2005年07月04日
夜も素麺
食べ終えての感想。
粗食だけれど満足度は高い。
というか美味しいです。
投稿者 TKM : 19:30 | コメント (1) | トラックバック
2005年03月08日
『終戦のローレライ』 ~プレゼンテーション映画論~
取り急ぎメモだけ。
興行的には成功すると思われる。
というのは原作に比べ異様に抽象度が薄れており、踊る大捜査線的プレゼンテーション映画になっている。
主演の役所広司は相変わらず熱い演技だ。しかし、後半にいけばいくほどセリフが説明的でラストはハリウッド映画スタイルの 「主旨解説演説」になっている。(実際、説明的な演出が気持ち悪くて最後の方は直視に耐えなかった。他の登場人物もしゃべりすぎだ。 あんなにヘラヘラした軍人がいてたまるか)
複線になるエピソードも端折られていた。
また、「ブラックホーク・ダウン」なアリ地獄的狂気の戦場モードも随分緩和されている。
けれどCGだけで戦闘アクション映画をつくってしまうのはスゴイなと思った。
なにせ潜水艦の内部以外のほとんどの映像がCGである。
ゲームソフトレベルといわれていたが、あなどるなかれ、CGで2時間を魅せるのだからスゴイ。
この手法は今後どんどん増えていくだろう。
僕の提案だがこうした映画は別カテゴリに分類して考えてはどうだろう。
様々な映画を同じ視点で比較してしまうから「いいとか悪い」「内容がない」「リアリティに欠ける」
という感情がわき起こってきてしまう。
同じように劇場で上映されているがこれは映画の手法をつかったプレゼンテーションである、と考えるならば見方もかわってくる。
劇場でなければ観ることができないキツイ映画こそ劇場力を使って観るべき、というのが自分の考えである。なので僕はこの作品の場合、 DVDで観るのがベストだと思う。その方が満足感も高くなるのではないか。1800円払って劇場で観ていると思うから辛口になるわけで。 500円でレンタルして観ていたならば結構満足してしまうかもしれない。
逆に黒沢明の「七人の侍」や先日みたタルコフスキーの「ノスタルジア」 などは劇場でみると素晴らしいが家でDVDでみると視聴するのはとてつもなくツライ。優劣という話ではなく、 コンテンツの方向性によってベストの視聴環境というものがあるのだ。
※原作である書籍版「終戦のローレライ」はエンターテイメント作品としてかなりオススメである。 素晴らしい筆力としかいいようがない。長大だが映画的映像世界が展開され、読後感は良質な映画鑑賞終了時の充足した感覚と似ている。
投稿者 TKM : 05:11 | コメント (3) | トラックバック
2005年03月04日
モーターサイクルダイアリーズ
夕方に連絡がきて急遽「モーターサイクルダイアリーズ」
へ。
明日で終了のせいか劇場は混み合っていた。
恵比寿ガーデンシネマは上映作品が独自のセンスで選定されるため映画好きな人が集まるのだろう。観客のマナーはかなり良い。 混雑とは裏腹に極めて快適な映画鑑賞であった。立ち見席もでていた。 2時間立ったまま映画を観るという経験はこれまでの人生では一度もないけれどラクではないだろう。
映画についてだがゲバラ役のガエル・ガルシア・ ベルナルは本作で異様に爽やかな好青年を演じており、一瞬でひきつけられてしまった。こんな人が実在するならあってみたい。「アモーレス・ペロス」での汗くさい雰囲気も嫌いではないけれど本作でみせるしなやかさは若者の姿そのものであった。
作品についての解説はオフィシャルページに詳しいのでそちらを参照して欲しい。
自分は南米という土地にいったことがない。
だからスクリーンの中の風景しかしらないわけだがそれでも土地のもつおおらかさは伝わってきた。
劇中、
南米大陸社会の影なる部分への批判的な演出がいくつか見受けられた。
この問題に関しては自分は言及することを避けたい。
実際に現地にいってみないことには感じたことを語るにも言葉が出てこない。
縁があれば自分も南米大陸に足を踏み入れることがあるだろう。
タイミングがあえば友人が南米に帰国する際に連れて行ってもらうつもりだ。
彼女の家は大きな農場なので向こうで一ヶ月くらいは滞在することができるそうだ。
前にきいたら、家の前にある川でドラド釣り大会を開催しているといっていた。
今年、幻の魚を釣る機会が訪れるだろうか。
++++++
この世界は生きている人の世界だ。
一昨日の夜のこと。
同時代を共有していて、同じ時代に生きているのに争うというのはひどくマヌケなことだ、と、四谷のスターバックスでノートに書きとめた。
数十年くらいの時間に過ぎないけれど時を共有していることはものすごく大きなつながりなのではないかと思った。しかし、
人はあまりにも些末な問題にのみ悩み、コミュニケーションを閉ざしていく。
何故だ?
