2005年07月16日

ひさしぶりに雑記

といっても朝はやくおきているわけではない。
たんに朝までおきているだけである。

4時30分くらいからの外の空気は普段とちがう。
特に休みの日はそうだ。

常にこういうモードで街がうごいていたら事件や諍いも減るだろう。

Yけんブログが荒れぎみだったので懸念したが大丈夫なようで安心した。

私見だが、意見があるならば自分の土俵で発言すればよいのにな、と思った。

提案なしにぶちまけあっても問題の本質(例えば議論になってる食事というプロセスのクオリティの改善とか) は何も解決しないように思う。

どちらが正しいかを問うのではなく、どうすれば最も価値が大きくなるかを考えたほうがみんなにとって幸福であろう。

++++++

「人は自分のことでは悩むが人間のことでは悩まない」

とは「死神の精度」にあった言葉だ。

悩んで解決することは皆無だ。
人間のことに知恵を絞るようにつとめたいものだ。

投稿者 TKM : 05:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月04日

夜も素麺

今度はゴマダレです。これも悪くない。

食べ終えての感想。
粗食だけれど満足度は高い。
というか美味しいです。

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2005年01月28日

プレゼンな映画と意味を隠す映画 ~帰りの電車での雑感より~

久しぶりに代々木界隈を歩く。
紀伊国屋などいってみた。

代々木のフレッシュネスバーガーでメモをしていたら警備員のおじさんが二人こちらをみつめていた。 植え込みになにやらあるらしいがここからはわからない。帰りの電車で思索していると電話が鳴った。

共時性か。
さっきのメモを思い出す。
時間についてのメモであった。

「いまという過ぎていくこの時間は誰にとっても同じ時間なんだよな」

あたりまえのこと、であるわけだが、その意味はよくわかっていない。
心臓の鼓動のスピードが子供と老人とでは随分違うらしく、それによって体感時間が違うのだ、という話をどこかで読んだ。

でもさっき浮かんだのはそれとはちょっと違っていて時間は流れているわけじゃなくココという一点にあるみたいなイメージだった。 うまく言えないのだが。

外を歩いている人たちも自分も同じ時間の点を共有していて、「あの人はこうだ」とか「この人はこんなで」 という違いはあれど同じ時間にいるという共通点の方がそんなものよりも遙かに大きいように思えてきたのであった。

この時間にいる人たちってパラレルな自分ではないのか。

あなたが感じてる時間と僕が感じてる時間は違うんだろうけれど、それでも我々は同じ時にいる。それってどういうことなのかな。
電車は大門を抜け、月島に向かってゴーっという音に包まれて疾走していく。

ひとつの音もそこから何を感じるかは人によって全然違う。
それは文脈によるものなのだろう。
文脈超えってあるのだろうか。
あるのかなやっぱり。

そういうのを言葉で表すには本来の使い方では難しい。
言葉の連なりの裏にできていくパターンを使うのだろう。

いい映画はプレゼンの対極にあるように思う。(何がいい映画かは人によってちがうのだけれど、 より深く自己に入り込んでくるようなものとしておく)
伝えないことで伝えるというやり方でしか伝わらない質感。
それを伝えるには逆説的だけれど意味は隠される必要がある。

そういうカタチでプレゼンをおこなったら笑えるだろうな。

「???」

が並ぶんだろうけれどわかる人にはわかるだろうし、伝わるのだろう。
こういうのは恋愛と似ているのかもしれない。
愛情表現の言葉って具体的じゃないし、そもそも、あんまり言葉がない。
理路整然と演説して惚れ合う男女が描かれてるのはハリウッド映画くらいだろう。

投稿者 TKM : 21:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月26日

地球の声と感情漂流

今日はメモ代わりの雑記です。

■ある外国人の笑顔とある打ち合わせについて

数日前、近くのレンタルビデオ店にいった。
その店はバイク屋の二階にあるのだが階段を登って店の自動ドアをくぐり抜けるとロシアっぽい帽子をかぶった外国人の男性が店をでてくるところだった。40歳くらい。「レナードの朝」に出てくる先生(右側)に似ていた。
黒いレザーのコートをきた彼は優しそうに微笑んで先に通してくれた。

その表情は自然だった。
考えてつくられたものではなく彼のもつ素地がそうさせたのだと思う。

何かこの世界のものすごくたくさんの情報をいっかしょに集められ折りたたまれたような印象をうけた。

いまどきこんないい表情ができる人にはそうそうお会いできない。
他に僕が知っているのはダライ・ラマのナイススマイリングくらいだ。

なのでその日はそれだけでうれしくなった。

これはまた別の日のこと。
ある外国人と話をした。
雰囲気の問題なのだろうけれど裁判で尋問されているかのような印象をうけた。
自分にとってリラックスとはほど遠い雰囲気であった。

今日で一日が終わるとしたらこの人と過ごしたいだろうか?
迷わずNOだ。

しかしその人が本当はどんな人なのかを僕が知らないだけでその場の印象からそう感じているに過ぎない、のかもしれない。いまはフレンドリーでなくとも何年かしたら世界的な慈善家になる人なのかもしれないし、さっき食べた昼食があわなかったとか、親知らずが痛いとかそういうことなのかもしれない。あるいはトイレにいきたいだけだとか。

人と人の間というのは無限に近い相互作用の結果でできていて

「あの人はこんな人」

みたいな思考は正しくないのかもしれない。が、人に接した時に自分が感じる何かは確かに何かしらの方向性を示していて、それは人の行動や意思決定、コミュニケーション、モチベーション、気持ちに大きな影響を与えている。(それが人の限界をつくっているように思うこともしばしばあるが)

これはどういうことなのだろう。
おきてからしばし考えた。

■仕事にとって大切なこと、自分の場合

仕事について「自分の好きなことをしろ」であるとか「わくわくすることをやれ」というような言い方が一般的だし、そう思われがちだが僕の場合、それは大して重要ではないようだ。
人によって異なるのだろうけれど僕の場合、仕事において一番重要なのは

「誰とやるか」

である。

■「綺麗事」とその周辺について

「それは綺麗事だよ」

という意見がある。

けれど

「綺麗事でいいじゃない、何でダメなの?」

と自分は思う。
綺麗事の方がベターであり、人にとってプラスであるならば綺麗事を一般化させていくことはこの世界にとってもプラスではないのだろうか。

そもそも「それは綺麗事だよ」という発言はどんな意味があるのだろう。

「そうはいうけれど現実は違う」

というのであれば何故現実が違っているのか。
何処が違っていてそれは何故なのだろう。
また、それを受け入れているのは何故なのか。

「こうした方がいい」あるいは「こうだったらいいのに」という想いがあるならそちらが本来あるべき姿だと僕は思う。

綺麗事という便利な言葉で問題を簡略化し、存在自体をぼやけさせてしまうことが問題なのだ。

解決不可能という封印をしてほったらかしにするよりは少しでも整理をはじめた方がいい。

問題というのは「出来ること」ではなく「出来ないこと」で問題化する。
ならばそれができない理由をつきつめ、整理していくことは無駄ではない。
そういうことを怠ってきたからいろんな問題が潜伏・反復増幅し、本来問題が属していたレイヤーから別なレイヤーに影響を及ぼすまでに巨大化してしまうのだ。

■不幸はつくりやすい?

