いまもときどきやるけれどロープにのぼってヨロヨロするやつ)は記憶に残った。

投稿者 TKM : 20:14 | コメント (1) | トラックバック

久々にやまけんネタ、そしてロングテイルと非8対2の法則とコンテンツ宇宙論

朝、一番で読んだのが下記の記事であった。

■「だって今日はお祭りだから」とヤマケンという存在
http://www.onbetsu.com/blog/archives/2005/09/post_402.html

しんのすけブログ、相変わらず軽妙なタイトルである。
これだけで十分コンテンツとしてそそられる。

そしてエントリーの内容が面白すぎなのである。
モユちゃんと登場するやまけん、 二人の関係を知らないといまいちイメージが膨らまないのではあるが、二人をよく知る者ならすぐに情景が目に浮かぶ。

そして、思わず笑ってしまうのである。

僕はこういう種類のコンテンツが好きだ。
上記のエントリーのように読む人によって情報価値が変動してしまう、つまり一般性のないコンテンツはこれまで冷遇されてきた。しかし、 面白さのレベルはこうした「その人にだけわかるコンテンツ」の方が遙かに上である。

コンテンツの世界でもロングテイルが顕在化しはじめているなあ、と思った。 ロングテイルについては下記の梅田さんの記事を参照してもらいたい。

■ネット世界で利益を稼ぐ「ロングテール現象」とは何(梅田望夫氏)http://www.shinchosha.co.jp/foresight/web_kikaku/u103.html

梅田さんの説明は相変わらずわかりやすい。最初に梅田さんの著書「シリコンバレーは私をどう変えたか―起業の聖地での知的格闘記」 を読んだのは5年くらい前だったのだけれど、その時はパーっと読み流してしまい、印象が薄かった。

1年くらい前からCNETの「英語で読むITトレンド」 という連載を見つけて読んでむうちにファンになってしまったのだが、 5年前のあの本の著者と同一人物と気づいたのはだいぶ後になってからのことだった。

話をロングテイルに戻そう。

ビジネスの世界では有名な

「8:2の法則」

というのがあって

「利益の8割を稼ぎ出すのは2割の商品である」

と言われてきたのだけれど、ネットの普及によってこれがあてはまらないケースがでてきた。 梅田さんの記事でも紹介されているがアマゾンなどでは売り上げの半分はランキングの四万位から二百三十万位の商品によってなされている。

冒頭で紹介したしんのすけのエントリーなどかなりニッチなコンテンツである。 おそらく楽しめるのは全世界でも20人くらいではないだろうか。 それでも僕を含めた20人にとっては巨額の制作費を投じて製作されたコンテンツよりも遙かに面白い。

ブログなどのツールの発達によって情報を発信するハードルが下がっていくと情報創造の爆発が起こり、 「しんのすけエントリーのケース」のように「特定の人にとって面白いコンテンツ」 の方がコンテンツ全体の中で多くの割合を占めるようになっていく

こうした情報創造の爆発がGoogleに代表される究極の情報整理システムと呼応するようにパラレルに発展しているように見えるのが興味深い。

Googleに続く巨大なネットベンチャーはまだないのだけれどGoogleが情報を整理する巨大な宇宙だとするならばそれに対をなすのはGoogleと同じくらいのパワーを持った情報を創り出す宇宙なんだろうな、 と思った。

「非・8:2の法則」 の法則が今後どのようにコンテンツビジネスを変えていくのかますます興味深い。

投稿者 TKM : 15:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月23日

[日常の疑問] ATMにならんでいる人たちは何をやっているのか教えてください

先日、磨にもたずねてしまったのだが表題の件、いまだに疑問である。

月島のATMの前には日付と時間帯によって通常では考えられない行列ができることがある。 自動ドアのところから10メートルくらい20人くらいが列をなしている時もある。

現金を引き出すだけならばひとりあたり30秒もあれば十分だと思うのだがこうした行列ができあがっている時はほとんどの人が平均して5分くらい何かしらの作業をやっている。 状況からみて

「振り込み」

の業務をおこなっているように見えるのだが彼らはなぜ並ぶのだろう?

この現象についてライブドアの堀江社長著書で言及している。

「振り込み」などの作業は全てオンラインでできるのでわざわざATMに並ぶ理由がわからない。 数年前からはケータイからでも振り込み作業ができるようになっている。それでもATMに列をなす人々がいる。

ATMでの振り込み作業の方が手数料が安いのだろうか。

なるほど都市銀行など一般の銀行口座からオンラインで振り込みをおこなう場合より振込先の銀行ATMまで足を運んで振り込んだ場合の方が105円、 手数料が安いようだ。

けれどあの行列に費やされる労力の方が105円の手数料よりもはるかに大きなコストだと僕は思う。

一年間に100回の振り込み作業(月に10回くらいのイメージ)を行うとして一度あたりの手数料の差額を105円と考えると

100回x105円=10500円

これがオンラインでの振り込みにかかる費用とATMでの振り込み費用の差額である。

振込作業に消費される時間を「3:7(混雑時:非混雑時)」として、移動時間を3分、混雑時10分、 非混雑時3分を消費される時間と想定すると

(10分x30回)+(3分x70回)+(3分x100回)=810分→13. 5時間

となり、一時間あたりのATM作業の対価は

10500円÷13.5時間のATM作業=777円

となる。約777円とはなんとも興味深い数値だ。

かなりアバウトな計算根拠に基づく数値だけれどATMにならぶ作業の対価は時給777円相当とすると一時間に777円以上の生産活動を行うことができるならばATMに並んで節約するよりもオンラインで振り込みを行った方がトータルではプラスになる。

一応、オンラインでの振り込み作業に必要とされる時間も含めて再計算してみよう。 オンラインの場合はだいたい1分もあれば作業は終わるから、

100回x1分=100分

810分(ATMでの振り込み作業時間)ー100分(オンラインでの振り込み作業時間)=710分→11. 8時間

だから、だいたい12時間と考えて計算すると

10500円÷12時間=875円

となる。
なるほどATM振り込み作業は時給875円の仕事12時間に相当するのか。と、 思ってしまいがちだが実際はATMに行くことで分断される思考の流れや失ってしまう機会など目に見えない巨大なコストが発生していると思われる。

というわけでATMによる振り込みはマイナスのコストであるというのが僕の考えだ。

更に調べていくとネット専業銀行やシティバンクなどでは更に手数料が安くなり、新生銀行に至っては「月に5回まではどの銀行に対しても振り込み手数料が無料」なのである。

また、新生銀行の場合、口座によっては通帳すら存在しないのである。うーん、 ATMでジーコージーコーと通帳に記帳しているあの人たちはなんなのだろう。ますますわからない。

なんだか上記のような計算がバカらしくなってしまった。
こんなのはリテラシーでもなんでもなくて、単にサービスを比較すればいいだけじゃないか。

では、何故、ATMには今日もまた行列ができるのだろう?