帰りの電車に乗車しながらうつらうつらしていると大門駅で乗車してきた20代の男性が隣に腰掛けた。
彼はつかれているのか酔っているのかドカリと座ると眠りこけてしまった。
投稿者 TKM : 00:17 | コメント (2) | トラックバック
2005年03月01日
サマリア キム・ギドク
キム・ギドクの新作が公開直前なのだが全くノーマークだった。
「悪い男」は昨年みた映画の中で最も印象の強い作品の一つである。
(「悪い男」についての感想は「悪い男/キム・
ギドク」というエントリーで書いたのでそちらを参照してください)
最新作「サマリア」でも言語以前の儚さかさや切なさ、
哀しさが映像化されている。
決して楽しい映像ではない。痛い映像でありストーリーだ。しかし、その根底には人間の普遍性への信頼を感じずにはいられない。
おそらく僕が魅力を感じているのはそこなのだ。
++++++
余談だがこうした本性に働きかけるタイプのコンテンツは合理性とは異なるシステムによって創出されるように思う。
前にも書いたがある種のコンテンツには「つくりたくてつくっている」というアプローチが機能しない。
「つくらざるえないからつくる」
そうした苦々しさが必ずどこかに潜んでいる。
制作者、作家という枠を超えて人間存在の本性に響いてくる何かが存在する。
どちらのコンテンツがいいかという議論は不毛だ。
それらはフォーマットを同じくするかもしれないけれど別なカテゴリーにあるものだ。
人はおうおうにして「より苦痛を低減させるであろう選択」をする傾向がある。
しかし、回避的なアプローチではたどり着くことができない感覚もある。
生きていることが実感できるのは常にそうした感覚や体験の向こう側なのだ。
これもまたコミュニケーションの問題である。
投稿者 TKM : 03:29 | コメント (0) | トラックバック
2005年02月25日
映画「波止場」 vol.2 久しぶりに観た完璧な映画
■波止場
マーロン・ブランド、カッコよすぎである。
中盤以降、不正との対峙に決断を迫られ、迷いから脱した後の彼の表情にはしびれた。
そしてヒロインのエヴァ・マリー・セイント。
あの目はすばらしすぎる。あんな表情ができる人がいるのだな。
俳優、女優の力をみせつけられた。
久しぶりに見た完璧な映画だ。
それにしても劇中であんなにカッコよく見える俳優は他にジェームス・
ディーンくらいしか思い浮かばない。
当時の人々のスゴさにただただ唖然であった。
先日書いた「ストーカー」 などの抽象的な描写の多い映画とは方向性は異なるけれど僕はこういう映画も好きだ。「波止場」はドラマ系エンターテイメントの王道である。 波止場を舞台にヒロイズム、苦悩、大衆心理、それらがエネルギッシュに描かれた傑作だ。勿論、現実にはああはいかないだろう。でも、 これは現実ではない。映画なのだ。映画は映画であることに注力すればいい。それが映画の使命だ。
それにしてもだ。
「うーん」と唸ってしまった。
この時代の映画、素晴らしすぎる。
人はいい映画を観なければならない。
プロモーションだけの映画やプレゼンテーションのような映画をみてもったいない時間を過ごしてはいけない。
それは人生において大きすぎるコストだ。観客が育てば映画も育つ。
よい映画をつくるのに必要なのは映画と観客のポジティブなフィードバックループだ。
コンテンツの生成においてはそのスパイラルが最も重要なのだ。
陽方向にスパイラルが機能すれば政策やトップダウンの意思決定などとは関係なく良質なコンテンツは創造されるのである。
投稿者 TKM : 19:35 | コメント (0) | トラックバック
映画「波止場」 vol.1 ~マーロン・ブランドは男の色気がプンプンであった~
■波止場
特殊効果や派手なアクションはないが出だしから強烈に引き込まれる。映像のリズムがいいのだ。
この時代の映画に特有なのだが主役が登場した瞬時に映像が全く別なモノに転じる。「駅馬車」でジョン・ ウェインが登場するシーンもそう。 同じセットや場面なのに雰囲気がガラリと変わる。まさに情報の相転移である。 創造性について考察をしていることが多いのでこうしたシーンには強く惹かれる。 だから意味やコンテクストが重なり合う時間を折りたたんでいる映画作品をみるのは面白くてやめられない。「転じる」 という瞬間には創造のエネルギーが凝縮されているのだ。(私の「異化」への強い興味も同様の理由による)
最近の映画とは存在感が異なる映画である。日本映画でこういう感覚にとらわれることは少ないのだが、この間みた 「レイクサイドマーダーケース」では似たような時間があった。
「薬師丸ひろ子」の存在がまさにそれであった。 彼女が登場しているシーンになると映像の重みが変わる。 女優一人で何が変わるのか、 と思うのだが彼女が出てくると転じるように場面に重厚さが増すのである。なんとも不思議な感覚だ。
「波止場」では出だし直後にいきなりマーロン・ブランドが登場する。
「顔」の輝きが他のキャストとは全然違う。ひとりだけ妙にキラキラしている。ヒロインもそう。開始直後に彼の親友が殺されてしまうのだが、
その妹イディ(エヴァ・マリー・ セイント)も場違いなくらい美しく輝いている。
(照明のあてかたも違うのか?)