幸福と不幸についてもちょろっと考えた。
生活していると「うまくいく」「うまくいかない」「幸せである」「幸せではない」「気分が良い」「気分が悪い」などといろいろな場面で感じたり思ったり、いったりしたりされたりするわけだが大まかにいって

「不幸」の方が「幸福」よりもつくりやすい傾向にある、のだろうか。ほとんどのケースで人は幸福を志向し、不幸に悩んでいるように見える。これは法則といってもいいくらい一般的でさえある。

また、調和よりも対立の方がつくりやすいようにも思う。
でも何故だろう?

アソブよりもケンカの方が楽なのだろうか。

しばらく目に手をあてて考えた。
30秒が経過して…。

「わかった!
人は不幸が好きなんだ!」

と唐突に閃いたのだが案外あたっているのではないか。
人の特性として閑には耐えられないようにできていて、幸福というのは案外「閑」な現象なのだ。地と図の理論だ。反対側がないと絵が浮かび上がってこない。

アポトーシスな現象として幸福を捉えなおすとそれが表現行為と類似しているようにみえる。表現というのは基本的に付加することではなく「削る」ことで表現として成立している。

不分節は虚無である。
芳醇や豊かさを生じさせるのは逆説的に地としての無が不可欠だ。

幸福や不幸というのもこれと同じ関係にあって双方は地と図の関係にあるのだ。幸福がそれとして認識されるためには不幸が必要となる。

無によって有は生じる。
そこに「ある」ならばどんなものにでもあてはまる。

音にしても無音があることでその差異が音と認識される、といえるだろうし。

しかし、

「じゃあ、自分が感じた幸福ってどんなんだっけ?」

と考えてみるとこうした話も根本が違っているような気がしてきた。
感覚は地と図という単純な構造によって生じるのではなく、ある関係性が常時そこには存在し振動している。それらは普段は個別に振る舞っているが時折パターンを描く。そこにあらわれる関係性パターンが感覚なのかな、と思ったのだが。

そうだ時間の要素が絡んでくるので地と図というスタティックなイメージだと捉えられないのだ。それ自体も常に変動しており、量子レベルでの確実な再現性がない、ということが理屈ではなく感覚的に入り込んできている。

記憶はスタティックではなくダイナミックな存在だ。
時間の影響をうけ薄れる、あるいは変動、振動している。
それを基盤に今の感覚やら気持ちが形成される。

系は互いに影響しあう。
分離されていない。

不幸があるから比較して幸福がある、というわけではなく、多分、そうした平面な紙のイメージはズレていて。

常時、波打っている空間みたいなのが感情でそれはパターンを描くときもあるし、丸まって振動してる時もある。感情とは超スローモーションで展開している線香花火をプロットして、突然浮かび上がった、文字を記録していったら物語ができた、みたいなものだ。

(そういえば「センソリウム」の「ブリージングアース」という作品もそんなだったっけ。センソリウムといえばあれのプランニングとかプロデュースをしてた竹村先生って竹村健一さんの息子さんだったことを最近知った。余談ついでに敬愛する石井先生を初めて知ったのも日曜の朝にやってた「竹村健一世相を斬る」だった。まさかその先生とアソブ研を通じて個人講義受けたりお話をするようになるとは学生時代も昨年くらいも全然予想できなかった。こういうのをビジュアライズしたらどんなカタチになるのだろう。ストレンジアトラクターのような形状なのかなと思うけれどそれにしたって固定的ではないだろう)

レナードの朝


おすすめ平均
感動作

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2005年01月21日

靴をひろう

ようやく集計の仕事が終わった。
なかなか長い戦いであったが今回は新しいやり方をマスターしたので得るところも大きい。

さて明日は石井先生と六本木ヒルズクラブで会合である。
ドコモモバイル社会研究所の方をご紹介いただくことになっている。

先日、東京海上研究所でのミーティングででた宿題もカネコが良い感じでまとめてくれたのでこちらの評価も楽しみだ。 スカイプ絡みで開発したカネコのデモはスカイプ社でもかなり好評なようで、ニコラス社長にも喜んでもらえたようだ。

このように開発のウケがいい時は素直に嬉しい。
ということは制作者のカネコも嬉しいはず、こうした「楽しい」 の連鎖でスパイラル状に開発が進んでいくと意図せずして様々なことがらがつながりあい、自己組織化されていくようでとても面白い。

さて昨日、自転車で東京駅に向かう途中、家の前の小学校の前を通ると道ばたにシューズが落ちていた。

「はて?」

と思いつつ近くまでいってみると格子戸状のフェンスの下から手が伸びてきた。 小学生が蹴飛ばしたシューズがフェンスを越えて外に飛び出してしまったらしい。3年生くらいの少年が必至に手をのばしている。

しかし、シューズまでは30cmくらい足りない。届かずに手をひっこめては「グゥー」っと手を伸ばしてという動作を続けている。

「おい、大丈夫だよ。取ってやるよ、ホラ」

とシューズを拾って柵の向こうに立つ少年に手渡すと集まっていた5人くらいの少年達から歓声がわき上がった。

「どうもありがとうございます!」

と少年の元気な声が続いた。
素直さがにじみでているような声であった。

言葉とはこういうふうに使われるべきものだ、と思った。

投稿者 TKM : 02:35 | コメント (1) | トラックバック

2005年01月13日

東京復帰

土曜日から福島にいっていた。
昨夜、東京に戻るとあまりもの温度差に驚いた。

暖かいのではなく暑い。
暖房が過剰なのだろうか。
ともかく施設という施設が過度に熱されているように感じた。

映画「もののけ姫」の中で主人公の少女がシシガミの住む池にある小島に負傷したアシタカ(もうひとりの主人公)を連れて行った後、アシタカを抱えた自分の腕のにおいをかいで「人間くさい」と呟くシーンがある。

昨日、上野駅の中央出口を出て大江戸線に向かう地下道にはいったときそのセリフを思い出した。

地下道には暖房と人の人いきれが混じった独特のにおいが満ちていた。
それがいいとか悪いではなくて人間というのは臭いを持っているのだという事を実感したのであった。

++++++

昨夜、夢を観た。
少女がスピーチをしていた。
日本人の少女である。
歳は10代。
彼女は自分が生きている時代や世界について自分がどう感じているかを自分の言葉で話していた。過度な技や情熱的なもの言いではない。自然な言葉であった。話が終わると彼女は自己紹介をはじめた。

綺麗な英語であった。

「私の名前はキョウコです。アメリカ人です。え?日本人にしかみえない?そうですか?でも日本語の細かい言葉を知ってますよ。こんな言葉ってありますよね」

と古語をスラスラと話した。話をきいていて僕はこれからはくだらない議論は失せていきこういうことになっていくのだろうなと思った。彼女の英語は美しかった。日本語も素晴らしかった。彼女はアメリカ人だといったがそこには大した意味がないようにきこえた。彼女自身、それを意識してはいないだろう。

彼女の演説の後でバスにのって移動した。

男の子二人の兄弟がバスを降りようとしていた。
小学校高学年だろうか。まだあどけない。
彼らの後ろの座席には上級生が座っている。
こちらは30後半の年配の上級生だ。

兄弟にとって先輩の存在は別な世界であり、彼らの生活とは異なるルールがそこにはあった。

弟がその男の世界に取り込まれようとしていた。
兄はそれに気づいたがどうすることもできなかった。
バスはトンネルの中をくぐり抜けていく。
時間が分断され過去と未来が交差していく。

