2004年08月04日
コメントスパム対策(プログラム編)
またしても大量のコメントスパムが襲来したので今回は大本の部分から対策を練ることにした。変更を加えたのはmt-comments.cgiというブログにコメントを投稿するプログラムファイル。対策法は下記のサイトの方法を採用した。
プログラムファイルに直接アクセスしてコメントを一気に書き込んでいくというコメントスパムを防止するためにフォームから投降する時に特定の文字列を埋め込み、それがないとコメントとして登録できないようにした。
これでブログへのコメントはフォームからしか投降できないようになった。
果たして効果は劇的であった。
あっさりとコメントスパムが止まった。
しかし何故にこの世の中にはコメントスパムやスパムメールといった人の迷惑にしかならないプログラムをつくる人々がいるのだろう。その能力を別な方向にいかしたらいいのにと思うのは自分だけだろうか。
投稿者 TKM : 12:55 | コメント (0) | トラックバック
2004年07月06日
[ブログ] 個人サイトの無断組み込み問題について
KAIZUKA-DO FREE SOUL: 僕のエントリーが本人の了承無く、自動的に、特定の有料サービスのダシとして勝手に使われている件に関して
というエントリーを読んだ。
上記のエントリーに関して激しく同意する。
最初に同様の問題を感じたのはカカクコムの社長さんの話をきいた時である。カカクコムの収益の内容などを細かく説明してくれたのだがそこでカカクコムにおけるコンテンツとしての掲示板の有効性を強調されていた。
その場でのメモ、
「では掲示板に書き込んでいるユーザへの還元はなされなくていいのか?掲示板のテキストがサイト価値を高めているのだとしたらそれが無償であるのはおかしいのではないだろうか?」
Livedoorが未来検索を有料サービスに組み込んでいるのをみてその有効性はみとめつつもカカクコムに感じたのと同種の違和感を覚えた。
協調を欠いているところが問題なのだ。
KAIZUKA-DO FREE SOULで指摘されているように「使われた人」という立場が抜け落ちている。使われることを同意した上での利用ならば理解できるがこのやり方はあまりにも安易すぎる。
この問題はまだ表面化していないが遠からず大きな問題に発展していくだろう。
ネットワーク環境がより面白い方向に発展していく方法を模索するためにも個人コンテンツと有料サービスへの無断での組み込みという問題については今後もフォローしていきたい。
投稿者 TKM : 07:41 | コメント (1) | トラックバック
2004年06月12日
[ネット関連] ようは中身の問題さ
僕がずっと心待ちにしているソフトがある。
デジタルステージが放つLiFEシリーズ第2弾。
「<ID for WebLiFE*>」である。
このソフトも先日紹介した「NOTA」同様、<ID for WebLiFE*>もHTMLを書かなくてもハイエンドのウェブサイトを構築することができるのがポイントだ。デジタルステージのサイトにサンプルがあるのでみてみると通常のサイトであればこれで必要十分という気がする。
こうした感想を書くとテンプレート化によって「オリジナリティ」が失われてしまうことを危惧する意見が出てくる。
確かにオリジナリティは重要だがそれは外見のオリジナリティではない。
中身のオリジナリティが重要なのである。
(ブログやWikiなどはどのサイトも似たようなテンプレートをもとに構築されているがテンプレートによって価値が変動しているわけではない)
「企業のサイトって綺麗だけれどつまらないからみない」という感想が示す通り、ウェブサイトをみるときのポイントは外見ではなく中身に移ってきている。これも大きな流れの一つだ。
とはいえ外見はどうでもいいのかといえばそういうことでもなく(一つ前のライブドアブログについてのエントリーを参照ください)「中身もいい、でも外見もいい」というダブルの良さの実現に向かうのがベストだ。
※これは心証でしかないがインターフェイスの気持ちよさがコンテンツの方向性に少なからず影響する。使用するエディタによってテキストの方向性が変化するのと似ている。
また、HTMLを書いたりDreamweaverやホームページビルダーといったHTMLエディタをつかってウェブページをバリバリつくっていく、というウェブ製作のあり方からCMS的なアプリケーションへの移行ももう一つの大きな流れである。
