2004年09月24日

仕事に適した時間帯って?

ふと思うのだがコンテンツ系の仕事って徹夜というか明け方の効用が結構重要で寝ないでやってると段々と思考がズレてきてハイになるというか眠さの深度があるレベルでブチっと切れて急に目が冴えてくる。

するといろいろと関連する物事が思い出されつながっていくというのがパターンとしてあるような。これが朝3時~5時かあるいは5時~7時くらいに起きやすい気がしているのだけれどこれにもなんか意味があるのだろうか。
どうなんだろう。

頭痛がしたり、なんかいまいち冴えないなぁと思いつつもそこで粘ってると段々「もしかして面白いかも。いやなんかいまやってるのって面白いぞ」みたいな変化があらわれ、気づくと時間を忘れて集中していたりする。でも夜から朝にかけてじゃないとこのスイッチは入らないないわけで清田くんもいってたが多くの人が眠ってる時間に起きているというのが関係しているように思うのだ。

僕は午前10時頃から午後6時くらいまでの東京時間に仕事をするというのが苦手だ。
ブレストや共同作業ならOKなのだがひとりで何かやろうという気にならないのだ。

投稿者 TKM : 07:09 | コメント (0) | トラックバック

2004年09月03日

時間の使い方

メールバックやサイトの更新などが遅れている。
時間配分と効率が落ちてきているのだ。
集中力の低下が原因の一つなのだがもう一つ環境の問題も大きい。

基本的に家にいる限りPCやネットワーク的な環境では問題ない。
しかし移動や打ち合わせ、外での作業などが介入するとその間、ネットワークを利用したコミュニケーションのチャンネルが閉じてしまう。

メールやネットワークでの作業ができないからといって直接、仕事に支障がでることはないようにみえる。けれど僕はここに大きな落とし穴があるような気がしている。ふと思ったときにメールバックできなかったり、調べたい時にオンラインでなかったりすることで時の気配やタイミングを一度失ってしまうとそれを取り戻すには数倍の労力と時間を要することが多い。

仕事や作業もやる気があるときにガーっとやってしまえばすぐに終わるが元気のある時に別などうでもよい事柄にそのパワーを振り向けてしまうとそのツケはすぐにやってくる。大事な時にエネルギー不足に陥り、精神的、肉体的に数十倍の負荷を余儀なくされる。

こうした流れは確かに存在する。感覚的なものなので見過ごしてしまいがちだが一日の中でも自分の力がピークまで登っていく時間とそうでない時間がある。このピーク時に現在の自分が抱えている最も大切な物事に集中していくことができればそこから変化が生じ、流れへと転じていく。

「いま」という時間の自分は人生という大きな時間の単位、或いは一日、一週間、一ヶ月、一年という短期、中期という時間の中でどの位置にいて何をすべきなのかを一日の中で少しだけ考える。それだけで時間の使い方は変わってくるはずだ。

よく言われることだけれど時間というものは誰もが等しく持っている資産である。その資産をどう使うかによって現在・過去・未来は変化していく。どの時間もいまというこの瞬間の自分に折りたたまれているといってもいいだろう。この時間の積み重ねが過去と未来をつくる。

ではどのようにいまを過ごせばいいのか。
答えはない。というのは結局のところ自分が何を求めるかによって全ては変わってくるからである。またその希望も固定されたものではなく次の瞬間には別なものに置き換わっているかもしれない。おそらく啓蒙書でいわれるような「具体的な目的」というものはそれほど重要ではない。具体的な目的に向かっている時のその流れ、あるいは時間、気配、自分という存在が集中していること、のような対象ではなく関係性に価値があるというのが僕の考えである。

それをある人は「勢い」と呼ぶだろうし「流れ」という場合もある。だがそれも違うのだ。勢いや流れではなく自分というこの身体をもった存在が活動していることこそが重要なのだ。循環といったらいいだろうか。

入ってきたものがロスゼロで別なエネルギーに転じ、時にはそれ以上の出力に変わるような感覚。おそらくそれらは躍動の体験として認識される。

時間の認識能力。自己の状態の認識能力。それを鍛えていくことで分野や対象に関係なく能力を向上させていくことができる。

できる人とできない人の一番の違いは時間の使い方にある。

投稿者 TKM : 01:33 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月28日

移動と閃き

午後は閃いて友人と二子玉川で会合。
友人の女性が言うように移動と閃きはリンクしている。

投稿者 TKM : 14:13 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月27日

ストーリーは突然に

GCFカネコとの新作のストーリーを練っている。
ずっと脳にブレーキがかかった状態だったが先ほど少し抜け出しイメージが逸脱しはじめた。良い傾向である。ストーリーを練る際に重要なのは「遊び」である。これがないと「面白さのツボ」がズレてしまう。

こうなってくるとしめたものでストーリーに自分が巻き込まれていく。自分でも続きを知らないのだから展開していくのが面白い。感覚としては目を覚ましたまま夢をみているような感じといったらいいだろうか。

子供達がおもちゃでやっている「●●ゴッコ」に近い。大事なのは最初の逸脱である。これができればあとは雪崩式にイメージが展開していく。プロデュースやディレクションばかりやっていたが自分でやってみるのはまた違った面白さがある。