ますます謎である。
誰か教えて欲しい。

投稿者 TKM : 20:10 | コメント (2) | トラックバック

ポッドキャスティングの収録を終えて

昨日、ポッドキャスティングの収録をおこなった。
アソブラボでの収録はぶっつけ本番に近い形で行っていた。

今回は番組の予告編ということでメインはショウコさん。
オレはプロデュースとゲスト出演という役回り。

収録を終えて、いろいろとポイントが見えてきた。
ポッドキャスティングの場合、重要なのはラジオ的な

「巧さ」

ではないな、と思った。
うまくいえないのだが

「リアルな質感」

とでもいったらいいのだろうか。巧さとは質の異なる情報がコンテンツの価値と密接にリンクしているように感じた。 よりパーソナルでニッチでありながら、普遍的なモードを持っている。そういうコンテンツがしっくりくるのである。 (どういう環境で聴くかという物理的な今天テクストによっても変わってくるだろうけれど)

口調が妙に場慣れしていたり、巧すぎると「リアルな質感」は薄れていく。
創られたものであるという感覚が漂うと妙な違和感が生じてしまい、どうにもなじまないのである。

文章のプロが書くブログで面白いブログに出くわしたことがない。文章のクオリティは高いはずなのだが、ブログというメディアの 「面白さ」とは何かがズレているのだ。

例えば企業ブロブがはやりつつあるけれどどれも面白くない。
本音がないからなのか、綺麗事だからそうなのかわからないけれどひとつも響いてこない。
書いている人の顔が見えないのもよくないのだろう。
どのブログも体裁はよいけれどコンテンツとしての価値を感じられない。

企業のブログである以上、問題を引き起こす可能性があるような強い表現や発言を避けたい、という心情は理解できる。

けれどここまでつまらない企業(広報) ブログが量産されているのは広報チャンネルとしての企業ブログのあり方や構造に問題があるといえるだろう。

(ライブドアの社長日記やGMの副社長のFastlane Blogなどコンテンツ性の高い(リスキーさ、 危うさがある)ブログは別だけれど)

おそらくここにもイノベーションが必要なのだ。

今後はブログと同じように企業などでも積極的にポッドキャスティングが活用されていくと思う。 そこでもブログの場合と同じようにコンテンツ性のズレという問題が起こるだろう。

そうそう、コカ・コーラがやっているポッドキャスティングはコンテンツとしても面白く、 企業によるポッドキャスティングコンテンツがほとんどない今のタイミングでの投入など、興味深い。しかし、 このポッドキャスティングにしても従来のスポンサードという文法から抜けきっていないように思う。

■日本コカ・コーラのポッドキャスティングコンテンツ
Radio GEORGIA Special Dream Navigators

上記を聴いてもらえばわかるがコンテンツとしてよくまとまっている。
また、音もキレイだし、内容も面白い。

しかし、ここにラジオやTVのコンテンツとの違いはあるのだろうか?
配信チャンネルとインターフェイスが変わっただけであるように感じられてしまうのだ。

コカ・コーラの声がここからは聞こえないんだよな。

投稿者 TKM : 08:50 | コメント (2) | トラックバック

2005年09月22日

なんじゃこりゃ?!「464.jp」 〜もうマンガ喫茶はいらない!これはどこでもマンガ喫茶だ!〜

四の五の言わずに下記のサイトにアクセスしてもらいたい。(いや、 このバカにしたようなタイトルとは裏腹に凄まじいサービスなのである)

■よむよ.jp
http://www.464.jp/

少しわかりづらいのだが

「右上の立ち読み入り口」

から立ち読み画面に入り、

「次ぎへ」

をクリックすると

「漫画家一覧」

がでてくる。
ここから好きな漫画家と作品を選んで

「立ち読み」

をクリックするとフラッシュでつくられた

「立ち読み用インターフェイス」(結構チープなんだなこれが)

がたちあがるのであとはサクサクと作品を読んでいけばいい。
驚愕すべきことに数々の名作があっけなく閲覧できる。
しかも全巻である。

「エッ、ホントに読めちゃうの???」

と驚きもつかのま作品を読み始めるとあっというまに自宅がマンガ喫茶に早変わりする。 あとはもうリクライニングしようが音楽をかけようが自由でリラックスし放題なのである。

このサービスが合法なのかどうか疑問ではあるがこれをダメといってしまったらマンガ喫f茶や喫茶店、 ブックオフなどマンガた立ち読みできるところも全部ダメということになってしまうのだろう。

非常にグレイなコンテンツ感が漂う。

しかし、このグレイさはある種のダイナミズムをも感じさせる。
自分が欲しいサービスを追求していけばこうなる。

マンガのダウンロード販売などがモタモタしている間にこういうサービスが突如として現れるあたり、 アジアンなダイナミズムを感じさせる。

それにしても、これだけチープなインターフェイスと画質であっても十分楽しませてくれるのだから「マンガの力」 は偉大なのだとあらためて思った。

ちなみに今、僕が読んでいるのは「バガボンド」である。

バガボンド 21 (21) 
バガボンド 21 (21)

追伸:マンガついでなんだけれど、敬愛する竹熊先生と誕生日が同じだった!勿論、 先生のブログも毎日欠かさず読んでます。

投稿者 TKM : 18:24 | コメント (0) | トラックバック

デトロイトからの電話

朝方、コンビニから戻ってくると電話が鳴った。

 「田舎なのでのんびりしてますよ」

デトロイトに到着した磨からの電話であった。
例のヤサカさんが好きなジャンキーなサラミみたいなスナックを探してくれるようにお願いして電話を切った。

昨夜はずっと四谷のモスにいたのだが不思議な人々を目にした。
その光景と電話の向こうのデトロイトの街が空でつながっているのが不思議だった。

ところでこのエントリーは何ヶ月かぶりにMacで書いている。
唐突にectoというソフトでエントリーを書いてみたくなったのである。
使ってみて驚いた。
いつのまにかマルチリンガル化されており、メニューも設定も全てが日本語である。そしてこれがスゴイのだが恐ろしくインターフェイスがわかりやすい。このような素晴らしいソフトがあるからMacはあなどれない。

投稿者 TKM : 04:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月21日

GPX2は最強のエミュマシン

■GPX2
http://www.gpx2.com/

bgallery2[1]

dice-k.comを見ていたら上記のマシンが紹介されていた。

上記の端末は日本では販売されていない。
韓国発のマルチメディアプレイヤーである。
MAMEやSNESなど各種エミュレーターに対応している。

エミュレータとは擬似的にファミコンやPCエンジンやゲームセンターにあったマシンのようなものをPC上に再現してしまうソフトである。 これらのソフトを使うとPC上でファミコン、スーパーファミコン、PCエンジンなどがいきなり遊べてしまうという代物だ。