同じくマーロン・ブランド主演の「欲望という名の電車」でも誰が主人公で誰がヒロインかが一目瞭然にわかる。 見始めてすぐに気づくと思うがヴィヴィアン・ リーとマーロン・ ブランドだけが劇中で浮きまくっている。
あんなカッコいい労働者がいたらコワイ。「波止場」「欲望という名の電車」ともに画面の中にはマーロン・ ブランドの妙な色気がムンムンしている。実際にあの時代のマーロン・ブランドと対峙したら猪木などより更に濃厚な「男」 なオーラが漂っていたのではないだろうか。
映画の内容については次のエントリーで触れていきたい。
投稿者 TKM : 14:03 | コメント (0) | トラックバック
2004年12月31日
正月な映画
アソブログの方で正月にみたい映画というのをカネコと二人であげてみた。
あえてメジャー系のみという縛りをいれてあるので知名度の高い作品ばかりだがあと30本くらいオススメがある。後ほど追加するとして、下記はエンターテイメントとして損のない何本かです。
●ミシシッピーバーニング
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南部を舞台とした映画で人種差別がテーマの刑事ドラマ。
ウィレム・デフォーがFBIのエリート捜査官役、相方の地元の刑事役はジーン・ハックマン。南部で起こった黒人民主活動家殺人事件の真相を暴いていく。
人種差別問題という重いテーマを扱った映画だがミステリーとしての脚本も俊逸なので飽きさせない。刑事物の傑作。
●イヤー・オブ・ザ・ドラゴン
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師匠のバシが「大好きなんだよね」といっていた一本。
一番印象的なのは恋人とのラブシーンの途中でパンツいっちょで立ち上がったミッキー・ロークの靴下のマヌケっぷりが素晴らしすぎる。ストーリーはハードボイルド調のNYのチャイナタウンを舞台に麻薬組織との攻防を描いた刑事ドラマ。
●駅馬車
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図書館で借りてはまった一本。
ジョン・ウェインが素晴らしすぎ。アメリカ的いい男の理想像が描かれている。月並みな言葉だが映画の中のジョン・ウェインは本当にカッコいい。印象的なのは彼が最初に画面に出てくるシーン。その瞬間に世界がパっと変わる。このシーンを観るだけでも価値がある。ストーリーも王道的で飽きさせない。駅馬車に乗り合わせた男女が次の町へつくまでの物語なのだが。ダイナミックなアクションシーンの連発。インディアンの襲撃やそれぞれが抱える人間模様などが織り交ぜられ最後まで全く飽きさせない。現代では絶対につくることができないと思われる絶妙なバランス感覚が素晴らしい。名作。
一番好きな西部映画の一本。
●ミラーズ・クロッシング
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大学時代の恩師、カサネイブ先生に勧められてみた一本。いは有名になってしまったコーエン兄弟の映画。夢遊病者の夢の世界のような色彩感覚が良い。ストーリーはいたって単純で二人のギャングが一人の女性を巡って争うというオーソドックスなものだが問題はモードである。ギャング映画というカテゴリーには絶対に入らない。舞台はギャング世界であるけれどこの世界観はオリジナルである。
何せガブリエル・バーンのセリフが最高にカッコよかった。うろ覚えだがボロボロにやられた状態で
「痛めつけるぞ」
みたいな脅しセリフの後、
「mentally? or physically?」
と答えるのだが全編がこのトーンで統一されているのだ。
セリフのセンスが素晴らしすぎ。
●トップガン
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正月というと久々にこの映画がみたくなる。トム・クルーズの出世作。ストーリーは説明する必要もないだろうけれど、トップガンと呼ばれるエリートパイロット養成機関での訓練生達の奮闘を描いた作品。
僕が好きなのは基地の町での酒場でのナンパシーンだなやはり。
「エクスキューズミー」
と友人が声をかける。
マイクを持ったトム・クルーズがすかさず振り返り、
「You never close your eyes..」
と歌いながら口説き始める。あのバカっぷりが最高でカラオケで何度もマネして遊んでいた。
(この辺で出発の時間が…きました。メジャー系でもあと30本くらい紹介しておきたいのに)
●処刑人
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ミシシッピーバーニングのウィレム・デフォーつながりで少し尖っているけれどこの一本も正月に楽しめるのではないだろうか。銀座でみたんだけれど、久しぶりにやられたなあ、と思った。あの遊びっぷりはスゴイ。
なにせウィレム・デフォーにあそこまでやらせるのだから。