投稿者 TKM : 16:03 | コメント (0) | トラックバック
2004年05月18日
リスニングバー
米スターバックスが「リスニングバー」なるサービスを始めたことを知った。
スターバックスの店舗にそなえつけられたタブレットPCを使ってネット上から曲をダウロードしお好みのCDをつくることができるサービスである。機材とバックヤードのシステムはHPが提供しているとのことだった。
いつかそういうサービスがはじまるだろうな、ということは誰もが予想していたわけだがスターバックス&HP連合。動きが早い。日本では楽曲のダウンロード販売サービスははじまっていない。
この手のサービスの開始時は必ずといっていいほど音楽著作権がらみで一悶着ある。
ところで著作権といえば昨日の切込隊長ブログにあった「パブリックP2P」という考え方には感銘を受けた。まさにその通りである。コンテンツの入手手段としてWinny以外の解を提供できずにいるのが現在の進んだ情報社会の真実である。
ここがスタート地点なのだ。
できないのは技術の為ではなく政治的な問題である。
そして、政治が変わり、法が変わるとき、波は起こる。
投稿者 TKM : 05:38 | コメント (1) | トラックバック
ハイパーカードが消えた理由 ~ビル・アトキンソンさんの話をきく~
銀座Appleストアでビル・アトキンソンさんのお話をきいた。
アトキンソンさんはハイパーカードや初代AppleのGUIを開発した人である。
登場したアトキンソンさんは意外にグッドシェイプで鍛えている感じである。
現在は自然写真家として活躍されている。
前半はApple初期の裏話など。
後半はカラーマネジメントについて。
前半は通訳が逐次通訳で対応していたが後半のカラーマネジメントについてのお話は日本語で聞いてもほとんど外国語と思われるような専門用語のオンパレードの為、Appleの社員らしき男性(この男性がなぜか妙にダンディというか胸はだけてます系のいでたちでやり手のエグゼクティブだぜオレは、な雰囲気を十二分に醸し出している)がかわって通訳を務める。しかしいかんせん付け焼き刃。かみすぎで話がつっかえるは聞きづらいはつまらないはでどうしようもない。はだけっぷりもこうなると仇になる。
とはいえ約2時間におよぶAppleの基礎をつくった生ける伝説プログラマーの話は十分に刺激的であった。アトキンソンさんがAppleでMacをつくっていた頃、社員は30人だった。けれど辞める時に社員は15000人になっていたそうだ。さらっといっていたがこの変化は凄まじい。このドライブ感を体験できたということは素晴らしい経験だったのではないだろうか。
アトキンソンさんは
「いまだにハイパーカードをつかっていますよ」
と言っていた。フルスペックのG5に23インチのシネマディスプレイ。それがアトキンソンさんの環境だ。現存する最高スペックのMacにしてあるといっていた。そこで使っているソフト群について説明してくれた時に
「クラシック環境も入れてあるんです。ハイパーカードをつかうのでね。」
ハイパーカード。
創られたのは随分昔だがいまだに優れたインターフェイスの使いやすさは健在である。どうしてMacにハイパーカードが付属されなくなったのか疑問に思っていたのだがアトキンソンさんが教えてくれた。
「ジョブズとスカリーの対立があったことはご存じですよね。そのスカリーがハイパーカードのライセンスを持っているのでAppleはもうハイパーカードを使えないんです。残念ですけれどAppleがハイパーカードを使うことはないと思います。」
そういう理由だったのか。技術的な問題ではなく政治的な問題が原因で創造性を高めるソフトウェアが忘れ去られていくのは残念だ。
ハイパーカードの面白さは使ってもらはないとわからないのだが簡単にいうといまの1000倍の手軽さでWebページをつくることができる、感じである。
「そうそう私にとってマーク・アンドリーセンはヒーローなんです。何故って、彼がモザイクをつくったことで結果的に私が実現したいと思っていた世界が実現したんです。PC同士がつながっていろんな人が情報を共有する。それが私がハイパーカードでやりたかったことなんですよ。」
マーク・アンドリーセンを「私のヒーロー」ですと嬉しそうに語るアトキンソンさんがとても印象的だった。アトキンソンさんは根っからのエンジニアで自分の夢を追っている。カラーマネジメントのソフトを開発したのも自分の写真を完全な色で印刷したいと思ったからだといっていた。解説をきいたらアトキンソンさんの開発したソフトを使うと印刷において驚異的な成果を出すことができる、とのことである。