これをポータブルサイズにまで縮小し、更にウェブブラウズや音楽再生、動画再生機能などを付加したのが上記の「GPX2」である。

液晶画面も大きく、720x480もある。
2GクラスのSDカードを使えば映画もまるまる視聴できるし、数千本のゲームソフトを持ち歩くことも可能だ。

それにしても何故、韓国メーカーはこうした柔軟性のある端末をポンポン出してこれるのだろう。不思議だ。

投稿者 TKM : 02:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月20日

面白すぎる話

昼過ぎにiwtkから電話。

 「運命と書いて(SADAME)」

が現実化したとのこと。
あまりにも素晴らしい展開にしばし爆笑。
それにしてもiwtkのこの流れはまさに運命(SADAME)ではなかろうか。

よき人のところによき流れがくるものなのだな、としばし感慨深く、宇宙のシステムを実感していた。

あんた、素晴らしすぎだよ。

投稿者 TKM : 12:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月19日

深夜の皇居

家も快適なのだが同じ場所に6時間以上いるとその場所の持っている情報を使い切ってしまう感じで、段々と集中力が散漫になっていく。 そういう場合はモードの切り替えが必要だ。

集中力がなくなるにつれて、

「やるとプラスになるであろうこと」

ではなく

「やらなくてもいいこと」

に行動はシフトしてしまう。なのでちょっと集中がきれたなあ、と思ったら場所を変えることをオススメする。 たったそれだけで失われていた集中が返ってくる。

集中力のメンテナンスという考え方で仕事や行動をとらえなおすと結構、デッドスペース化してしまっている時間があることに気づく。

そんなわけで僕は夜は月島のジョナサンにいって作業していることが多いのだが、 連休ともなるとみんな夜に出歩くようになるようで12時を回った月島の街にも人が溢れていた。 狭い場所に人がワイワイしていると他の人の意識が入り込んでくる感じがして苦手だ。

共通の作業をしていてワイワイしている分にはよいのだがそうでない場合は集中が分断されてしまう。

最近発見したのだが四谷のモスバーガーは24時間やっていて、静かなので読書には最適の場所の一つである。

皇居・四谷方面は静かそうだ。
思い立ったら即行動というわけで12時30分頃に四谷で読書を開始した。

皇居前から空を眺めると月が輝いていた。
昨夜は「中秋の名月」であったようで見事な月だった。

 

投稿者 TKM : 12:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月18日

If you build it, they will come

表題は「フィールド・オブ・ドリームス」という映画のセリフの一節である。

フィールド・オブ・ドリームス 

親友のヤマダが好きだった映画である。
朝、というよりももう昼だけれど、に起きて、

母なる風の教え 

母なる風の教え」という本をパラパラとめくっていたら、「フィールド・オブ・ドリームス」の一節を思い出した。

今朝も夢をみていた。
父とボーリングにいく夢だった。ボーリング場に入るにはタバコを買わなければいけない、と言われた。 タバコを吸わないのでいらないといったらお菓子を3つ買えといわれた。変わったボーリング場である。

父は先週300点を取ったといっていた。それってパーフェクトじゃないの、とたずねると、そうだ、という。 自分は後半からピッチがあがってくるのだ、知らなかったのか?と言われたが、それは初耳である。


 

投稿者 TKM : 12:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月17日

やまけんの新名称ができた

さきほど高校生とチャットしていたらやまけんの話になった。
文脈で彼が

「へぇー、さすが食王やまけん」

とナイスなコメントを返してきた。この言葉がエラク気に入ってしまった。
というわけでやまけんの新しい名称が決定である。

 

 

 

 

「食王やまけん」

 

 

今後はこれでいかせてもらおう。
その後、しばらくチャットを続けていたら、

「やまけんは食べることに出会って良かったね★」

とのコメントが返ってきた。

このコメントも素晴らしすぎだ。
素でこの言葉を言える人はそうはいない。
素直さと若さは偉大である。

投稿者 TKM : 01:38 | コメント (3) | トラックバック

2005年09月16日

球界再編 展望編 〜ナンダ?!このドキュメントDVD、面白すぎだ〜

球界再編 展望 
球界再編 展望

昨夜に引き続き「球界再編 展望(第2巻)」を視聴する。(2巻と思っていたら3巻でした。アマゾンの表示の順番間違ってます。というよりもDVD本体にvol.1などの表記をつけるべきであろう)
異様に力の入った編集もスゴイがこれ面白いわ。
コンテンツとしてオススメである。

TVなどのドキュメンタリーとは全然違っていて、完全にライブドア側からの視点で球界再編を捉えている。 それが故にドラマができあがっていて、段々と感情移入してしまう。この偏った編集はスゴイ。

ライブドアはこれを会社案内にすればいいと思う。

この巻の中盤で幹部社員のひとりが

「市場から60億、そして360億調達したんです。簡単じゃないけれど。ホント株式市場っていいんですよ。テクニックを使いながら。 やりようによっちゃ」

というシーンがあるのだが、このシーンなど一部の人には激しく叩かれるんだろうなと思った。ツッコミどころ満載なのだがそれが独特の 「生々しさ」をつくっていて観ていると引き込まれる。

堀江氏はイヤミも言わずに落ち着いて話をしていたが、スゴイものだ。
創業社長のバイタリティというか、タフさに驚いた。

賛否両論あるだろうけれどあのタフさは普通ではないな、と思った。ここまでくるともはや芸人の域、エンターテイメントである。

言動の全部を手放しで賞賛するわけではないけれど、コンテンツとしてこのDVDはオススメである。

仕事に関する気持ちのもつれや取るに足らないいざこざに意識を持って行かれている人はこのDVDをみるとそれらの問題に対して 「なんだどうってことないじゃん」と思うに違いない。

投稿者 TKM : 18:06 | コメント (0) | トラックバック

「東京少女」 〜はじめてケータイで小説を全編読んだ〜

■東京少女
http://www.asyura2.com/0403/lunchbreak3/msg/1070.html

2ch発の物語とのことだが僕が読んだのは上記の「阿修羅」という掲示板に掲載されたバージョンである。 ケータイで読むことができる小説コンテンツのサービスなどいくつかあるがそれらのコンテンツには全く興味がなかったし、いまもない。

電子テキストについては様々な開発や開拓がを試みられているがこの作品を読んだ後だと、そこで重視されている

「縦書き」

「綺麗さ」

などの「見た目」はコンテンツの面白さとはあまり関係がないのではないかと思う。紙で存在しているテキストを画面上に再現するというやり方には創作プロセスのイノベーションがない。 コンテンツのイノベーションは見かけよりも創作過程にある場合が多い。この作品もローカルな環境でエディタで書かれた小説ではない。 掲示板というオープンな場でコミュニケーションの一形態として書かれたテキストである。