現場でいきなりクラシックを大音量でききながら恍惚とした表情で推理を開始。後半では女装までしてるし。全編ハードなアクションの連続なのだがデファミリアライゼーションが効いていてグラングランと世界観がふりまわされる。新世代エンターテイメントな一本。10代ならぜひ観て欲しい。
アイルランド出身の兄弟がマフィアとの抗争の果てに神をみるといった素晴らしい内容。
あの脚本を書いた監督がうらめしい。
投稿者 TKM : 17:02 | コメント (0) | トラックバック
2004年11月13日
『華氏911』マイケル・ムーア 冒頭のこれもアメリカ議会なのか?僕が小学校の頃の生徒会長選挙に似ていた
マイケル・ムーア監督「華氏911」を観た。
銀座でもやっていたのでいこうと思っていたが何となく先送りにしてしまっていた。
そうこうしているうちにはやくもDVD化され、先日レンタルビデオ店の棚に並んでいるのを見つけた。
熱気溢れる選挙の結果発表の場面から映画ははじまる。
画面にはアル・ゴアの姿。
映像からはみなぎる自信が伝わってくる。
ところが、中継の途中で様子が変わる。
FOXNewsの中継でブッシュ当選確実の報が発表されたのである。
以後、他のTV局もブッシュ当選を発表しはじめる。
疑惑のフロリダ開票シーンのライブ映像をはじめてみた。
公開当時、「華氏911」は過度に偏った編集であるとの議論もあったがそれにしてもこの映像をみせられると「こんないい加減な選挙がありなのか?」という気持ちになってしまう。あの手この手でフロリダの票を操作しているように見える。
上下両議会の大統領選の結果を承認する議会では選挙結果の再調査の必要性を下院議員達が訴えるが異議の申し立てには最低でも上院議員1人の同意が必要なそうで、誰1人再調査に同意する人もなく、感情に訴えた叫びがむなしく響くのであった。
この様子があまりにもドラマ的な感じでハリウッドの映画をみているようだった。
以後、週刊現代の特集ページばりのスキャンダラスな演出でアラブの王族とブッシュ家との蜜月な関係が語られていく。それにしてもアラブのオイルマネーが米国経済全体の7~8%を占めているとは知らなかった。
映画では9.11の直後、米国の航空交通網が停止し、人々が空港で足止めされる中をヴィン・ラディン家の人々だけが悠々と国外に脱出できた背景にはこうした理由があるとしていた。
とりあげたくなるテーマがたくさんあったのだが僕にとって一番インパクトが強かったのは冒頭の選挙を巡る茶番じみた現実であった。
映画中盤以降の戦争の風景や悲惨さ、不毛さを映像と音声で目の当たりにすると楽しいわけはないし、こんなことするもんじゃない、と重い気持ちになる。
しかし映像をみた後で、僕は食事をし、シャワーを浴び、眠ってから起きて、翌日は自転車にも乗っている。こういうことが何なのか自分にはよくわかっていない。ネットの記事、ブログなどでも戦争や国のことや政治のことを扱うとすぐに匿名の書き込みが来る。そのほとんどは「あんたは間違ってる」とか「所詮、○○だな」とか批判とも否定とも愚痴ともつかない何をいいたいのかがわからないコメント群であったりする。
それをみてまた似たようなモードの意見群が集まってきては離散していく。しょうじき、それが何なのか自分にはよくわからない。何をしたいのかもわからない。ある人が何かを考えた、自分もそれに対して何かをいいたくなった、それはいい。議論はいいと思うのだが。
しばらくすると口汚い罵りのようなものや馬鹿にしたものいいが多くなってしまう。
理解とかコミュニケーションという言葉はそれほどダメで馬鹿にされるようなことなのだろうか。斜に構えたものいいも嫌いではないし、そこから議論が深まる場合もある。面と向かって話していれば違うのだろうけれどネットだとそうならない場合が多いように見える。言われた方もいう方も何ら得ることがないような言葉のやりとり。そういうのも時々は面白い。でも、しばらく見ていると言い回しで遊んでいるように感じられ疲れてくる。
++++++
話を冒頭の選挙のシーンに戻そう。
やはりあのシーンは印象的であった。
一国の首相、しかもアメリカという大国の大統領を決める選挙が綱渡りのようなあやうさと隣り合って行われていた。偏った編集のドキュメンタリー映画の映像であるということを念頭においてみていたのだがあの有様はあまりにも危うすぎる。僕は日本という国にいてたまたまそれがずっとあったからこれは無くならないように思っているけれど、国もそもそもは人が集まってやってるわけで、それがどうなるかなどわからない。
自分がどういう立場をとる人間で何を考えているからどうこう、ということではなく、さっきふーと全体を思い返してみたら、やはりあのシーンが気になった。そして、いまもその感じは続いている。
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投稿者 TKM : 20:37 | コメント (2) | トラックバック
2004年11月07日
オールド・ボーイ ユ・ジテの表情にノックアウト必至!