彼はもともとインターフェイスの研究者・開発者なのだがその彼がいま考えている未来のインターフェイスについて一つだけ教えてくれた。
アトキンソンさんはそのコンセプトをタッチプレートと呼んでいた。
キーボードに変わる入力用のインターフェイスである。
そこにはキーのような凹凸がない。完全な平面である。グラフィカルにつくられたもう一つのディスプレイと考えればいい。
板の上に無数の円が配置されている。
数は通常のキーボードの二倍くらいである。
この円のそれぞれにキーを割り当てる。
シフトでもいいし、アンドゥーでもいい。
面白いのはそこから先である。
これらの円はそれぞれユーザが好きなキーを割り振ることができる。
どんな言語でもいいので他言語対応も可能だ。
現在のキーボードは「打つ」「叩く」という動作が必要だが彼の考えるキーボードは「触る」ことで入力を可能にする。なめらかにすべるように優雅に入力する。
「例えばピアノをひくときに指は滑らかにうごきますよね。鍵盤を滑らすように指を動かすとメロディがこう流れる。同じようにこのタッチパッドでもスっと指を滑らせるとTHEという単語になったり。Iという文字をたくさん使うならIというキーがたくさんあったりすればいいと思うんです」
少し詳しく解説するとこういうことだ。
例えば英語だったらホームポジションの位置からINGという配列でキーがならんでいる。その下にはTHEという文字が配置されている。
通常、文字を入力するにはそれぞれの文字を一つづつ打ち込まなければならない。
例えばTHEという単語だとアクションは3つ必要になる。
しかしタッチパッドならば指をスっと滑らせるだけでTHEが入力される。
ワンアクションである。
僕たちが考えるのとは全く違う発想の仕方だ。
こういう人がMacをつくったのだ。
発想のベースになっている出発点が全然違うと感じた。
よりフィーリングな世界からきている。
心地よさとか優しさみたいな閃きというよりも遊びというか。
PCは単なる性能の向上ではなく人の気持ちよさをより高め、使う人の意識やモチベーションを高めていく、という方向に向かっているのだろうと思った。
++++++
夜から矢坂さんとアトキンソンさんの話をもとにブレストをした。
アトキンソンさんの話はPCの世界の話だが僕たちが話したのはネットワークの世界の話だった。ネットワークによってコンテンツはどのように変貌していくのか、それについていろいろと議論した。次回はその話についてまとめたい。
投稿者 TKM : 05:06 | コメント (4) | トラックバック
2004年03月23日
[エッセイ] 舌の根も乾かぬうちにトラックバックを使ってみた
前に「トラックバックなんてもういらない」でトラックバックってあんまり使わないし、コメントも書いたことがあまり無いと書いた。
しかし今日になってトラックバック的な使い方を二つ体験した。
一つは「呼び込み屋は対話の天才」という歌舞伎町の呼び込み屋についてのエントリー。小鳥(a little bird)さんのエントリーを読んでいたら思い出したので書いた。
「呼び込み屋=言葉の使い手」という感覚はまさに我が意を得たりの感があった。
その直後、今度は隆慶一郎に関するエントリーに対してトラックバックがあったことを知らせるメールが届いた。
辿っていくと自分が隆慶一郎を読むきっかけになったサイトからであった。何を隠そうやまけんが絶賛している隆慶一郎とは何者ぞ?と思ってこのサイトへのリンクを辿っていったのがそもそもの発端なのだ。
こうしてみてみると確かにトラックバックは有効なのかもなと思う。
ただし、それは議論という方向性ではなく「遊び」に関する共感という部分で有効なのだと思う。
そこから何がはじまるということではないがインスパイヤされた元ネタを明記するというのはわるくない。といったところで隆慶一郎のエッセイでも読もうかな。
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投稿者 TKM : 03:47 | コメント (0) | トラックバック
2004年03月17日
[コンピュータ・ネットワーク] インタラクション2004 全てはナイトライダーへと向かっている