兄は席を立ち、過去に歩き始めた。
時間が揺り戻されていった。

投稿者 TKM : 02:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月31日

格闘技の夜

書きたいことは山ほどあって一日に12時間くらい書いていたら最高なのだが今日は我が人生のただ一つの嗜好といってもいい「格闘技」の祭りの日である。

昨年は舞台監督さんからチケットをいただいて埼玉スーパーアリーナでPRIDEを現場で観戦していたのだがK1を録画したため猪木祭りを見逃し、伝説的な「ヒョードルのフックがかすっただけで永田がカメ状態でKO」をアラハマ先生からのレポートされかなり悔しい思いをした。

今日は大阪からオカダが戻ってきているのでオカダハウスで観戦会が催される。
6時スタートということでそろそろでかける時間だ。

実家で観戦の予定であったが雪だったのと仕事が山積みということもありオカダハウス@都内となった。2005年の予定はまだ未定だが。
明けて決まっているところでは

・東京海上の石井理事長とのミーティング
・Skype開発者へのインタビュー
・アソブ研主催の凧揚げ大会

その他、プランは目白押しというわけで来年は世界に広がってるネットワークを稼働させ、仲間のクリエイティブというか「面白い」を感じる力みたいなものを集中させていこうと思うのであった。自分のネットワークをみまわしてみたら面白い人ってたくさんいすぎだ。寝る間が惜しい。

バカになれ、というわけでそろそろオカダハウス行きの準備を開始します。

投稿者 TKM : 16:32 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月27日

雑感

昨日は2004年を締めくくるにふさわしき宴を楽しんだ。
予定表には「餅つき」と記されていたのだがその言葉で収まりきるイベントではなかった。友人、仕事、飲み、思考というよりも現実の多様性に興味がつきない。

国とは関係なく人はハートだなと思った。
タドともひさびさにディープにやってしまった。
ながい一日であった。

投稿者 TKM : 04:34 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月26日

実体験の面白さ

「悪あが記」終了か。
いいコンテンツだったなと素直に思う。
イベント性があるというのは大事だ。

やまけんの食い倒れ日記もイベントみたいなものだし。
実体験というのは人をひきつける。

我々のアソブ研にしても実体験なので面白いというのがある。
おっと、今週の更新が…。
今日のモチつき大会をレポートしますか→カネコ。

投稿者 TKM : 10:07 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月23日

久々に雑記

昼前にやまけんとSkypeでミーティング。
食い倒れ日記、来年は素晴らしい飛躍をみせそうな気配である。
実に楽しみだ。

今朝もよい夢見であった。
丘の上にあるラグビー場にいくにはロッククライミングばりに岩場を登っていかなければならない。仲間はすでに上で練習を開始している。上からベージュの背広の男性が降りてくる。学生時代にバイトしていたPR会社のKタケさんであった。

「あ、わかるわかる。オレもさ、大変だったんだよ、ボールもって登るの」

そういって降りていった。脇の方の岩が登りやすそうだったので移動する。ようやく上まで到達した。みんな練習している。僕も練習を開始した。

ラガーシャツは着ていない。
黒いラバーパンツで走っている。
実際の自分の身体よりも細身だ。
しかし何故上半身裸なのだ?
骨折以降、身体がなまっているのでその裏返しだろうか。
意味不明である。

投稿者 TKM : 14:41 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月18日

失態

鞄を丸ごとロストしました。
電話とその他DSなど全部消えてしまった。
なんとも良い感じにバカヤロウっぷりを発揮。

というわけで電話は現在自宅とスカイプしかつながりません。
とりあえず寝ます。
サイフは無事だったので運はあるみたいだ。

しかし、メルアドを知らない人の電話番号は全部ロストした。
かなりオモシロイ。
人間、アホみたいにカバンの中身にすがっていきてたんだなって思う。

投稿者 TKM : 08:29 | コメント (6) | トラックバック

2004年12月17日

岡村靖幸登場!

なんと今晩のR30にあの岡村靖幸が登場だ!
タイミングと気分があわずライブもコンサートもいってなかったのでかなり楽しみだ。
久しぶりに録画しよう。

そうそうアソブ研で「サイバーフォンK」というスカイプに対応した電話機の実験をやりました。詳細はレポートの方で。

投稿者 TKM : 18:46 | コメント (2) | トラックバック

2004年12月11日

代官山

iwtkに誘われ、茂木さんの会合へ。
著書を読みながら移動。
エアロビクスの先生の指導で40人強が代官山で汗を流す。
その後、指導してくれた先生にお話をうかがう。
毎年なぜかみてしまう番組の一つにエアロビの全国大会がある。
ニカっと笑う男性の絵がインパクトあり、毎回あきさせない。

先生によればTVなどでやっているエアロビは競技用なので違うんですとのことだった。
しかし先生もかなり鍛えている。
全身、締まりきっていて体脂肪率は一桁なんじゃないかと思ってしまう。
細身だけれどもの凄いパワフルだった。

打ち合わせの予定だったがバシ師匠より中止との連絡がはいる。
その後、少し途中下車し、無事帰宅。
渋谷の街を歩いていたら「Vシネマ」っぽいおじさんの集団がいた。

白川元議員に職質するならばあのおじさんたちにするほうが理にかなっていると思うが、それもまたあり得ないから不思議だ。

投稿者 TKM : 13:25 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月08日

MT3.121にアップグレード

しばらく3.0で使っていたのだがさきほど3.121にアップグレード。バージョン2.66時代に比べれば10倍くらい楽になったがPC買っていきなりこれをヤレといわれたらパニックになるだろうな。

ついでにダイナミックPHPも試してみる。
が、サクラインターネットではこの機能が使えないことが判明。
ロリポップでは無事使えた。

確かに下記にあるようにマニュアルも充実であった。

ロリポップならMovableType設置マニュアルも充実。
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しかし、ロリポップといいサクラインターネットといい最近のレンタルサーバの価格破壊には驚かされる。負荷のかかるサービスを運営しているか自前でサーバを構えなければならない絶対的な理由がないかぎりは企業でもこうしたレンタルサーバを使えば格段にコストの削減が可能だろう。

投稿者 TKM : 19:37 | コメント (0) | トラックバック

開戦記念日

昨夜の奇妙な夢についてエントリーを書いた後に気づいた。
日付が変わって今日、12月8日は開戦記念日であった。

◆開戦を伝える臨時ニュースのアナウンス。
http://kitadai.air-nifty.com/fd/19411208.mp3

高校生の頃に「東京裁判」というビデオを観た。
はっきりとは記憶していないがすごい作品であったと思う。
マイケル・ムーアの「華氏911」もすごいと思ったが凄さの方向性が違う。
同じドキュメンタリーでも東京裁判にポップさは皆無である。

歴史のうねり、個人という存在とは異なる時間の流れ。
知識などまったくなかったが映像から滲んでくる質感はダイレクトに響いてきた。
まだ観ていない人がいるならばいちど観ておくことをオススメする。

で、僕がいいたいのは視聴後の感覚である。
翌日になったら消えてしまうかもしれないし、数週間したら日常に覆われてその質感は消えてしまっているかもしれないけれど見終わった直後に感じた何かは確かにあって。それがどんなもので何なのかを言葉にできなくてもいいし、忘れてしまってもいい。ただ、見終わった時のその感じ。それが大事なのだ。

++++++

映像とか書籍とかいろいろなものにいえるのだが数時間という時間をひとつの作品につきあうことでその作品が持つリズム、時間の流れが自分の中に発生する。コンテンツというものについての僕の興味のひとつは時間感覚が伝播してくるその感覚である。