潜在的な疲れがたまっていたのだろうかクラクラとしてきて午後8時過ぎに眠る。
起きると午前7時。
11時間も眠っていた。
午後8時まではスバル座で「オールド・ボーイ」を観たり、皇居で少し休んだりとごく普通の休日を楽しんだ。
「オールド・ボーイ」は以前、原作のマンガを読んでいたのだが当時4巻くらいまで出て最終巻がなかなかでなかった為、ラストがどうなるのかは映画をみるまで知らなかった。このような結末であったのか。
この映画、導入部の設定が抜群に面白い。マンガの雰囲気とはかなり違う。主演の役者さんの熱気が強すぎて、最初、「ウッ」と思うのだがしばらくすると慣れる。

(これが主人公。スゴイ熱気である)
ある男性が会社帰りに失踪する。気がつくと小部屋に監禁されている。問題なのは監禁の期間だ。彼は15年間、その部屋に閉じこめられることになる。さながら現代版モンテ・クリスト伯である。物語が異常なのはある日、突然、彼が解放されることにある。物語はここからスタートする。
「誰が?」そして「何故?」を巡る彼の追跡がはじまる。
上記が大雑把なストーリーなのだがこれがまあなんとも予想以上のパワーとハチャメチャな描写で描かれている。展開がはやいので2時間、飽きることなく見続けることができる。
で、ここからが本題だ。
けれどこれ以上ストーリーについて書いてしまうとネタバレになるので別な視点から書いておきたい。この映画で僕が「オイッ!ちょっとまて、コレは……」と思わずつぶやいてしまったシーンというか人物がいる。
主人公を監禁した相手「イ・ウジン」役の「ユ・ジテ」である。
この人の存在感なしにこの映画はないと僕は思うのだが…。というのは理由があってこの人、ぜんぜん悪役顔ではないのだ。目尻が下がりすぎた高橋克彦といったルックス。しかし、このちょっと泣きそうな表情が抜群にイイ。チェ・ミンシク(シュリでは北朝鮮の兵隊長役)演じる主人公の狂気な演技もダイレクトに視覚と感性に訴えてくる。例えるならばテキーラとか強烈な香りの酒。しかし…、ユ・ジテの存在感はまるで日本酒。飲み口は水のようだけれどしばらくすると世界がまわりだし、その酔いはなかなか醒めない。
あの表情で何故、悪役。このギャップが僕は好きでその辺りにいそうな青年なのに設定では韓国有数の財閥の総帥。あり得ない。あの表情、あのトーク。韓国映画恐るべし。

(この表情で悪役である。金城武と高橋克彦を島田伸介で割った感じの表情が最高だ)
日本でもTVで売れている俳優を起用したり、ルックスでキャストを決めることで話題をつくるというやり方をあらためてこの路線でいってもらいたい。と書きつつもまたユ・ジテの写真をみてしまう。あらためてみてもやはり良い。この良さは映画でみてもらうしかないが下記にいくつかリンクを紹介しておくのでその片鱗だけでも感じてもらえれば幸いである。
補足:チェ・ミンシクだが劇中、幾度か役所広司に似ていると感じた。顔がということではなく演じ方や存在感という意味だが。
・オールドボーイオフィシャルサイト
http://www.oldboy-movie.jp/
・ユ・ジテ君のために
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7651/
・マンガ版原作
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投稿者 TKM : 08:01 | コメント (1) | トラックバック
2004年08月10日
「悪い男」キム・ギドク
仕事が一段落した後、有楽町シネカノンに向かう。
どうにか時間に間に合う。
しかし驚くべきことに「誰も知らない」が満席とのこと。
この映画で有楽町シネカノンが満席になるとはにわかには信じがたいものがあった。
これもメディアの力なのだろうか。
どのような客層が劇場に足を運んでいるのかが気になった。
部屋に戻り、仕上げを終えてから「悪い男」を鑑賞。
なんとなく気になったので念のためと思ってみはじめる。
のっけから俳優の存在感に圧倒される。
ムンとした雰囲気が画面から漂う。
あのタイプの映画、といってはいけないのだろうけれどどうしてもATGの雰囲気を思い出す。「痛い」映画である。
いくつかの映画のシーンがよぎる。
マジックミラーになっている鏡をたたき割るシーンは「恋人たちのアパルトマン」を思い出した。あとなんだったかな、いくつか思ったのだが。そうだ、あれだ、渡哲也の「仁義の墓場」だ。ストーリーは異なるが冒頭と前半の暴力性と絶望はあの映画の救いのなさと似ていた。全般的に様々な映画が混じっているような印象を受けた。どこかでみたシーンだな、と幾度か思った。
が、そんなことはどうでもいいのだ。
