2004年08月06日

「カラシニコフ」 AK47と呼ばれる自動小銃

連日の夏日である。
昨日、タケとも話したが気温がこの猛暑の中を自転車で歩き回っているとジリジリと照りつける太陽に身体が焼かれているような気分になる。

皇居をぬけ四谷の上智大学あたりまではどうにか気合いで乗り切れるがそこから先が微妙な上り坂になっていてこのあたりで気力が萎えてくる。気温も最高潮に達する。

車に乗っていると気づかないが自転車で道路を走っているとまわりの車がえらく熱をおびていることに気づく。燃焼機関を内蔵しているのだから考えてみれば当たり前なのだけれど通り抜けざまにヌオっとした車の熱気が迫ってくると都市がいぶされているみたいだ。
今朝も早々に目覚めたのだが洗濯をして朝食を食べ打ち合わせに向けて調べものをしてとやって予定していた打ち合わせが急遽キャンセルになった。

時間があいたので図書館に寄って日経二紙をチェックする。
「カラシニコフ」という本をみつけた。

カラシニコフとは通称AK47と呼ばれる自動小銃の名前である。
1947年にロシアのミハイル・カラシニコフ氏によって設計・開発された。
世界の紛争地域には必ずこの銃が存在する。
現在、地球上には一億丁におよぶAKがあるとみられる。

アフリカ・シエラレオネでのもと少女兵へのインタビューから本書はじまる。
それが現代の地球の話であることにリアリティが感じられない。
そのくらい自分が生きてきた数十年とは乖離した世界があった。
自分たちとは全く違う世界を少しだけかいま見た。
と、同時にここにいること自体がおそろくし幸運なのだと思った。

憂鬱の先端としての憂いはあるし、問題がないわけではない。
しかし少なくともこの国では夜に眠っていていきなり街がゲリラに襲われ、数百人の子供が連れ去られ、10歳の少女達が全員レイプされ、奴隷化され、少年・少女兵に仕立て上げられ10代という時間を絶望の中で過ごすということはない。

悲劇を報道しろとかそういうことを言ってるんじゃない。
しかしもうバラエティを尊ぶ時期は過ぎ去っていて、もっともっと知るべきことがあるのではないか。

それを口にすることは自分の驕りかもしれないけれど、でも、自分らがまともになったら他は知りませんというのは違う。

豊かであることとか楽しさとか面白さとかいろいろある。
でもそこまでいけないものごともたくさんあって、それがどういうことなのかを考えなければならない時期なのだ。

いや、それを考えないと人の根本部分だけがすり減っていく。
物事は単体では存在していない。めぐりめぐって全ては関連して異国の全く無関係に思える物事が思いも寄らない現象を引き起こす場合もある。

出来事は無視してはいけないのだ。気づいたことには意味があるし、それは関連性の渦のどこかにある。それを考えなければならないのだ。

大きな流れだけれど流れはたしかに存在する。
そして僕たちはその流れの中で生きている。

カラシニコフ
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カラシニコフを廻る旅-『失敗した国家』との付き合い方

投稿者 TKM : 16:01 | コメント (2) | トラックバック

2004年08月02日

鉛のバラ

丸山健二の小説を読んだ。
初めて読了した。
タイトルは「鉛のバラ」。
高倉健を主演にみたてて書かれた小説である。

映画であれば物語として受け入れることができる。
しかし小説としては別である。

どうしても。
最後がどうしても気になるのだ。

小説表現における心情の言語化によって引き起こされる違和感なのだろうか。
いまだ底に落ちてこない。

鉛のバラ
丸山 健二


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投稿者 TKM : 04:26 | コメント (0) | トラックバック