さっきのエントリーとは全然違う見方なのだが90分から2時間くらいだろうか、向こうの世界が入り込んでくるそんなスイッチのようなタイミングがある。これをつくりだすことができる広告はまだない。

東京裁判

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投稿者 TKM : 02:20 | コメント (1) | トラックバック

2004年11月29日

windVibe_mobileなど

windVibe(上記の写真:坂本龍一さんとのインスタレーション作品。電通本社ビル36Fに常設展示)が完成した後、次は屋外ライブ時にwindVibe Mobileを使って環境を取り込んだ音楽を流したりできないないだろうかという話なった。メンバーもモバイル版のwindVibeには前向きだったし、チームのミーティングで幾度か話題にのぼったりもした。

先日、ヤサカさんと食事をしたときもwindVibeの話題がでた。
通常は企画提案し制作費を確保してから製作するという方法をとるのだが、まずつくってみないと説得力のあるプレゼンもできないだろうし、それじゃあオープンソースプロジェクトでやってはどうかという話になった。チームのメンバーはそれぞれ専門が異なる。なのでそれぞれの得意分野で仕事としてではなく「アソビ」としてプロジェクトに参加してもらうというやり方だ。それはそれで面白いなと思った。

と、そんなおり、この記事をみつけた。

◆USB接続のセンサー"何でもあり"セットが登場、サーボモーターも付属
http://pcweb.mycom.co.jp/news/2004/11/26/008.html

いろいろなやり方が考えられるのだろうけれどまずはこのようなセットをつかってプロトタイプをくみ上げてしまうのはどうだろう。アイディアやチャンスというのは面白いものでモノがカタチになってくると向こうからどんどんやってくる傾向がある。

では、まず自分がやるべきことは何か。
いや、やるべきというよりもできることは何か。
プランニングである。
全体のコンセプトと流れ、方向性、具体的な活動方法等々のたたき台をつくっていく。自分にできるのはプランとディレクション、マネジメントであるし、プロジェクトへの貢献が最大化するのはその部分であろう。

そんなわけで今週はアソブ研のプランづくりとwindVibe-mobileのプランをやってみよう。

投稿者 TKM : 04:20 | コメント (3) | トラックバック

2004年11月26日

エンタングルDiary

以下、詳細は明日。

・「いま、会いにゆきます」

脚本がすさまじくよくできている。あれは反則だ。恋愛映画というカテゴリーではない。ミステリーに分類すべき。竹内結子の映画との評があったがなるほど。女性の顔は表情でこうもかわるか。終盤直前までは子供が主役の映画であったが終盤にガツンと一撃をくらった。嫌だと思うシーンがいくつかあたけれどそれらを飲み込んであまりあるミステリーの傑作であった。

・くぼたつさん飲み

著名なプランナーのくぼたつさんと飲み。カネコとSkype体験記のデモなど。好感触。プランナーとして企画を毎日書いていた頃にくぼたつさんの著書を読んだ。その著者と隣り合ってすわっているということが不思議な感じであった。縁とはおもしろい。またしてもエンタングル。しかしエンタングルを説明しようとするとイメージがつたえられない。デジタルマンガ化が必須だ。くぼたつさんの実体験ベースのエピソードがおもしろく話がとまらない。小出監督の話の流れでくぼたつ氏の技が炸裂。内容は「君どうおもう?」的ツッコミワードなのだがタイミングが絶品。正確な言葉を失念。(隣できいていたのにはやくも正確な言葉を忘れている…)。ひきこまれる。話が盛り上がりすぎて皆、終電ギリギリになる。詳細は日が昇ってから追加予定。

・ヤマダと青木

高校時代の戦友二人と体育祭にでる夢をみる。

・ページ

一日に100ページつくるのと、その分のパワーを1ページにつっこむのとではどちらがやっていて面白いのだろう。

・1年と10年

1年や10年と1週間は「1週間>10年」となりうることを実感。
であれば「1日>永遠」もなりたつのであろう。かなりインパクト強し。エンタングルイメージとクオリア芸術vs文脈芸術がかぶる。エンタングル的であることは理屈をとびこえる。

・表参道

店をでるときに店内にいる人々から何かを感じる。かなり重要な情報なのだが言葉におこせない。システム的なものと場的なものが実体としてそこにあったような方程式が生きているようなイメージであった。

・ひとと飲みと

帰りの電車でインスパイヤエンターテイメントのイメージがうかぶ。というか飲むことが形式化してしまっている人類システムに対して疑問など。

・素手の格闘技

番組表をチェックしてみたいと思っていた番組を録画せずにでかけた。かえるとSkypeにメッセージ。(注:Skypeは近々にも留守電機能を実装するらしい)ヤマシンが録画していて、ネットでおくってくれた。エンタングル再来。

・はてしない物語

帰りの電車でミシャエル・エンデ「はてしない物語」を読む。

・セグウェイ
カネコと「セグウェイ入手を近々の目標のひとつにしよう」と合意。4輪タイプのセグウェイについてしばし議論など。オンラインにやまけんを発見したので同時に3人で「おやすみ」とメッセージをおくってみる。おくってから「時間差でおくった方がインパクトあったかもな」と猛省。

・PSP

今週号のNewsWeekでPSPの特集。

・先行研

ロボットの先行者ではない。トヨタの頭脳集団。話はfromくぼたつさん。
エンタングルしたい。というかエンタングルってる可能性大。

・エンタングル社会

拡大志向からの解放。外向きではなく内向きだが限りなく開いた状態。基本姿勢、基本思考は「インスパイヤエンターテイメント」な状態。

アソブ研入会者、続伸のおそれあり。

投稿者 TKM : 04:49 | コメント (1) | トラックバック

2004年11月18日

チロルパンの誘惑

◆ローソンのチロルパン
http://www.lawson.co.jp/company/news/857.html

チロルパンとは。
「やるなローソン」といったところか。
食のコンテンツ化が進んでいる好例であろう。

この形状から想起される郷愁によるものなのだろうか。
5円玉チョコ、美味い棒とならんで小学生御用達スナックの王道であったチロルチョコ。
派生商品として生まれ変わってものいぶし銀な勇姿は変わらない。
囓りたいという欲望が海馬を通じて大脳に伝わっていく。
ヤマケン流の話術を用いるならば「このプレゼンテーションを見よ!」とでもいうべきか。
形のマジックにまんまとしてやられた感じだ。

残念ながら九州地区のみでの発売のようなので福岡以南に在住の人からのレポートが欲しいところである。

投稿者 TKM : 20:50 | コメント (0) | トラックバック

ブログを読んで笑う

もっとも気に入っているブログサイトの一つである「切込隊長BLOG」を読んでいたらあまりにヒットしてしまい部屋でひとり声を出して笑ってしまった。

笑いのトリガーになった箇所は次の二つ。もちろんこれらの部位の前後のテキストやエントリー全体があってこの箇所がいきてくるのだが。ポイントとしては下記の部分が直接の引き金であった。

気遣いは私の本分ではあるが、勇気を振り絞って長い顔の男に問うた。

「お前、うんこしたあと手を洗わないのか」

 その反応は意外なものであった。尻を拭いたとき、うんこが紙につかないキレの良い状態である場合はその手に汚れが付着することなど考えられない、したがって資源の節約を考えると手を洗うべきではない、と主張したのである。この野郎、無断で長い顔をしておきながら味な回答をしやがる。単にズボラなだけだろうが。そのとき私はそう思った