むしろ主演の二人の強烈な存在感でまとめあげていく乱暴さに逆にひきつけらえた。その1時間前にみた「幸福の鐘」(SABU)は悪いとは思ったが途中から倍速でみた。映画から「生命の躍動」が感じられなかったからだ。一方、「悪い男」はDVDとはいえエンディングまで画面をみつめさせる映画力をもっていた。
綺麗な映画がいい映画ではない。
面白い映画もいい映画ではない。
いい映画とは「生命の躍動」でなければならない。
映像がパワフルである必要はない。
そこにあればいいのである。
流れていく時間と映像の中でしか存在しえない躍動の痕跡が。
欠片でもいい、気配でもいい。
思考にたどりつくまえのまだ言葉になる前の世界の一部が純粋な形で含まれていればいい。それが自分がコンテンツに求める唯一の条件である。
++++++
映画をみていてメモしておきたくなったことについて書いておく。
自分は「けがれ」が苦手だ。つくりものの映像とはいえ人がけがされるのをみることは耐え難い苦痛である。
映画の中で主人公の女性は逃げ場なくけがされていく。救いのない人々の狭間で落ちていく。現実には「ありえんだろそれ」と思うが先日放送された「世界が100人の村だったら2」では先祖代々生まれながらにして「奴隷」の少女の姿があった。あんなものがなぜ現存しなければならないのか、とやるせなさと納得のいかなさに感情的になり、「なんなんだそれは」と強いいらだちを感じた。
同種の感情はスパーフリー事件やコンクリート殺人事件など細部を知れば知るほど強まる。弱者に対する絶望的な暴力や破壊が許せないのだ。そこには何の根拠もない。
テストステロンの暴走ですまされる問題でもない。
「夜がまた来る」、「悪い男」など全部に共通している、自分はあの手の卑劣・愚劣は許せない。勿論、それらが人間の精神の深部とリンクしているとも思う。人間をテーマにしながらも「もののけ姫」が売れたのはどろどろした得体の知れ無さと暴力による、とする意見もあながち嘘ではないと思う。
が、それはわかっているけれど、「所詮そんなの綺麗事だ」と自己の立場をひきの位置に定位し守りによって安泰を享受するのは違うと思う。
全ての物事を正誤に二分化できるわけではない。
しかしそれは時間という軸をくわえた次元全体のマクロでの話であって、自分という個人、人間の中での正誤ははっきりしていてかまわない。自分はそういう立場をとる。
綺麗事であろうとなかろうと人の持つ醜なる部分に対して自分は嫌悪を感じる。自分もそうなっている場合も多々ある。それでも絶えず「肩の鳥」は忘れたくない。
※肩の鳥は"モリー先生との火曜日(原題:Tuesday's with Morrie)にでてくる仏教の話で自分の肩に鳥がいると思ってその鳥に「自分はこれでいいのか」「やれているのか」と話かける、そこに鳥がいるなら大事なことを後回しにすることはない、という話。
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■悪い男公式サイト
http://www.kimki-duk.jp/badguy/mainFrame.html
投稿者 TKM : 03:52 | コメント (2) | トラックバック
2004年07月28日
「マッハ!!!!!!」 ~タイパワー爆発 燃えよ肉体~
都内にもどって一日目。
やけにバタバタした一日であったが地道に雑務をこなす。
夕刻過ぎ。
「マッハ!!!!!」を鑑賞。
ジャッキーを超えたノースタントアクションに拍手喝采。
ムエタイアクションというニュージャンルの誕生である。
映画の内容はない。
全くない。
村から持ち去られた仏像の首を取り戻すべく村の青年がバンコクへ冒険の旅に出る。といった全くなんのひねりもない活劇である。ところがこの映画がやけに面白いのである。映画を観ていると言うよりも気分はWWEである。アメリカンプロレスにPRIDEとK-1の「キレ」を加えたようなアジアンアクションが満載だ。
セリフだけを聴いているとタイ語の柔らかい語感にほんわかした気分になるがこれが相対的にアクションシーンのすさまじさを強調する効果を発揮している。
ノーワイヤーアクション、ノーCG、ノースタントをうたっているのは伊達ではない。要所要所にストップモーションで再現されるアクションシーンの数々は全盛期のジャッキーを遙かにしのぐ。圧巻はバンコク市内で行われる逃走劇で町中のアイテム、屋台や車などを使ったアクロバティックな「ラン」。これには度肝を抜かれた。通りから走り込んでくる車と地面の間の50cmの隙間を開脚したままのスライディングで通り抜け、職人が運んでいるガラス板の間のわずか30cmほどの隙間を側転する。はては車を飛び越えるのに前方二回宙返りをかまし、飛び上がって10人ほどの追っての肩を走り抜ける。ほとんどマンガの世界だが主演のトニー・ジャーはこれをノースタント、ノーCGでこなしていくのである。
この役者何者であろうか?