電車での移動中、興味半分でW21CA(auのPCビューア付きケータイ)で上記のサイトにアクセスして読み始めると、 これがもう止まらない。この物語が書かれた「場」と自分が読んでいるブラウザという「場」の一体感みたいなものがあって。 それがコンテンツのDNAみたいに自分がいま読んでいる画面にも反映されてしまっているのだ。

だから、ケータイの画面でも違和感なく読み進めることができるのである。
通常、ケータイの画面で最も多く読まれるのは

「メール」

である。メールの文章は雑誌や書籍の文章と違って「創られた感」がない。上手な文章ではないが、よりパーソナルでメッセージ性が強い。 PCでも最も集中して「読む」のは「創られたテキスト」ではなく「メール」だ。

僕たちの脳はPCやケータイで文字を読むときこのモードにチューニングされる。

だから、書籍に使われている文体がケータイの画面にあらわれると妙な違和感があって、読む気をなくしてしまう。

この作品の場合、違和感が少ないのだ。
「創られた文章」と「パーソナルな文章」のバランスが絶妙なのである。

このテキストの面白さは、 テキストが書かれた場所と読まれる場所がシームレスにつながっているネットな創作過程がつくりだす固定される前の生なテキストな面白さで、 ケータイやPCで読んでも違和感が生じにくいストーリーテリングの形なのだと思う。

http://www.amebabooks.co.jp/tokyogirl/

に作品が出版されるまでの経緯が書かれている。

東京少女~ぼくとオタとお姫様の物語 

この作品は書籍化され、アマゾンや書店で購入することもできるができればケータイ、あるいはPC上で

「読む」

ことをオススメする。
どの媒体でどんなコンテクストで読むかが作品の内容以上に重要で、

「画面で読む」

ことが与える新しさを是非感じ取って欲しい。

投稿者 TKM : 04:08 | コメント (0) | トラックバック

映画「SHINOBI」のサイドストーリー(ラジオドラマ)がポッドキャスティングで公開

ようやく面白いポッドキャスティングが登場した。

■映画「SHINOBI」サイドストーリー
http://www.apple.com/jp/quicktime/trailers/shochiku/shinobi/

上記のURLで「SHINOBI」 のサイドストーリーをポッドキャスティングで楽しむことができる。現在、2話が公開されており、聴いてみると予想外に引き込まれる。視聴してすぐ気づくのは「SE(効果音)」の面白さである。音声と効果音によってぐっと臨場感が高まっている。「かまいたちの夜」などサウンドノベルも同じだが言葉や文字+SEの相乗効果は凄まじい。SEの出来によってラジオドラマのクオリティは決まってくるのかもしれない。(先日も書いたようにSEを提供するサービスへのニーズが高まってくることが予想される)

自分も含めた素人のトーク系ポッドキャスティングやDJ系の番組とは別世界・別次元の面白さである。 この手のラジオドラマコンテンツはまだ少ないようだがこれくらいのクオリティであれば有料コンテンツでもいいのではないだろうか。

ポッドキャスティングコンテンツとしてドラマ・ストーリー的な要素は有力である。
物語は人を惹きつける力があるのだ。

野知さんのやっている「マチと物語」 も今後はポッドキャスティングに対応していくとのメールが来ていた。

僕もKAGAYA.COMとアソブラボで作品をプロデュースして配信していこうかな。

投稿者 TKM : 03:23 | コメント (0) | トラックバック

読みたい本

「脳」整理法 

茂木先生の新刊。
「脳内整理」と「脳外整理」という考え方が面白そう。

掃除道 会社が変わる・学校が変わる・社会が変わる 

鍵山社長の「気づきの秘訣―掃除が人生を変える、会社を変える」を読んだら無性に読みたくなった。

下天は夢か〈1〉 

信長本では有名なようなのでチェックしたいのだけれど、他にオススメの信長本があったら教えてください。

道具としてのファイナンス 

ファイナンスについて評判の一冊。エクセルを用いた思考・技本など興味深い。

経済ってそういうことだったのか会議 

竹中先生と佐藤先生の本。竹中先生の本を読むのは大学時代に習っていた時、以来だ。いま、三分の一くらい読み終えたところ。 佐藤先生の質問の仕方がうまい。糸井重里さんもたとえ話がうまいけれど、佐藤先生もスゴイ。
「たとえ力」は広告関連のクリエイティブに携わっていた人たちに共通するスキルなのかもしれない。

球界再編 始動 

異色のドキュメント。TSUTAYAで見つけたのでさっそく一巻を視聴。 TVのノウハウで編集されたDVDは日常をコンテンツ化する文法と手法が満載。 編集によってリズミカルなコンテンツに変身していく様が面白い。編集の力、テキストと映像の融合のパターンを分析するのに最適な教材。 そうそう、内容について触れないと。異様に編集されているのでかなり面白く観ることが出来る。堀江氏の言葉も結構面白いのだが、 モデレータとして登場するテリー伊藤氏のたとえや引き出し方が恐ろしくうまい。
トーク力の重要性を再認識させられる。

スポーツジムなどトレーニング系のジムは数多いが能力に関するジムはきいたことがない。勉強系だと予備校などあるけれど、 それ以外の知とか知恵のトレーニング施設ってあるのだろうか?日本の場合、大学はちょっと違う。

投稿者 TKM : 03:07 | コメント (0) | トラックバック

私の作業環境

愛用しているubicastが不調な為、 アンインストールした。

サイトにアクセスしダウンロードしようとすると「メンテナンス中」の文字が (現在はアプリケーションのみダウンロード可能)。
そんなわけで久しぶりにMTの管理画面からエントリーを投稿している。

なくなって初めてわかるのだがブログクライアント(ブログのエントリーを書くためのワードに似たアプリケーション)は偉大である。 いまやクライアントソフトなしにブログの投稿をしようとは思わない。

 desktop1.jpg

 さて写真はうちのデスクトップである。このようにMacとWindowsが並んでいる。 キーボードはキータッチが良いのでMacのものをWindowsでも使用している。切り替えには下記のキーボード切換期を使っている。

 Arvel H423S-MT

マウスは二つを使用しているのでこのセレクターで切り替えるのはキーボードのみである。上記のアマゾンへのリンクもamazlet.comを利用している。 これなしにアマゾンへのリンク作成は考えられない。

 日々の作業では他にも様々なハード、ソフトのツール群を利用している。
カガヤ塾(という名前でモロモロのネット・PC・プランニング関連の情報を伝えていくチャンネル)ではこれらのノウハウを使って、PC・ ネットライフを快適なものにするサポートをしていくつもりだ。

投稿者 TKM : 02:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月14日

ヒトラー最後の12日間

ヒトラー最後の12日間
http://www.hitler-movie.jp/index2.html

ようやく観ることができた。
ヒトラーの秘書だった女性(存命)の視点からみたベルリン陥落までの数日間の物語である。
そして、壮大な破壊の迷宮へと迷い込み、出口を失った帝国の物語でもある。