先日読んだ深夜特急(沢木耕太郎が長距離バスに乗ったときにトイレにいきたくなり、ウーウーと内面でうなっている描写)もそうだが語られる内容は普段の生活でわれわれが経験していることなのにそれがキレのある言葉で語られるとそこにギャップを感じて、それが何故か面白いのだ。

 長い顔の男が、低い声で言った。「そうか。実は手洗いというのは、小便であれうんこであれ、行為前と行為後に等しく行わなければならないのだ」

 これは私たちにとってコペルニクス的転換だった。

このコペルニクスという単語がまたイイ。この単語で議論・問題がいっきに武道館のステージにあがった感じになり、印象が転じる。
ここに面白さの本質というかリズムを感じてしまう。

笑いについてあまり考えたことがなかったが笑いにも形があるのだろうな。
調査予定にいれておこう。

投稿者 TKM : 16:45 | コメント (0) | トラックバック

リサーチ代行サービス開始

たまっていたメールにひたすら返事をだす。
20通程度なのだがまとめてやると結構たいへんだ。
ライブドア堀江氏は一日に5000通というからこの100倍くらいの処理スピードでメールをさばいているのだろうな。

夜になって少しホッとしているがかなり疲労困憊。
精神的にも肉体的にも疲弊しているようだ。

絵をかいていなかったのでペンをもってホワイトボードに描いてみるがマーカーのインクがきれかかっていて思うように描けない。心がまっすぐでないのかいまいちいいラインで絵がかけない。身体もそうだが心の方に根本的なオーバーホールが必要だと実感。

夜半、母から電話。
何事かと焦ったが不安はあっさり解消した。
なんのことはないPCのトラブルであった。

プリンタまわりのトラブルが発生していた模様で様子をヒヤリングしてから対処法を伝え解決。明後日からいくという登山の行程について必要情報をネットで調べて欲しいとリクエストされる。まかせておけ、とばかりにササーっと調べて該当情報を発見。明日、父にメールで送ることにして今晩の家族ミーティングは終了であった。

実家もADSLにかわってルーターもはいって複数台PCが常時接続になっている。さっそくSkypeをいれてもらおうかと思ったがあいにく、向こうのマシンはWindowsMeとWin98なのでSkypeが使えない。

実家にも新たにPCを設置しなければな、と思った。

ところで母と話していて思ったが「○○に関する情報をネットで調べて欲しい」というリクエストを受け代行して調査するというサービスは年配の人にはありだな、と思った。年配の人だけでなく、僕らも不得手な分野かつ調査している時間がなく、プライベートではなく仕事で必要なときなど「国内外のこれこれな情報」というオーダーであるレベル以上のクオリティでレポートしてくれるサービスがあったら使うかもしれない。その場合の適正価格とはいくらくらいなのだろう。

「商品力=調査を担当する個人への信頼性」ということにもなるかと思うがプライベートリサーチというのは面白い商品になるかもしれない。
リサーチしてみないとなんともいえないがアソブ研究所のメニューに追加しておこう。

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2004年11月17日

ブログの使い方

メモ帳がわりにブログに書き込んでいかないと以前みたサイトなどどんどん忘れていく。

・ブラウザでアソブファミコンソフト
http://lovefami.exblog.jp/

・ゲームボーイで演奏する人たち
http://www.gameboyzz.com/

投稿者 TKM : 11:58 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月06日

雑記

しんのすけに新一万円札をみせてもらう。
シールが貼ってあるみたいで少し違和感がある。

会合があったのだがドタキャンしてしまう。
いろんなことにもの凄く疲労していたようだ。

投稿者 TKM : 01:42 | コメント (3) | トラックバック

2004年11月03日

スキームの何故

嫌いな言葉。
「スキーム」という言葉。

僕は「スキーム」という言葉が嫌いだ。
この言葉をきくとTV番組の告白劇をみたときのようにきいているこちらが恥ずかしくなる。

なので僕はこの言葉を使うことはない。
が、ビジネスに酔ってる感じのビジネス系の人たちと話しているとこの言葉がポンポンとびだす。

「スキーム:scheme」は計画とかプラン、図式のことでビジネスだと事業計画とかそういう意味なのだけれどだったら「とこういうプランなわけだけれど」とか「こういう流れになってる」「こういう仕組みで、計画で」とか言えばいいと思うのだが。

わからんけれどこれって大学の頃によくみかけた日常生活でやたらと英語で会話したがる人たちに似てる。
日本での日常生活シーンで必要性がないのにやたらと英語を使いたがるタイプの人がいた。そういう人の多くは高校以降で留学した人が多かった。一方、小学校低学年とか生まれた頃から海外にいてどちらかというと英語ネイティブな人たちと話していると日本語で会話している限り日常会話ではほとんど英語を使わない。

そういえば芸能人も仕事時は化粧してるけれど生活シーンでは化粧してないな。
必要性のないこと、自然じゃないこと、はなんであれなんかしらの違和感が生じる、というか僕はそのように感じてしまうのである。

投稿者 TKM : 14:06 | コメント (2) | トラックバック

2004年10月29日

午後から福島へ

従兄弟の結婚式に出席するため午後から福島に戻る。
都内も夜になるとだいぶ寒くなってきたのでこちらの感覚だと福島は冬装備でいかないときついかもしれない。

この部屋は日当たりがよいので12月でも昼間は半袖で大丈夫なのがうれしい。今朝も4時過ぎに起き出してガタゴトといろいろやっている。朝方にサエコさんからFAXが届いた。

文面をみると「朝、築地にいきます」と書いてある。
電話すると「これから買い出しなんです。築地はじめてでワクワクしてます」と楽しそうな声が。依頼されている仕事の目処がついたことをお伝えし、来週、ミーティングの約束をして電話を切ると朝の出勤ラッシュがはじまったのか急に街に人が増えはじめた。

パワーを復活させるべく「はいばら」でうな肝丼をやってからスケジュール帳を買いに無印へ。「木の家」は盛況なようで見学者が絶えないようであった。

投稿者 TKM : 12:56 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月26日

川の向こうとこちら側

今朝の雑感。

世界にはいろいろな人がいる。
東京のそれまたマイナーな月島・勝ちどきエリアにも。

人間のかなり根元的なことに関係してくるのでこれ以上は書けない。。

これは関連しているけれど別な話。
サービスについて考えたこと。

サービスを「場」としての考えるとそこに集まってくる人というのはそのサービスの持つ空気に共鳴している人だと思うのだがその根本、根っこにある「素」はなんなのだろう。
人であろうか、物理的な場であろうか。

これは僕が子供の頃の話である。
車で隣町の相馬市にいくときに国道六号線を通ると山間にはいってすぐのところにレストランがあった。しばらくしてからそのレストランは改装されログハウスになっていた。喫茶系の店だったのがステーキ店になっていた。

ところがそれから数ヶ月するとそのステーキ店も閉まっていた。
両親いわく「あの場所は誰がやっても続かないんだ」とのことだった。
そんなことがあるのだろうか。
子供ながらに不思議であった。
場所的にはかなりいいポジションだったし、それぞれの店もみた感じは小ぎれいで悪くなかったように思う。

そこはどんな商売をやってもうまくいかない「場」だったのだろうか。
確かにその場所では次々に店が閉開店を続けていた。

変わった人、恐い人(この場合の恐いは暴力的という意味ではない)がきやすい「場」というのはあるのだろうか。たまに週末のWINZにいくと雰囲気に圧倒される。空間に渦巻く思考や思惑がムワっと押し寄せてくる。