劇中、その問いが絶えず繰り返された。
オフィシャルサイトで経歴をチェックすると撮影所の雑用係をこなしながらタイアクション映画の重鎮パンナー・リットグライからスタントを習い。剣術、テコンドー、体操を学び「モータルコンバット2」でスタント・ダブルの後にこの映画で主演とのことである。
一言で言って「躰力(からだぢから)」な映画であった。ノースタント、ノーワイヤー、ノーCGの迫力は画面からも十二分に伝わってくる。体術以外の見せ場は全くないのだがそれが「魅せる」のである。撮影方法も体術の映えを重視した手法が多用されておりそれがまたアクションシーンの過激度をアップしている。観ていて思わず「ウォー、これホントかよ?」と何度もため息をついた。CGを全く使わない実写でマンガを体現するとこうなるという最高の見本であるし、アジアンアクションの新たな風といって過言ではあるまい。映画界のK-1ならぬムエタイアクションの今後に期待するとともに格闘技大国の日本を舞台にした怒級のアジアンアクションムービーを実現したいものだ。
※ともかくみていて体術の異様さに笑ってしまう。
投稿者 TKM : 08:32 | コメント (4) | トラックバック
2004年07月11日
[映画] スパイダーマン2
そういえば先日「スパイダーマン2」を観た。
感想を書くのを忘れていた。

■見所はCGよりも「もどかしさ」
CGに関しては少し慣れてしまった感がある。それでもスパイダーマンとDr.オクトパスの活劇は素晴らしい。CGなしでは表現不可能なバトルシーンが展開される。
ストーリーの明快さと「もどかしさ」。この映画の魅力の本質は主人公をめぐる「もどかしさ」にあるように思う。これといって難しい話ではないし、新しい仕掛けがあるわけでもない、まさにハリウッド王道系のシナリオなのだが万人を物語世界に引き込んでいくリズム感とパターンのバランスが絶妙である。
「弱さ」と「成長」を取り入れた主人公の描き方がさらに感情移入をしやすくしている。主演のトビー・マグワイアがみせる正直さ、清々しさ、「もどかしさ」はどこかしら東洋的で日本人好みだと言えるだろう。
といろいろ解説してはみたが「スパイダーマン2」は明快さの中にも、やるせなさや、信念が描かれたアクション映画であり。心理的な「もどかしさ」を含む様々な「面白さの典型」がバランスよくまとめられた作品で夏の娯楽映画としてはかなりオススメできる。
また娯楽作品ではあるけれど安易な勧善懲悪で構造を単純化していないのもよい。それが主人公をめぐる「もどかしさ」を構成する要因にもなっている。
大人から子供まで、猛暑の都心へわざわざ出て行って鑑賞しても満足できる一本だと言えるだろう。
※補足:スパイダーマンの物語構造だが小学生の頃にみた榊原郁恵主演のドラマ「婦警さんは魔女」ととてもにている。魔女としての能力を使って事件を解決するのだが、それゆえに自分の思いを上司である国広富之つげられないもどかしさ。これと同種の「もどかしさ」が「スパイダーマン2」の物語基盤になっている。それと中盤で主人公がビルからジャンプするシーンだがヴィム・ヴェンダースの「ミリオンダラー・ホテル」を思い出した。
■スパイダーマン2公式サイトhttp://www.sonypictures.jp/movies/spiderman2/
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投稿者 TKM : 16:32 | コメント (0) | トラックバック
2004年03月01日
[映画] ヒッチコック「鳥」 映像の文法とコンテンツ化
昨日久しぶりにヒッチコックの「鳥」を観た。
高校生の頃に観て以来だから15年くらい経つ。
鳥の映像と人が演じるシーンがどのように合成されていたのか覚えていなかった。
改めて合成シーンに注意してみてみると思ったよりも出来がいい。
いかにも「合成しました」という映像ではない。
背景との明るさが異なるので合成であることはすぐにわかるのだが酷いというほどではない。
DVDについていた特典映像のドキュメンタリーによれば「鳥」はブルースクリーンではなくナトリウムプロセスという特殊な手法によって撮影されていたとのことである。
映画の主人公でもある鳥の映像は埋め立て地で数ヶ月にわたって撮影されたものが合成され使われていた。ドキュメンタリーによればヒッチコックは映画制作においてプリプロダクションを創作活動のメインに据えていたらしい。プリプロダクションとは俳優やセットを配し、ロケを行って撮影する前に行うシナリオ作成やストーリーボード(絵コンテ)の作成である。この作業が映画制作の9割をしめるとさえ言っている。
「鳥」のストーリーはシンプルでパニック物の典型的なパターンに沿っている。
不釣り合いな男女(お堅い弁護士と奔放な若い金持ちの女)の物語→鳥の異常→事件→鳥の襲来→パニック→脱出。舞台とキャスト、敵の種類が違うだけでこの構造はどのパニック映画でもだいたい同じである。
この映画における鳥vs人間のシーンは最近の映画のCGIと比較すればどうしようもないくらいにチープだ。俳優が鳥と格闘する場面では一目で作り物とわかる鳥を相手に必死に演技をしているのがわかる。
恐怖におののくシーンではその場に存在しない鳥を相手に演技しているため俳優の動きはぎこちないし、セットで撮影されたシーンはすぐにそれとわかる。それがまた安っぽく見えてしまう。しかし映画としては実に面白い。全く飽きることなく最後まで惹きつけられる。映画の出来というのは映像の質とは違う部分にあるのだなあ、と思った。
では「鳥」では何が映画の面白さをつくりだしているのだろう?