途中、何故、戦争や争い、殺し合いは起こり、拡大していくのだろう、と考えていた。 仕事の対応やメールを読むだけで気分を害することもあるのだから、ちょっとした小競り合いが反復増幅され怒りと憎しみと狂気の連鎖を引き起こし、戦争へと発展することは十分ありえるかもしれない。

そう考えて慄然とした。

争いの理由に大小はないのだ。

理由はきっかけに過ぎず、いちど流れが渦巻き始めるとそれはひとりでに大きなうねりにかわっていく。閾値をこえれば、これを止めることは難しい。

エネルギーがポジティブな方向に向かえばダイナミズムは繁栄と豊かさを「創り」だす。しかし、 ネガティブに向かえば同量のエネルギーが破壊や殺戮など「消滅」の方向に放出される。

プラスでもマイナスでも、エネルギーの量は同じだ。

違うのは方向である。

投稿者 TKM : 01:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月13日

恵比寿で犬とアソブ

昼間の恵比寿にいくのは久しぶりである。
磨にロイアル (IEだとサイトが表示されないのでFirefoxを推奨) の長谷川君を紹介してもらう。

上の写真は筑紫楼のランチ。
筑紫楼は石井先生にご馳走になっていらいだったがココはランチも素晴らしい。

そして、長谷川君の愛犬のルルが異様にカワイイのである。

犬種はミニチュアプードル。
この子がいるだけで店の雰囲気が穏やかになる。
素直さは偉大である。

お茶を飲みながら雑談をしつつ、最近の仕事の話、というよりも釣りとアウトドアの話など、その後、ロイアルのショップにお邪魔する。
ショップは代官山と恵比寿の中間くらいにある。
店に入ってすぐに店内においてある雑誌に目がとまった。

なんと「DOGTOWN & Z-BOYS」の雑誌版が置いてあるではないか。
おもわず手にとって眺めているとあの映像が思い浮かんできた。

きけばロイアルとはもともとDOG TWONのあの街が発祥の地なのだそうだ。
縁とは不思議なものだと思った。

出がけに某社設立のメールがきていた。
文面は人材不足で困っているとのことだったが、なんでこういうメールをオレに送ってくるのだろう。
意図がわからない。
おそらく送信ミスなのだろうけれど、もう少しケアしてもらいたいものだ。

言いたいことは山ほどある。しかし、言葉にすれば自分の中にマイナスのうねりが生じてしまう。冷静に考えればそれよりも大事なことはたくさんある。これもまたバイチャンスである。

人はどういう時に嫌悪や憤りを感じるのか実体験でわかった。
軽んじられたと感じるときに人の心は痛みを覚える。
人を軽んじることのないように要、自戒である。

責任は勇気とリンクしていて、勇気あるコミュニケーションによって信頼は築かれる。
言いにくいことこそ面と向かって伝えなければならない。
やらないのは簡単だ。
いうのも大したことない。
やるのが難しいのである。

人って大事だ。
そして、コミュニケーションには様々な効用がある。

++++++

問:いまの認識で同じ問題と対面したらどう対処するだろう?

答:スタートの時点で問題の萌芽をつぶしておく。ユーモアのチャンネルをつくっておく。しかし、ベストはアレだ。「天秤を逆手に取る」である。つまり、○できない○である。

投稿者 TKM : 17:26 | コメント (0) | トラックバック

ゲームボーイミクロとか

ゲームボーイミクロ(ファミコンバージョン)  

ゲームボーイミクロがとうとう発売された。
プレイできるゲームソフトはこれまでと同じゲームボーイアドバンス用のものなのに小さくなるだけでコンテンツの印象が変わるのだがから不思議である。

先日、秋刀魚の会を終え、湘南を後にする電車でカワマタ君と一緒だった。
ゲームボーイについて少し話をした。

「DSとかミクロとかになったらゲームやるかなと思ったら全然やらないよね」

「そうそう、電車にのってまでゲームやりたいと思わなくなったんだよなー」

「ネットの方が面白いんだよね」

と最近の携帯ゲーム端末について話をしたのであった。
上記の会話にあるように僕もゲームをやらなくなった。

僕だけなのかと思ったら、ゲーム好きなカワマタ君もやらないという。
年代の差かと思って高校生にきいてみたら、彼らもやらないという。

「だって、ゲームやるより友達と話をしてた方が楽しいよ」

と至極まともな答えが返ってきた。タドとオレも大学を卒業する頃には同じようなことをいっていたなあと思った。

「ゲームやるよりも飲んでた方が楽しいよね」

面白さ、楽しさはスタンドアロンなものより、コミュニケーションよりになってきているのだろう。
それは前からあって、ゲームもひとりでやるよりは他者と一緒の方が楽しい。このときゲームはコミュニケーションの媒介として機能している。 ネットとかケータイとかビール以前はゲームくらいしかなかったのが、いまはコミュニケーションを加速し、エンターテイメント化していく、 メディアが増えたということでもあるのだろう。

僕は仕事も似たようなものだと思っている。
仕事って結構楽しくて、やりだすとハマる。

「いやー、ちょっと仕事があるから」

というのは誰でも口にしたことのあるセリフだと思う。便利なので僕もよく使うのだけれど、
この言葉を人からひきだすのはスゴイことで人にとって「仕事」ってかなりパワフルなイベントである。

エンターテイメントが競合しているのは他のエンターテイメントではなく、「仕事」というイベントであるように思う。 仕事以上にやってみたいと思うこと、やらなければならない、やらずにはいられない、もの。それを創れるかどうかが問われているなあと思う。 そういえば、電車の中で仕事をしたり、しているのをみかけたりはするけれど、ゲームはやらないよなあ。

投稿者 TKM : 12:00 | コメント (0) | トラックバック

Skype社買収などなど

バシ師匠とタイに旅行する夢をみた。
石臼を改造したような人力車に乗せられてタイの田舎町につく。
うちの実家みたいな家が今宵の宿だと言われる。
二階に案内され、ベッドに横になる。
意外に快適なので驚いた。

日本人の客の間では口コミで情報が広がっていくのだそうだ。
宿には宿泊客がひっきりなしにやってくる。

外を散歩していると象が昼寝をしていそうな小川があった。
小川の中に本屋があって、本屋には 美輪明宏の気配が漂っていた。
書店全体が川の流れの中にあって、川と本屋が一体化しているのであった。

けれど違和感はなく、みんな普通に本を読んでいる。
店には壁もない。

不思議な本屋であった。

++++++

昨夜、 帰宅してからRSSリーダーを立ち上げざっとサイトを巡回するとSkype社が米国eBay社に買収されたとのニュースを目にした。 もの凄い金額である。

以前、紹介されたSkype社の重役な人たちの生活も一変するんだろうか。
レンタルオフィスでほそぼそとやっていたビンセントさんもオフィスを持つのだろうか。

Skype本をつくりたい我々アソブラボとしても今後の展開が楽しみである。

■ユーキャンパス、大学生のブログ執筆者を活用した販促サービス
http://it.nikkei.co.jp/internet/news/index.aspx?i=20050912ba001ba