しかし存在していない世界をつくりだしていくというのは面白いが大変なことだ。考えるとか努力とは無縁といってもいい。大事なのはストーリーが動き出すその瞬間である。この流れをうまくとらえればスラスラと進むが捉え損なうと何をやっても動かなくなる。

そもそもストーリーとはどこから生まれるのだろう。
ストーリー、物語とは何なのだろう。
どうして面白いのだろう。

投稿者 TKM : 01:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年08月02日

地と図 ~傷つくことは悪くない~

睡眠もまた多分に心のありようと関連している。

信用、あるいは信頼とは裏切られる覚悟をきめることでもある。
裏切られてもかまわない、それを含めて信頼する。
コミュニケーションとはこうした信頼にもとづいて行われなければならない。

傷ついたと感じる時、人は嘆いたりかなしんだり、辛く途方にくれるけれどそれは大きな飛躍のチャンスでもある。心の揺れは方向がどうあれ人の深部に働きかける。

自己の心のありようは事象とは本来関係がない。
何をどう感じるかは自分次第である。

付け加えるとダメージが大きければ大きいほど飛翔は高くゴールは近い。
傷が深ければ深いほど心は豊かになるチャンスを得る。
ばからしいほどに単純な話であるけれどこれはおそらく正しい。

地と図の関係である。
生きている限り全ては磨き砂である。
何事も起きないことが幸せなのではない。

感情がゆれないことは不幸なのだ。

幾つかの方向性があるけれど信頼ベースで感情がうねりの咆吼をあげるとき人の感覚はドライブする。
そして人と関係性を活性化させる。

問題視しなければならないのはうねりや揺れではなくダイナミズムの停止なのである。

投稿者 TKM : 05:08 | コメント (2) | トラックバック

2004年08月01日

孤独の効用

今年も花火の季節だ。
この部屋からは東京湾花火大会がみえる。
今年はPRIDE GPと重なってしまったかと思っていたら一日違いの8月14日が花火大会だった。ベランダにイスをおいてゆっくりと眺めることにしよう。

最近よく思うが孤独というのも悪いものではない。
遅いか早いかだけでいずれ自分も他者もこの世界から消えていく。

安易に友人や恋人といった手近な関係に没していくくらいなら孤独に対峙していたい。
理解やコミュニケーションがないと嘆き、凡庸な安らぎに埋没する。
みためにはそれも悪くない人生だろう。
しかしそれは人に迷惑をかけない、という程度の人生でしかない。
ひと味違う人生をおくるにはひと味違うやり方を見つけ、実行しなければならない。

僕は優しさや思いやりというものは大切なものだと思っていたけれどそれらが自分の人生でどれほどの意味をなしたのかはわからない。好きだからやっているだけで人はそんなものには興味などない。

メディアや人は「楽しめ」とか「面白いこと」をしなければならないと人を追い立てるがそれはまやかしだ。時間には感情なんてものはないし、優しさがあろうと思いやりがあろうと誰が何をしていても地球は回り続ける。

依存が悪いとは思わないがシナジー(相乗効果)は弧から生じる。
自律と相互依存のバランスポイントとはそういうことだと思う。

時間の枠をとりはずしたところにある理解やコミュニケーションの持つ力は絶大だ。
人にとって最大の悦びは「理解」と「コミュニケーション」である。

しかし理解やコミュニケーションがないからといって悲観する必要はない。
マーケティングでいうところの差別化みたいなもので誰にでも理解されるものは誰にも理解されることはない。

だから「理解されない」を経過しない理解は存在しない。

この世界は基本的に与えることに関して自在である。
愛情でも幸せでも与えるのは簡単だが獲得しようとすれば果てしない困難と直面する。

投稿者 TKM : 13:27 | コメント (0) | トラックバック

状況マネジメントという考え方

異様なストレスと対面しつづけているわりには結構よくやっているではないかと時々思う。しかしそれが理由で感覚にブレーキがかかっているのも確かである。

自分のベストパフォーマンスを発揮するには状況をマネジメントしなければならない。
これは自分だけでなくあらゆる人にあてはまる。

自分の場合そこでズレと歪みが生じている。
いやもう何年もの間、歪みっぱなしである。

かろうじてタイトロープで感覚をキープしているに過ぎない。
ベストパフォーマンスとはほど遠い。

性格とは絶対的なものではなく状況に依存するものである。
パワフルでワーっとパワーがムンと伝わってくる人がいるけれど、その人個人がそういう人であるというよりは取り巻く状況がそうさせている場合が多い。そういう自分でいられる状況をうまくつくりだす、そういう状況のマネジメントが上手なのだ。

ガンガンいってる感じの人も状況が変わると急におとなしくなったりするし、そういう人の場合、病気になると急に弱気になる場合もある。逆にひ弱な人の方が病気には強かったりもする。

ではどうすればベストパフォーマンスの実現を可能にする状況マネジメントができるようになるのか?

まどろっこしいようだがこの問題についてはアスリートと競技の関係、試合と結果の関係などを参考に考えていくことにしたい。結論からいうと「状況マネジメントはサイエンスである」という認識にかえていくこと。これが状況マネジメント術をマスターするスタート地点である。

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コメントスパム対策としてメニュー画面でコメントを一括削除できるように改造した。修正したのはmenu.tmplのJavascriptとCMS.pmのコメント表示数。これで数百に及ぶコメントスパムの削除は完了。

投稿者 TKM : 12:23 | コメント (0) | トラックバック