インタラクション2004というインタラクティブシステム全般をテーマとした国内最大規模の国際会議が行われていたことをさきほど知った。(MYCOMはこの手のアート&インターフェイス関連のイベントのレポートが多く文章もわかりやすい。ニュースリリースをそのままリライトしたような記事が多いインプレスのPC Watchに比べるととても好感が持てる)
紹介記事をみているといくつか興味深い研究があった。
特に気になったのは「ミュージックテーブル」。この作品(研究)は今後のコンテンツ、エンターテイメントの一つの可能性を示唆しているように思う。
本来の「遊び」と現在の「ゲーム」とは別のものである、というのが僕の考えだ。
僕がゲームをしなくなったのはファイナルファンタジーがPlayStationに移籍した頃だがその時期を境にソフトの方向性が大きく変わっていったように思う。ゲーム性よりもストーリー性、アクションよりも映画性の強いものが主流になり、「遊ぶ」というよりも「観る」あるいは「読む」という感覚の方が強い作品が多くなった。
そうしたストーリー性を楽しむことを目的としたゲームは一つのジャンルとして成立していていいわけだが物語がタイトル毎に新しくなっているだけでは体験的な「新しさ」はない。
一部のゲームソフトでは専用のインターフェイスを用意することでゲームに物理的なインタラクティブ性を持たせ、身体で感じる面白さとソフトによってつくりだされるゲーム性を融合をさせているがまだ数は少ない。
コンテンツとして具体的にどういうものがありうるのかを現段階で明確に言い当てることはできないがある種の閉塞状態にある「ゲーム」というエンターテイメントプラットフォーム・メディアがもう一段階進化する可能性はソフトによるゲーム性の拡張や物語性の開拓ではなくミュージックテーブルのような実在するモノと仮想空間の融合といったモノとソフトの接点にあるのではないか、というのが僕の考えである。
他にも慶應大学安村研究室の研究事例をみてみると研究というよりもメディアアートに近い印象を受ける。内容は穏やかだが既存のコンピュータのインターフェイスの問題を指摘されたようでハッとなった。
これは大きな流れなのだと思うのだが、通常、僕たちはPCの違いを主にデスクトップ(マシンという意味ではなくGUIの意味)の違いで判断している。しかし、今後のPC、コンピュータが発展していくときの主流はそうした画面の中(GUIやOSといったもの)の発展ではないと思う。コンピュータのコンピュータらしい部分がどんどん隠れていき、より物理的なインターフェイスによってPCが活かされるようになる。
理由はその方が楽しいからである。
Mac、Win、UnixなどいろいろなOSがあるがどのOSもGUIをつかったオペレーティングシステムへ向かって発展してきた。これは大きな流れである。
同じようにコンピューティングの次の大きな流れはOSそのものではなく物理的なモノとのつながりにある。といってもOSやGUIやPCが消えるわけではない。それらは消えないがインターフェイスが変容していくのだ。これは大きな流れでありネットワークの台頭と関係している。
しかし、現行のユビキタスのイメージは僕のイメージからはズレている。その理由は楽しくないからだ。僕たちが欲しいのは「@便利」や「高性能」ではない。
食糧難だったら「週に一回ちょっとだけだけどすごく美味いものが食べられる」よりは「あんまりうまくないけれどとりあえず毎日好きなだけ食べられる」の方が価値を持つ。
しかし、食料が溢れていれば「より美味しいもの」でなければ心惹かれることはない。
コンピュータはもうその域に来ている。
面白さや楽しさを感じるかどうか。
より速いコンピュータではなく、より「面白い」コンピュータが求められている。
そしてこの場合の面白さはソフト的なものではなく体感に近い。
携帯とネットの親和性など、そうした傾向の現れだと僕は思う。
中身はかわらなくても使われ方が変化するのである。
いろいろな場所でそれが起こってくると思う。
車の中だって変わるはずだ。
コンピュータ・ネットワークというと携帯やPDA、家電レベルでもTVや電話、PCなどがメインキャストに思われがちだが案外、車という場所が変わるかもしれない。ナイトライダーの世界はもはやまるきりの非現実ではないのだ。
何がどうかわっていくかはわからないが成熟期を迎えた分野が向かう方向性としては物事は便利さではなく身体が感じる「面白さ」に向かっている、というのが僕の考えである。
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