このサービス、ブログの口コミ的効果を狙ったものなのだが先月までちょっとだけ関わっていた某社のプロジェクトとかなり似ている。企業にとっては対ブログ向けの情報発信受信チャンネルをつくる必要性が高まってくるのでこうしたサービスも必要なのだろう。 ただし、そのプロジェクトもこのサービスも構造的にひっかかるところがある。SPやマーケティングとはそういうものだ、と言われてしまえばそれまでだが認知を高めるのが主たる狙いになっていて、フィードバックを活かすという側面もあるのだろうけれど、肝心要のポイントは「より売りたい」とか「より広まる」とか量的なものになってしまうんだろうな、と感じてしまう。

昨夜のマツケンイベントの詳細をまだ書いていなかったんだけれど、あの報道関係者の数は異常であった。 熱狂するオバサン達と対照的に疲れてやる気のない報道関係のオジサンとカメラの人々のコントラストは大きな歪みを感じさせた。

対メディアイベントのダシにされてる感はぬぐえない。
そうならざる得ない状況もわからないでもないが。

このイベントに限らず多くのイベントでは開催者は「メディア」という言葉に大して卑屈である。どうにかして書いて欲しい、 どうにかして露出したいと思っている。その気持ちはわかる。しかし…。 そこで発生する依存関係によってメディアに属する人の態度がフラットでなくなっているのは大きな問題だと思う。

面白い視点でものをみるなあ、とか、スゴイなあと感心する時もあるのだが、 権力的というか特別扱いに慣れてしまっている雰囲気がでまくりで、内輪なノリで物事が進んでいくことも多い。 そういう場面での振る舞いの不健全さみていると、

メディアを特別扱いする姿勢を止めるか変える企業や組織がメディア戦略のイノベーションをつくっていくだろうな、と思うようになった。 「もたれ」 の関係性ではなくフラットで活き活きとした関係性に切り替えていけるところがメディアとのつき合い方の上手な企業ということになっていくのだろう。 そういうのがうまいところはブランドになっていくのか。

いや、理由も根拠もないのだが、周りにもいないだろうか、風見鶏のように常に天秤で物事を決めていくような振る舞いの人々って。 メディアとそれに依存する商品サービス、情報発信者の関係はそれと似てるなあと僕は思うのである。

男女のつき合いと同じで双方が「活きる」関係をつくっていくのが大事なのだろう。

投稿者 TKM : 11:42 | コメント (0) | トラックバック

生マツケンサンバに圧倒される

六本木ヴェルファーレでおこなわれたマツケンサンバ3発表会。
友人のはからいで連れて行ってもらった。

会場には熱気に満ちたオバサンがひしめく。
マツケンのこの人気の秘密はどこにあるのだろう。

これまで体験したことのなかった種類の熱気なのでしばし圧倒される。
80歳くらいのおばあさんが最前列でマツケンを待っている。

このおばあさんがかなりのマツケンファンなようで終盤、かなりのアクションをみせる。

それはさておき場内は撮影禁止とのことで撮影は断念。

この後ろにTVカメラが30台くらいならんでいる。
取材陣の方が我々より多いくらいだ。

そのせいかイベントとしての雰囲気はかなり歪である。
予想に反して距離感の近いイベントで僕の場所からマツケンまでは4mくらいだろうか。
このイベントには5000人近い応募者があったそうだ。
高倍率をくぐりぬけてきたファンの皆さんだけにやる気も十分といった感じで、開演前は皆さんストレッチに余念がない。

この後どうなるんだろうか。
ノリがつかめないまま開演までの時間を過ごした。

投稿者 TKM : 01:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月12日

音楽の仕事 仕事とモチベーションの関係-その1

月曜日。
昨日とはうってかわって晴天である。

11時過ぎ、電話の音で目が覚めた。
パヤからの電話だ。

 「勝どきにきてるんだけれど今から30分くらい時間ある?」

とのことだったのでうちにきてもらった。
これまで彼が作成した作品を集めたハイブリッドCDをいただく。
早速、聴いてみる。

ところで僕はCMをほとんど観ることがない。
そういえば友人のしんのすけの家にはTVがない。
モニターとして使っているだけ、という人もいる。

CMの音楽をじっくり聴くのははじめてではないだろうか。
更に、作品もいくつか聴かせてもらう。

MoMAで使われていた曲なども解説してもらう。
更に現在取り組んでいるプロジェクトについても説明してもらう。

AUI(オーディオ・ユーザ・インタフェイス)というコンセプトで音をつかったインターフェイスの提案と開発をしているとのことだ。 (某超巨大車メーカーにも使われる方向で進んでるとのことだ!スゴイなあ。)

2年位前にヤサカさんと「サウンドアイコン」「AUI」について話をしていたんだけれど、 世の中的にもこういう形で実現に向かっているのだなあ、と思った。 僕たちが話をしていたのはもっぱらケータイのサウンドアイコンの貧弱さをどうにかしよう、というような話だったんだけれど、それに関連して、 住宅や生活空間のもろもろにもサウンドアイコン、オーディオインターフェイスが有効かつ必要だよね、とかいつもそんな話をしていた。

さて、そんなこんなでいろいろ話を聴いて、サウンドアイコンの重要性とか日常生活と音の関係とかについて考えた。

ポッドキャスティングコンテンツが段々とでてきてるけれど、これだって、 ブログを提供しているプロバイダーがオンラインでサウンドアイコンを提供してくれたならば素人でも音に彩りを加えることができるようになりコンテンツづくりのハードルが下がって、 コンテンツの幅もだいぶ広がるのではないだろうか。

みたいなことを思ったりもした。

先日、カネコにも言われたが「クリエイターとしての立場」をパヤも強調していた。モチベーションのあがらないこと、 チャレンジがないことには集中しづらいのでそこが重要なのだ、といっていた。

なるほどそれは確かにあるよな。

ヤマハでアプリケーションをつくったり、坂本さんのプロジェクトをやってたりしてたときは「作品」 をつくっているので受注とは全然違っていて、「これが一番」みたいな判断が誰も出来ないというか、クライアントから「こうやってくれ」 という直しが入る、ということがほぼ皆無であった。彼らの作品ではないから、発注者にしてみても、印象をいうくらいしかできないのだ。 好き嫌いは言えても、それをこう変えてくれ、とは言えない。