その秘密はやはりプリプロダクションでの徹底した作り込みであろう。鳥に関するあらゆる事件をリサーチし原作とは異なる舞台設定でつくられた映画版の脚本(この作品には原作本があるのだがそちらでは設定は全然ちがう)の出来がいいのは当然として丁寧に作り込まれたストーリーボードの映像を見ると映像化する手前ですでに映画の原型ができあがっているのがわかる。特典映像をみるとわかるのだが絵コンテをつないで音をつけただけで映画としてはほぼ完成しているのである。
また、以前は全く気にせずにみていたが10年を経てあらためて作品をみてみると一つ一つのカットのタイミングが絶妙であることに気づく。
長すぎるシーンや短すぎるシーンはない。
それぞれの映像はベストのタイミングで挿入されている。
ところどころで使われる鳥の映像も効果的である。
例えば最初は数羽だったカラスが徐々に増えていくシーンでは主人公の女性がたばこを吸うカットと背後のジャングルジムを撮すカットが切り替わるごとに背景のカラスが倍々に増えていく。主人公が振り返るとカラスで黒山と化したジャングルジムの姿があらわになり表情が恐怖に転じる。こうした主観と客観の切り替えタイミングによって一瞬で映画の世界にひきこまれる。
残酷なシーンやリアルな戦闘シーンがないにも関わらずシーンとシーンの効果的な切り替えタイミングによって緊迫感が高まっていく。そして極限まで高まったところでプツンと糸が切れるように場面を構成する全ての要素が同時並行的にグチャグチャに動き始める。このダイナミズムは凄まじい。
こういうのを文法というのだろう。
この文法をうまく利用すればふつうの映像でも変質させることは可能だと感じた。学習発表会や運動会の記録もこうした映像の文法にのっとって撮影編集されるならば意味が全くちがってくるはずだ。単にパッケージ化するのではなくエンターテイメントの手法を用いて日常をコンテンツ化していく。
そうしたサービスが今後は求められるようになると思う。
デジカメが登場するまえは撮影したフィルムはカメラ屋にいって現像してもらわなければならなかったので写真を撮ってフィルムをお店にもっていきしばらくして現像されたプリントを見るというプロセスに「面白さ」を感じていた。
ところがデジカメだと現像する手間がない。
撮った先からプレビューで確認できる。
そのため「撮る」という行為の希少性が薄れアウトプットである映像の出来や面白さに焦点が移ってきた。
「誰が何をどう撮ると面白いのか」
それが問われ始めたのだ。
しかし、デジカメの「使い方」はマニュアルで説明できてもコンテンツ化のマニュアルはほとんど存在しない。経験や感性というあやふやな言葉でごまかされ全く手つかずの状態で放置されている。だから、ネット上にあふれている動画・静止画のほとんどはコンテンツ化の文法がなくつまらない。コンテンツ化されていないので「面白く」ないのだ。
僕が注目するのはここだ。
コンテンツ化の手法に感性は関係ない。その意識と手法があればある程度まで「面白さ」をつくりだすことは可能だ。そこから先が感性の領域である。学校ではこういう教え方をほとんどしないのでコンテンツ化の手法はほとんど学ぶことがない。けれどコンテンツにも文法はあるのだ。それは科学といってもいい。あらゆる「面白さ」にはカタチがある。
ジョーゼフ・キャンベルの「千の顔を持つ英雄」を参考にスターウォーズがつくられた逸話は有名だがどんなものでもいいのだ。TV番組でも笑いでも何でもいい。「面白さ」には必ずカタチがある。(無形であることがカタチである場合もあるけれど)
笑ってはいけない状況だとくだらないことどうでもいいことでも何故か「面白く」感じて笑ってしまう、という経験はないだろうか。笑いを引き起こす内容は毎回違うかもしれないが笑いが生まれやすいコンテクストは確かにある。笑いにもカタチはあるのだ。
ヒッチコックの「鳥」はパニックや恐怖をコンテンツ化する文法の一つである。
多くのパニック映画はほとんど同じプロットで「敵(鳥)」を別な生物に変えただけといってもいい。細部や結末は異なるかもしれないが「面白さ」の素の部分は共通している。
カメラやビデオなど道具の操作方法はどんどん簡単になっていく。
となれば次に問われるのは道具を使って何をするかである。
何をどう撮れば「面白いのか」。
その道具で自分は何をするのか。
デジタルによって生活の場においても「物事をコンテンツ化してしまった方が人の生活はもっと楽しくなる」という考え方が受け入れられる方向に向かいつつあるのだ。
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投稿者 TKM : 10:00 | コメント (0) | トラックバック





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