新橋、銀座、東京はそれぞれ1kmも離れていない。しかし、銀座エリアと新橋エリアの境界。銀座エリアと東京エリアの境界は明確で共に首都高を挟んで雰囲気がガラリと変わる。こちらに住みはじめた頃から、あれが不思議でならなかった。何故あれほど明確に雰囲気が変わるのだろう。

新橋の一角に漂う空気は他よりも濃度が濃く感じられる。その空間だけ地場が歪んでいるような印象をうける。具体的にどのあたりということも言える。そこには何かがあるのだろうか。

月島と勝ちどきも運河を挟んで向こうとこちらなのだがここにもハッキリとした空気の違いがある。何がそれを感じさせているのかを「コレである」と明示することはできないのだが数メートルを境に確かに違いを感じる。

隅田川をはさんで同じようにテラスが整備されている。
月島側にホームレスの姿はない。
しかし対岸の築地側には多くのホームレスがテントを張って暮らしている。
空気の差を特にはっきりと感じるのはリバーシティ側からみて佃大橋の右側のテラスである。聖路加側でも佃大橋を境に空気が変わる。

++++++

午後から六本木ヒルズのイベントに参加の予定である。
しかし外は本降りの雨だ。

投稿者 TKM : 09:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月24日

日曜日、隣の小学校では幼稚園の運動会

晴れでよかった。
校庭には低めにつるされたロープに各国の国旗がはためいている。
子供達が走っている頃だろう。

今日はこれから直子さんの所で打ち合わせだ。
昼過ぎには終わる予定。
帰りがけ新宿で麺通団によろう。
今朝も徹夜であった。
急がねば。

投稿者 TKM : 10:12 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月23日

ひさしぶりにSQSのサイトにアクセスしてみた

久しぶりに久保君のプロジェクトをのぞいてみる。
今年も六本木ヒルズで発表があるとのことである。

早速、彼がつくっているアプリケーションを立ち上げて使用感を試す。
いつのまにかしっかりとしたソフトになっていたので驚いた。
こうやって形にするのは大変であっただろう。
地道に改良を重ねちょっとづつできあがっていくのだから。

ソフトの方向性はわかった。
プログラミングときいて「ウ、めんどくさそう」と思わない人であるならば簡単に使いこなすことができるだろう。

自分のような一般ユーザは心理的にハードルが高いと感じてしまう。
プログラミングの必要はないのだが雰囲気がプログラムっぽいのがその理由だ。
が、調整すればこなれていくだろうから大した問題ではないだろう。

もっとシンプルなバージョンがあったらよいなと思った。
しかし、ここから先はディレクターの「好み」や「個性」の問題だし、プロジェクトチームで議論されつくしているはずだ。外野がとやかくいうべきではない。

僕はソフトやサイト、サービスに接するとき、
自分がゼロの視点で接した時にどう感じるか、
なるべく考えずにフィーリングでとらえていくようにしている。
それが自分のポジションを微妙にしているともいえるのだがサービスを考えるうえでは必要なことだと思っている。

投稿者 TKM : 04:02 | コメント (4) | トラックバック

2004年10月21日

電車男と野球と台風

台風の夜。
夕方、「電車男」を探しに有楽町にでていた。
タケから電話があって月島で食事することになった。
「電車男」を入手し、書店をでて駅に向かう。
まだ雨は強くない。

月島に着いてから電話で店の相談をする。
久しぶりに「猪八戒」に行くことにした。
「猪八戒」は勝ちどきにあった「香風」(シャンフォン)の姉妹店である。
「香風」の店長が帰り際にかならず「シェーシェー」と挨拶をするので僕は「シェーシェー」という渾名で呼んでいた。
その店長が月島西仲商店街に開いた店が「猪八戒」である。

台風のためであろう店には僕たちの他にカップルが一組だけである。
西仲の他の店は早々に店じまいをしている。
メニューをめくると美味しそうな牡蠣料理の写真。
「これだ!」と思ってカキを注文するが品切れであった。
主曰く、台湾料理に最適の牡蠣がはいってきているので是非またとのことである。

角肉と青菜のせ飯と蟹と卵をあえて炒めた一品などを注文する。
相変わらずよい塩加減だ。
食べながらタケの専門分野であるスポーツビジネスについていろいろと話を聞いた。

先週、「イチロー革命―日本人メジャー・リーガーとベースボール新時代」を読むまではスポーツビジネス、特に野球について考えることなどなかったのだが読み進めるうちに日本のプロ野球やプロスポーツの多くは閉塞した状態にあるのだとわかった。

日本のプロスポーツの場合、企業がPR・広報手段としてチームを保有しているケースが多い。ライブドアがプロ野球への参入を発表した際に問題提起したのはこの部分である。チームが赤字で運営されていても赤字分は母体企業の広告費として扱われ補填される。広告費だと思えば安いモノ、というとらえ方だ。

しかしこうした構造だと広告媒体としての価値の有無によって競技の是非が判断されてしまう。人気があってたくさんの人の目に触れる機会があるスポーツはいいけれどそうでないスポーツの場合は「広告価値がない」→「広告を止めよう」→「広告(チーム)は廃止」と縮小へと向かってしまう。

プロ野球の場合も巨人戦を組むことで観客動員数が少ないパ・リーグへテコ入れし広告価値を高める、というのがセ・パ統合のねらいだったのだがライブドアの参入表明を機に「プロ野球=広告媒体」という構造はおかしいのでは?、という議論がなされるようなってきた。

数ヶ月前のライブドア堀江氏の記者会見以降、一連の買収騒動はライブドアによる売名行為である、という論調であったが「イチロー革命」を読んだいまは違った印象を受ける。勿論、PR・プロモーション的なねらいも重々あったと思う。

しかし問題の本質はプロ野球という競技がそれ自体で採算がとれるような構造になっていないということでJリーグのように各チームがそれぞれ自分たちでビジネスをおこない運営していけるような構造へと変わっていなければならないのだろう。

相次いで参入表明をしてきたネット系企業は次代のメディアとも言える。

昭和34年の天覧試合で野球がTVで日本全国に生放送されてから今年で45年。
天覧試合はTVの時代のはじまりであった。

おそらくあと数年で地上波はネットに置き換わる。
コネクティドTVになった時、そこでTV局の役割を果たすのはYahoo!などのポータルサイトになるであろる。ソフトバンクの持つBB網も強力なインフラとしてYahoo!のサービスと統合され浸透していくはずだ。

TVからネットへとメディアの中心が移行していくのと符合するようにネット系企業群がメジャースポーツの代表であるプロ野球参入へと向かうのは自然な流れなのかもしれない。
いちユーザとしてはより面白く、より高いレベルへと各プロスポーツが発展していくことを強く望むばかりであるが。

電車男
中野 独人


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2004年10月19日

激しく頭痛

凄まじく頭痛だ。
ストレスも相当にひどい。
しかしこれはゲームみたいなもの。

ストレスというのは自分を知る上で役に立つ。
弱さのポイントを起点に流れのどのポジションにいるのかを計測できる。

探検みたいなものでこれもなかなか面白い。

投稿者 TKM : 01:52 | コメント (2) | トラックバック

2004年10月14日

魔裟斗と山本“KID”徳郁

帰宅後、山本“KID”徳郁の試合を観る。
やってくれる。

ニュータイプである。

試合がどうこうとかそんなこととは関係なしに場の空気を変えてしまうその手腕、いや、パフォーマンスには拍手を送りたい。

言葉はいらないとはこのことだろう。品やコンテクストなどふっとんでしまう魅力がある。

が、最も印象的だったのは魔裟斗の笑みである。
惚れたね。
こういう笑みができる男でいたいなと思った。
俳優にもいい男はいるけれど方向性が違う。
山本から年末のダイナマイトでの挑戦をうけてニヤリとしながらも目はスワっと格闘家の目にかわり