さっきの議論に話を戻すと、人というのは基本的に「面白い」と思うことに対しては環境がどうあれ能力を120%使ってしまうものだ。

じゃあ、なんで仕事になるとブレーキがかかってしまうケースが多いのだろう。特に「請け」とか「受注」 という関係だとみんな一様にモチベーションを下げてしまうようだ。

世の中の結構な数の会社は受注とかで成り立っていて、そのほとんどがみんなイヤイヤ仕事をしてるんだとしたら、 かなりどころじゃなく壊滅的にマイナスだ。

ここってすごく重要なんじゃないかと思うのだ。
ここを解明するといきなりブレイクスルーというか、みんな気持ちよく仕事できるんじゃないだろうか。
オレの意見としては、ベースになってる人のマインドの問題が大きくて、 オープンマインドでみんなオープンにやりゃあいいだけなんだと思うのだが。

「この人ってできた人だなー」と思えるような人ばっかならストレスもないだろうし、そこが甘いから「守り」ベースで思考するから、 世の中、ガチガチ当たったり摩擦がおきたりするんではないだろうか。

かなりのパーセンテージで人って自分のことしか考えないものだが、 旅とかいくと他者に依存しないでは生きられないから自分が素直になれて、オープンになりやすい。 旅のモードで日々を過ごしてる国とか街とかがあったら、オレはそこにいきたいと思うだろうし、 そういう人が他にもたくさんいるなら世界中からエネルギーが集まってきそうだ。

とかさ、政治はこういう誰でもわかるビジョンを提示しなきゃいけないと思うのです。

(つづく)

投稿者 TKM : 13:39 | コメント (1) | トラックバック

17歳のインターネット

昨夜、メッセンジャーで5分くらい話をしていたら、ネットの向こうでさっそく機材の導入を実行していた。
17歳の素直さと意思決定のはやさに感銘をうける。
遠隔地からの指導によるPC導入のサポートもレポートコンテンツとして新鮮だと思うし、同世代の高校生にとって参考になるだろう。

高校生が自分で貯めたお金でPCを買うってどういう気持ちなのかイメージできていなかったんだけれど、こういう感じなのか。
ネット越しに躍動感が伝わってきた。

企業のオジサン達が考えるサービスとは全然形の違うサービスのアイデアや気配が夜の部屋に流れ込んできた。

(写真:朝5時の月島の空)

投稿者 TKM : 06:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月11日

キリングフィールド

キリング・フィールド スペシャル・エディション  

先々週、ふと思い立って「キリング・フィールド」という映画を観た。
壮絶な映画であった。
ベトナムもカンボジアもタイもいったことがある国だったし、ベトナム戦争もカンボジアの内戦も知識がゼロであったわけではない。しかし、 映画を観る前とあとでは印象が随分違う。

映画をみていると勢力の関係や人物の関係がよくわからなかったので途中で中断し、関係を調べてみた。

国という巨大な存在も単独で存在しているわけではなく、関係性のダイナミズムによって大きく揺れ動いてしまうし、一度、 揺れはじめるとそれを治めようにもコントロール不能な状態に陥る。

かなり理解不能な現実がそこにはあって、「原始共産制」という思想が勢力を持つなんて狂気の沙汰としか思えない。 国民の6人に1人が殺されるなんて状況は自分には想像できない。

原始共産制

あらゆる生産手段を共有し、生産物を社会全体で平等に分け与える
制度のこと。この社会では、学校・病院はおろか貨幣すら必要ないと
され、完全な自給自足の体制が理想となる。
きわめて原始的な方法から、この名がある。

米ハリケーン 2度ボートで脱出、今回は怖かった 被災者(毎日新聞)」という記事を読んだら、 キリングフィールドのことを思い出して、先々週に観たことをメモしておこうと思っただけだったんだけれど、そしたら「ほっとけない世界のまずしさ」のホワイトバンドが問題になっていることとかいろいろ考えてしまった。

こういう問題について話をする機会は驚くほど少ない。政治オタクとか論壇系とか知識系の議論ということではなくて、 素直に知らないことは知らないと言い、感じたことを自分の言葉で伝え、意見を交換、いやコミュニケートする場や機会はあったのだろうか。

下記、最近読んだブログのエントリーなのだが

メディアに踊らされる人たち

とか

カネはいかにして地球を救うのか

など素通りできない問題だ。
考察していこうと思う。

投稿者 TKM : 16:26 | コメント (1) | トラックバック

雷と夕立の日曜

午後2時過ぎ。
空ではゴロゴロと雷がなっている。
街は夕立につつまれる。

投稿者 TKM : 14:35 | コメント (0) | トラックバック

秋刀魚の会、あと選挙とか人とかについて雑感

恒例の秋刀魚の会は今年も盛況のうちに終了した。
もともとはオレとユカちゃんとクボ君の3人の海飲みの会だったのだが、年々、規模が拡大し、七輪投入後は「秋刀魚の会」 としてメディアファームの恒例行事になった。

今年は助っ人でアキラ夫妻が初参戦し、料理に腕をふるってくれた。
クロダ君のおみやげの豚肉が素晴らしく、どの料理も最高の出来であった。
正直なところ、豚肉の料理を食べてこんなにおいしいと思ったことはない。

海、そして最高の天気、仲間達、と素晴らしい会であった。

さて、今日は選挙の投票日である。
我が中央区での立候補者は3人。どの人もパッとしない。いや、本人に会ったことがないので印象でしかないのだが「この人を応援したい」 と思わせる候補は皆無だ。層が薄いというか、 この人が政治家になったらいろいろな場面で活躍し、心にジーンと効いてくるようなビジョンを実現するだろうな、と思える人がいない。そういうビジョンを提示できる人間が政治という場面で最大限にその能力を発揮するのが本来あるべきかたちだと思うのだがこの国の政治・選挙システムは構造的にそれが成り立ちにくいようにチューニングされているように見える。

盛り上がりもなければ魅力もない選挙である。
ここ月島ではもんじゃよりも盛り上がっていない。

メディアが煽る論点も争点もココではリアリティがない。
候補者が自分の名前をがなっているだけである。
毎度思うが、彼らのがなりは生活者にとって迷惑でしかない。

政治的な問題と直接の接点がないがゆえに政治について考える機会も減っていく。自分が共鳴できる政治思想や候補がいなかった場合は別な指標で投票を可能にするシステムがあったら「自分だったらどう選ぶんだろう」と政治について考える機会も増すのではないだろうか。
通常の投票の評価基準とは別に、投票対象を政党以外の集団にするでも、フラットに全候補者投票でも、形は何でもイイ、兎に角、自分がよしと思える活動なり思想に対して何かしらのアクションをこちらの自由意志でおこなえるチャンネルが別で用意されているほうが健全だと思う。

口先だけは綺麗事という人もいる。政治の話ではないよ。やたら思想的な健全さや善行っぽさを口にするけれど、言葉と行動があっていない。それって単に偏屈なだけなんじゃないの? もしかして、この人って…、使えない人??、と思ってしまう時もある。
綺麗な言葉や感謝をならべるんだけれど、行動は真逆で過度に利己的であったりする。
結局のところこの人たちって「気持ち」で動くということはないのだろうな、と思う。だから友達にはなれないのだろう。

