2004年10月09日

「日はまた昇る」 ~男と女の関係についての物語~

「東京アンダーワールド」
「日はまた昇る」

読了。
久しぶりに得た至高の読書体験であった。
二冊の本は全く性質の異なる著作である。
「東京アンダーワールド」はノンフィクションであるがおそらく日々量産されるどうでもいい小説群よりはるかに面白い。時代と人々が交錯し描き出す東京・日本のもうひとつの歴史像はさながら日本版ゴッドファーザーを観ているようだった。文句なしに面白い。未読である読者をうらやましく思う。残念ながら一度読んでしまったいまは本作をもう一度、はじめて読むように楽しめないことが悔やまれる。

対してヘミングウェイのデビュー作「日はまた昇る」は最初こそ冗長的とも言える会話に辟易したが時折あらわれる主人公の思索部分での表現と物語によってテキストの向こうがわにあらわれる感覚の表現は一読に値する。(それにしても対話表現はあまりにも冗長的で半分以下に削るべきだ。あの冗長さのせいでかなりの数のユーザ、いや読者が作品の本質に触れるまえに本を放りなげるだろう。げんに僕もそうだったし。根拠はないけれど画面で文字を読むようになっていこう「読む」における適切なテキストの形態が変化してるように思う)

2年前、米国に行くときに成田の本屋で買った本書は本棚のかたすみに放っておかれていた。何を思ったのか先週のある晩、本書を持って近所のファミレスに休憩にでかけた。

ドリンクバーのカフェラテを飲みながらどんな作品か知らずに読みはじめた。

全く予想していなかっただけに驚いた。
「日はまた昇る」は恋愛小説であった。

本作をどう解釈するかは人によって違うようだけれどそれが僕の第一印象だ。
物語のベースになっているのはブレットという女性と主人公の関係である。この作品を高校生や大学生の頃に読んでいたら全く違った印象を持っていただろう。

ブレットの描き方が俊逸なのである。
女性を描くとはなるほどこういうことをいうのだろう。

彼女の像はある意味女性の本質だと思う。
物語が矢印や棒、丸や四角をつかって状態を説明する図のかわりにつかわれている。男性と女性の違いの一形態を言葉で説明するには言葉の意味ではなくその後ろにある関係性を使わなければならない。それを思った。

僕が一番好きだった場所は第14章の冒頭からの主人公の思索と16章中盤の闘牛士にブレットを紹介し少し席を離れる前あたりだ。

物語という存在しない時空と場と関係性の世界での話だけれど男と女がこうつきあえたらいいなと思った。

映画「ケン・パーク」の終盤にあるユートピアなイメージが少しかぶった。
文庫本のあとがきにある大久保康雄氏の言葉を借りるなら個人主義的・芸術至上主義的なモード、気配となるだろうか。

この情報感覚は物語という形式によってしか表現しえないのだと思う。
小説の底力、文字表現の奥深さなのだろうか。

いい映画を観たあとに夜の街を余韻にひたって歩きたくなるが同じような気持ちになった。

文藝春秋の最新号で佐野眞一が「ハリポッター不況」について論考を寄せている。ハリー・ポッターシリーズは僕も全巻読んだが。面白い本だとは思うがつくりだすモードは「日はまた昇る」の読後感とは全く異なる。私見だけれどコンテンツがマーケティング指向になるにつれて書籍は分厚くなり反比例するように内容はやせ細ってきているのだと思った。
書店で売られているほとんどの本は何一つ印象を残さない程度の薄っぺらなものだ。

外は台風の影響で雨が降り続いている。
姿勢が悪かったのか立ち上がると腰が痛かった。

※そうそう途中でも書いたが本作を10年前に読んでいたら自分は全く違った感想をもっただろう。これはコンテンツがかかえる最大の問題のひとつである。関係性によって意味や価値が変容するのだ。それと帰り道で文芸について考えた。人間の本質がかわらないのだから時代がどうあれ物語が提供され、それをコンテンツとして楽しむということはずっと続くというような意見を読むときがある。けれどそれは違うな、と思った。おそらく形態は変わるのだ。

投稿者 TKM : 05:20 | コメント (2) | トラックバック

2004年10月02日

「あかね空」 山本一力著

山本一力「あかね空」を読む。
江戸の時代にいきたことなどないのだが風景が思い浮かぶのは何故だろう。
隣町の門前仲町近辺が物語の舞台なせいか親近感をおぼえた。

後書きで絶賛されていたのでパラパラと10ページほど読み進める。
風景と人物が勝手に動きはじめる。
情景が思い浮かぶのだ。

その景色につられてページをめくりつづけた。
読書の楽しみとはこういう時間をいうのかもしれない。

時代物はあまりよまない。
読むのは「かくれさと苦界行」など隆慶一郎の作品くらいだ。

山本一力。
作家の名前は知っていた。
作品は読んだことはなかった。
メディアに露出する回数が多くNHKのドキュメントでとりあげられていた。
そのドキュメントによればバブル期に彼の奥さんの実家(酒屋だったと思う)が所有する土地に数十億の値がついた。彼はそこにビルを建て、賃貸収入と電子広告の提示による広告収入というビジネスを思いつき事業をスタートさせる。しばらくしてバブルが崩壊。
ビル建設の資金は消え、借金だけが残る。以降、執念の文筆量で借金を返済していく。ドキュメントではその様が描かれていた。

穏やかな口調だが目は作家のそれであった。
ある種の作家は書くことが好きで書くわけではなく、書かざる得なくて書くのだろう。
これは私見であるがおそらくきっかけは何であれ高度な作品が完成するための域が存在し、そこでは個人の持つ背景は無意味となる。

どんな理由があれ、それが苦渋にみちたものであれ、悦びを発端としたものであれ、作品を創る最後の最後で人は自己との対話あるいはその先を経験しなければならない。それが見えるかどうか。それが作家の作家性であり「つくる」の根元であろうと僕は思う。

あかね空
山本 一力

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投稿者 TKM : 03:45 | コメント (0) | トラックバック