「いいですよ。ルールさえあえば。K1ルールでは負けませんから」

といったあの姿は惚れるに値する。
いい男ってのはあああって欲しい。

比較はなりたたないが言論とか評論なんてこれほどどうでもよい世界はないなと思った。ひとりでもいい、負けても、死んでもいいからリングにあがってもいいよ、と思う人間がどのくらいいるのだろう。

特に言葉に関わる人々で。
言葉遊びに意味はない。
またその人々にも興味はない。
それだけ書いておきたい。

++++++

自分はいい友人に恵まれたなと思う。

投稿者 TKM : 02:45 | コメント (4) | トラックバック

カルビ館

ICCでのイベントの後、ヤサカさん、タドと話す。
会場ではパヤがいろいろと展示について説明してくれた。
久しぶりに江渡くんにもあう。
イベント自体はこなれた感じだった。

久々に参宮橋のカルビ館に顔をだす。
おばちゃんがとても嬉しそうな顔であった。
以前は週に一度くらいのペースでいっていたのだが数ヶ月ぶりだろう。
カキキムチとプルコギのサンチュ&味噌・ニンニク包みが最高であった。

何を話すでもないのだがこの時間が楽しい。

タドの話が実感がこもっていてかなり説得力があり、あれは世の人々も聴くべき話だと思った。
どうでもいいことにうんたらかんたらいってる閑あったらタドの話をきくべし。

投稿者 TKM : 01:11 | コメント (2) | トラックバック

2004年10月11日

ニュ−メディアの美学 / ヴァ−チャルイメ−ジの認知科学@三田

明日は久しぶりに慶應大学@三田へ。
フランス大使館主催のシンポジウムがおこなわれる。
山食のカレーも久しぶりだ。

2004年10月12日(火) 慶應義塾大学 三田キャンパス 東館6F G-SECラボ 
ニュ−メディアの美学 / ヴァ−チャルイメ−ジの認知科学  13:30 - 18:00 (同時通訳付)
 
ニュ−メディアの美学 (13:30 - 15:30)
パネリスト: ニコラ・ブリオ(パレ・ド・ト−キョ−現代創造センタ−館長)
アンヌ=マリ−・デュゲ(パリ第1大学教授、芸術・哲学)
ジャン=ピエ−ル・バルプ(パリ第8大学教授、デジタル文学)
ドゥ・ジェンジュン(ア−ティスト)
石田英敬(東京大学教授、哲学)
前田富士男(慶應義塾大学教授、アートセンター長)

ヴァ−チャルイメ−ジの認知科学 (16:00 - 18:00)
パネリスト: ダニエル・アンドレ−ル(パリ高等師範学校教授、認知科学)
コルコズ(ア−ティスト)
茂木健一郎(ソニ−コンピュ−タサイエンス研究所、認知科学)
廣瀬通孝(東京大学教授、バ−チャル・リアリティ)
渡辺茂(慶應義塾大学教授、心理学)
岡田光弘(慶應義塾大学教授、哲学)
大森貴秀(慶応義塾大学助手、心理学)

投稿者 TKM : 14:44 | コメント (0) | トラックバック

2004年10月05日

「暴走する世界・アンソニー ギデンズ」 ~箱根とヘミングウェイ~

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日曜からの雨はまだ降り続いている。
週末は箱根で過ごした。

平和な時間が流れていった。
夜、長い時間みんなで話をした。
それから温泉に入ってから布団にはいった。
明かりを消して眠ろうとすると金子が蚊の羽音を聞きつけ「退治する」と宣言しておきあがった。
四人で探したが蚊は見つからなかった。

朝早くに目覚めた。
外は雨だった。
左手の小指のつけねあたりを刺されたようで少しかゆかった。
もう一度眠った。

サヤカちゃん(2歳)がバタバタと走り回る音がとても遠くのほうで聞こえた。
耳栓をしてねたのですぐ隣の音が遠くに聞こえたようだ。
ふすまをあけると先生夫婦とリカさんがテーブルで談笑していた。

日曜の遅い朝。
みんなで食べる朝食は合宿のようでおいしかった。
合宿のようでではなく合宿なのだからあたりまえか。

一生合宿してたっていいと思う。
軍というものには憧れないけれどああした合宿生活は好きだ。
きっと自分がひとりで仕事をしているからそう感じるのだろう。

夫婦というものには憧れない。
家庭にも憧れない。
共同体の定義と仮想としてのイメージはすでに過去の伝統なのであろうと僕は思う。

数十年後の家庭はいまの家庭とは異なるだろう。

昨晩、アンソニー・ギデンズの「暴走する世界」を読んだ。
数ページ読んで面白い論考だと思ったので数ヶ月前に読み始めた。
100ページ程度の短い論考なのだが2章まで読んで途中にしてあった。
数ヶ月ぶりに残りの3章を昨晩、読んだ。

最終章で書かれていた民主主義についての論考が面白かった。
ただ情念の民主主義の具体的な形は提示されない。

「国家と市場、官と民といった二項対立的な社会観を払拭すべきである」

という言葉が印象的であった。

金子レナさんのレストランで相磯先生が「スタンダード」について話されていた。
なるほどSONYはすぐに独自フォーマットをつくりたがる。
野知さんの言葉じゃないけれど「世界のSONY」だったのが「世界はSONY」に変わってしまった印象を受ける。
eBookの画像派とデータ派の分裂はその一例であろう。

スタンダードの押しつけは迷惑でしかない。
だから反発を招く場合が多い。
例えばPS2や来るべきPS3を核としたネットワーク戦略をみていると自分がコマにされているようで気分が悪い。
PSPにしてもブルーレイディスクという独自のフォーマットやあたりまえのように提示される「動画版ウォークマン」な利用イメージには魅力を感じない。
追い立てられているようでなんだか疲れてしまう。

日本のITベンチャーが「テクノレバレッジ的」であることはどのような意味を持つのだろうかと少し考えた。

++++++

夜、ヘミングウェイの「日はまたのぼる」を半分くらいまで読んだ。
実は文学に疎い。
ヘミングウェイも「老人と海」と「キリマンジャロの雪」以外の作品は読んだことがなかった。
読み進めてすぐに思ったが日本語で読むと面白さが異なるようだ。
英語と日本語ではストーリーは同じでも印象は違う。
「グレートギャツビー」を読んだときもそう思った。

翻訳の問題はこれから更に重要度を増す。
翻訳論という意味ではなく、別なフェノタイプとして翻訳問題が顕在化するだろうという気がするのだ。情味の面だけでなく関連的な問題として。

意味とは関係によってあらわされる不可視な存在だと思うから。

日はまた昇る
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2004年09月07日

食い倒れDVDと徹夜でフライト

今朝は徹夜のままフライトである。
朝一番でやまけんと羽田で待ち合わせ。
昨日、準備でバタバタしていたが仕事もバタバタ立て込んでおり自己管理能力のゆるさを自覚する。