大体の場合、最後は保身の姿勢が前面にでてくる。おなじみの「○○だからしょうがないんですよ」という言い訳じみた回答が用意されている。
そういうのはだいたい気配でわかるもので「あーまた、こうだろうなー」となんとなくわかる。前ほどではないけれどこっちはだいたいオープンでやっているから「やっぱこの人もそうなんだなあ」と感じると急にガクっと残念さと悔しさと哀しさが入り交じった感情に包まれる。こういう感覚はパワーがあるので怒りとか恨み辛みに転化しないようにコントロールしないととんでもないことになるから注意が必要だ。昔、飲みにいったときに竹中さんが「合理的な人は合理的に消えていくもんだよ」といってたけれどそれも事実なのだろう。人っていろいろである。
学生時代からずっと思っていたことでもあるんだけれど何故ひとは守ろうとするのだろう。怒ったり、何かしら感情がマイナス側に振れる時はだいたいの場合「守り」の意志と関連している。こうあって欲しい、が裏切られるときに人の感情は動く。

投稿者 TKM : 12:58 | コメント (1) | トラックバック

花火その2

久保君もやってくれました。
やりすぎです。

投稿者 TKM : 01:01 | コメント (0) | トラックバック

花火

アキラがやってくれました。

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そして海へ

アキラと二人、海にダイブしてきました。

投稿者 TKM : 00:57 | コメント (0) | トラックバック

夕日

毎年のことですがこの季節の湘南の夕日は綺麗です。

投稿者 TKM : 00:49 | コメント (0) | トラックバック

ニコラスブラザース

いい笑顔です。

投稿者 TKM : 00:46 | コメント (0) | トラックバック

秋刀魚もいい感じに

焼けました。

投稿者 TKM : 00:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月10日

プランナーという仕事

職業をプランナーと名乗るようになったのは全く便宜上の理由である。
初対面ではたいてい、

「お仕事は何をやってるんですか?」

ときかれる。
職業といっても僕の場合はプロジェクト単位で関わり方が異なるから特別コレといった名称があるわけではない。 ディレクターとして入る場合もあるし、コーディネーターの時もある。チームリーダやデザイナーの場合もある。イベンターの時もあるし、 ライター、インタビューアー、プログラム、コーディネーター、講師、モデレーター、現場監督、PRプランニング、コピーライター、 などなどプロジェクト毎にこなすポジションが異なる場合が多い。(確かに最初は企画を考えて売っていたんだけれど)

それがいいのか悪いのかわからないけれど結構楽しんできた。
基本的に飲みを中心とした人間関係のネットワークで動いているからだろうか、思いもよらない話が舞い込んでくることもある。

そのせいかこれまで就職をしたこともないし、入社試験を受けたことがない。
かといって会社を経営しているわけでもないので稀なポジションだとは思う。

そこで最初の問いに戻るのだが

「お仕事は何をやってるんですか?」

ときかれる度に何と答えたものかと毎回頭を悩ませていた。
毎回、プロジェクトの説明をするのも面倒だったのでいろいろなものをひっくるめて

「プランナーです」

と答えてみた。
この言葉は魔法のような効果をもっているようで

「ほう、なるほどプランナーですか」

誰でもプランナーという言葉自体はどこかで聞いたことがあるのだろう。
「プランナー」と答えると一応は納得してはもらえる。けれど答えているだけで

「どんな仕事をしているのか」

という問いには具体的な回答をしていないから、相手はわかったようなわからないような顔をしていることが多い。

面倒なのでそれ以上を答えないのだが。

通りの良い答えとして教授こと坂本龍一さんとの仕事の事例などを話してみると「ホォー」と感心される。けれど、 坂本さんとの仕事で僕が何をやっていたのかは全く理解されていないと思う。

今月から、こんな感じで週に一度くらいのペースで少しづつ仕事の話をしていこうかと思う。

投稿者 TKM : 03:22 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月09日

午前2時11分にひらめいた

マンションのゴミ捨て場に可燃ゴミを捨てに降りていった。
数日前から部屋の上の方でキイキイと音がしていたので何か機械かモノがこすれているのだと思っていたが違った。

外にでるとあちこちからキイキイと音がする。
鳴っていたのはモノでも部屋でもなく、昆虫であった。

あんな音を出す虫がいたのか。
もう何年も住んでいるのに気づかなかった。
これまではマンションの壁に取りついて鳴くということはなかったのだろう。
今年になって、急に個体数が増えたのだろうか。

いずれにせよ原因が解決したので今晩はゆっくり眠れそうである。

というようなことを考えながらマンションの入り口の自動ドアをくぐった。
外の空気は少しひんやりとしていた。

エレベータに乗ると12日〜15日まで午後11時〜午前6時までの7時間が断水になります、と張り紙がしてあった。
断水はあまり好きではない。
この間も断水があったばかりだ。
ほとんどは工事が理由だがこの地区では年に2回か3回は断水がある。

断水の期間、実家にかえっていようかな。
そこでひらめいた。

「そうだ、これやったら面白いんじゃないかな」

さっそくメールを出した。

投稿者 TKM : 02:19 | コメント (0) | トラックバック

オンラインDVDレンタルのラインナップはかなり絶望的

僕はTSUTAYAを愛用しているのだけれど(特に半額キャンペーン)毎度ながら返しにいくのが面倒なのが難点である。 そこでオンラインDVDレンタルに乗り換えようかと「ぽすれん」や 「TSUTAYA DISCAS 」などの主要なサービスを調べてみたのだが口があんぐりあいてしまった。

あまりにもラインナップが悪すぎる。
いくらなんでも「地下鉄のザジ」や「さよなら子供たち」のルイ・マルの作品がゼロというのはおかしくないか????

どうこをどうやったら上記のような作品を外せるのだろう?
売れるものだけを並べていくのもわからないでもないが、 オンラインDVDのような場所でこそ地方の小さなレンタルショップには置いてないコンテンツがあってしかるべしではないかと思う。

ネットによって良質なコンテンツとの接触機会が増えるはずが、逆にコンテンツの奥深さや基盤になる「心」 の栄養が欠落してしまっているのだから、コンテンツのパワーが弱体化へ向かうのも無理はない。

少しはましなオンラインDVDレンタルサービスがないものだろうか。
ネット系のサービスの底の浅さに慄然とした。

P2Pででまわってるコンテンツのラインナップの方が遙かに充実しているのは皮肉でもなんでもない。

ユーザのニーズにサービスがおいつけていないのだ。

ああした流通形体の方がユーザのニーズにあっているのだ。

利便性から考えると映画コンテンツこそiTMSのよ