問題の一因はモバイル環境が無いことなのだろうな。
仕事柄モバイル環境が必須であることをあらためて実感した。
現地ではやまけんからシグマリオンを借りる予定なのでテキストワークやメールの処理は問題ない。一安心である。

メールに関しては読むだけならばケータイでOKなのだが返信の際にはどうしてもキーボードがないときつい。ブログの方もテキストならばアップできるだろう。PCが一台あれば家にいようと島にいようと大差ないのだから不思議なものである。

タドにDVカメラを借りたので今回は初の「食い倒れDVD」の撮影になる。
戻ってきたらGCFカネコに手伝ってもらって製作となる。
DVの編集は久しぶりだ。

超がつくほど特定されたユーザに向けてつくられるタイトルになるが面白い試みであることは間違いない。楽しみである。

あとは最近の読書・映画録。

村上春樹「アフターダーク」読了。

アフターダーク
村上 春樹


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ナレーションがラース・フォン・トリアーの「ヨーロッパ」を思わせる。その成果、ナラティブが変わるごとに映画のシーンがよぎる。久しぶりに「エレメント・オブ・クライム」を観たいと思った。

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「ハリーポッター 不死鳥の騎士団 上・下」読了。

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ファンタジーの王道をいく構成。しかし…。長い。長すぎる。そしてハリーが「かわいくない」。この巻のハリーは自分とそっくりだ。自分の嫌なところを指摘されているようで耳が痛い。いや目が痛いというべきか。
とはいえキャラの設定。王道をいく憎まれキャラの描写など物語に引き込む構成力は素晴らしい。外伝でハリーのお父さんの物語ができたら、彼のストーリーは結構ハードボイルドでいいだろうな、と思った。

「誰も知らない」を観る@銀座シネカノン。

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一部ネタバレのレビューです
救いは多分ある
見る前から結末は分かっていたのに

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主演の少年がなぜああも絶賛されたのかようやく理解した。この映画は虚構の時間に現実の世界の時の流れを取り込んでいる。彼が魅力的なのは映画という限られた時間内で精神的に、生物的に、彼が成長していくからだ。撮影に一年という時を投じ、作品ではその実時間を圧縮しているのだから当たり前といえば当たり前なのだが。それでも見まごうばかりの変化。子供が少年あるいは青年へと変貌を遂げていく様は頭ではなく胸の奥で理解しているような、そう映像を自分の内部で生命力と時間に解体し再構成しているようだった。観ている自分が何歳なのかを全く忘れた。
家においていかれた時のあの気持ちは経験のないものにはわからないだろう。
前述のハリーと似ているが僕には少なからずそうした記憶があるのだろう。それは恐怖なのかもしれないな。と思うが克服すべき感傷でもある。(追伸:前にも話したが僕は映画をみながらその不条理(実在主義の用語の方ではなく)ともいうべきがんじがらめなキプールのような泥沼にずっと「信号」をみていた。この信号は今後数年で巨大化・複雑化し、不可視のうちに人を絡め取っていく。我々がみつけなければならないのは信号の攻略法なのだ)

「ヴァン・ヘルシング」を観る。

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脚本の参考にと思ってみた。思った以上にバランスとテンポが悪いがCGは強烈であった。強引すぎるみせかただ。正直いって見終わっても何も残らない。しかし…。じゃあつくってみろと言われたらあの脚本だってそう簡単には書けないだろう。よく映像化したものだ。惜しまれるのは会話とモンスターの心理描写がチープ過ぎる点である。ヘルシング自身もアニメ版とくらべるとコミカルに描かれすぎだ。もっとダークに「スリーピー・ホロウ」系の抜け方をすれば案外名作になったかもしれないのに。

う…待ち合わせの時間までもう2時間ちょっとだ。
で駅探で調べたら「6時15分 勝ちどき 発」であった。あと2時間もない…。

昨日、野知さんから「マチとものがたり」の相談を受けた。
宮島さんに相談してみることにした。

僕とGCFカネコでやっている「デジタルコンテンツ」とは全く違う方向の「コンテンツ」だがこうしたサステイナブルなコンテンツクリエーションも別な面白さがあるのだと思う。

昨夜も少し話をしたのだが僕の興味は基本的には「異化」を基本とする「創造の源」や人間の感覚・能力のドライブ感にある。そこには様々な問題を解くヒントの結晶がある。

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良くも悪くもスティーブン・ソマーズでした。
ある意味狂った映画

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さてここで曲はアンダーワールドの「Dinosaur Adventure 3D」に変わった。しかし、この状態で毎週大学で授業をやってるとはヤサカ御大、流石である。14日の未来館メンテナンスが楽しみだ。今度こそ我々のポートフォリオにくわえておかねば。と、丁度、作品の作曲者でもある坂本さんの「1919」に曲が変わった。

投稿者 TKM : 04:29 | コメント (3) | トラックバック

2004年09月05日

ムツゴロウの記憶

愛用している無印の無地のノートが切れたので買いにいこうとするが橋を渡ったところでDVDを返却しなければならなかったのを思い出して月島に戻る。

来た道をもどるのは芸がないので聖路加の前を通って帰る。
すると聖路加の前で防災訓練が行われていた。
巨大な緑色の塗装は自衛隊のトラックである。

小学生の頃、コロコロコミックに連載されていたムツゴロウさんの自伝を楽しみにしていた。覚えているのは3つのエピソード。一つはお父さんと鳩を撃ちにいって山ほどの獲物を収穫する話。当時ムツゴロウさんは満州にいた。お父さんは軍医だった。最初ムツゴロウさんは鳩撃ちなんてカッコよくない、もっと派手な狩りがしたいそう思った。でも初心者には鳩が最適なんだ、というアドバイスに従って猟にでることにする。
鳩猟は散弾を使って真下から樹を撃つ。鳩は枝にとまっているので撃ち逃すことがない。しかも一発でたくさんをしとめられる。大量の獲物を手に意気揚々として二人は帰宅する。食卓にはこれでもかというくらいにつくられた鳥料理が並び、ムツゴロウさんは猟の悦びを知るのだった。

あとはお父さんと二人でどこかに出かけて寒くて遭難しそうになったときに「ムツゴロウこれを食べろ」とお父さんは道ばたにあったホオズキをムツゴロウさんに手渡す。囓ってみるとシャーベット状になったホオズキは寒さを忘れさせてくれるおいしさだったそうだ。これをみてホオズキというのはどれほど美味しい果物なのだろうと思って家の周りを探してみた。みつけて囓ってみたらとても食べられたものではなかった。

そして本題。
自衛隊のトラックをみて思い出したのはこんな逸話だった。当時から軍用のトラックはかなりパワフルにできているらしく。ムツゴロウさんのマンガには「30cmくらいまでの水深は走ることができるんだ」のようなセリフがでてくるシーンがあって。トラックは巨大な水たまりに突っ込んでいく。それをみてこっちは「なんてスゴイ車があるんだ!」とえらく憧れた。男の子の特性なのかもしれないが水陸両用車のようなどうでもいい機能がついている車に萌える傾向がある。

さきほど聖路加の前でみた自衛隊のトラックをみていたらそんなことを思い出した。

あのトラックならば確かに30cmくらいの水深ならば楽に超えられそうだった。車幅も通常の車の1.5倍はあった。それとナンバープレートが数字数桁の一列になっていて緑色の車体とその記号からは日本ではないものが感じられた。

月島に帰ってきて買い物をしてから出直そうかと思ったら雨が降り出した。
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